1月の学びあいの会は岩島師の教会論の第3回目である。「新約聖書における教会の自己理解(3)」となる。岩島師は、新約聖書における教会の自己理解は、①神の民 ②キリストの体 ③霊の被造物(聖霊の神殿) の3点からなるという。今回はその③で、本(1)で言えば第8章にあたる。
第8章の主張は、教会は霊によって成り立っている、というものだ(2)。ヨハネ、ルカ、パウロの三人の説明の仕方が紹介される。 聖書の引用部分はいつものように参加者全員で読み合わせた。あまり読んだことのない引用箇所もあり、これはこれで勉強会の楽しみである。
Ⅰ ヨハネ
ヨハネはキリストにおいて与えられた新しい生命、信仰体験を伝える。「イエスの時」と「教会の時」が明確に区別される。
「聖霊を送る」(14:26~27 15:20~27)
「聖霊を受けよ」(20:21~23)
教会を動かしているのは霊であるという主張がくりかえされる(19:34~35)。
Ⅱ ルカ
ルカもヨハネと同じように、キリストの時代と聖霊の時代を区別する。教会の時代は、イエスの時代と週末との間ので、聖霊が支配する時代とされる。洗礼、聖餐、使徒職などはすべて聖霊によって与えられる。
使徒行録 9:31,ルカ 11/13,12:12
Ⅲ パウロ
1 霊の教会
パウロは、霊の教会を二つの意味で使っているという。 ①霊によるキリスト者の新しい実存 パウロによる霊(プネウマ)と肉(サルクス)の区別は、霊魂と肉体の区別ではなく、神からのものと人間全体との区別を意味している ②霊の建物としての教会 霊による教会の実存(Ⅰコリント3:16~) 霊は教会の土台(Ⅰペテロ 2:4~7)
2 カリスマの教会
カリスマの教会論は今日再び注目されている。固定的な制度的教会論から信徒のカリスマの教会論への変化が起こっているという。
カリスマとはパウロのことばで、神からの賜物を意味する Ⅰコリント12・14章、ロマ12章とくにコリント12章は重要だ。カリスマとは、「知恵の言葉、知識の言葉、信仰、癒やしの賜物、奇跡をおこなう力、預言する力、霊を見分ける力、異言を語る力、異言を解き明かす力」と説明されている(3)。岩島師は次のように整理している。
①カリスマの種類 (Ⅰコリント12:28~)
1 福音宣教に関するもの:使徒・教育者・教師
2 奉仕に関するもの:補助者・管理者・寄付・慈善
3 共同体指導に関するもの:牧者・監督・執事
②カリスマの序列 (Ⅰコリント 12:28~)
1 使徒 2 預言者 3 教師 4 力あるわざを行う者 5 癒やしの賜物を持つ者 6 補助者・管理者・異言を語るもの
③カリスマと役務
カリスマと役務を対立するものと考えるのは誤りである。カリスマの根源は神の霊であり、その目的は教会への奉仕、キリストの体の建設である。カリスマは聖職者だけではなく、信徒にも与えられる。
岩島師のこの説明は聖霊の神殿論なのだがあまり詳細な説明ではない。興味深いのはカリスマの説明だ。カリスマ論はもう少し詳しい展開が欲しいところだ。
注
1 『キリストの教会を問う ー 現代カトリック教会論』 サンパウロ 1987
2 岩島師は「霊」という言葉を使っている。「聖霊」と区別した用語なのかどうかはわからない。霊は pneuma(ギリシャ語)プネウマ のことであろう。聖霊は、「神の霊」「復活したキリストの霊」の意で(pneuma hagion、 Holy Spirit)、三位一体の神を指す場合が多いと思われる。新約聖書には明確な三位一体論はなく、プネウマとは「風」、「息吹」のことを指している、というのなら、あえて聖霊ではなく霊と呼ぶのも解らなくもない。なお岩島師は最近の講義では聖霊という言葉を使っておられるようだ。また、『広辞苑第7版』は霊と聖霊を区別し、霊を「精神的実体」「たましい」「たま」と説明している。
3 このような原意から転じて、M・ヴェーバーによりカリスマ概念は大衆を魅了する超自然的な能力を意味するようになり、一般的に使われるようになった。「カリスマ的支配」という支配類型論、「カリスマの日常化」という組織論を社会科学を学んだもので知らぬものはいないだろう。ちなみに社会学辞典では、「非日常的・超自然的な資質・能力」などと定義するものが多い。広辞苑では「超人間的・非日常的な資質」と定義されている。