カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

近代神学の祖 ー フリードリッヒ・シュライエルマッハー(1)

2020-03-22 16:21:37 | 神学

新型コロナウイールスの感染拡大で、主日のミサは3月いっぱいお休みとなった。日曜日のごミサがなくなると何か生活のリズムが崩れてくる。教会活動はほぼ全面停止状態だ。明日の学びあいの会も同じくお休みになるだろう。おしゃべりの会も集まれない。代わりに報告担当だったシュライエルマッハーの部分をまとめてみた。

 神学講座2020の6人目はシュライエルマッハーである。このおしゃべりの会のメンバーはみなカトリックだからシュライエルマッハーはあまりなじみがない。プロテスタント神学にとっては文字通り近代神学の父だろうが、カトリックの世界では神学者としてより哲学者として言及されることが多いようだ。例えば増田祐志師は、「解釈学が一般解釈学として成立したのは、理性と意志により「神に対する絶対帰依の感情」を説く近代神学の父シュライエルマッハー(1834年没)」と言及しているが、あくまで哲学史の中での言語論的転回の一例として触れているにすぎない(1)。

 だが、キュンクによる評価は高い。そしてその紹介は難解である。本章のサブタイトルは「近代の薄明の中の神学」だが、われわれの理解も「薄明」だ。おしゃべりの会にはシュライエルマッハーを読んだことのある人はいない。キュンクの議論に沿っていくと哲学の素養の無いわれわれは迷路に迷い込む。理解できたところだけで議論するほか無かった(2)。だからわれわれの問いは、キュンクはなぜルターに続いてシュライエルマッハーを取り上げるのか、だ。シュライエルマッハーの評価は最近ふたたび高まっているという。それにしても、自由主義神学のシュライエルマッハーはやがて弁証法神学やカール・バルトによって批判され、克服される過去の人ではないのか。キュンクはシュライエルマッハーをどのように位置づけるのだろうか。



Ⅰ 敬虔主義と合理主義の彼方に

 教科書的に言えば、シュライエルマッハー(1768-1834)は、自由主義神学の創始者であり、近代神学の父と呼ばれ、ロマン主義神学の生みの親であり、普遍解釈学(一般解釈学)の始祖でる。系譜的にはドイツ観念論の中に位置づけられるが、「直感と感情」を中心とした信仰概念を提出した近代聖書解釈学の代表者ともいう。なんとも形容詞と肩書きの多い人だが、それだけ偉大な、つまり、時代を(18世紀後半から19世紀前半を)を代表するような人物であったということであろう(3)。
 ここでキュンクはシュライエルマッハーを哲学史、思想史のなかに位置づけようとしている。シュライエルマッハーは「敬虔主義とも合理主義とも一線を画した近代人、近代の神学者」だという。どういうことか。
 ルター以降の思想史の整理のしかたはいろいろあるだろうが、例えば、ルター派は正統派と敬虔派に分かれるが、敬虔主義に啓蒙思想が流れ込む。啓蒙思想は大陸の合理論とイギリスの経験論からなる。合理論と経験論の対立はカント哲学で止揚されるが、カントの二元論批判は観念論とロマン主義の両サイドからなされる。このロマン主義の流れの中に自由主義神学の誕生をみ、弁証法神学の源を位置づける、という整理の仕方は、それほど間違ってはいないだろう(4)。
 シュライエルマッハーは正統派ではない。敬虔主義の環境の中で育ったが、啓蒙思想やカントの影響を受けた。だが28歳でベルリンで職を得るとかれは敬虔主義とも合理主義とも袂を分かっていく。

Ⅱ 近代人として

 シュライエルマッハーは、「宗教改革から近代への神学的パラダイム変換」を具体化した。かれは「近代人の神学者」だという。かれはもうルターのようにコペルニクス以前の世界には生きていない。天使だの、悪霊だの、魔女だのが生きる世界には住んでいない。では、彼が「近代人」であるとはどういうことか。

①近代哲学の肯定
かれは、カント・フィヒテ・ヘーゲルをよく知っている
②歴史的批評を肯定している
かれはイエス伝研究を第一テモテ書から始めている
③解釈学を普遍解釈学へ発展させた
④近代的な文学・芸術・社交を肯定した
かれは啓蒙主義を乗り越えようとしているロマン主義者たちと親しかった

 シュライエルマッハーはたしかに近代の入り口に立っている。

Ⅲ 近代人の信仰

 かれは、女性と子供に関しても開放的な思想を持っていた。現代教育学のパイオニアだという人もいるようだ。かれは自分の「信仰」を次のようにまとめているという。

①無限の人間性を信じる:かれにはジェンダー的視点はなかった
②意志の力と教養の力を信じる:かれは教育を性差別から解放する方法とみなした
③感動と徳義を信じる:かれは芸術と学問の魅力、祖国愛、明るい将来を信じた

 カール・バルトはやがてシュライエルマッハーのこういう「信仰」観を批判していくが、シュライエルマッハーにとっては結局「文化と教養」が重要な課題だった。キュンクはこの点をもっと肯定的に評価したいようだ。

Ⅳ 近代と信仰は両立するか

 しかしこの教養ある人々は宗教を軽蔑していた。この人々向けにシュライエルマッハーは処女作をだす。『宗教論ー宗教を軽蔑する教養人への講話』(1799)だ。よく読まれる本らしい。だが、卓越した何人かの同時代人ーフィフテ、シェリング、ヘーゲル、ヘルダーリンらーは、関心を神学から哲学へと、詩作へと、移していった。かれらは宗教を放棄したわけではないが、宗教は思弁的形而上学の体系に組みこまれてしまった。だから、啓蒙主義の後、19世紀を目の前にして、宗教に疎遠な時代に宗教を呼び戻すこと、それがシュライエルマッハーの課題だった。では彼が呼び戻したいと思った宗教とは何であったのか。

 


Ⅴ 宗教とは何か

 シュライエルマッハーは、宗教は科学ではない、だが道徳でもない、宗教は「経験」である、という。具体的には、「直接的な観照と感受」(5)だという。宗教は「無限なものに対する感覚であり味覚」だという。宗教を「感情」(Gefuehl)をみなすのはシュライエルマッハーの特徴らしいが、これはロマン主義的な情緒という意味ではないという。それは、宗教とは「人間の絶対依存の感情」と定義する場合の感情の意味らしい。この「絶対依存」という言葉もシュライエルマッハー独特の用語らしく、かれの神学をますます難しくする。

Ⅵ 「積極的宗教」の意味

 宗教とは人間の「絶対依存の感情」といっても、キリスト者が犬が主人に依存しているように神に依存しているという意味ではないという。道徳的人間の内的自由というくらいの意味だ。これも曖昧な定義だが、具体的には「国教会制」に反対するという意味だ。かれが改革派の流れの中にいることがわかる。フランス風の教会と国家の分離を要求した。また、教会改革を要求し、教会は聖職者共同体ではなく、個人共同体だと主張した。また、啓蒙主義神学とは異なって自然宗教(理性宗教)は存在しないと強調した。つまり、かれはユダヤ教、キリスト教、イスラム教を「積極的宗教」(positive Religionen)と呼び、宗教における「積極的」(肯定的)なるものを探求していく。「無限なもの」はそれ自体としては存在しないし、抽象的なものではない。具体的な、有限な形で存在する。つまり、宗教は多様な形で、多元的に存在すると主張した。といっても彼はキリスト教が他の宗教にまして最も純粋に個別化されているとした。つまり、キリスト教は「すべての宗教の中で相対的に最善」だとした。ここでキュンクは、シュライエルマッハーがヘーゲルとは違って、イスラムや仏教や儒教などについてほとんど知識がなかったことだから致し方ないと少し擁護している。
 シュライエルマッハーの神学への貢献は、宗教を「経験」としてみる視点、「共同社会」としてみる視点を確立した点にあるという。

 続きは次稿にまわしたい。

1 増田祐志『カトリック神学への招き』2009 16頁 ちなみに、言語論的転回 linguisitic turn  とは20世紀英米系哲学の一潮流で、哲学の基本的方法が意識の分析(反省)から言語の分析へと転換したこと。
2 プロテスタント神学では、佐藤優・深井智朗『近代神学の誕生ーシュライエルマッハー『宗教について』を読むー』2019、カトリック神学では  若松英輔・山本芳久『キリスト教講義』2018 が興味深い。深井問題(論文捏造問題)があったので、読む視点を少し変える必要がある。
3 ここには、説明を要するいろいろが言葉が並んでいる。近代神学、敬虔主義、自由主義神学、ロマン主義神学、解釈学、一般解釈学、ドイツ観念論、「感情」などだ。こういう神学用語、哲学用語がわからないとキュンクの説明についていけない。難儀なことだ。また、時代背景はナポレオン時代といってもよいかもしれない。
 一番の問題は自由主義神学の「自由」とはなにかだ。どうも「教理・教義からの自由」という意味のようだ。現在は自由主義神学は死んだと言ってよいのだろうか。福音派からは批判され、他方、バルトなど新正統主義派からも批判される。キュンクはどのように位置づけるのだろうか。
 またドイツ敬虔主義( Pietismus 経験主義ではない)もわかりずらい思潮だ。辞書的にはルター派の正統派内で起こった信仰覚醒運動といえようが、思想的には信仰の主観性・個人性を強調しているという意味で近代的ともいえる。カトリックからいえば、名誉教皇ベネディクト16世はかって、敬虔主義の影響を受けた自由主義神学はあまりにも神を個人主義的に解釈しすぎると批判している。
 解釈学とはテキスト解釈の技法のこと。主に聖書研究で発達したが、シュライエルマッハーは聖書に限らず文献研究の理解に関する体系的な理論として「一般(普遍)解釈学」を確立したと言われているらしい。
4 小田垣雅也『キリスト教の歴史』講談社 1995。中世神学の合理主義は自由主義神学にとり「打撃」だったのか、それとも「解放」だったのか、プロテスタント神学のなかでも評価は分かれるようだ。
5 訳者たちは、「観照と感受」と訳しているが、「直観と感情」とも訳されるようだ。観照は Anshchaunung の訳語らしい。哲学では直観と訳されることが多いらしいが、社会科学では世界観という訳語のほうがなじみがある。

コメント
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