カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

マリアの「特権」とはなにか ー 聖母マリア(6)(学びあいの会)

2022-03-28 21:27:03 | 神学


 新型コロナウイルス対応で18都道府県に適用されていた蔓延防止等重点措置が3月22日に、全面解除された。当地では桜も満開を迎えた。だが当教会では4月も分散ミサが継続され、復活祭も皆でお祝いすることはできないようだ。ウクライナでの状況も予断を許さず、3月の学びあいの会も出席者の数は少なかった。

満開の桜

 

 

Ⅱ マリア神学とは何か

 大仰なタイトルだが、議論の視点を定めるためにも、一応最低限の了解事項を共有しておく必要があるということであろう。

1 マリア神学の基礎

 マリアは「神の母」であることがマリア神学の基礎となる。「母」であるとはどういうことなのか。
 神の救いの業とは、神が御子キリストの「受肉」(1)と「復活」および「聖霊」の派遣によって人間を神と和解させ、永遠の命を与えることである。キリストは神と人間との「唯一の仲介者」である。なかでもキリストの受肉において決定的な役割を果たしたのがマリアである。
 マリアの独特の役割とは、信仰と従順をもって、救い主の母となることを受け入れたことにある。だからマリアが神の母であるということがマリア神学の根本となる。これはやがてマリアの「特権」と呼ばれることになる。他の被造物が持ち得ない独特の役割とされる。
 受肉に関しては長く激しい論争が通じた(2)。これらの論争を通してわれわれが徐々に悟ったことは、マリアがなにか超人的な能力を有していたことではなく、常に神の呼びかけに答えた信仰によって、神の母に選ばれたことである。

 次のマリア論の展開は少し長くなるので次回に回したい。



1 受肉 incarnation とはわかったようであまりわかりづらい教義だ。かっては「託身」と呼んでいた。文字通り「身をかりる」との意味だ。ヨハネ1:14 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(新共同訳。フランシスコ会訳だと 「み言葉は人間となり、われわれの間にすむようになった」)。受肉の明確な定義としてよく引用される。
2 特に、天から地上へ下降する啓示者ないしは救済者という考えを強調するグノーシス主義との戦いは、誤解を恐れずに言えば、現在でも決着がついていないともいえる。

 

コメント
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