カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

愛の抗体 ー エゴはコロナより悪質なウイールスだ (司教ミサと堅信式)

2023-05-14 17:35:26 | 教会


 今日の復活節第6主日は当教会では司教ミサだった(1)。つまり堅信式だった(2)。5人もの方が堅信を受けられた(3)。実に五年ぶりだったような気がする。
 ごミサに出た人も200人近かったのではないか。久しぶりに元のミサに戻ってきた印象を受けた。現在の信徒数1454名から見れば喜べる数ではないが、U司教さまのご来訪を喜ぶ人たちがよくこれだけ集まったと思う。
 ミサ後の茶話会も盛大だった。天候が良くなかったので室内での茶話会だったが、司教様や神父様にご挨拶する人の行列が絶えなかった。

 司教様のお説教は興味深いものだった(4)。今日の聖書朗読の箇所を丁寧に説明なさっていたが、主な話しはコロナ禍後の教会の在り方についてだった。2020年7月に緊急出版されたフランシスコ教皇の『パンデミック後の選択』(5)を下敷きにお話しされているように聞こえた。要は、現代社会に巣くうエゴイズムや無関心はコロナよりも悪質なウイールスであり、この悪質なウイールには「愛の抗体」を持って立ち向かわねばならないというお話しだった。教皇様は「ワクチン接種は倫理的行為」とつとに仰っていた(6)。そのコロナよりも悪質なウイールスと戦うことを忘れてはならないというお話しであった。時宜を得たお説教だった。

【堅信式】


1 司教ミサが司祭のミサと異なるわけではなさそうだが、それでも現在は復活節でもあり、少し違いを感じた。歌ミサで、振り香が焚かれた。堅信式は共同祈願の前に挟まれ、信仰宣言はなかった。閉祭での派遣の祝福も少し異なっていたような気がする。
2 堅信は「第二の聖霊降臨」と言われるそうだ。堅信は、聖霊が与えられる秘跡だ。英語では Confirmation と言うらしいが、信仰を確認する儀式という意味だろう。幼児洗礼の場合にはどうしても早めに必要になる。
 今日の第1朗読は使徒言行録8:5~8,14~17。ここは堅信を表現しているのだという。近頃は堅信式でも堅信名をいただかないようだ。なにか意味があるのかもしれない。成人洗礼の場合には堅信も一緒にしてしまうこともあるようだ。
 聖霊降臨はペンテコステと呼ばれるようにキリストの復活から50日後の出来事で、教会が始まった日だという。つまり、教会の誕生日ということになるようだ。今年は再来週の日曜日、5月28日にあたるようだ。堅信式は司教様しか出来ないと言われていたが、現在は教区の合同堅信式もよくおこなわれるようだ。
3 コロナ禍で堅信式の機会が無く、堅信を受けた人のなかには女子高校生もいた。大分待たされたと言うことであろう。
 聖霊の派遣(または降臨)の出来事は、ヨハネ14章にでてくる。今日は15~21節が読まれた。16節に「父は別の弁護者を使わして・・・」とある。この弁護者が聖霊だとされる。弁護者というのも解りづらい訳語だが、原語はパラクレート(そばに呼ばれた者)。ドイツ語はder Anwalt と言うらしいから、弁護士とか代弁者のことか。英語では lawyer とか attorney というらしい。これもあまりピンと来ない訳語だがどうだろうか。聖霊論はカトリックと正教をわける大きな分水嶺なのでなにか良い訳語が欲しいところだ(坂口ふみ『〈個〉の誕生ーキリスト教教理をつくった人々』1996)。
 司教さまは冗談交じりに、堅信式を教会にさよならする日にしないで欲しい、と語っていた。堅信を受けると安心して、また部活や塾で忙しくなって、教会から離れる若者が多いという現状をさしたものだ。そうならないことを願うが、万一そうなったとしても、教会はいつでも戻ってこれる場だと言うことを忘れないで欲しいと思う。
4 U司教は若くして司教に任命され、司教職は長いがまだ年齢はお若いようだ(恐らく70歳前後)。日本の司教団ではおそらくNo.2か3という重要なポジションにおられるようだが、それほど過激な主張はなさらない方のようだ。お説教も人柄そのままで穏やかで心温まるものであった。当教会の新任のM神父様を気遣っておられる様子がよくわかった。
5 原題は、Life after the Pandemic。直訳だと「パンデミック後の生活、生き方」となる。邦題は『パンデミック後の選択』とされている。良い訳語だと思う。ちなみにこの本には8つの文書が収められている。①「なぜ怖がるのか」、②「コロナ後への備えの重要性」、③「新たな炎のように」、④「目立たぬ兵士たち」、⑤「再起計画」、⑥「エゴイズム―より悪質なウイルス」、⑦「ストリートペーパー関係者へ」、⑧「地球規模の問題を乗り越える」。印象に残った言葉をあげてみる。
「今はエゴイズムの時ではありません」
「今は分裂している時ではありません」
「無関心、利己主義、分裂、忘却、どれも今は聞きたくありません」
6 ワクチン接種に反対する論者がクリスチャンにも多かったことは承知している。確かに一部の専門家の意見を盲目的に取り入れ、莫大な予算をつぎ込んできた政府やメディアの言動は今後厳しく検証されるべきだろう。だからといってワクチン接種を否定することはできない。すでに6回目の接種が始まっている。

 

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