Ⅲ 新約聖書における罪の理解
1 罪をめぐるイエスの教え
イエスは、罪とは「律法」違反のことではなく、神と隣人への「愛の欠如」の問題であるとした。そしてそれを「一人一人の問題」として扱う。罪の観念はここで大きく転換していく。
①罪の赦しと病の癒やしを同時に行う(マルコ2~5章)
②信仰が罪からの救いである(マルコ5:34 「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」)
③あなたの罪は信仰によって赦されたと宣言する(マルコ2~5章)
④イエスは人間の罪からの解放のため自己を捧げる。そして罪の赦しの権能を弟子たちに与える(マルコ10~19章、ヨハネ20~23章)
2 パウロ
パウロは罪の意識を深く掘り下げる。パウロの罪の観念はキリスト教の罪観念のベースとなっていく。
①罪は普遍的である(ロマ書3:23 「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」)
②救われる以前の人間の状態を罪人とする(ロマ5:19 「一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされた」)
③一人の人によって罪がこの世に入り、罪によって死が入ってきた(ロマ5:12)
④アダムの堕落によって罪が全人類に及んだ(ロマ5:12 「すべての人が罪を犯したからです」)
⑤罪の赦しは唯一のキリストの十字架を通して与えられる恵みである(Ⅰコリント15:3、ロマ4:25)
⑥「一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです」(ロマ5:18)
【使徒パウロ】
3 ヨハネ文書(1)
①罪は人間を脅かす不可視の力である(Ⅰヨハネ第2章)
②罪は神と隣人への愛を拒むこと キリストによって与えられる解放によって罪から救われる(黙7:14 「その衣を子羊の血で洗って白くしたのである」)
③主の主、王の王のもと、人間は真に自由にされる(黙1:8 「わたしはアルファであり、オメガである」)
④キリストの血の贖いによる人間の罪からの解放が強調される(黙5:9 「ご自分の血で、神のために人々を贖われ」)
このようにパウロは、アダム以来人間はみな罪の下にあり、これをキリストの贖いによらずに償えると考えることこそ傲りであり、罪であるとした。罪は人間の内にあるとした旧約聖書の罪の捉え方とは異なることがわかる。
注
1 ヨハネ文書とは、ヨハネによる福音書・3通のヨハネの手紙・黙示録の5文書をさす。福音書記者のヨハネとは、イエスの12人の弟子の一人(パウロはこの中には入っていないが使徒と呼ばれる)で、ゼベダイの子とされる。もともと洗礼者ヨハネの弟子だったが後にイエスの弟子となり、使徒ヨハネと呼ばれるようになった。ヨハネ福音書の著者がこのヨハネかどうかは議論は定まっていないようだ(『岩波キリスト教辞典』)。