一人で昼間いると 自分は何でここで 何もしないでいるんだろう・・・って考えてしまいます。
鬱の診断から2年目。 自分では鬱の自覚もできてない。
だけど 確実に以前の私じゃないことだけは わかる。
買い出しに出ても 品物を籠に入れても 本当にこれを買っていいのかわからなくなる。
必要なんだけど 必要じゃ~ないような・・・。
味噌とか、調味料とか 肉でも野菜でも 要るんだけど どうしても要るもんじゃ~ないような・・・。
まるで 私のようだと思う。
今はレトルトや混ぜるだけ・和えるだけ・炒めるだけで出来上がるすぐれ調味料も沢山ある。
インスタントもお惣菜も作るより美味しいものもある。
わざわざ作らなくても 買えばあるのだ。
そんなことをうっかり考えると 何で私がわざわざ作らなきゃ~ならないんだ?とか思って
結局買わない。買えない。
まるで私だ。
家の中に居るんだけど 居ない人みたいな存在だ。
母親なんて 「妻」なんて そんなものなんだろうか。
好きで妻になったわけじゃない。
好きで親になったわけじゃない。
好きでここにいるんじゃない。
私が私の「常識」で 私を縛っている。
自分の存在価値がわからない。
必要ないと思ってしまう。
この家には 私は居ても居なくても同じ。
居なくても何とかなるんだ。
だったら 私は私の為だけに生きていきたい。
自分の存在を 大事にできる環境に行きたい。
一人で自分の時間を作り、働き、休み、食べて 部屋を整える。
自分を大切にしたい。
でも ここでは 私は「うるさくてやっかいな存在」でしかない。
味噌がなくても インスタントのお味噌汁がある。
カレーを作らなくても レトルトカレーがある。
ご飯もチンするだけで炊き立てみたいび食べられる。
買わなくてもファミレスがある。
掃除だって 汚れればきっと自分らでするんだろう。
着るものもなければ 洗うんだろう。
一人で自分の時間を回してる もう一人の親=旦那がうらやましい。
彼の今の11年の生活は 私の犠牲の上に成り立っている。
感謝の言葉もかけられたこともない。
思いやりを感じたこともない。
思いがけない喜びを感じたこともない。
しつこく言って要約 嫌々ながら 要望を叶えて貰える事はあっても
それはいつもそうなるとは限らない。
入院しろと病院から言われても 入院できる環境じゃない。
お金も調停で決まった金額だけなので 病院代など余分な金は持たされてない。
やりくりしてしまう自分が 自分の首を絞めているのか?
足りないと言えば出してくれるのか?責められるだけでは???
何の為に 旦那の「妻」でいるんだろう。
彼の一人の時間を継続するために ここで私は口うるさい家政婦のように存在するのだろうか?
だったら 変わりは探せばいるだろう。
一人になりたい。
本当の意味で 一人になりたい。
不謹慎な発言かもしれない。
だけど 絆が私を縛りつけてる。
実家の親たちとの絆が。
子ども達との絆が。
今の私を縛り付ける。
当たり前の存在が居なくなったら どうなるのか
傍から見てみたい。
これが鬱なんですよ・・・と先生は言う。
病気なんだって。
私だけが ああ、そうなんだと思ってもしょうがない。
私が理解するより、私の周りこそが理解していなくなったら?と考えた方がいいと思う。
このままじゃ~・・・使い殺しだ。
人にはおそらく生まれた時から 死ぬまでの時間が決まってる気がする。
ならば 私は もう 私の時間を 私の為の時間を過ごしたい。
今まで 親に縛られ 家庭に縛られ 「自分」を謳歌できなかった私。
「謳歌」の意味も考えたことすらなかったけど
人生を満喫してみたい。
満喫する為の 知らないいろいろな事を見たり聞いたりしてみたい。
ここにいる限り、 私の存在価値などないに等しい。
卑屈になってるわけじゃない。
そう思わせる家族が よろしくないんだと思うから。