”世界文化遺産 紀伊山地の霊場と参詣道”の『熊野古道』の
つぎは神倉神社の近くの「千穂が峯」へ
ここは”熊野三山の一つ権現山”とも言われている
山の一角を「千穂が峯」と言います。
「千穂が峯」は、”神倉神社”がある”神倉山”の脇から
登って行くコースで、父からを事前に確認。
片道約1時間のコースだそうです。
父曰く「新宮市で一番高い場所」と言うことでした。
地元の私も初めて行く場所なので、どんな道を行くのか見当がつきませんでした。
この「千穂が峯」登り口の”神倉神社”の”神倉山”は、
地元にいる頃、遊びに来ました。
何か面白い物がある訳ではないのですが。。。
地元の祭りで、毎年2月6日に『御灯祭』が、この”神倉山”であります。
紀伊の「火祭り」とも言ってたような。。。
この『御灯祭』は、私が地元にいるときは毎年参加してました。
地元の人は『御灯祭』の祭りに”参加”とは言わず”登る”とい言います。
”神倉神社”がある”神倉山”に松明を持って
石段を登り松明に「火」を付けて降りてくるからです。
未だに毎年2月初旬になると、何故か身体が”ムズムズ”して来ます。
地元の人や、地元出身の方は同じ思いをしていると思います。
「千穂が峯」を調べてみると
「千穂ヶ峯は新宮市中心市街の西側に南北方向にそびえ立ち、
市街地と熊野川を隔てている。2つのピークがあり、
最高地点は北の権現山(ごんげんやま、253m)だが、
神倉神社の所在地として知られる南の神倉山(かんのくらやま、199m)の方が
名高い。数値のみで見れば都市近郊の低山に過ぎないが、
とりわけ熊野川に臨む西面は急峻に切り立った崖をなしており、
険山の様相を呈する。」だそうです。
とりあえず”神倉神社”の鳥居をくぐって出発です。
↑ ”神倉神社”の入口です。
↑ いきなりこんな石段を登って行くんです
神倉神社の石段は見た目”崖”のようなもので、
普通の石段とはわけが違います!!
写真で見ても石段に見えないぐらい急で”岩の塊”ですよ!
この石段を少しずつ登り約10分ひたすら登る。
途中で「千穂が峯」方面の目印を発見。
その目印の通りに進んで行くと。。。
あれれ??これが『熊野古道』なの??
整備されていない山道??
いや、”ケモノ道”に迷い込んだ??と思うくらいの風景。
↑ 道はこんな感じです。
↑ 相変わらずこんな軽装です。
相変わらずの軽装で『熊野古道』を歩いている二人。
妻と二人で「大丈夫か?」と思いつつ進んで行く。
よく時代劇で旅の一行が山中で襲われるシーンのようなロケーション。
30分歩いても、40分歩いても。。。。山の中から出れない。。。
この『熊野古道』を歩いている人も見当たらない。。。
途中で一家族と会いましたが、恰好は山登りスタイル。
こっちは山登りスタイルを舐めた軽装スタイル。
延々歩いたのち「千穂が峯」の展望台に到着!!
↑ 少し”ゲッソリした顔”ですが、とりあえず記念撮影!
↑ これが「千穂が峯」から見える景色です!!
少し休憩した後、下山することに。
あの山道を使って帰ることに”ゲンナリ”していましたが。。。
無事「千穂が峯」から下山した後、
”神倉神社”の”ゴトビキ岩”と”社殿”へ
↑ ”ゴトビキ岩”と”社殿” とりあえず参拝しました。
↑ この”神倉山”の歴史的は古く『古事記』『日本書紀』にも記されているそうです。
雰囲気も”神々”しさを感じます。<地元にいたときは感じませんでしたが(汗)>
↑ これが地図で見ると、「千穂が峯」と”神倉神社”の位置はこんな感じです。
こう見ると、結構距離がありましたね。通りで大変なはずだ。。。
実家での”世界文化遺産『紀伊山地の霊場と
参詣道の熊野古道』”巡りは以上です。
今まで、何気ない地元の風景だと思っていましたが、
こうやって”世界文化遺産”になったところに行ってみると、
自分自身、少し地元の風景のイメージが変わったような気がしました。
やはり、地元の”景色”や”風景”が一番きれいだと再認識した今回の帰省でした。
ではまた。
ただいま”建人(ケント)ゥ”中です!!
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