今日は、コンビの話。
というかSiswatiの話。
活動の拠点をSchoemansdal地区に移して以来、
乗合コンビをほぼ毎日1時間半近く乗るようになりました。
当然、現地の人と同じコンビに乗るわけで、
車内は現地語であるSiSwati(スワジ語)が行き交っています。
前任者とは違い、現地訓練の際に現地語を習っていない
私にとって現地語は、単なる雑音でしかありませんでした。
雑音というと嫌な言い方に聞こえますが、
意味が分からない言語のため、
彼らが何を話しているかわからないのが、ある意味幸せでした。
おそらく日本に帰れば、
聞きたくなくても隣の人が何を話しているか自然に分かり、
ある意味きついだろうなと想います。
コンビを長く利用して、
学校でも現地語に囲まれた生活をしていると、
だんだんと自然に現地語を理解し始めました。
特に最近は、表情や会話の中にたまに聞こえる英単語のおかげで、
会話の半分以上をなんとなく理解できるようになりました。
(細かい単語や文法はまったく分かりません。特別勉強していないので。)
分かることはいいことではありますが、
ある意味聞きたくないことも聞けてしまいます。
例えば、アジア人に対する見下した発言や学校の先生同士の悪口。
いままでであれば、
私が現地語がわからないと思う人たちから心ないことを言われても
分からないので、残念な感情を持つことがなかったのですが、
変に現地語が分かるようになってしまったために、
悲しい思いをすることが増えた気がします。
もちろん現地語が分かることによって、
特に低学年の子どもたちと意思疎通ができるようになったので、
一概に悪いとは言えませんが。
コンビの中は、何も考えずに
あくまで自分の世界に入っていた私にとって、
最近は、耳に入ってくる現地語によって、ボーっとできなくなってしまいました。