既成の考えの人にはおそらく理解できないだろうが、私は1970年の激動が、革命に至ればいいと感じていた。
維新という言葉は我々が使う用語であり、立場が違えば革命となる。同じ現象に違いない。
19歳の私は世の中の「不都合」を感じていたから、ひっくり返ればいいと思っていたのだろう。
しかしながらパルタイには興味がなく、セクトにも興味がなく、むしろ敵対のおかしな心象をもち、彼らの方法論に異論を持っていた。
理論武装とかいうおかしなことを営々と積み重ね、数人がかりで異論を唱えるものを取り囲み「論破」している光景はニンゲン性を唱えながら反対のことをしているように見えた。
三島先生が東大で、君たちが天皇陛下万歳というなら共闘しようと訴えたのは、日本という国を救うためにはそういった手段さえ視野に入れてのことだったのだろうか。
自分の人生のほとんどを消去する作業に入って3日目、今夜改めて道浦母都子氏の「無援の抒情」を開いてみる。
われらがわれに還りゆくとき
「今日生きねば明日生きられぬ」という言葉想いて激しきジグザグにいる
報復の名のもとわれら甘えいて今宵も虚しき血は流さるる
従いて闘う日々の易しさを知れり人率く身となりし夜
1969.1.19
火炎瓶も石も尽きしか静まりし塔に鋭き夜気迫りゆく
炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る
暴徒らの中に私も含まれて激しく民に憎まれていん
今だれしも俯くひとりひとりなれわれらがわれに変わりゆく秋
一人一人は繊細な心を持ち、時代と制度とその先にある「資本主義」との対決を行った人々であった。
その方法が破綻し、パルタイもセクトのもないところでニンゲンの深さを詠んだ。
そういう歌を読んで今夜静かに祈りたい。
※ 暑いですねと送ったメールに国文女性教授がご返信
酷暑さえ
甘受されよと
返信は
「源氏」読みなる
人のすごさよ
※ 思いがけない展開は、胸の底ではわかっていた。しかし「かなしい」これがひとの業であろうか
ゆくりなき
みのさだめかな
静みゐる
紅染月の
夜はさに深し
ダーリンはもう寝た。
イーストウッドの近作をDVDで鑑賞し、久しぶりで「心をほどいた」私を見て安心したのだろう
いつだって、孤立無援の私のそばにいてくれる