城辺砂川の上比屋(ウィピャー山)遺跡にある籠り屋の屋根の葺き替えが
十数年ぶりに行われたと ローカル新聞に載っていた。
ここ数年屋根に葺かれていたカヤはがれて、梁がむき出しとなって
いたためビニールシートで覆っていた。
自治会の会長は「昔は二月ごもりなど多くの神行事が行われていた。
現在でも年に3回は ここでの行事がある。
後世に伝えていかなくてはならない。」と話している。
ウィピャームトゥの祭場で、砂川集落南方の上比屋山遺跡(ウィピャーヤマ)
にある。 籠り儀礼に使われる「マイウィピャー」「クスイウィピャー」
「ウイウス」と呼ばれる 3棟の家屋で、祭場内の石垣などとともによく
保存されている。
3棟とも側面が琉球石灰岩の石積みで、それぞれほぼ南向きである。
祀られている神についての由来は、古文書「雍正旧記(1727年)や
「宮古島記事仕次」に 記されている。
主な行事は、2月籠り、津波避けの祭事ナーパイ、8月籠りなどがある。
宮古村落の神々や祖先などを祀る祭りを理解する上で極めて重要な文化財
だといわれている。
また、この遺跡からは宮古式土器や、青磁、沖縄製陶器、タイ産の壺などが
発掘されている。 その中でもとくに青磁が多く、その解釈については
「倭寇の根拠地説」「貿易で栄えた港町説」 「貿易の中継基地説」などがある。
「倭寇」とは、13世紀〜16世紀にかけて、朝鮮半島中国沿岸などで活動した、
略奪行為や 密貿易などを行なった海賊のこと。
この倭寇の歴史をたどると前期と後期があり、ウィピャー遺跡と同時期頃の
15世紀までの 前期倭寇は、主に瀬戸内海、北九州を本拠地とした
日本人は多かったといわれている。
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