沖縄の本を読んでいると、今からおよそ230年前にも
名護を舞台にした開発計画が持ちあがり、
沖縄(当時の琉球国)を論争が繰り広げられた事が
載っていた。
その開発計画というのは、屋部川と羽地川を結んで、
羽地内海から名護湾にいたる大運河を建設し、
そのうえで、王都を首里から名護に移すという、
遷都計画。
この本によると、この計画の提唱者は、
「名護聖人」と呼ばれて庶民から慕われていた
名護親方が言い出したもの。そして、この計画に反対
したのが、琉球の歴史のよく登場する宰相・蔡温。
蔡温は、風水理論をたてに、首里の優位性を説き、
運河開削による自然破壊の愚かさを非難して、まっこうから
反対したそうだ。
蔡温の訴えを聞いた王は、名護への遷都をやめたと
言われている。
琉球国の三司官の中の三司官と言われた、この蔡温と
いう人はよほど頭がよく偉かったんだな・・・・
歴史は繰り返すと言うが、このような人が現れたら、
基地問題も解決できたかも知れない。
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