うんたま森のキジムナー

戦争体験

慰霊の日の前後 そして終戦の日の前後には、沖縄各地で
慰霊祭が行われる。沖縄の新聞やテレビでは、戦争体験者の
経験談が多くよせられるが報道規制があるのか、私が直接聞く、
オジィやオバァの話とはかなり温度差がある。

たとえば、宮古島に駐留していた当時の日本兵と今も
交流をかさねている。と言った話は美談として伝えられるが
「ウチの豚を勝手に盗んでいった」というような話は
新聞やテレビでは報道されない。

宮古島に駐留していた日本軍は、当時6万人の住民に対して
3万人の日本軍がいたそうだ。
戦争が激しさを増してくると、島に疎開命令が出た。
本土の疎開は一般住民が戦争に巻き込まれないために
行われるが、沖縄では食料の問題があり、島民と兵隊合わせて
9万人が食べていくものがない。
そのため、島民は、台湾、九州へと疎開させられた。

あるオジィは「最初っから住民を守るつもりなんてなかったさぁ 
下手すれば平気で鉄砲をむけられたから」と言う。
戦争の話は難しくて、聞いた話をなんでもかんでも書けば、
藪をつつくようなもの。新聞やテレビの体験談より、今、
生きているオジィやオバァの話を直接聞く方が
本当の出来事を知ることができる。

オジィの自慢話には尾ひれが大きくつくこともあるので、
そのへんは適当に・・・・



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