「漲水石畳道」の別名を「ネフスキー通り」と言う。
ロシアの天才的な言語学者 「ニコライ・ネフスキー」という人が
宮古島にやってきたのが、大正11年(1992年)7月下旬。
2回目にネフスキーが再び宮古島にやってきたのが
大正15年そして昭和3年にもやってきたことが書き残されている。
天才的な・・・と言われているのは、アイヌの言葉を話し
宮古島の方言を正確に話し、島民を驚かせたと言われている。
ある程度の方言を聞くことが出来ても、
それを話すことは難しい。
このニコライ・ネフスキーの生涯を追った「完本・天の蛇」
という本があるそうだがなかなか探せない。
「天の蛇」というのは、方言で「ティンパウ」
虹のことをこのように呼ぶ。
2年間の官費留学生として来日したネフスキーは、大正6年に
勃発したロシア革命のため帰国できなくなり、小樽高等商学校や
大阪外国語学校のロシア語教師として生計を立て、
日本人女性と結婚して、娘を授かり、その後単身で帰国した
そうだが、最後は粛清され亡くなっている。
漲水神社近くにネフスキーの石碑があり、その前を通るたび、
アマゾンでこの本を探している。
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