うんたま森のキジムナー

落人

宮古島のことを地元方言で「ミャーク」という。
琉球の時代は「大平山」と文献に出てくる。
名前の移り変わりを見て行くと、太平山一名麻姑山、
始宮古→後迷姑→今麻姑
(ミヤク・ミャーク→メーク→マーク)
もしかしたら集落 部族ごとに呼び方が違っていたのかも
知れない。

映画「将軍」で出てくる外人の旗本の按針さん。
ウィリアム・アダムスは1614年 1618年 琉球に
立ち寄っている。
航海日誌には「Meaco」と宮古島のことを表記している。
おそらく「都」であったと思われる。

平家の落人伝説というのがあり、実際に宮古島の
狩俣集落の家に平安時代の日本刀が残されている。
宮古島に「平良」姓が多いのも平家から来ていると
いわれている。

宮古島が文献に出てくるのが1317年 源平合戦と
呼ばれる寿永の乱が1180年
平家の落人が倭寇となって沖縄や沖縄各地の離島に
いても不思議ではない。

宮古島の観光地である東平安名崎、そして西平安名崎。
沖縄の人が名付けるのなら「辺名崎」
になりそうなものだが、「平安」と
なっているのも平家の落人とかかわりがありそうだ。

残念ながら「源さん」という名前は聞いたことがない。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

ダイバー
歴史は面白い。後世の人々が「こうであって欲しい」と言う思い(願い)が、徐々に「言い伝え」になって、現実の歴史の様になった事例もいくつかある。義経がジンギスハンになって蒙古帝国の祖になったという話も、夢があります☺
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「宮古島」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事