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うんたま森のキジムナー

宮古島の主食は芋だった。お米を食べていたのは身分の高い人たちで、
一般の人たちがお米を食べるのは祝いなどがあったときに口にすることが
できたそうだ。

芋の歴史を見ると紀元前1000年ごろメキシコを中心とするアンデス地方で
作られていたことがわかっている。
ヨーロッパへは15世紀の終わりにコロンブスが持ち帰ったのが始まりだと
いわれている。そして東南アジアへはスペイン人やポルトガル人が持ち込んで、
その後中国へと広がったそうだ。
そして1600年ごろ中国から日本へと伝わった。

このあたりで琉球、沖縄を飛び越した話しとなっている。
琉球(沖縄)から薩摩(鹿児島)に伝わったことから芋のことを薩摩芋と
呼ばれている。中国から伝わった芋は「唐芋(からいも)」とか
「甘薯」と呼ばれて、一般にはサツマイモと呼ばれるのが当たり前の
ようになっている。

芋が日本に最初に上陸したのは、宮古島である。
1594年、砂川親雲上旨屋という人がいた。
この人は宮中や官庁に捧げる品物を管理する仕事をしていた。
この人が琉球に荷物を届けて宮古島に戻る途中、逆風で中国に漂着した。
ちょうどこの年に中国にルソンから芋が伝わって、栽培普及が行われていた。
この人が3年間中国に滞在して芋の栽培を学んで1597年芋を持ち帰ったのが
最初だということがわかっている。

芋は干ばつや台風にも強く芋が主食となっていく。
宮古島にはこの人を祀る御嶽があり「芋ヌ主御嶽」と呼ばれている。
サツマイモと呼ばれているが本来なら宮古芋と呼ばれてもいいはずだ。


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コメント一覧

きじむな
子供の頃、学校から帰るとテーブルの上にふかした芋が
ありました。よく焼き芋を売る車もまわったいました。
芋が嫌いでしたが、最近、よく買って食べます。
ダイバー
あの戦争のなかで大切な働き手は赤紙一枚で戦争に駆り出され、多くの人が戦地で亡くなりました😞 戦中はもちろん、働き手の居なくなった戦後の混乱の時代も含めて、大変な食糧難となってしまい、農作物不足を補うために、農地に使える土地は手当たり次第に畑に転用されて使われた様です😥 今は一般の人には気軽にプレーすることも出来ないとなり町の高級ゴルフ場も、その頃は一面のさつま芋畑だったと聞きました☹️
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