サトウキビを積んだトラックが走り始めた。沖縄では12月〜3月まで製糖期に入る。
昔と違って今は植え付けは人力でも一番大変な収穫はほとんど機械化されている。
飛行機から宮古島を見るとサトウキビ畑が広がっている。
戦前、戦後、本土復帰前まで、沖縄の中でも地下水が豊富な宮古島では
盛んに稲作が行われていたそうだ。本土復帰で大きく変わったのはドルから円に
右側通行から左側通行に、何よりも大きく変わったのが法律が日本の法律と
なったことだろう。現在お米はスーパーでもコンビニでも買うことができる。
お米は1982年1月に改正食糧管理法が施行されて自主流通制度が法定化されるまでは
専売制だった。お米を作って自分で食べることはできるが個人での売買は
できなかった。お米はお金と同じで出回る量が増えると価格に影響が出てくる。
お米は年に一度の収穫であるが、沖縄では年に3回収穫することも可能である。
本土復帰に伴い稲作もサトウキビに変換されたそうだ。
オジィやオバァの話しでは、昔はあちこちに田畑が見られたという。
今でも沖縄の年中行事の中で、もっとも重要な祭りは稲作にともなうものが多い。
稲作の場合は播種(種まき)から収穫まで、その成長に応じて色々な祭りが
行われる。麦の場合は稲の数ほど祭りはない。
稲や麦は甘薯(芋)が伝わる前から栽培されていた。
稲作が盛んに行われていた時代も一般の島民が毎日、お米を食べていたわけでは
なかったそうだ。
「毎日、米を食べるのはウヤキンチュウ(金持ち)だけさぁ」
という話しを聞いたことがある。