世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

2006/11/27-29 ポルトガル・リスボン、ロカ岬

2006年11月30日 23時14分44秒 | ヨーロッパ


悪天候のため文字通り手に汗握る着陸となりましたが、無事リスボンにやってきました。(ビルと同じくらいの高さを飛んでいるにもかかわらず凄い揺れで、隣の席の女性は、恐怖のあまりかなり取り乱していました。)

リスボンは中世の面影残る港町なのだそうですが、クリスマスイルミネーションがかなり凄かったです。街中のかなりの広範囲にわたって電飾が施されており、しかも通りによって色や形ががらっと変わるので、町を歩いてるだけでもの凄く楽しいです。しかも、日本ならこういうイルミネーションがあると大混雑になりそうなのが、リスボンでは人通りが少なく楽に観光できます。(雨と風のせいもあるかもですが)

1kmにわたって続くメインストリートのイルミネーション

別の通り。15種類くらいのバリエーションがありました。しかし閑散としてます。

なによりも驚いたのはメインの広場にあった巨大なクリスマスツリーです。

とにかくでかい。でかすぎる。後で聞いた話だとヨーロッパ最大らしいです。イルミネーションも次々と色や形を変えて、なかなか手が混んでいます。その上、大音量で甘~いクリスマスソングを延々と流し続けていて、大変ロマンチックな仕上がりです。しかし、僕は一人で寂しく観光です。しかも、当日は猛烈な雨と風で人がほとんどいないです。一人雨に濡れながら、黙々と写真を撮っていた僕は、周りから見るとたいそう哀れだったと思われます。

翌日は天気も回復したので、ヨーロッパ最西端のロカ岬へ行きました。

途中で立ち寄ったビーチリゾートのカスカイス。

ロカ岬は閑散としていて、地の果てにいると言う雰囲気がありました。

「ここに地終わり、これより海始まる」と刻まれた碑。

次の日は、スペイン行きの夜行バスを待っている間、バス駅の近くのショッピングモールというか複合商業施設で同宿の日本人と遊びました。リスボン市街地は不思議なくらい人が少ないのですが(イルミネーションにもかかわらず)、ここは賑わっていました。大きくて綺麗な建物の中に、すごくたくさんの店が入っていて、ここで何日でも過ごせそうな感じです。特にフードコートは、今まで見た中でも最も店の数が豊富で、しかも安く、ぶらぶら見ているだけで、とても楽しかったです。その中でブラジルBBQを食べました。

ポルトガルは、そんなに期待してなかったのですが、実際行ってみると、超巨大クリスマスツリーといい、驚かされることが多く、かなり面白かったです。次はヨーロッパ最後の国になるであろう、太陽の国スペインです。暖かいといいですね。スペインの後は、船でモロッコに渡る予定です。


2006/11/24-27 ミラノ

2006年11月28日 20時50分50秒 | ヨーロッパ

イタリアの中では、あまり観光的人気が高くなく、ガイドブックの扱いも小さく、旅行者の間でも物価が高く見所が少ないという評判のミラノにやってきました。しかし、ミラノはそんな先入観を吹き飛ばす素晴らしい町でした。
まずは、ミラノ中央駅の威容に驚愕。

今まで見たどの駅とも違う凄い迫力でした。

次はドゥオーモ!と思ったらなんと工事中。広告が・・・

しかし!その内部。巨大な林立する石柱と無数のステンドグラスに再度驚愕。

外部の裏側は広告が無くてとてもよかったです。

商店街のアーケードにも驚愕。

最後は、この旅のヨーロッパ編最大のハイライトの一つACミランの本拠地サン・シーロスタジアムでのサッカー観戦です。
ドイツ在住のなおくん(ハンブルグやミュンヘン編でも登場してます。)とACミラン対メッシーナのナイター試合に行きました。
(ちなみにメッシーナというのは弱小チームです。しかし、元日本代表の小笠原が所属していることで日本人には知られています。)
闇に浮かび上がる巨大な姿に驚愕、そして大興奮!

座席はもちろん憧れのゴール裏ACミランサポーター席のど真ん中です。

試合中は終始、歌を歌い、手拍子をし、声を上げて応援しています。驚いたのは、その歌や掛け声のバリエーションの多さです。何十種類もありました。イタリア語はわりと何を言っているのか分かるので、見よう見まねで適当にあわせて僕らも歌いました。面白いのは、サポーターの応援の手が緩まってきているなとリーダー格の人が感じたらすぐに「シオヴァーニ!!」という言葉を叫んでサポーターに活を入れていることです。疲れてきて休もうかなというタイミングで必ずシオヴァーニが入るので、休ませてもらえません。


試合自体はミランがめでたく1-0で勝利しました。応援に夢中で試合はあまりちゃんと見てなかったのですが、ミランのスター選手カカーのプレーはやはり凄かったです。
あと、小笠原は無事ベンチ入りしてました。(出場はなし)

翌朝なおくん夫妻とスタジアム見学ツアーにも行きました。泊まっているユースホステルがサンシーロから結構近かったのです。
残念ながらピッチに入ることはできなかったのですが、ロッカールームに入れたりしました。
インテルのロッカールーム

対してミランのロッカールーム

つまり、両チームの間でなんだか差があるということです。

インタビュースペースにて昨日のカカーのプレーについて語っています。

大充実のイタリア観光はミラノで終了です。次はポルトガルへ飛びます。振り返るとイタリアは観光大国だけあってどこの町も本当に素晴らしかったし、人も明るくて優しくて(適当だけど)、物価も他のEU諸国に比べると安かったし、この旅の中でもかなり楽しい滞在になりました。イタリア大好きです。


2006/11/22-24 ヴェネツィア 水の都

2006年11月25日 22時44分22秒 | ヨーロッパ


ホームまで見送ってくれたマルコと別れて電車で2時間、水の都ヴェネツィアにやってきました。
車窓の景色が今までと全然違います。(この写真ではよくわかりませんが)

ヴェネツィアは物価が高いと聞いていたのですが、一泊4600円で綺麗なシングルの宿が見つかったので、そこにチェックインしました。2800円くらいのドミトリーもあったのですが、まあ、ちょっとした贅沢です。食費も他の町に比べて、そんなに高いと言うわけでもなかったです。オフシーズンだからかもしれませんが。ただし、ネットカフェだけはべらぼうに高かったです。1時間1200円とかが最安値です。しかもこれはツーリスト向けの料金で、地元向けにはこれの半額くらいが適用されているみたいです。むぅ。。


それにしても、ヴェネツィアは凄いです。水の都の名の通りの水に囲まれた町で、運河がいたるところに走り、車が走っていなくて、交通機関は運河の船だけということです。古い建物と迷路のような細い路地、美しい仮面やヴェネツィアングラスの土産物屋さん。町歩きだけですごく楽しいです。

カーニバルの仮面

サンマルコ寺院は、かなり派手です。

サンマルコ広場は、おびただしい数のハトが餌を狙っています。

僕もポテトチップスを食べていたら、襲われて全身ハトまみれになりました。ここのハトは積極的すぎです。

鐘楼からの眺めはヨーロッパ最高級です。ただし狭いスペースの中でいちゃつくカップル多し。

運河を走るゴンドラ(ボート)。値段が高いらしいので乗りませんでした。

巨大な顔のオブジェ。

南部のナポリに比べてかなり気温が下がってきてましたが、極寒ソフィアで購入したタイツ(ももひき)のおかげでなんとか乗り切れました。しかし、宿でパソコンゲームをやりすぎて睡眠不足です。だるいです。アフリカまではゲームを制限しようと思います。

次はミラノでサッカー観戦です。その後は、飛行機でポルトガルまで飛びます!スケジュール的にかなり押してきてるので、南仏やバルセロナはあきらめました。。。このままゆっくりしていると南米に冬に到着することになりそうなので。


2006/11/20-22 ボローニャ

2006年11月24日 04時57分22秒 | ヨーロッパ


デンマーク・コペンハーゲンで出会ったイタリア人マルコがメールで「ボローニャに来たら是非遊びに来て」と言ってくれていたので、ヴェネツィアに行く前にボローニャに立ち寄りました。ヨーロッパの旅人はとてもフレンドリーで、よくこういう事を言ってくれるのですが、実際に連絡を取り合ってその人の町で再会するのはこれが初めてです。

↓デンマークでの日記
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/in_shore_kisimt/view/20060826

携帯電話を持ってないのでネットで連絡を取り合うしかないのですが、到着したのが夜で、夜に営業しているネットカフェが全然見つからず諦めて次の日の朝に探すことに。次の日も必死に探して、ようやくネットできるところが見つかりました。しかも無料です。必死に探した甲斐がありました。

そこでスカイプを使って連絡を取りようやくマルコに会えました。(スカイプって知ってます?僕最近知ったのですがすごく便利ですねえ。)

久しぶりに会ったマルコは旅行中とは違って結構小奇麗になっていました。ランチとお茶をごちそうになり、町を散歩し、マルコの家に泊めてもらいました。


↑ボローニャの町の歩道は、建物に付属している屋根の下なので、雨でも大丈夫です。

バスで20分、そこから徒歩10分かけてマルコの家へ。部屋に入ってびっくりしたのが、ジョジョの奇妙な冒険のポスターが貼ってあったことです。
彼はジョジョマニアみたいで、イタリア語のコミック全巻と、日本で買った日本語の第1巻を所蔵していました。前にも日本が好きだと言っていた様な気がしますが、本当だったみたいで、そこら中に日本関連グッズがおいてありました(おみやげの扇子やお箸など)。

マルコの家は、3人で借りているフラットで、イタリア人3人そろうとやっぱり陽気でにぎやかでした。マルコ作の夕食を4人で食べて、イタリア産のお酒グラッパを飲んで、TVでイタリアのコメディ番組(政治家などの権力者を馬鹿にしまくる番組)を見ました。
マルコは本当に良い奴で、食事などを全ておごってくれた上に、僕が寝袋を探していると言うと、なんと自分が使っていた寝袋を気前良くくれました。マルコ、ありがとう!!!
ちなみに彼は、小さい会社を経営していて、その内容は企業向けのソフトウェア作成で、僕の前職と同じ仕事でした。
日ごとにイタリアが好きになる毎日です。次はお待ちかね水の都ヴェネツィアです!


2006/11/18-20 フィレンツェ 花の都

2006年11月21日 20時29分28秒 | ヨーロッパ


混沌としているナポリから、上品で綺麗で洗練されたフィレンツェへやってきました。同じ国とは思えないほど雰囲気がガラッと変わりました。
着いた日の夜ふらっと町を散歩していたら突然現れた巨大なドゥオーモ(カテドラル)には度肝を抜かれました。

写真では判りにくいですが、クーポラ(ドーム部分)はびっくりするくらい大きいです。

近くで見ると装飾が物凄く綺麗でした。白を基調として緑と赤で模様が施されています。ヨーロッパ旅行で数え切れないほど教会を見てきましたが、美しさにこれほど衝撃を受けたのはこの旅行では初めてです。これを見るだけでもフィレンツェに来る価値はあるのではないでしょうか。

翌日はメディチ家礼拝堂とウフィツィ美術館へ。どちらも高い入場料を取られたのですが、写真撮影禁止だし、日本人団体ツアー客の連発による混雑もあり、それほど楽しくは無かったです。ただ、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスはものすごく美しかったです。

フィレンツェでは、有料の美術館よりも、無料で見れる街並やポンテ・ヴェッキオや広場に飾られている彫刻たちを鑑賞するだけでも、もの凄く楽しいと思います。

さらに翌日、ドゥオーモの内部見学に行きました。内部も床の装飾や、クーポラの内側のフレスコ画など、すばらしかったです。

クーポラの上にも登りました。

宿泊した宿では、個性的な日本人の方々との出会いがありました。夫婦で長期の旅行をされている方。歌手を目指してニューヨークでトレーニングしているという方。世界一周中の方。刺激的な時間を過ごせました。

期待を膨らませて訪れたフィレンツェでは、期待以上に素晴らしい滞在となりました。


2006/11/16-18 イタリア(バーリ、ナポリ)

2006年11月20日 03時52分52秒 | ヨーロッパ


船は旅行会社で聞いていたよりも1時間半くらい遅れてバーリに到着しました。
港内のバス停のベンチに座ってバスを待っていると、なんとバスは僕に全く気づいていないかのように結構なスピードで通り過ぎていきました。20分も待ったのに・・・仕方ないので港を出て駅へ向かう手段を探すことに。港の外にもバス停を発見しました。そこに白髪のおばちゃんがバスを待ってたので「駅へ行くか?」と聞いたら「行くよ。12:05にバスが着くよ。」とカタコトの英語とイタリア語を交えて言われたのですが、今は11時で、時刻表を見ると11:30のバスがあるではないですか。時刻を聞くと彼女の時計は12時となっていて、1時間ずれていたのです。30分も待てないという彼女は、僕を連れて近くの別のバス停まで行きました。しかしそこのバス停でも20分待たなければいけなかったので、次のバス停へ向かいましたが、その場所については良く知らなかったみたいで道行く人に聞きながら歩いていったのですが、最終的に歩いた方が早いと言うことを、道行く人に言われたみたいで、二人して結局駅まで歩きました。到着時刻は11:50。50分も歩いたのです。しかもバスを待って、バスに乗って行ったのと到着時刻は変わらなかったのです。でも、楽しかったし、無料だし、運動にもなったし、まあ良かったです。おばちゃんは、二人で歩いている間、ずっと僕が車に轢かれたりしないように気を配ってくれていて、とても優しかったです。最後に「スリには気をつけて!」と言って去っていったおばちゃんはかっこよかったです。

この後行ったネットカフェでも、気の良いおっちゃんが「イタリアではとにかくスリに気をつけろよ」と言ってくれました。イタリアはいったい良い国なのか悪い国なのか。。。今のところ好感度かなり高いです。天気も最高に良くて、気温も暖かいですし。

ナポリ行きの電車は噂とは違って予定通りの時刻に発車したのですが、噂どおり30分遅れでナポリに到着しました。夜の19時半になっていたので、宿探しが不安だったのですが、ロンプラに乗っていた駅から徒歩30分の宿に道に迷って1時間かけて到着して、無事チェックインできました。ここでも道行く人にすごく親切に教えてもらえました。イタリア人は英語がそんなにしゃべれないくせに教えたがりで、とても面白いです。

宿につくまでに通ってきたナポリの町の印象ですが、今まで訪問してきた町とはかなり異質です。そしてとても刺激的です。まず、汚い。そこら中にゴミの山があります。
そして道が細くて迷路のようです。何度も迷いました。その細い路地には生活臭が溢れています。窓に干されまくっている洗濯物や、近所のガキがそこら中にたむろしていたり、買い物袋を下げたおばちゃんがいっぱいいたり。もう一つ、地獄のような交通事情も特徴的です。車やバイクの交通量がものすごく多く、それが細くて通行人の多い道をガンガン通っています。信号もほとんどありません。特に通行人の波を縫うように走るバイクには何度もびびらされました。
と、そんなナポリでは町を歩くだけでとても疲れるのですが、今までに無い興奮と刺激があります。夜のナポリを歩いていて「魔界都市」という言葉が思い浮かびました。角の生えた悪魔が普通にそこら辺を歩いてそうです。または、青竜刀を持ったマフィアが殺し合いをしてそうな。同じ宿の韓国人やオーストラリア人もナポリの町歩きがとても気に入っていた様子です。

ゴミの山

魔界都市

活気溢れる路地

また泊まった宿(6small rooms)ではネコを飼っていて(サイモン君)とても人懐っこくて、すごくかわいかったです。学生時代実家で飼っていたネコに模様がそっくりで、かまって欲しそうに近づいてくるところもそっくりでした。。

次の日は、出会った旅行者たちの間でよく話題となっている青の洞窟(カプリ島)へ。洞窟内は確かに水が青くて綺麗でした。

しかし、それよりも、洞窟の小さい入り口をボートでくぐる瞬間の方が怖くて印象に残っています。なにせ後ろ向きだったので、後頭部を岩でけずられるんじゃないかと・・・後、ナポリからの交通費や青の洞窟の観光費用はかなり高かったです。合計6000円くらいしました。うーん、、、コストパフォーマンスはちょっと低いかなあ。

こんな感じで入り口をくぐります。

もう一つナポリで楽しみにしていたのは、もちろんピザです。街中にあるピザスタンドでは200円くらいでおいしいピザが食べれます。もちろんピッツェリアでもおいしいピザを食べました。しかし、確かにおいしかったのですが、期待していたほどではなかったかもです。香川のうどんのような、衝撃的な美味しさを求めていたのですが、衝撃的なものは無かったです。他の人から聞く評判からすると衝撃を味わえると思っていたのですが。僕の味覚がおかしくなっているのか、選んだ店が悪かったのか・・・

ピザスタンド


次は20代前半のころから憧れていた町、フィレンツェです。4年位前に辻仁成の「冷静と情熱の間」を読んでさらに憧れは膨らんでいます。


2006/11/09-15 ギリシャ(アテネ、ミコノス島、サントリーニ島)

2006年11月16日 21時15分27秒 | ヨーロッパ

オフシーズンのギリシャを駆け足で観光しました。

11/9日(木)
アテネ到着。アクロポリスの丘観光。ブダペストで同宿だったAさんと宿で偶然再会できました。
アクロポリスの丘と、そこにあるパルテノン神殿はさすが世界に名だたる観光地。かなりよかったです。

↑パルテノン神殿

↑ライトアップされるアクロポリスの丘

アテネは、首都だけあってオフシーズンとか関係なく活気がありました。

10日(金)
早朝7:35の船でミコノス島へ。所要約6時間。
いきなり客引きがやって来て、そこにチェックイン。久々のシングル(ツインを一人利用)で約4000円。高いなあ。もっと値切れたかも。
観光客はほとんどいず、ビーチへのバスもないし、店も半分以上閉まっています。でも、白い家の街並はなかなか良い感じです。

↑船から見たミコノスの街並。


↑町の中


11日(土)
もう一泊しようか迷っていたけど、この日は天気が悪く風がものすごく強くて寒いので、次の場所へ移動することに。
しかし、サントリーニ島へ行こうと思ったら、船は出ていないらしいです。仕方なく一旦アテネに戻ることに。アテネからサントリーニ行きは毎日出航しているみたい。
ちなみにアテネへ戻る船は、強風のため6時間ずっと揺れっぱなしでした。
時間もお金もかなり非効率ですが、憧れのサントリーニは行かずにはおれん!ということでアテネ到着後サントリーニ行きのチケット購入。
この時点で夜9時になっているので、おとといと同じ宿にチェックインした後、翌朝の早朝の船に備えて即寝ました。
この日はほぼ移動だけの一日でした。


風が強く寒いビーチで一人泳いでいたおじさん


12日(日)
また早朝の船に乗りサントリーニ島へ。所要約8時間。
今回は客引きが来なかったので、港のトラベルエージェンシーで宿を紹介してもらいました。
プール付のリゾートホテルのシングル(ツインを一人利用)で3000円。これはちょっと安く感じました。残念ながらプールはオフシーズンのため使えず。
サントリーニはミコノスよりもさらにギリシャの島のイメージどおりという感じです。海沿いは崖になっていてそこに家が連なっています。

この日は、到着が夕方ということもあり、あまり観光せずに寝ました。
ところが、夜の冷え込みがとにかくすごい!真冬のようです。しかも部屋には暖房がない。しかたなく服を着込みまくってしのぎました。熟睡できず。

↑ホテルの窓から

↑プールつきのホテル

13日(月)
晴れているけど、風が強いです。でも、我慢して観光です。サントリーニの中心地フィラの町を歩き倒しました。
すごい!なんというすごい景観!想像よりもすごい景観に感動です。

↑真っ白の教会

↑フィラの街並

↑もう一つフィラの街並

しかし、一つ心が痛む出来事が。
家の庭にかわいい猫がいたのでしばらく眺めているとその猫はこっちに近づいてきました。うーん。かわいい。(僕はネコ派)
そこに5匹くらいの犬の群れがやってきました。どの犬も結構大きいです。首輪がしてありました。
猫の様子が変わりました。犬をにらみつけています。犬も猫に対して怒りを表しています。ほえたり、飛びかかろうとしています。
しかし、猫は庭の中にいたので、犬は襲いかかることができません。このときまでは僕はよくあるちょっとしたいざこざかなあと思っていました。
突然猫が犬に飛び掛っていきました。自分の10倍くらいの大きさの犬に。しかも相手は5匹います。もちろんめちゃくちゃに返り討ちにされました。
でも、何度も起き上がっては、犬に襲い掛かるのです。あまりの凄惨さに直視できませんでした。そして、助けてやることもできませんでした。
どうすればよいのかわかりませんでした。犬のうなりごえと、猫の悲鳴がひびいています。目をそむけていると、犬が僕の脇を通って逃げていきました。まるで映画でやられた悪党が悪態をつきながら逃げていくかのように。
どうやら地元の人が追い払ったみたいです。猫は庭の中の安全な場所で傷だらけで横たわっていました。
なぜ、あの猫は勝てないはずの犬の群れに自ら飛び掛ったのだろう。
僕は正直びびっていました。大型犬5匹に。そして、混乱していました。
釈然としない気持ちとやるせない気持ちが胸に残りました。
・・・
ということがあったのですが、サントリーニ観光はかなり楽しいです。
夕方には、サンセットが綺麗と評判のイーアというところに行きました。夕焼は残念ながら少し雲がかかってしまっていたのですが、近くでこの日ずっと探していた場所を発見しました。
ギリシャの写真などでよく使われる白い壁に青いドーム屋根、そして向こう側には海が広がるこの場所です。(もしくはそれによく似ている場所)
一日探しまくっていたのですが、ようやく見つけました。そして暗くなるぎりぎりで写真に収めることができて良かったです。

↑イーアで発見した例の場所(もしくは似ている場所)

ちなみにこの日、他にもたくさんの犬や猫に出会いましたが、上記の彼ら以外は、みんな人懐っこくて平和な雰囲気でした。

↑大型犬5匹に一人立ち向かった猫

14日(火)
アテネ戻り。船が遅れてなんと深夜1時着。
三度目のアテネユースホステル泊

15日(水)
イタリアに向けての移動日。
アテネからパトラへ電車で3時間。
パトラからイタリアの港町バーリへ船で16時間。
久々の夜行船です。船は日本で使っていたもののおさがりでした。

↑イタリア行きの船

↑船内でよく見かけた日本語

ということで忙しく駆け抜けたギリシャ観光でした。その割には交通が不便で1週間も時間がかかってしまいました。次はピザとスパゲティとサッカーが楽しみなイタリアです!


2006/11/03-08 ブルガリア・ソフィア

2006年11月07日 19時16分21秒 | ヨーロッパ

雪の舞い散るマケドニアから暖かさと安らぎを求めてソフィアへやってきたものの、そこはマケドニアを凌駕する極寒地獄でした。前日雪が降ったらしく、その雪が解けた後、道端で凍っています。日中太陽が出ても解けなかったので、おそらく最高気温は0度前後だったのでは。しかも、現地人の対応もどことなく冷たく感じるのです。(その後、暖かい人にもたくさん出会えましたが)
完全にがっかりして、「こんなところ1~2泊で出てやる!」と思ったのですが、結局5泊もしてしまいました。リラの僧院に日帰りでいくことくらいしか観光することのないソフィアで、この極寒のソフィアで、なぜこんなにも長居してしまったのか。(しかもリラの僧院は寒さのため断念)
理由は、1.日本人宿シスターズ・インの居心地のよさ、2.物価の安さ、3.食事がうまい、の3つがその他の悪条件を凌駕するくらい良かったからです。
ちなみに1都市平均50枚以上写真をとる僕がソフィアでは6日もいて20枚くらいしか撮らなかったくらい、観光資源は乏しいです。

↑宿の近くの市場。色んな物が激安で売られています。

<理由についての詳細>
1.シスターズ・インは、15人くらい泊まっていたのですが、その全員が長期旅行者で、そのうち世界旅行者が半数以上、そのうち神戸から来ているのが僕以外に4人、と実に素晴らしい構成になっています。毎晩深夜遅くまで楽しい時間を過ごせました。
2.宿は一泊900円。ワインも1リットル100円くらいで買えます。その他服や雑貨、ネットカフェもびっくりするくらい安いです。
3.中華料理屋「亜州」は、一人500円で腹いっぱい食べた上にビールやワインも飲めます。毎晩通いました。その他にブルガリア料理ブッフェも安くておいしかったです。日本の炊き込みご飯のような料理が食べれました。
↓ブルガリア料理ブッフェにて。激うま。

※ソフィアは、他にカジノやストリップも有名です。

特にシスターズ・インでの旅行者達との出会いは本当に楽しく、しかも、毎日微妙にメンバーが入れ替わり、次から次へと楽しい話を聞かせてもらいました。2泊して出発するつもりだったけど、あまりに宿を出るのが寂しいとうかもったいないので、もう1泊、もう1泊と、次々と延泊してしまったのです。出会いの素晴らしさと別れの寂しさ。別れの寂しさを感じることのできる幸せ(なんのこっちゃ)。

ということで、モンテネグロ~マケドニアの旅の疲れは十二分に癒えました。次はギリシャです!ここからはみんなルートがバラバラになったので、ロンドン以来3週間ぶりの一人旅に復帰です!!

↑何度も何度も歩いたソフィアのメインストリート

2006/10/31-11/02 モンテネグロ⇒アルバニア⇒マケドニア バルカンの寒い移動

2006年11月05日 22時26分02秒 | ヨーロッパ

ドブロブニク後は、H君以外の4人でモンテネグロ、アルバニア、マケドニアという国々を経由してブルガリアのソフィアを目指し、そこで僕はみんなと別れてギリシャに行くという予定です。逆のルートをたどってドブロブニクに来ていたHくん曰く、「どこもいいところですよ」とのことだったのですが。。。

まず、モンテネグロのコトルで一泊。ここはフィヨルド地形で山と海に挟まれた町です。ドブロブニクを小さくした感じです。ただ、日が暮れるのが早く夜はかなり冷え込み、心も冷え込みました。観光旅行者にとって気候はやはり重要です。


↑山の砦に立っている旗でスーパーマリオごっこ。

次の日(2006/11/1)はマケドニアにある美しい湖の町オフリドを目指して大移動しました。
8:00 バスでコトル発
10:30 アルバニア国境近くの町ポトゴリッツァ着
12:00 国境行きのタクシー(運転が荒い。犬を轢きかける)
12:45 国境着。徒歩で国境を越える。
13:00 今度はアルバニア側の国境近くの町ショコダルへタクシー
14:00 バスでアルバニアの首都ティアラへ
17:45 ティアラ着
19:00 バスでオフリド近くの町、ストラグへ
23:00 ストラグ着、タクシーでオフリドへ
23:30 バス停近くで宿の客引きがいたので、その宿へ。
24:00 宿のおっちゃん(トモフスキー)と朝の4時まで飲んで騒ぐ

とにかく、大変な一日でした。僕一人では一日でこの移動は絶対に無理でした。他の日本人3人のおかげです。大感謝。この日の夜は楽しくトモフスキーと酒飲んで過ごしたのですが、まさか次の日あんなことになろうとは・・・
補足:通過しただけのアルバニアですが、町の中心部の道がでこぼこだったり、建築途中でストップしている建物がたくさんあったり、現地人は英語が全然通じなかったり、でもとても親切だったり、となかなか面白い町でした。

↑アルバニア首都ティアラ。新しくきれいなビルとこういう未整備の部分がごちゃまぜになっています。

↑酔っ払って踊るトモフスキー。この時は楽しかった・・・

次の日(2006/11/2)は、楽しみにしていたオフリド観光ですが、あいにくの雨です。しかも気温がめちゃくちゃ下がっていてとても寒いです。その上、昨日飲みすぎて胃が気持ち悪いです。観光する気にならなかったのでスーパーマーケットにだけ行こうと思ったら、宿のおやじトモフスキーが車で連れて行ってくれるということです。おんぼろ車に乗り込んだのですが、ぐるぐると町を走ってなかなかスーパーマーケットに行きません。観光ガイドをしているつもりみたいです。僕らは腹ペコだったので、近くのレストランで食事をすることになりました。トモフスキーは車を運転しなければならないのに、いきなり食前に強い酒を飲み始めています。この時点でかなり暗雲が立ち込めて来ました。食べたいメニューがなかったので、レストランを変えることにして車に乗ったのですが、案の定トモフスキーはまともに運転できる状態ではありません。あまりにも怖いので運転を止めさせると、ばかにされたと感じたのか突然怒り始めました。「お前らはKGBだ!」とか訳の分からないことを叫び、目はぐるんぐるんに回っています。全員凍りつきました。適当に「We like you」とかを連呼してなだめていると機嫌が戻ってきて、2件目のレストランへ。早く酔いが醒めることを祈りながら・・・まさに地獄の気分です。
トモフスキーがいないのを見計らってウェイターに酒を出さないで欲しいことを告げたのですが、酒が出てこないことにトモフスキーは再度激怒して、店員や他の客にからんだり、あげくには席で号泣しだしました。かわいそうになったので、必死になぐさめていると、いつのまにか機嫌は戻ってきました。人生で食べた中で最も不味いスパゲティーを腹の中に無理やり放り込んで、レストランを出て、宿へ戻りました。
オフリドにはもう一泊して天気が回復することを待つつもりだったのですが、完全に心が凍りついたのでさっさとソフィアに行くことを決め、食料を買いにスーパーに出かけようとしたところ、トモフスキーがそれに気付き、一緒に行こうと行って来ました。もう、彼とこれ以上一緒にいたくないので、やんわり断ると再々度激怒し始めて、「いますぐ金を払え」とか言って来ました。もう意味が分からないのと、こっちも疲れて気が立っているので怒って金を叩きつけました。ところが、彼はつり銭をもっていず、「釣よこさんかい」と詰め寄っていると、トモフスキーは完全にぶち切れて「お前らはアメリカと同じだ!日本人は、二度とここに来るな!お前ら全員ヒロシマだ!」などなど罵詈雑言をわめきちらし、「出て行け!」とこの極寒の雨の中外へ追い出されました。釣は足らなかったけど、こっちもこれ以上あの家にいたくなかったので、せいせいしました。
ソフィア行きの夜行バスをバス駅で待っていると雨が雪に変わっていました。本当に身も心も凍えるマケドニア滞在になってしまいました。極めつけとして、バスが途中でスコピエに止まったときに、洗面所で僕が歯を磨いている真横(1.5m横)でナイフ強盗騒ぎが起きました。必死に歯を磨いていたし、間に壁があったので詳細は分からなかったのですが、何人か血を流している人がいました。なんちゅう国や、マケドニア。もう二度と来ることは無いでしょう。


2006/10/28-30 ドブロヴニク 輝く空と海

2006年11月05日 19時55分10秒 | ヨーロッパ


青く輝く海と空、乾いた空気、心地よい風、魔女の宅急便のモデルとも言われる美しい街並。ドブロヴニクへやってきました。

↑透き通る美しい海

ここでは、ブダペストで同宿だった人達と偶然の再会があり、日本人5人とトルコ人1人でなんともいえない、くつろいだ楽しい日々を過ごせました。シェア飯したり、ワインを飲んで語らいだり、バックギャモンをしたり、ファミコンでマリオをしたり、、、特にHくん(7年間旅行者)に「海で泳げるよ」と言われ、「え?この季節に?」と思いながら行った海がびっくりするくらい透き通る海水で青や緑色に輝いていたのが特に印象に残っています。泳ぐとやっぱりガクガク震えるくらい寒かったけど、それでも海面にぷかぷか浮いていたり、水中にもぐったりしていると、あまりの気持ち良さに胸がいっぱいになりました。


↑凄く小さくて人も少ないビーチ

魔女の宅急便と言われる町は、僕が魔女の宅急便をほとんど覚えていないこともあり、なんともいえないのですが、細い路地の階段を登ったりしていると、なんか空想の世界に紛れ込んだかのような心地になったような気がしないでもないような。


最後の夜にみんなで見に行った静かなサンセットは少し感動的でした。
城壁も 僕らの顔も 赤く染め 今日も夕日は 静かに沈む