世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

2006/10/26-27 サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

2006年10月29日 16時45分39秒 | ヨーロッパ

クロアチアのスプリットから美しい景観を楽しみながらバスで7時間半、ボスニアの首都サラエボに夕方5時ごろ到着しました。
車窓から
ここは10年ほど前まで内戦が行われた町として有名ですが、日本人旅行者にとっては「ヤスナ(イヴァナ)の家」があるところとしても有名です。人によっては、ヤスナが一番の観光ポイントだと言う人もいるくらいです。ボスニアなど旧ユーゴ諸国では宿泊はホテル以外に、自分の家を旅行者向けに貸しているプライベートルームというのが一般的で、ヤスナもその中の一人のおばちゃんです。このヤスナがなぜ有名なのかというと、彼女は日本人男性旅行者を自分の家に泊めて、夜に夜這いをかけてきたり、露骨なセクハラをしてきたりするということだからです。ブダペストの宿でもヤスナの家に泊まった人がいて、いろいろと話を聞きました。セクハラは嫌ですが、怖いもの見たさというか、なんというか、興味津々です。日本人女性旅行者Mちゃんと二人で行動していたので、多分大丈夫だろうということもあります。バスで到着すると客引きとして現れるそうですが、果たしてどうなることやら。
という心配をよそに、いきなり来ました。フレンドリーな痩せぎすのおばちゃんが駆け寄ってきて、僕達が日本人であることを確かめると、自分から私はヤスナだと名乗ってきました。あまりに上手くいったのでびっくりです。ヤスナはセクハラのイメージしかなかったのですが、実際はとても良い人であれこれと世話を焼いてくれたりして、最初の好感度はかなり高めです。ただ、いきなり「お前たちは恋人か?」と聞いてきて、Mちゃんが「ただの友達」と素で正直に答えたので、あわてて「いや、恋人だ」と嘘の訂正をしておきました。友達だったら、セクハラOKとか思われたら嫌だし。さすがに恋人と旅行している男性をおそわないだろう。
宿では夕食はヤスナの手料理を食べるのですが、その時の会話がセックスショップの話だったり、ディスコでのナンパの話だったりと、割と下トークだったので、「ああ、やっぱり噂どおりかも」と警戒心がちょっと復活してきました。2日前から泊まっている一人旅の日本人男性旅行者が宿に戻ってきたので、ヤスナが寝た後でいろいろと話を聞きました。やはり彼もエロティックマッサージや首筋への長めのキスなどを受けたらしいです。つい1日前の最新情報なので生々しく、ぞっとします。実際は3人も宿泊客がいたので、大丈夫でした。ほっ。セクハラさえなければ、ヤスナはとってもやさしくて良い人でした。次の町への早朝バスが出発するときに、寒い中バスを見送ってくれて、手を振ってくれたのには、ちょっとぐっときました。

ヤスナの家は、写真の建物の下の部分。上は友達の家だそうです。

ボスニアの観光ですが、町歩きはとても楽しかったです。ヨーロッパの街並とはかなり違っていて、建物が、日本の家屋を彷彿とさせる瓦の低い屋根や縁側っぽい木の椅子を持っていたりしてました。

紅葉もなかなか綺麗でした。

戦争の傷跡も多く残っていましたが、町の雰囲気は明るく、人もフレンドリーでした。サッカー日本代表監督のオシムは、ここサラエボ出身らしく、スーパーの店員さんに熱くオシムについて語られました。彼はオシムの息子がジェフユナイテッドというチームの監督だということまで知っていました。新聞でチェックしているそうです。なるほど。

貞操も無事だったことだし、素晴らしいサラエボ滞在となりました。


2006/10/25 クロアチア(ザグレブ、スプリット)

2006年10月26日 06時23分30秒 | ヨーロッパ

↑スプリット旧市街のおかしな噴水

スロベニアから始まる旧ユーゴ諸国2カ国目は、その中で最大の観光国であるクロアチアです。前回の記事で書いた憧れの町ドブロヴニクにさっさと行きたいのですが、スロベニアからだと直接行けないので、ザグレブ経由で一旦アドリア海沿岸の町スプリットで一泊することにしました。ここからなら、セルビアのサラエボにも行けるので、サラエボからドブロヴニクへ行くルートもありかもです。


ということで、たまたま一日滞在することになったスプリットですが、これが相当良かったです。気候が穏やかで、久しぶりに半袖で過ごせるくらい気温が高く、海は青く輝き、街並も僕の大好きなクスコを彷彿とさせる感じで、現地の人もみんな明るく優しく、すぐにこの町を好きになりました。物価も今までの国に比べるとかなり安いです。前日の夜に電車乗り換えの3時間で少し観光したザグレブも、活気があって良かったです。クロアチアというとPRIDEのミルコの煽りVで暗いイメージがありましたが、実際は今回の旅行で滞在した今までのどの国よりも明るいかもしれないです。
旧ユーゴ諸国では、宿は民泊するのが一般的だそうです。電車駅やバス駅に客引きがいるので、彼らの家にそのままついていってそこに泊まるというスタイルです。スプリットでも朝7時に夜行列車が到着して、眠い目をこすりながら電車を降りると、すぐにおじいさんの客引きがやってきました。かなり眠くて疲れていたのでおとなしくついて行くことに。でも、これが大正解でした。町の中心から近く、周りも静かで、部屋も綺麗で感じが良くて、大満足でした。感じが良すぎて昼寝してしまいました。

宿の近くに感じが良い美容院があったので、初の海外散髪に挑戦しましたが、まあまあ上手くやってもらえました。先に切ってもらっていた女性のお客さんも陽気な人で、しかも日本人が好きみたいで、自分の番が終わった後もなんだかんだ僕に話しかけてきてくれました。美容士さんも感じの良い人でなかなか楽しい散髪でした。

2006/10/22-24 スロベニア・リュブリャナ 紅葉。秋です。

2006年10月24日 21時53分02秒 | ヨーロッパ

楽しく、美しく、のんびりでき、そして刺激的だったブダペストを離れスロベニアの首都リュブリャナへやってきました。リュブリャナへ一緒に来ているトランプ仲間のMちゃんから、ブレッド湖が綺麗と聞いていたので(スロベニアについてはそれくらいしか知らなかった。後で鍾乳洞もいいと聞いたが、行けなかった。)、そこへ行ってきました。
ブレッド湖は、観光客が少なく、静かで、紅葉が美しく、湖も綺麗で、かなり癒し系の場所でした。

↓鴨たちものんびりぷかぷか。緑色が綺麗でした。

ボートに乗って湖に浮かぶ小さな島へ。

ここの教会の鐘は、日本の神社のように観光客が鳴らすことができる鐘で、ボート漕ぎのおっちゃんが言うには「ウィッシュベル」といって願い事のできる鐘のようです。力加減が難しく、結構多目の回数ならしてしまいましたが、大丈夫でしょうか。


リュブリャナの町はとても小さいです。見所もあまりなさそうです。でも、小さい川に綺麗な橋がたくさん架かっていて、夜のライトアップは良い雰囲気でした。

↑その橋の一つドラゴンブリッジ

次の日はリュブリャナ市内最大の(?)見所リュブリャナ城へ。そこの展望の塔から、リュブリャナの小さくてかわいらしい街並が見渡せました。

3Dヴァーチャルミュージアムというめずらしいアトラクションがここであったのですが、暗い室内で気持ちよく寝てしまいました。おぼろげな記憶では、リュブリャナの歴史のような内容で、そこそこ良かったです。(ただし、音声解説が英語なので意味は良く分からない)

ロンドンとブダペストでの長期滞在を取り返すべく、慌しくクロアチアへの移動です。魔女の宅急便の舞台のモデルにもなったと言われるアドリア海の真珠・ドブロヴニクを目指します!(魔女の宅急便は見たけどほとんど覚えていませんが)

2006/10/20-21 ブダペスト最後の夜

2006年10月22日 17時28分18秒 | ヨーロッパ

20日は、夕方まで近所をブラブラしたり漫画を読んだりして時間をつぶした後、くさり橋のライトアップの瞬間を見に行きました。残念ながら曇っていたので夕焼けは見れませんでしたが、パッと光が灯り、徐々に青から、黄色、オレンジへと変わっていく姿は素晴らしかったです。



その後、王宮の丘に登り市街を見下ろしました。町にはネオンがほとんどなく、くさり橋や国会議事堂以外は、光が少なめで、静かに美しいという感じです。観光客も少ないし。


21日は土曜日なので蚤の市をやっているということです。蚤の市マニアのMちゃんと東欧最大と言われているエチェリのフリーマーケットへ。噂ではノートの切れ端とか、本当にくだらないガラクタが売ってあるとのことでしたが、実際行ってみると噂以上にガラクタの山でした。ノートの切れ端はやっぱり売ってたし、初代ファミコンとか、壊れてぼろぼろの人形とかもありました。記念にアンティークっぽいナイフを買いました。

この日の夜は、ヘレナハウスでの最後の夜です。次の日のリュビュリャーナ(スロベニアの首都)きの列車のチケットを買っていたので。
この日も前日も、100カ国以上に行ったことのあるバックパッカーが到着していたので、彼らの旅の話をドキドキしながら聞かせてもらいました。特に、この日宿に来たH君は7年も旅行を続けて合計130カ国も行っているという凄まじい旅行者で、旅のエピソードも写真も想像を絶するほど凄くて、感動してしまいました。
振り返ると、ヘレナハウスでは一日昼寝をして過ごしたり、シェア飯したり、超長期旅行者の楽しい話を聞けたり、大富豪したり、海外旅行先では初体験のことばかりでした。ずっと先まで思い出に残る宿になりそうです。

2006/10/18-19 ブダペスト 漫画と昼寝と温泉と

2006年10月20日 19時32分26秒 | ヨーロッパ


宿には日本語の漫画がMONSTERとゴルゴ13と置いてあります。僕はどちらも未読だったのですが、MONSTERは18巻まであり、読み始めると時間がかかりそうなのですが、ゴルゴ13は4冊しかなく手ごろそうだったので、昼食後ポテチをほおばりながら手にとってみました。かなり面白かったです。読み終わった後、眠くなってきたので昼寝しました。気がつくとやっぱり夜でした。スーパーで買ってきたサンドイッチを食べて、日本人客とトランプの大富豪をしたら一日終わりました。観光全くせず。うーん・・・こんなことでいいのだろうか?と思うのですが、このなんともいえない気だるい感じが、なんだか心地良いです。深夜の大富豪がすごく面白かったし、大富豪中にヘレナに「うるさい。しずかにして。」と怒られたのも、なんだか修学旅行みたいで懐かしい気分。(31にもなって、なんですが)

次の日は前日の反省もあり、午前中から行動しました。同時期にヘレナハウスに宿泊したトランプ仲間のK君とMちゃんの二人と、ディナーはフォアグラで料理を作ろうということになり、中央市場(冒頭の写真)へ行きました。

高級食材フォアグラなのですが、ブダペストでは割と安く買えるのです。他に豚のスペアリブやワインなどを買いこんで、ディナーへの期待は膨らみます。

午後からは、温泉へ。ハンガリーはヨーロッパ有数の温泉国らしく、ここブダペストにも温泉はたくさんあります。その中では最も大きくて屋外の大プールがあるセーチェニ温泉へ行きました。

↑温泉とは思えない立派な建物にびっくりしました。温泉の温度は38度と少しぬるめなのですが、長時間浸かっている分にはこれくらいの方がいいかもしれないです。ミュンヘンのなおくん宅以来の久しぶりの湯船に、極楽気分です。屋外温泉、屋内温泉、サウナ、と十分に堪能して腹ペコ状態で宿へ。
Kくん、Mちゃんと3人で米を炊き、肉を焼き、フォアグラを焼き、1時間の料理のあとで食べたディナーは美味しかった~!(でも油っこかった)
この日の夜、ついにMONSTERに手を出してしまいました。びっくりするくらい面白いですね。明日もだらだらするのかなあ。。。


2006/10/16-17 ブダペスト 日本人宿ヘレナハウス

2006年10月18日 18時10分05秒 | ヨーロッパ

ブダペストは、美しい街並で知られる都市ですが、僕の最大の目的はここで日本人宿に泊まることです。日本人宿というのは、世界中に存在する日本人の溜まり場になっている宿で、安い宿泊料金で、日本語の小説やマンガ、旅の情報ノートが置いてあるというかなり魅力的な宿です。アジアや南米には結構あるのですが、ヨーロッパには存在が少なく、この旅では一度も泊まっていませんでした。でもブダペストには有名な日本人宿「ヘレナハウス」があることをネットで知っていたので、今後の東欧旅行の情報収集と英語疲れを癒すためもあり、泊まることにしたのです。(せっかくの2週間の語学留学はなんだったんだ、という意見もありますが)
ロンドンからの飛行機は1時間半も遅れて飛び立ち、ブダペストに着いたのは夕方の6時くらいでした。ネットで調べた住所を頼りにバスと地下鉄を乗り継いで宿のあるはずの場所へ行き着いたのですが、それらしきサインは全くありません。ヘレナハウスはプライベートルームなので、マンションの一室を旅行者に開放しているだけで、ホテルとしての体裁がないみたいです。入り方が分からないのでこの日の宿泊はあきらめ、幸い道の向かいにユースホステルがあったので初日はそこに泊まることにしました。そこの宿泊客はさすがに白人ばかりだったので、語学留学の成果を発揮するチャンスがいきなり到来です。夕食はオーストリア人(20:ウクライナでドイツ語教師)と、翌朝の朝食はカナダ人(熟年:社長をしていたビジネスを売って、世界中を旅行中)と一緒に食べたのですが、やっぱりスピーキングはそんなに上達していませんでした。。。まあ、仕方が無いので気長に伸ばして行きたいと思います。ヘレナハウスへの入り方はネットカフェで調べました。(なんと、mixiにヘレナハウスのコミュニティがありました。)

翌朝10時頃、ヘレナハウスへ。宿には日本人がまだベッドでごろごろしています。ああ!なつかしい、この感じ!昔、バルセロナやクスコで日本人宿に泊まったことがあり、このゆるい感じがとても気に入っていて、いつか僕もこういう宿でゆっくりしたいなあ、と思っていました。(当時は1週間の旅行だったので一泊であわただしく出て行ってました。)午前中は久しぶりの日本人との会話に狂喜し、午後はこの宿はランチがついているので、それを食べ、昼過ぎまでだらだらと過ごしました。ああ、一気に英語を忘れそう。

重い腰を上げて観光へ。ブダペストはさすがに有名な観光地だけあって街並は美しいです。ドナウ川、くさり橋、王宮の丘と行きましたが、かなり良い雰囲気です。ただ、オフシーズンだからなのか観光客は少ないし、活気もあまりありません。たまに旅行者との間でプラハとブダペストが似ているので、二つを比較する話をするのですが、訪れる時期にもよるのでしょうが、僕は町が小さくて旅行者が多く活気に溢れるプラハが好きです。特に夜景は圧倒的にプラハの方が綺麗です。ブダペストは、新しい建物が観光地にまぎれて林立しているし、車道が多くて交通量も多くて、そこはあまり好きではありません。と、悪口を書いたりしてしまいましたが、ブダペストは物価も安いし、町も美しい良いところです。基本的には好きです。気温が低いところは嫌いだけど。

静かに流れるドナウ川

王宮の丘に登っている途中に「きしもとさん!」と声をかけられ、何かと思ってキョロキョロしていると、同宿の韓国人の女の子が上から声をかけてきてくれていたのです。びっくりしました。彼女は10年以上日本に住んでいたことがあるらしく(彼氏も日本人。その彼氏はオーストリアに留学中で、彼に会うためにこの旅行に来たそうです。)日本語がぺらぺらで、一緒に観光しながら韓国の文化などについていろいろと話を聞けました。韓国人はやっぱり赤ちゃんのころからキムチを食べるとか。

寒さに震えながらくさり橋のライトアップを観光し、宿へ戻りました。

宿では日本人数人+その韓国人の女の子で、深夜まで旅の話やくだらない話でだらだらとしゃべり、「ああ、日本人宿っていいなあ」と思いながら、英語を忘れつつ、心地よい眠りにつきました。

2006/10/9-16 ロンドン プチ語学留学修了・総括

2006年10月17日 04時20分17秒 | ヨーロッパ


2週間のプチ語学留学がついに終了しました。本当にあっという間に終わってしまいました。毎日英語の勉強でくたくたになって、あまり観光どころではありませんでした。
天候は、最初の1週間はロンドンらしく天気が良くなく、晴れたり雨が降ったりだったのですが、後半の1週間はびっくりするくらい毎日晴天で気温も高く、とてもすごしやすかったです。(後半は異常気象っぽいです。)
物価は噂どおり高かったです。ただ、宿は夕食付のホームステイだし、ミュージアム系が全て無料だったので、助かりました。ただ、マダム・タッソーとかロンドン・アイ(観覧車)などのアミューズメント、そして外食(学食含む)はめちゃめちゃ高かったです。不思議とネットカフェだけは大陸欧州よりも安かったです。(中心部でも1時間220円が相場)
一度、平日に力を振り絞ってロンドン・アイへ行きました。夜景がやっぱりきれいでした。そして一人だと寂しい。

ロンドン・アイ。ちょっと斜め。

ロンドン・アイから見たテムズ河

ホームステイについて。アルジェリア人とインド系2世、そして30代の夫婦だったので、想像していたホームステイ(イギリス人老夫婦)とは全然違っていましたが、居心地は良かったです。適度にかまってくれて、適度にほったらかしてくれるという感じで。食事はアルジェリア料理かインド料理だったのですが、まあまあおいしかったです。(最後は完全に飽きてきましたが。)最後に旦那さんから、旅行に必要だろうということで手袋をもらったのが、とても嬉しかったです。

アニター(左)とマリオ。良い人たちでした。

学校について。前の記事に書いたようにリスニングとリーディングは明らかに良くなりました。最初は先生や他の生徒がしゃべっていることが全然分からなかったのが、最後の方はだいたい分かるようになってきました。後、ロンドンでは駅などで新聞が無料で配っていて、行き帰りの電車でそれを読んでいたので、英語を読むことがあまり苦にならなくなってきました。(その新聞はホッチキス止めで70ページ以上あり、社会面からスポーツまで充実の内容でした。朝だけでなく夕刊まで。)ただ、最も伸ばしたかったスピーキングは、上達したのかどうか不明です。相変わらずしゃべりはたどたどしいです。(日本語のしゃべりもそんなに流暢じゃないから、しかたないのかなあ)この後の旅行での旅行者達との会話で、上達したかどうかが明らかになると思います。

↑左から、クリスチャン(20:スイス。頭脳明晰)、サラ(23:イタリア、ラテンなノリ、同期)、ゲイル(先生、なんと仏教徒、個人授業ではお世話になりました)、ベギー(19:カザフスタン、若い)、ゾエ(26:ハンガリー、物知り)

ハシーム(スーダン、ナイスガイ、唯一僕と英語が同レベル)

最後の週末について。土曜日はイギリスでの最後の観光、サッカー観戦へのチャレンジです。公式チケット代は先週調べて購入不可能という結論(最低23000円)に達していたので、この日はダフ屋に最後の望みを託し、アーセナルの本拠地エミレイツへ行きました。

しかし、最初に出会ったダフ屋がいうには「55000円。これがベストプライスだ。」
・・・もう交渉する気も起きません。ダフ屋はふらっと少し歩いただけで10人以上遭遇できたので、かなりの数がいたと思います。あるダフ屋に予算を聞かれたので11000円と応えると、はっはっはと笑って、「お前はWrong manだ」といわれました。。。まあ、最低価格は28000円くらいだったし、あきらめました。

日曜日は学校のクラスメイト・クリスチャンとサッカーの約束です。最初にして最後のプライベートな付き合いです。(何人かとメルアド交換したので旅行中に再会できるかもしれませんが)しかし、いざ行ってみると何かの手違いで、僕とクリスチャンともう一人の英語の先生マークの3人しか集まりませんでした。仕方なく3人でボールを蹴った後、もう一人その辺でテニスをしていた黒人を捕まえて4人で2:2のミニゲームをしました。最初は楽しかったけど、最後はぐだんぐだんに疲れました。

マークと。最後に年齢を聞いて27歳と分かったときはたまげました。ずっと彼が年上だと思ってました。

最後の夕食は前から目をつけていたソーホーの行列ができていた日本食レストラン「みさと」へ行きました。カツカレーがほっぺたが落ちるくらいおいしかったです。感動!

月曜日の朝に2週間前の早朝に夜行バスが到着したヴィクトリア駅を経由してガトイック空港へ。夜行バスでここに着いたのは、つい2、3日前のように思えます。あっという間に過ぎ去ったけど、楽しく充実していたロンドン滞在でした。

次の滞在地はハンガリー・ブダペストです。いよいよ旅行再開です。この後ギリシャまで陸路でぼちぼち南下して、イタリア⇒南欧⇒スペイン⇒モロッコの予定です。まずは東欧で安い物価を堪能するぞ!


2006/10/4-8 ロンドン 英語勉強の合間に観光

2006年10月10日 00時36分22秒 | ヨーロッパ

ロンドン滞在も1週間が過ぎました。あっという間でした。旅行に出てからロンドンに来るまでは、時間が経つのがすごく遅く感じていました。バルト3国にいたのが、たった1ヶ月前とは信じられないです。でも、ロンドンで毎日学校に通うという変化の無い毎日になって、突然時間の流れ方が変わりました。僕にとっては、繰り返しの毎日はとても早く流れていくようです。逆に旅行中は、ほぼ毎日場所が変わり、宿が変わり、周りの人も変わるという中で、日が経つのがとても遅く感じられていました。

英語学校はかなり疲れます。一度、学校が終わった後、テートモダンという現代美術館に行ったのですが、あまりにしんどくてソファで寝てしまいました。(テートモダン自体は、かなり面白かったです。キリコとかダリとかエルンストとか。)あとは、主にショッピングをすることが多いです。ロンドンが結構寒いので服を買ったりとか。でも、やっぱり物価は高いです。ポンド高のため、日本の1.5~2倍くらいに感じられます。北欧並み。


土日はさすがに観光しました。僕はロンドンは2回目です。1回目は9年前、大学の卒業旅行の時です。その時にナショナルギャラリーも大英博物館もビッグベンも行っているので、後は自然史博物館とマダム・タッソーとサッカー観戦が僕の中での残るメインイベントです。

土曜日はロンドンとは思えない晴天です。メインストリートを散歩して、サッカー観戦のチケットの値段をチケット屋でチェックしました。なんと2万8千円!!!うーん。。。次の金曜日に来れば2万2千円になるらしいけど。。。うーん。。。


市街をぶらぶら歩いていたら疲れたので、ハイドパークで昼寝しました。置いてあるデッキチェアを勝手に使っていたら330円も取られました。


そうこうしていると自然史博物館の閉館時間が迫ってきました。急いで入館し(イギリスはミュージアムが無料なので、閉館間際でも悩まなくていいですね。)、恐竜コーナーなどを堪能しました。

カピバラも、もそっと展示されてました。


日曜日は、マダムタッソーの蝋人形館へ。(この日も晴れ!)かなり人が多くて、入場するのに30分くらい並びました。僕以外の客は全員、カップルか家族か団体で、一人で来ているのは僕くらいでした。うーん、寂しい。そして、自分と人形のツーショット写真が頼みにくい。蝋人形は、想像してたよりも、遥かにリアルで、びっくりしました。人形が人ごみにまぎれて、どれが人形でどれが人間かぱっとわからないくらいです。



↑きれいな人と目が合った!とか思いました。

↑セクシーなベッカム嫁

↑一番人気のブラッドピット。めちゃかっこいい。

↑ひげの剃り跡もリアルなシャウトするフレディ

↑ビートルズとガチャピン

あとは、ちょっとしたお化け屋敷もあったり。(結構こわかった。。。)結論は、楽しいけど一人で行くところじゃないって感じです。寂しいです。高いし。(5500円)

ところで、1週間後の英語の上達具合について。さすがに英語漬けの毎日なので、多少進歩しているんじゃないかと思わなくもないような、全く思わないような・・・。いや、でも、リスニングとリーディングは確実に進歩したと思うのです。四六時中英語に囲まれてるので。しかし、もっとも苦手なスピーキングがなかなか思うようにいかないです。原因は、英語学校で、プライベートを共にする友達ができてないからかもです。とにかく、後1週間、今まで以上に頑張ります!

2006/10/1-3 ロンドン 初ホームステイ&初英語学校

2006年10月03日 06時02分26秒 | ヨーロッパ

この日ロンドンについてまずしなければいけない事は、ホームステイ先に電話して、家にいつ・どうやって行くかを確認することです。(そもそも僕が泊まることの連絡が行っているかどうかも)しかし、早朝5時半と言う何も出来ない時間にバス駅に降ろされたので、とりあえずベンチでぼんやりしてみました。そこで、同じバスだった日本人の方と時間つぶすことに。彼女は同じように今日からホームステイを開始するそうなのですが、ロンドンは過去何ヶ月も留学などで過ごしたことがあるらしく、いろいろと有益なロンドン情報を教えてもらいました。
そうこうしているうちに9時になったので、ホストファミリーに電話してみると、なんともあっけなく「こうこうこういう行き方で今からこい」と言われ、とんとん拍子で話は終わりました。
オイスターカードという超便利なカード(市内の電車・バス・地下鉄が乗り放題)を買い、地下鉄とバスを乗り継いでホームステイ先へ。移動の疲れと睡眠不足で何度も意識を失いかけましたが、無事到着できました。
ホストファミリーは旦那さんがアルジェリア人のマリオ(37)、奥さんが両親がインド人のイギリス人アニター(38)。さすが国際都市ロンドン。ホストファミリーと言うと割りと年配の方がされているというイメージですが、二人とも若いです。しかもなかなか感じの良い人たちで、居心地はかなりよさそうです。ディナーはインド料理やアルジェリア料理が出てくるのですが、結構いけます。なによりも個室に2週間も住めるというこの高待遇、そして盗難の心配をしなくてよいという心のやすらぎに、思わず笑みがこぼれます。家の近辺はイスラム系やポーランド人達が多数を占める移民街のようで物価などかなり安そうです。1時間160円のネットカフェも見つけました。住環境はそうとう良い感じになりそうです。


イギリスでは(もちろん)広告も英語なので見てて楽しいです。(今までの国でははちんぷんかんぷんだったから)


旅行のことを書くブログですが、英語学校も僕の中では旅行の中のアクティビティの一つなので堂々とブログに書きたいと思います!

学校はロンドンのかなりど真ん中にあります。(ウォータールー駅やロンドン・アイのすぐそば)シラー・インターナショナル・ユニバーシティの中にあるロンドン・シティ・カレッジの中にあるELIという英語学校です(ややこしい)。申し込んだのは9:00-13:30まで4時間の授業とオプションで週2回夕方までの授業を申し込めると言うスタイルです。
←学校

授業は本当についていくのが精一杯です。というか、ついていけてないです。初日に実力測定のペーパーテストのようなものをやったのですが、そんなものは関係なく、ちょっとレベルが高めのクラスに入れられたっぽいです。。僕以外の生徒はかなり英語が上手です。中にはネイティブなみにペラッペラの人もいたりして、なぜ英語学校にきているのか不思議でなりません。基本的に6-8人の生徒がいるのですが、4時間の授業中、入れ替わり立ち替わりしてメンバーがころころと変わります。日によってもメンバーが変わっています。いったいどうゆうシステムなのかは未だに分からないです。でも、授業内容は結構楽しめる内容になっているので、良い感じです。生徒同士でフリートークしたり、ある記事について議論したり、英単語しりとりしたり、あっという間に時間は過ぎます。終わったときには、完全にへとへとになるのですが、充実感はすごくあります。
学食で御飯を食べたり、図書室で本を読んだり、まるで大学生に戻ったような気分です。(あの時もっと英語を勉強していれば、とすごく思います。)
生徒はイタリア、スイス、ウクライナ、カザフスタン、スーダン、アルジェリア(また出た!)、シリア、ハンガリー、ドイツなどなど本当にバラエティに富んでいます。東洋人は僕だけです。

学校のそばの橋からの景色


とにもかくにも、2週間英語漬けの生活を頑張りたいと思います!


2006/9/28-30 パリで停滞⇒モンサンミッシェルで感動

2006年10月02日 00時01分11秒 | ヨーロッパ
以前、コメント欄にちらっと書きましたが、10月の第一週から英語学校に通おうと思ってパリでは観光そっちのけでネットカフェとフォンショップが併設されている店にこもって、検索と電話連絡をやり続けていました。そのため、ヴェルサイユやポンピドゥーの近代美術館やエッフェル塔に登るなどの主要観光行事をおこなわず。

この旅に出てからずっと英語学校に通いたいと思っていました。旅行前、日本にいる時から英語はCDを聞いたりして勉強してたのですが、旅行当初は全然歯が立たなかったです。それでも約2ヶ月間旅行してきて、多少は上達してきていて、希望が見えつつありました。(言葉を選んでゆっくり話してもらえると聞けるという程度)それをさらに進めるために語学学校に通おうと決心したのです。思い立ったのは9月の中旬にプラハででした。なおくんとミュンヘンで会うために東ヨーロッパから西ヨーロッパへ進路を変更することになったので、それならそのままパリを経由してイギリスへ入って学校に行けるのではないか?と思いました。その後、オーストリア、ドイツとネットカフェにこもる時間が全然無かったので、パリに着いてからギリギリのタイミングで英語学校を探し始めたのです。

パリ下町のマーケット


学校探しはかなり大変でした。精神的に追い込まれてあまり観光もできないくらいに。まず26日にネットでいくつかよさそうなところをピックアップ。27日にその中から一つに絞り込んで申し込み。しかし、申し込みに不備があるとのことで返ってきたので再申し込み。28日にその返事を待つが全然来ない。電話しても、2時間後に電話しろだの、電話したら今日は担当が休みだの、で一日が完全に無駄に。(この日でパリを抜けてモンサンミッシェルに行く予定だったので宿をチェックアウトしていました。そのため夜中からパリの宿を探すことに。しかも宿探しの途中で電話予約をしたのに、されていないということがあり、フロントともめる。疲れる。)29日は朝からネットカフェにこもって電話&メールで休み明けの担当と必死の交渉。なんとか10月2日から学校に通えることに!ホームステイ先は後日連絡をもらえることに。ホッと一息です。ホームステイ先がまだ決まっていないものの、ヨーロッパ旅行のハイライト・モンサンミッシェルに行くため、パリを出発しました。この移動の間もずっとホームステイ先が決まっていないことが不安でしたが。

バスから見えたモンサンミッシェル


しかし、そんな不安が吹き飛ぶくらいモンサンミシェルは素晴らしかったです。着いたのが夜の7時だったのでまずは宿探し。なんとか島の外にある2つ星ホテル(6800円)を確保。高いが仕方ないです。バンガローになっていて過去最高の居心地でした。チェックイン後、ライトアップされた姿を観光に。すごい!これは、すごい。すごいとしかいいようがない。約2kmの島へ続く道を歩いていると、日が暮れてだんだんと暗くなり、妖しい雰囲気を増していくモンサンミッシェルに近づいていきます。

島について一人で3000円近くする(けど一番安い)ディナーを食べて島内観光。道は細く壁に挟まれ、暗くて人が少なくて、なかなか良い雰囲気です。まるでドラクエやファイナルファンタジーの魔王の城に迷い込んだかのようです。(実際みやげ物屋には騎士やロードオブザリング関連が多い)見上げると綺麗な星空です。

観光を終えて島からホテルまでの一本道を帰る途中振り返ると満天の星空をバックにした城が浮かび上がっていました。

(星は写真に写っていないので自分で書き足してます)

次の日の朝、再度島へ行きました。道の脇の草原にどこから湧いてきたのか昨日はいなかった凄い数の羊の群れがいました。朝日に輝く城は、今日見ると魔王の城ではなく、味方の王様が住んでいる城のように見えます。(物凄くドラクエがやりたくなってきました。)


大満足のモンサンミシェル観光を終えて、ここからは怒涛の移動です。宿泊代と移動費を抑えるためになんとか今日中にパリに戻ってロンドン行きの夜行バスに乗りたいのです。11:30にモンサンミッシェルを出て12:00に近くのポントルソンというところに着。ここを14:10のバスに乗りレンヌへ。16:00にレンヌに着いて17:05のパリ行きのTGVに乗って19:00にパリ着。ここでバス会社を探して重い荷物を背負って2時間ほどさまよい歩き21:00にバス駅になんとか到着。22:00発のバスチケットをぎりぎりゲット。なんとかこれで明日の朝にはロンドンに行けると思ったのですが、ここからがさらにしんどかった。。。まずこんな時間にバスで映画上映。映画が終わるとラテン系の音楽がかかり、乗客を寝かせません。それでもなんとか眠りかけると、恐怖のパスポートコントロールに到着。深夜の2時です。全員でバスを降りて厳しい係官との戦いへ。なんとか切り抜けるてバスへ乗ると、すぐにフェリーの中へ。ここでもバスを降ろされてフェリーの中へ。3時。フェリーでやっと寝れたと思ったら起こされてバスへ。4時半。イギリスなのでここで時計を戻して3時半。最終的にバスが着いたのは朝の5時半でした。

モンサンミシェルへ続く道から見た夕焼け