世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

ガイアナ盗難事件 後始末 No.2

2007年08月21日 06時06分06秒 | 南北アメリカ
翌日(8月7日火曜日)宿に電話がありました。在ガイアナ日本名誉領事という人からです。実は、前の金曜日に警察に行った時に日本大使館が無いかどうか確認すると”何とか保険会社”という名前を教えてもらいました。保険会社って何のことだよ・・・何言ってんだよ、おまえら・・・とその時はがっかりしたのですが、行きつけのネットカフェのビルの2階の看板に「日本領事館」と書いてあり、その横にさらに大きくその保険会社の名前が書いてあったのです。保険会社の中に日本領事館があるっていうことなのね。やった!日本領事館がある!と思いそこに行ってみたのですが領事は不在で秘書が言うには後1ヶ月は帰ってこないとのことだそうです。念のために連絡先として宿の名前と電話番号を教えてその日は帰ったのでした。後で知ったのですが、日本領事館といっても”名誉総領事”と言われるもので現地のガイアナ人が日本外務省に雇われて在留邦人のためにいろいろとしてくれるという機関で、パスポートの発給は残念ながらしてくれないということです。その名誉総領事の人はマークさんといって、ガイアナ人らしくない小奇麗な服装をした黒人で、無愛想だけれども親切で仕事はとてもきっちりしてくれる頼れる人でした。この日から警察やパスポートオフィス関連の折衝を全てマークさんがしてくれることになり、僕は劇的に楽になりました。

昼の1時にマークさんと警察署へ。昨日の女性係官は「あっ、そういえば書類はまだできてないなあ」という返事。僕一人なら「おい!昨日あんたは1時以降ならいつでも来てくれていいよっていってたろ!」と激昂するところですが、マークさんは非常に冷静で「あなたの連絡先を教えてください。私の連絡先も教えるので書類が出来上がるまで連絡をとりあいましょう。」ということで冷静に紳士的に女性係官との話を終え、僕には「この後は私が警察と連絡をとって、書類を受け取るので君は宿で待っていなさい」と言ってくれました。これは本当にありがたかったです。ありがたくお言葉に甘えることにしました。ガイアナは赤道近くの非常に暑い国で湿気も高く昼間はクーラー無しではとても耐えられないです。日本の東京の夏と同じような気候でしょうか。(大阪よりは暑さはましです。)昼間、冷房の無い宿で待つことは不可能なのでクーラーががんがんに効いているネットカフェでマークさんを待つことにしました。彼の事務所のすぐ下ですし。5時ごろマークさんが現れて、「今日は盗難証明書はできないみたいだ。明日には入手できると思う。その後は一緒にパスポートオフィスに行って出国用書類を手に入れに行く」ということを言いました。警察は相変わらず仕事が遅いですが、マークさんはかなり頼りになりそうです。ガイアナ出国への希望が見えてきた気分です。

次の日(8月8日水曜日)は一日中クーラーの効いたネットカフェで過ごしました。ここは普通のカフェでもあり、ノートPCを持ち込んでワイヤレスインターネットが出来るので、何時間いてもコーヒーの料金だけでネットができるのです。白人のナイスガイがオーナーで、ガイアナとは思えない洗練された空間で従業員もきちんとしていて、ガイアナ疲れを癒すには最適な場所です。(ガイアナは、何をするにもとても疲れます)夕方マークさんが現れて、盗難証明書をゲットしてくれていました。この日はもう時間が遅いので次の日にイミグレーションオフィス(パスポートオフィス)に行くことになりました。

そしてさらに次の日(8月9日木曜日)、たくさんの人がごったがえすパスポートオフィスへ。僕はただそこにいるだけで、警察との交渉は全てマークさんがやってくれました。しかし、3回くらいいろんな部署をたらい回しにされたあげく、「今日はその紙がないから明日来てくれ」という結論になりました。紙が無い、とはさすがガイアナ。この日はここで解散です。これらの日々での僕の時間のつぶし方は、ひたすらネットとゲームです。昼~夕方までネット屋がしまるまでねばり(主にスポーツニュースなどを読む)、夜は涼しくなった部屋で深夜まで延々とPCでゲーム(ウィザードリィ外伝4)をしていました。おかげで目と肩と腰が会社勤めをしていた時のように疲れて痛くなりました。ああ、目がかすむ。。

8月10日金曜日、ついにトラベルドキュメント(ガイアナ出国に当たってパスポートの代わりになるもの)をゲットできました。もしマークさんがいなかったら、と思うとぞっとするくらいこの日も大変でした。午前中にパスポートオフィスに行っても昨日応対してくれた人が捕まらずに延々と待ちぼうけです。ようやくその人が現れて、申請用紙を渡されて、記入して(書く項目に”Face”とか”Nose”とかあって笑いました。空欄で渡したら”Face”は”Normal”、”Nose”は”Straight”となって返ってきました)渡すと、昼の2時にまた来いと言われました。いったん戻って再度行くと、なんとパスポートオフィスは閉まっていて、前の庭にはたくさんの人がぼけーっと再開するのを待っていました。シエスタか何かですか、これは?このありえない状況にがっかりしていると、マークさんは僕一人を庭の椅子に座らせて、一人でオフィスの入り口に陣取ってオフィスが再開するのを待ってくれました。30分以上経った頃、警官がちょっと出入りするために一瞬ドアが開いた隙を狙ってマークさんはオフィス内に滑り込みました。うわー、やるなあ!そして待つことさらに1時間、ついにマークさんはトラベルドキュメントをゲットして戻ってきてくれました。事件から1週間、仕事の遅いガイアナ警察もついに必要な書類を全て作ってくれました。

トリニダードの日本大使館の人に書類を入手できたことを伝えて、いつそちらにいけばいいかを相談すると(この日は金曜だったので月曜日まで待った方がいいと思って)、土日でも問題ないのですぐに来てくれという返答でした。さすが、日本人!働きっぷりが違う!違いすぎる!航空券は日曜日の早朝(5時45分発)の便が入手できました。

8月11日土曜日、昼間は延々とネットカフェでウィキペディアの日本人サッカー選手の項を読み漁り時間を潰しました。夜10時に空港に着くように宿を出てミニバスで空港へ向かいました。ガイアナの空港は非常に小さくて中に店が全く無く、まるで真冬のようにクーラーが効いていました。真冬のように服を着込んでベンチで少し眠り2時45分のチェックインに向かいました。パスポートが無くてもトラベルドキュメントがあればOKみたいで、チェックインから荷物チェック、搭乗まで全てびっくりするくらいスムーズに行きました。飛行機はたった1時間のフライトであっさりとトリニダードに到着しました。

トリニダードの空港はガイアナのそれとは比べ物にならないくらい大きくて店が多くて、係官達も礼儀正しく洗練されており、ああ先進国に来たんだなあ、という印象を受けました。(とは言っても関空などに比べると10分の1程度の規模ですが)イミグレーションオフィスを通る時、出国は上手く言ったけど入国はどうだろう・・・と緊張しましたが、日本大使館の人からイミグレオフィスにきっちりと連絡がいっていたみたいで、スムーズに入国できました。しかも心配していたビザも1ヶ月もらえたので観光もできそうです。(当初、大使館の人からはビザが無いので2,3日しか滞在できないだろうといわれていたので心配していたのです)入国してホテルにチェックインした後、すぐに大使館に向かいました。日曜日なのに、出勤してくださって(僕のために出勤してくれたのか、毎週日曜日も出勤しているのかは、不明です)パスポートの発給も1時間かそこらですぐにしてくれました。速い!速すぎる!ガイアナとの仕事ぶりの違いに僕が同じ日本人であることの誇りを感じました。

ということで、盗難事件の後処理は無事終了したのでした。


今回の事件ではいろいろと勉強になりました。例え友人と二人で個室に泊まっていても油断をしてはいけない、ということ。ガイアナという日本大使館も無い訳の分からない辺鄙な国でパスポートを盗られても、周りの協力があり、辛抱強い対応をすればなんとかなる、ということ。やっぱり旅は周りの人の無償の親切で成り立っているということ。旅ではトラブルは突然やってくるということ。ネットとゲームのやりすぎは目と腰に悪いということ。。。



近況報告。最近はトリニダードの首都ポート・オブ・スペインでだらだら過ごしています。本当にひたすらだらだらしています。昼間はひたすら暑いし、一日2,3回はスコールが降るし、夜はひたすら治安が悪いし、なかなか過ごしにくいです。ある日などは1日中宿の部屋に篭ってゲームをしていた日なんかもありました。何をしているんだ、俺は・・・。しかし、ここはジョージタウンから来ると、普通に中規模の町で面白みも少ないです。規模的にいうとジョージタウンが僕の故郷の兵庫県姫路市の英賀保駅付近、ポート・オフ・スペインが飾磨駅付近(英賀保よりも幾分栄えている)、という感じでしょうか。つまりどちらも姫路市の中心地姫路駅近辺よりも遥かに小規模ということです。1日もあれば大体見て周れます。外出してデジカメを探すものの、まさかジョージタウンよりも値段が高いとは思いませんでした。日本から持ってきてタンザニアで盗られたのと同じモデルが8万円(ガイアナでは4万5千円、ラパスでは2万8千円)、クスコで2万7千円で買ったのと同じモデルが8万5千円(ガイアナでは6万円)。。。最低限納得できる性能のものを買おうと思ったら最低3万5千円は必要みたいです。こんなことなら、ガイアナで買っておけばよかった、と歯ぎしりしています。そんなこんなで、カメラが無いので観光しようという気がなかなかおきません。


今後のルートについて。ブラジルビザもイエローカードが無くなったし、泥棒事件で時間もお金も非常に消費してしまったので、南米はもう終了することにしました。ブラジルとエクアドル(ガラパゴス)には行く予定だったけど、あきらめます(ブラジルは北部のボアビスタのみ行きました)。さようなら南米。次はメキシコ辺りに飛んでカリブ海系の情報を収集してからキューバなどを攻めようかと思っています。そして北米に行き、9月末~10月頭に日本一時帰国の予定です。

先日ポート・オブ・スペインの旅行会社にメキシコ行きの飛行機を問い合わせたところ、9月の2週目までは全てフルらしいです。トリニダードから海外に飛ぶ飛行機は今全て満席になっているそうです。9月2週目っていうことは1ヶ月のビザぎりぎりになってしまうじゃないですか。それにここはそんなにたくさんすることはなさそうですし、途方に暮れました。チャンスがあるとすれば空港で寝泊りしながらキャンセル待ちをするしかなさそうです。(後でベネズエラのカラカス6行きだけは8月でもあるということが判明しましたが。)その上、先日のカリブ海横断ハリケーンの影響でトリニダードから北へ向かう便が全て欠航しているみたいです。さあ、どうしましょう・・・。

ガイアナ盗難事件 後始末 No.1

2007年08月21日 06時04分55秒 | 南北アメリカ
話はホテルで泥棒に入られたことに気づき、警察を呼ぶという場面に戻ります。日時は、8月2日木曜日の早朝25時半くらいです。

前々回の記事にも書きましたが、泥棒にあったことをまず宿の人に言いに行くと、宿番をしている人が全員英語をしゃべれなかったのでした。後で聞くと、彼らは全員ブラジル人でした。(さらに後でよく見ると、ホテルの1階はブラジル料理レストランだった)しかし、英語が公用語の国で英語がしゃべれない人間が宿番をしてることには、正直驚きました。英語でいくら言っても、泥棒にあったことすら全然理解してくれません。しかし、その中の一人のおっちゃんは、僕の必死の形相で緊急事態だということは理解してくれたみたいで、隣のちょっと高級なホテルに僕を連れて行ってくれて英語ができる人に引き合わせてくれました。その人は、ガタイのいい黒人のおっちゃんでした。彼に、部屋で泥棒に入られたことと警察に電話したいということを伝えると、また別のさらに高級そうな近くのホテルへ連れて行ってくれました。どうやら彼のホテルには電話がないみたいです。なぜホテルなのに電話が無い?という疑問も沸きますが、そんなことは言ってられません。その時の僕にとっては彼だけが頼りです。次の高級ホテルでは、半分寝ているような警備の人と、とても不機嫌な受付の女性がいました。彼は、彼らに電話を使わせて欲しいことを説明してくれて、その上、警察への電話までもしてくれました。僕は、英語で、しかも電話で、泥棒にあったという今の状況やホテルの場所を説明する自信が無かったので、とても助かりました。彼は、電話を終えると帰宅していきました。

警察が直ぐ来るかもしれないので、僕はしばらく門のところで待っていました。しかし、5分くらい待っても全然来る気配がないので一旦部屋に戻りました。この時、同じく被害に遭ったSくんは部屋で待っていてくれました。二人で荷物を調べて何が無くなっているかを再確認しました。部屋の中には重苦しい空気が漂っていました。パスポート、クレジットカード、キャッシュカード、そして最近クスコで買ってとても気に入っていたデジカメ。ベッドのすぐ横の頭側の棚に僕の財布が中身がすっかり抜き取られて置き去られていました。泥棒が、僕の頭越しに財布を取って中身を抜き取り、元の場所に再度置いた思われるのですが、泥棒がそこまで近くにいたという事、寝ている僕の姿を間近で見ながら財布の中身を抜き取ったという事が、恐ろしく思えました。

道路に面している窓には僕の洗濯物を干していたのですが、それらはぐちゃっと乱れていて靴下が床に落ちていた。靴の足跡のような汚れも干していたズボンに着いていました。それを見て、泥棒は窓から入ってきたことを確信しました。

それにしても、警察がなかなか来ない。宿は1階がレストランになっていて2階と3階がホテルになっています。1階に降りて警察を待ちつつ英語の話せないブラジル人の従業員と身振り手振りと片言の英語とスペイン語で話をしました。彼らもこの頃にはすっかり状況を理解してくれているみたいです。クレジットカードやキャッシュカードを止めたくて、電話が使いたいというようなジェスチャーをすると、彼らの部屋に案内してくれて携帯電話を使わせてくれようとしたのですが、日本にはかけれないのであきらめました。彼らの部屋に簡単に通したりするような無防備な感じは、彼らは犯人じゃないという印象になりました。(演技かもしれないけど)

電話してから20分くらいして、外に車が着きました。警察かと思って行ってみると、タクシーと思われる車から降りてきたのは、どこからどう見ても警察には見えないちょっと太った黒人のおっさん一人でした。制服は着てなくてアメリカの黒人ラッパーの黒いTシャツと短パンにサンダルという公務中とは到底思えないラフな格好です。眠いからか不機嫌に血走った目で僕を睨みつけています。予想とはかなり違うその姿(制服を着た紳士的な警官が二人くらい来ることを期待していた)にかなりびびったのですが、警察に間違いないと思って「警察の方ですか?」と聞いたら「そうだ」と答えました。そういえば、このおっさん、誰かに似ているなあと思ったらタンザニアの睡眠薬強盗アロイースでした。ますます僕の不安感は大きくなりました。

このアロイース似の警官が僕に何かごにょごにょと言うのですが、全く何を言っているのかわかりません。「すいません、何ていいましたか?」と何度聞きなおしても「ごにょ、ごにょにょ!」としか聞こえません。失礼のないように丁寧に聞きなおしてるのですが、どんどん不機嫌になっているみたいです。英語がしゃべれない従業員の次は、聞き取ることの出来ない英語をしゃべる警官ですか。。。しかし、僕らの希望はこの警官だけなので、辛抱強く聞き返します。5回目くらいでようやく「どこで盗まれた?」というようなことを言っているということが分かりました。部屋に案内して、取調べ開始です。しかし、彼の英語は空前絶後のかつて経験したことの無いような聞き取りにくさなので、彼が何か質問するたびにこっちは5~7回くらい聞き返さなければいけないという、非常にもどかしく、その上雰囲気も悪いものになりました。Sくんも彼の英語には僕と同様かなり苦戦しているようです。しかし途中からもう一人小柄な白人の警官っぽい人が来て彼の英語を通訳してくれるようになって、徐々にスムーズになりました。(後でその人はレストランのマネージャーだということが判明。僕はきっと警官に違いないと思ってすごくへりくだって接してしまった。)

取調べといっても大したことはしませんでした。名前、住所、生年月日などの個人情報と、何を盗られたのか、気づいた時どのような状況だったか、をノートにメモを取った後は、一階に降りて、道路側から僕らの部屋を見上げて、僕らの主張する泥棒が窓から入ったということが可能かどうかをだらだらとレストランのマネージャーと話をしていました。そしてしばらくすると疲れたのか、翌朝8時に警察署に来るようにと僕らに言い残してタクシーに乗って帰っていきました。

僕は確信しました。彼は犯人を捕まえる気は100%ない、と。

時刻は3時半になっていました。前日のミニバスでの夜行移動でくたくたになっている上に、この日もほとんど寝れないのか・・・。そして貴重品を失ったショック。パスポートの再発行を、こんなガイアナのような辺鄙なところでできるのだろうか?クレジットカードやキャッシュカードを止めるのが、明日の警察署の後になるけど不正利用されないのだろうか?クスコで買った気に入っていたデジカメ・・・、ブラジルのボアビスタやガイアナのレセムの写真・・・。しかし、今回はノートPCが残ったという救いがありました。これは本当に大きかった。気持ち的に随分楽でした。他には、現金も2-3万円、クレジットカードも1枚、それぞれ見つけにくいところに隠しておいたので残っていました。なんとか当座は自力で持ちこたえられそうです。

この日の夜は非常に興奮していたけど、前日の疲れもありすぐに眠りに落ちました。

8月3日金曜日、警察署には時間通り8時に着きました。犯人を捕まえてもらうことは期待できなくても、盗難証明書はもらっておかないとパスポートの再発行ができないのです。アロイース似の警官は昨夜と同じ格好で警察署の2階のオフィスにいました。目は相変わらず血走っていますが、今日は周りの同僚の目があるからか、幾分紳士的な対応です。ベンチに座って待てと言われたので、言われたとおりに待つのですが、全然始めてくれません。まるで僕らなんかいないかのように彼らは自分達のことをしています。その間ぽかーんと警察署内部やそんな彼らを眺めたりしていたのですが、これが非常に面白かったです。建物は木造三階建の築数十年のぼろぼろで、窓は割れていたり、窓枠自体が取れていたり、窓の外を見ると屋根の上に大量のごみが投げ捨てられていたり、一国の首都の中心地にある警察署とは到底思えない建物です。そのフロアにいる警官は私服警官しかいなかったのですが、そこに市民や逮捕されてきた犯罪者が一緒くたにいるので、誰が警官で犯罪者なのか何がなにやらわからない状況です。犯罪者たちは手錠をされることなく、僕らと一緒に座っていたりします。警官に写真を撮られたり尋問されたりしているので、ようやく逮捕された人なんだ、と分かります。

1時間くらい待たされてようやく書類作成が始まりました。昨夜のアロイース似とは違う別の警官(インド人風。ガイアナはインド人移民が結構多いです。)が対応してくれました。相変わらず英語は聞き取りにくいのですが、アロイースよりは数倍ましでした。昨日は5回は聞き返してたのが、この日は2回くらいですんでいたので。。。昨夜アロイースに話したこととまた同じことをしゃべって書類が作られていったのですが、それは盗難証明書ではなく被害者の被害宣言書のようなものでした。盗難証明書は翌日の9時に来い、と言われたのでこの日はこれで帰りました。終わった時には11時半にもなっていました。タンザニアのシニャンガ警察はもっときびきびと働いてたぞ。。。

午後は銀行、カード会社、トラベラーズチェック、大使館関係、と国際電話をかけまくりました。カード類は問題なくストップできました。夕方の4時になっていたにもかかわらず、不正使用もありませんでした。ここガイアナがカードの不正使用が難しい町でよかった・・・。トラベラーズチェックはアメリカン・エキスプレスが英語の通訳を介した電話な上に、音声が非常に悪い状況だったので大変苦労しましたが、なんとかストップできましたが、再発行に10日くらいかかると言われてしまい、それは保留しました。(翌日、実はトラベラーズチェックは盗られていなかったことが判明。直ぐに電話すると再利用可能になりました。)パスポートの再発行は、やっぱりガイアナには日本大使館が無いので、ガイアナを管轄する日本大使館のあるトリニダードトバゴに行かなければいけないということになりました。でも、在トリニダードトバゴ大使館のKさんという人がびっくりするくらい親切な人で、この後いろいろと助けてもらうことになり、とても助かりました。Kさんは勤務時間外や休日でも入出国のために両国のイミグレーションオフィスに事前連絡やFAXを送ってくれたり、僕の電話相談を受けてくれたり、飛行機の時間を調べてくれたり、本当に数々の名アシストをしてくれたのです。ただ、トリニダードに行くことで僕のギアナ3国旅行がここで途切れてしまうのは、非常に残念です。次のスリナムという国はガイドブック(ロンプラ)によると料理が安くて美味しいとあったし。。。ベネズエラで取ったブラジルビザやイエローカード(黄熱病予防接種証明。ブラジル入国に必要とされる)がパスポートと一緒に無くなったので、ブラジル行きも非常に厳しくなってしまいました。当初トリニダードトバゴになんて全く行く予定じゃなかったので、完全に頭が真っ白になってしまいました。トリニダードに行った後は、いったいどうすればいいんだろう???

しかし、Sくんが最近ベネズエラの前にトリニダードに行っていて、「とても良いところですよ!おすすめです!」と力強く言ってくれたので、徐々にトリニダード行きもいいんじゃいの?と思えるようになってきました。それに長期旅行者にとってはトリニダードはビザ取得が非常に困難なために行っている人が少ないので、そこに簡単に行ける俺はラッキーなんじゃないのか?とも思えるようになってきました。Sくん曰く、海が綺麗でダイビングもできるとか。早くいって綺麗な海を眺めてぼんやりとしたくなってきました。

翌日(8月4日土曜日)9時に警察署へ行ってみると昨日のフロアは人っ子一人いなくてがらんとしていました。一階には制服を着てパトロールなどをしている警官はいるのですが。この日は土曜日なので、警察も休みということか?しかし昨日、書類を作ってくれた奴(インド人風)は間違いなく明日9時に来いと言っていたので、彼を信じて誰もいないオフィスで待つことに。30分くらい待つと昨日のインド人風が現れてくれました。しかし「もうちょっとそこで待て」と言われさらに待つこと30分。今度は別の私服警官が来て僕らが何をしているか訪ねてきました。答えると、「今日は休みだ。そんなことをしても時間の無駄、無駄。早く出て行って他の事をしろよ」「いやいやいやいや!そんなことはないでしょう!さっきも昨日書類を作ってくれた警官が来て”そこで待ってろ”と言ってましたよ!」「なんと言っても時間の無駄。そいつももう帰ったよ。」と言ってきます。確かにさらにしばらく待っても誰も来る気配はありません。時間はもう11時を過ぎています。しびれを切らして、警察署の建物内をしらみつぶしに探したのですが、ほとんど全ての部屋がもぬけの殻で、人がいた部屋が一つだけあったけれどもそいつはいなくて、すぐに追い出されてしまいました。打ちひしがれて元のベンチの場所に戻っていると、インド人風警官が偶然トイレに行っているところに遭遇しました。「おい、ちょっと!どうなってるんですか!?」と聞くと、「いやあ、ごめん、ごめん。今日はみんな休みだから、たとえ書類を作ってもサインをしてくれる人がいないんだよねえ。忘れてたよー!悪いけど、月曜日に来てよ」とのことです。うっわー、、、やっぱり。。。こうなることは半ば覚悟してたけど、やっぱりショック。。。でも、これで土曜と日曜をジョージタウンの観光にあてられるので、よかったといえばよかったかな。

Sくんは、盗難保険に入っているわけでもないしパスポートも盗られていないので、仕事の遅いガイアナ警察を月曜日まで待つ必要はないので日曜日にバスでスリナム(ガイアナの隣の国)に行くことになりました。なのでこの日の夜は二人の最後の晩餐になりました。二人で部屋でインスタントラーメンをすすり、ビールで乾杯しました。

ロライマ山に行く直前にサンタエレナのブラジル領事館で偶然出会い、ここまで密度の濃い2週間を共に過ごしたSくんともついにお別れです。ロライマ登山の後、二人行動になってからはトラブル続きでした。サンタエレナでは僕は靴を盗まれ(Sくんはジャケット)、ベネズエラ出国時はいかにも薬でラリッてそうな警官にバックパック内の荷物を片っ端から調べられ、ブラジルに入国してほっとしていたら、バス移動中に何回もさらに厳しい荷物チェックにあい、その上ブラジル行きを同行していた韓国人が警官との間でトラブル(ブラジル国内には持ち込み禁止のでっかいワニの皮を持ち歩いていたため)になり、僕らも巻き込まれて数時間警察署に拘留されたり、、、そして極め付けが今回の泥棒事件。でも、彼の何があっても落ち込まずにその状況を楽しめるキャラクターもあって、その全てが楽しい経験でした。

日曜日に一人でジョージタウンをぷらぷらしていると、何に使うのか分からない木の巨大なハンマーを持ち歩いている柄の悪い若者が何人も徘徊していたり、ゴミ箱からビール瓶を探し出しては延々と壁に投げつけて割っている奴がいたり、ドブ川を漁る浮浪者がいたり、「おい中国人!おまえどこに住んでんだ!?ファック!!」とどなってくる奴がいたりして、なんとも恐ろしい場所です。そんなエキサイティングなジョージタウンを適当にぷらぷらしているうちに月曜日(8月6日)になりました。約束の9時に行き、いつものように1時間待たされると、担当が元に戻ったのかアロイース似が対応してくれました。しかし、奴は今は忙しいので昼の1時に再度来てくれと言いました。こういう展開にはすっかり慣れたので大人しく1時まで時間をつぶして警察署に行きました。そこでもさらに30分待たされ、アロイースのデスクに行くと、そこで一から何か書類を書いています。書類はできてて、後はサインだけじゃなかったのか・・・とつっこみたかったけど、やめておきました。彼の聞き取りにくい英語と格闘しながら先週話したことを再度一から話してようやく何か手書きの書類ができました。それを持って別の部署に行き、今度は女性の係官に担当が替わり、その人に書類作成料の200円を払い、そこでもさらに1時間待ったのですが、結局翌日の1時に来てくれと言われてしまいました。

to be continued...

世界放浪1周年記念

2007年08月08日 05時13分35秒 | 南北アメリカ
2006年8月6日に関西空港を出発してから1年が経ちました。

出発前の(密かな)旅の目標の一つが、「1年間は日本に帰国することなく、放浪を続ける」だったので、無事達成できてよかったです。ぱちぱちぱち。

しかし、その記念すべき一周年の日を、ここガイアナの首都ジョージタウンで盗難の後処理を延々としていることになるとは、夢にも思いませんでした。1ヶ月くらい前の予想では、ブラジルのサンパウロの日本人地区でまったりと過ごしているんじゃないの?思っていたのに・・・。

とか言いつつも、全然悪い気分ではありません。むしろ、この一寸先がまるで見えない毎日が刺激的過ぎて、思わず笑っちゃうくらいです。泣きたい位に辛い状況なのですが、次から次へと訳の分からない事が起こる毎日は楽しくて仕方なくもあるのです。

しかし、我ながらMな旅人だなあ、とは思いますね。

最近、旅友達から「旅とは何か」をアドレス帳に書いてくれと頼まれました。最初は「娯楽」という言葉が思い浮かんだのですが、漢字が分からなかったので(泣)、別の言葉を考えました。そういえば、アフリカが楽しかったのはなぜなのだろう。あんなに辛いことがいっぱいあったのに。そういえば、毎日が新鮮な驚きの連続だったなあ。想像を上回る事ばかり起こっていたなあ。南米が、それほど楽しくないのはなぜなんだろう。それは、色んな所がヨーロッパに似ているからではないだろうか。そのため、想像の範囲内で収まることが多いからではないだろうか。

自分が旅に求めているものを一言で表すと何だろうか。

・・・「刺激」

この言葉が一番適しているような気がして、その二文字を彼のノートに書きました。

ガイアナ。これほど刺激的な場所は世界にもそんなには無いのではないかと思います。南米大陸だけどアフリカ。そしてカリブ。(カリブは行ったことはないけど、ガイドブックにそう書いてあったので)首都ジョージタウンは首都のくせに、高層ビルが無く、ほとんどの建物が木造で、町は小さく、見るからにみんな貧乏で、浮浪者が昼夜を問わず徘徊し、現地人はみなヒトクセあってジョーク好きで、警察は機能してなく、町は腐臭が漂い、とにかく異様な雰囲気です。中心地にあるホテルに泊まっているのですが、目の前の大きな公園は夜になると数百匹の蛍が現れて光を放ちます。そんな首都はもちろん初めてです。

こんな場所で一周年を迎えることができて、良かったです。多分。

この旅も残り1年。このような刺激的な場所を求めて(もちろんたまには快適な場所も求めて)、これからも旅は続いていきます。


追伸1:泥棒後の後処理は、ガイアナ警察が超スローな仕事っぷりなので全然進みません。ガイアナには日本大使館がないので、トリニダード・トバゴ大使館と連絡をとりつつ後処理をしています。担当の方がとても親切で助かっています。トリニダード・トバゴでしかパスポートの再発行ができないので、次の目的地は強制的にトリニダード・トバゴになりました。初のパスポート無し、ビザ無しの出入国です。ドキドキ。

追伸2:ロライマから一緒だった旅友達Sくんは、ガイアナのビザ期限がたった一週間で切れるためにスリナムへ向けて旅立ちました。なので、久しぶりの一人旅です。


泥棒に入られる(ガイアナの首都ジョージタウンのホテルにて)

2007年08月04日 19時16分30秒 | 南北アメリカ

ホテルで寝ていたら泥棒に入られました。パスポート、クレジットカード、キャッシュカード、デジタルカメラ、現金約4万円、腕時計、ラジオ、電熱コイル、などを盗られました。


ガイアナ入国~盗難までの流れは、以下のような感じです。
(カメラをデータごと盗られたので、今回は写真なしです。)

ブラジルを周る予定だったのを、ロライマ友達Sくんの誘いもあってギアナ3国を一緒に旅することに急遽変更しました。仏領ギアナからブラジルに入るルートです。

ガイアナは南米の中のアフリカと言ってもいいくらいのアフリカテイスト溢れる国でした。8割くらいの人が黒人または黒人の混血、道は未舗装、建物は古くて汚い、人は気さくで適当、治安は最悪、蚊が多くてマラリアの危険大(デング熱も)、赤道直下できつい日差し、、、あの辛くも楽しかったアフリカを思い出させてくれます。一緒にいるSくんもアフリカ大好きっ子のドM旅行者なので、二人で大興奮でした。

国境の町レセムから首都ジョージタウンまでは夜行バスで17時間でした。しかし、この夜行バスがなんとミニバス。大型バスではなくトヨタのタウンエース。これはこの旅初体験です。リクライニングはもちろんなし、常に直角座り。そして道路は延々と未舗装。しかも雨季で道はでこぼこ+水たまりだらけ。ドライバーの運転はブレーキの存在をしらないんじゃないの?というくらいの激しさ。なので、車内では常に頭や身体をぶつけないように力を入れ続けなければいけません。気を抜くと、ゴツンとやられます。初めのうちは、綺麗な星空、月明かりに照らされる未開発の自然、道中に続々と現れては車に驚いて逃げ惑う野生動物たち、それらのものに大興奮して疲れも感じることなく楽しかったのですが、いつかそれにも飽きてきて睡魔が襲ってきます。

ウトウト・・・ゴツン!いてっ。おっと、頭を打たないように気をつけないと・・・。

ウトウト・・・・・・・・ゴツン!いってー・・・。ああ、しかし眠たいな・・・ウトウト・・・。

・・・。

ゴッツン!!うぐぅ!頭がいてーー!!!

ということを10回以上繰り返した後、森の中にぽつんとあるレストランとゲストハウスを兼ねたような休憩所に到着。23時でした。バスの乗客達は車内で寝るか、オープンテラスの椅子で寝るか、の二者択一を迫られます。ドライバー達はハンモック持参なので気持ちよさそうに寝てやがります。車内は暑くて窮屈、屋外は身体は伸ばせるけど大量の蚊、という地獄の選択肢です。最初は屋外を選んで寝たのですが、どんなに虫除けクリームを厚く塗っても蚊が離れていってくれず、10箇所くらい刺されたので、車内に逃げこみました。車内では寝転べるようなスペースがないので体が痛くて20分ごとに体勢を変えるために起きなければいけません。そんなこんなで、合計1時間くらいしか寝れないまま朝5時くらいに車は出発しました。その頃には疲れすぎて僕もSくんもすっかり無口になっています。

昼の11時頃に最初の町に着き、そこからは舗装道路になって楽でした。それにしても、15時間も一切町がなく舗装道路もないというのは、アフリカですら経験できなかったすさまじい移動でした。ジョージタウンには昼過ぎに到着。危険な町ジョージタウン。ガイドブック・ロンリープラネットには「ジョージタウン・イズ・デンジャラス」というシンプルな表現で危なさを表しています。「昼も一人では出歩けず、夜になると地元民ですら2ブロック先のレストランに行くのにタクシーを使う」とか・・・。びびりまくっている僕らはタクシーで安宿へ行きました。二人でツインをシェアしました。部屋は2階で道路に面していて、そこからジョージタウンののどかな風景が見渡せます。

その後町をぷらぷら散歩したのですが、ガイドブックが言うほどは危険な感じはしませんでした。二人ともアフリカ縦断経験者なので、危険な町というものに、ある程度免疫があるのです。調子に乗って「5年前の本だし、最近は改善してきたのかもしれないね。」とか「良い人が多いね。」とか「明日は夜も歩いてレストランに行ってみようかな」なんていうジョージタウンをなめた発言をして、その日は眠りにつきました。前日、ほとんど寝てなくて疲れていたので、10時半に消灯してすぐに眠りに落ちました。やっぱりベッドで寝れるのはうれしいなあ。



犬の吠える声が激しいのと、部屋が明るいのとで、夜中に目が覚めました。部屋が明るいには、僕のすぐ側のドアが開いていたからです。Sくんが、ちょっと部屋の外に出てるのかなあと思って彼のベッドを見てみると、彼はベッドでぐっすりと眠っています。昨夜、ドアは寝る前に確かに僕が閉めて鍵をかけたので、おかしいなと思って辺りを見回すと、荷物がやけに散らかっているのです。まさかと思って僕が貴重品を入れていたカバンをチェックすると、パスポートやクレジットカードが消えていました。

あっちゃー。。。また、やられちゃったよ。(タンザニアに続き)

窓を見ると、干していた洗濯物がぐちゃぐちゃに乱れていました。きっと泥棒は窓から入って来て、荷物を探って貴重品を盗んでドアから出て行ったのでしょう。Sくんを起こして、宿の人に警察を呼んでもらおうとしたら、宿番をしている3人が全員英語がしゃべれません。ちなみにガイアナの公用語は英語です。絶望感倍増です。仕方なくその人達と一緒にとなりの宿まで行って、英語をしゃべれる人を探し、その人が電話で警察を呼んでくれました。警察が来るまでの間、何が無くなったのかをチェックしてみると、僕は冒頭に書いたものが盗られており、Sくんは、パスポートやお金関係は無事だったけどデジカメやアドレス帳などが盗られていました。僕のノートパソコンや彼の一眼レフカメラなど大物が残っていたのは、不幸中の幸いでした。しかし、パスポートが無くなったのは痛いです。こんなガイアナなんていう訳の分からない国でパスポートが無くなる不安感は、並ではありません。(その分、再発行はいったいどうやってやるんだろう、というワクワク感もありますが)

ガイアナ訛りが酷くて何を言っているか全然分からない警察官の取調べが終わったのは深夜4時でした。翌朝8時に警察署に来いとのことです。まだまだ寝れない日は続くようです。。。

<後処理編に続く>