宿の外を10分歩いただけで疲れ果ててしまう大気汚染地獄のコルカタをようやく離れて(10日間もいてしまった)、次はバングラデシュに行くことにしました。しかし、宿の情報ノートや実際に行った人の話では、バングラの首都ダッカの人ごみの多さや町の汚さ、空気汚染はコルカタよりも酷いらしい。。。まじですか?しかも、バングラに対する好印象の話は少なくて、概ね「食事がワンパターンで飽きた。」「人にすぐ囲まれるのがとにかくうざい。」「ただただ疲れた。」などの悪印象の話が多かったのです。一旦は激しくモチベーションが下がるものの、ロケットスチーマーという格好いい名前の船で30時間くらいかけて川を上ってダッカを目差す予定なので、インドとは違う旅情を味わえそうなので、なんとかモチベーションを高めて最悪の町コルカタを後にしました。もう2度とここには戻って来ないぞ、と誓いながら。
インドから陸路で国境を越えて最初に訪れたのは、なんとものんびりした雰囲気の国境の町ベナポール。
朝8時にコルカタを出て、バスやリクシャをいくつか乗り継ぎ、夜の7時にようやくバングラ第三の都市クルナに着きました。ここからダッカまでは例のロケットスチーマーという船で川を上って目差します。ロケットスチーマーは世界でも珍しい現役の蒸気機関の外輪船らしく、バスだと数時間の距離を30時間かけてしまうほどの低スピードです。でも体調が優れない僕はそんなゆっくりとした旅がしたかったのでちょうど良かったのです。
クルナの舗装された広い道には、車がほとんど走っていなくて自転車タクシーだらけです。おかげで、空気も汚染されていなくて体調が格段に良くなりました。よかったよかった。
クルナで一泊する予定で宿も取ったのですが、船は翌日にはなくて当日か4日後かを選ばなくてはいけなくなり、仕方ないので当日の船に乗ることにして、慌しく1時間荷物を置いただけの宿をチェックアウトし(一泊分の料金を払って)、ロケットスチーマーに乗り込みました。
奥のオレンジと白色の船がロケットスチーマーです。
2泊3日の船旅。夜10時出発して翌々朝の5時にダッカ到着です。二等船室を取ったのですが、窓から川の風景が見える眺めの良い部屋でした。あーー、のんびりするーーー、と言いながら30時間本当にのんびりと過ごしました。
朝起きて窓の外を見ると、川の両岸は延々と続くジャングルでした。
朝靄も出て何ともいえない旅情が漂います。
ロケットスチーマーの三等船室。
船室というかその辺での雑魚寝ですね。なんかみんな暇そうにしてます。
川の両岸はずっと密林が続くのですが、その密林の中に時折集落が見え隠れします。これはかなり大き目の集落で、船は何回かこういう集落で停泊しました。
このような場所に住む人にとっては、多分船が唯一の移動手段なんでしょうね。
バングラデシュは毎年洪水が起こって国土の3分の1だか4分の1が水没するらしいですが、この人達は一体どうなるのでしょうか?
同じく2等船室に泊まっていたお茶をおごってくれた親切なバングラ人一家
こんな裕福そうな人達ですら「バングラは貧乏。でも日本は金持ち。」という、この後出会うほぼ全てのバングラ人が異口同音に言う言葉を言っていました。でも、旅行した感じではバングラデシュはそこまで貧乏な感じはしなかったです。インドの低カーストの人やアフリカの普通の人の方がよっぽどか貧乏な印象です。でも、きっと「バングラ人は貧乏」というのは、国民的なコンセンサスなんでしょうね。多分。
しかし、この人は加えて「なぜバングラが貧乏かと言うと怠け者だからなんだ。日本人はとても勤勉なんだろう?だから金持ちなんだ。私も日本でハードに働きたいよ。」と言っていました。さすが二等船室に泊まるだけのことはあって言うことが違います。
アフリカでもこういった”努力したいけど、その機会が無い”的な発言をする人に何人か会いました。その度に、働きたいだけ働ける、日本という環境で生まれ育った自分は何と幸せなのだろうと思います。
あ、あとバングラ人は他の国に比べてボクシーシ(バクシーシ。金を恵んで、という意味)を言う人がかなり多かったイメージがあります。うーん。。。
予定通りに朝5時にダッカに到着しました。まだ真っ暗なのに港は人や荷物で大混雑でした。しかし、一夜明けてホテルの屋上からダッカ市内を見下ろすと、想像したよりは混雑していなかっです。
まあ、混雑はしてますが、コルカタよりはまし。でも、やっぱりリクシャ(自転車タクシー)やタクシーやバスやバイクやなんやかんやが入り乱れていて、街歩きはしんどいですね。
バングラのリクシャはド派手な装飾です。リクシャアートなどと言われて観光ポイントにもなっているらしいです。誇らしげにリクシャと写真に納まるリクシャ漕ぎ。
まあ、デコトラのようなものなのでしょうか。
よく見るリクシャアートの映画俳優版。人気の絵柄です。
でも、僕の美的感覚だとこれは気持ち悪いのですが。。。アートですか、これ?
バラナシのガンジス川よりも遥かに汚い川で、洗濯し身体を洗い歯を磨く人達。大丈夫かいな。。。
コルカタで知り合い、ダッカでも一緒に行動していた伊勢出身の二人組みKヘイ、Kスケの二人組みが、バングラ人に囲まれているところ。
道を聞いたり、買い物をしたり、写真を撮ったり、などの旅行者的行動をすると、すぐさまその辺にいるバングラ人たちが「なんだ、なんだ?」という感じで集まってきます。片言の英語で話しかけてくる奴もいれば、ベンガル語で何かをまくしたててくる奴や、ただただ無言でじろじろ見てくる奴など、いろいろです。好奇心と歓迎とボクシーシ要求などのごっちゃになった感じです。でも、想像していたよりも囲まれる回数は多くなかったです。もっと四六時中バングラ人に囲まれて過ごすことになるのかと思いきや、そうでもなくて一日にせいぜい2、3回というところでした。なので、それほどバングラデシュでは疲れを感じなかったです。
ダッカを後にして向かったのはバングラデシュ北東の町シレットです。そのまま北東に抜けてインド北東部のメガラヤ州を目差したのです。そのシレットで泊まったシングルの部屋。
トイレ・シャワー付きで一泊135円。過去最安でした。バングラデシュは本当に物価が安い国でした。
インドとの国境の村タマビルの牧歌的な風景。
のーんびりしてます。
バングラデシュを総括すると、「インドの一地方都市」的な印象です。もちろんムスリムの国なのでヒンドゥーのインドとは人の印象が違うし、河川や森林が多くて風景も違うのですが、食べ物や人の顔がインドとほとんど同じなので違う国に来たという感じがあまりしなかったです。インド国内を移動しててもヒンドゥーが多い町、シク教徒が多い町、ムスリムが多い町、と特色があるように、ここもそんなインド旅行の延長線のような印象でした。インドからわざわざ独立したバングラ人に言ったら怒られそうだけど。でも、次に訪れたインド東北部のメガラヤ州の方がよっぽどインドっぽくなかったですね。
<バラナシ>
何といってもインドのハイライトといえばバラナシです。ガイドブックでも”最もインドらしい場所”として紹介されています。旅に出る前に考えていた”世界一周中で絶対行きたかった場所”の一つです。(他には、ダハブ、ニューヨーク、カトマンドゥ、フンザ、カイラスなど)
バラナシは、ヒンドゥー教の最大の聖地です。そのためか、他の町ではよく見かけたイスラム教徒やシク教徒は少ないような気がします。その代わりヒンドゥー濃度がとても濃く、そのために最もインドらしさが感じられるような気がします。つまり、ヒンドゥーの持つ特徴の”生まれつきの階級や差別が存在していて、それらを受け入れ、その枠組みの中で全力で生きる”ということ、そういう社会の仕組みによって生み出される何か混沌とした雰囲気が、とってもインドっぽいのではないかと思います。
聖なる動物・牛も他の町とは比べ物にならないほどたくさんいます。そのせいであらゆる道という道は牛の糞で覆われています。糞を踏まずに道を歩くことは不可能です。できるだけ踏んでも安全な発生してからの経過時間が長い糞(乾燥が進んでいる)を選んで、そこを踏むようにして歩きます。少しでも油断しようものならば、できたてのしっとり・ねっちょりのツヤツヤした糞を踏んでしまうことになるでしょう。
バラナシといえばガンジス川。独特の雰囲気です。
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ガンジス川の日の出。
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朝早くから賑わうメインガート。ガートというのは川沿いに作られた階段や建物。
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火葬場のガートなんかもあります。撮影禁止ですが。
朝日を受けるガート。
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バラナシが最も綺麗な瞬間らしいですが、本当に美しかった。
早朝、極寒の中、泳ぐスキンヘッドのおじさんと沐浴する人たち。
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インド人は、普段寒そうにしているので寒さに弱いのかなと思っていたけど、ガンガーでの沐浴だけは別なのでしょうか。
喧騒のど真ん中で佇む牛。なんとなく神々しい雰囲気でした。
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たくさんいる牛の中で最も印象に残った顔だけ白い牛
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狭い路地で水牛の団体に出くわして、びびります。
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セーターを着た可愛いヤギ。
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バラナシでは、なぜか服を着せられているヤギをよく見かけました。流行っているのか?
バラナシ駅のホームを歩く牛。
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電車が来たら轢かれると思うけど、大丈夫なのだろうか。
<コルカタ>
前の「インド下痢」の記事で書いたように、コルカタでは正月早々思いっきり下痢で体調を崩したこともあり、良い思い出はあまりありません。なんせ、着いた初日に道を歩いていると鳥のフンがシャツに落ちるという最悪のスタートでした。安宿街のサダルストリートの宿に泊まったのですが、道路工事か下水工事かをずっとやっていて、粉塵がすさまじく50m先ですら霞んで見えない状態で、しかもドブの匂いまで漂うと言う、劣悪な環境です。その中で3日間下痢で寝込んで体力が落ちた僕には、ここは厳しすぎる環境でした。
ただ、去年のアフリカの旅でエジプト~タンザニアの間で何度も顔を合わしたSくんに10ヶ月ぶりに再会できたことはとても良かったです。再会っていいですね。
パラゴンという宿に泊まっていましたが、ここは地球の歩き方にも旅行人のガイドブックにも「伝説の安宿」として紹介されているのですが、何が「伝説」なのでしょうか?誰か知っている人がいれば教えてください。
コルカタ名物人力車。
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コルカタはサイクルリクシャや牛がいない代わりに人力車がいます。年配の人が裸足で人力車を引いている姿は、ちょっと凄かった。
タクシーが多すぎて大気汚染と渋滞が半端ではないコルカタ
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洋式とインド式の折衷トイレ
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濡れていると滑って便器に足を突っ込みそうになるので、きらいです。
”伝説の”宿パラゴン。めちゃくちゃ韓国人が多かったです。
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ということで、一旦インド横断の旅は終了です。ネパールの後、3月頃にインドにはまた戻ってきて見残した久美子ハウスや、ブッダガヤーや、リシュケシュや、ゴアなどを訪れる予定です。
現在、ネパールの首都カトマンドゥにいます。想像よりも遥かに寒くてびっくりしています。でも、噂どおり日本食がおいしいです。サイコー!
年末年始の北インド横断は、ジャイプル、デリー、アーグラ、バラナシ、コルカタと周りました。
今回は、その前半戦のジャイプル、アーグラ、デリーについてです。
<ジャイプル>
インドのスタートはジャイプルというパキスタン近くの西の町からです。
そのジャイプルは自らピンクシティと名乗っていますが(なんかエロイ)、特にそんなにピンクではありませんでした。色も雰囲気も。
色はピンクというか朱色ですね。
メインストリートをラクダが荷台を引いて歩いていてびっくりしました。予想通り牛やヤギはたくさんいました。
観光名所の”風の神殿”
車の駐車スペースに牛が駐牛されていた。
シーク教のフルーツジュース屋さん
頭にターバンを巻いている例のインド人スタイルは、実は人口の2%しかいないシーク教徒のスタイルだったんですね。(ヒンドゥーが84%、イスラムが14%)髪の毛を切らないのでターバンを巻いて纏めているのだとか。髭も剃らないそうです。人口の割合としてはとても少ないけど、シーク教徒は体が大きくて(対してヒンドゥー教徒のインド人は小さい人が多い)、目つきが鋭くて存在感があるので、とても目立っています。彼らは腕力がとても強いのでインドの軍人の大部分はシク教徒だと、トリニダードで出会ったヒンドゥーの金持ちインド人は言っていました。
(そういえば、2%といっても10億の2%だから2000万人もいるのか!)
インド最初の町ジャイプルで1日過ごして思ったことは、”インドは汚い”ということです。インド人はそこら中で立ちションしてるし、牛はそこら中で糞尿垂れ流しだし。ゴミはどこにでも捨てまくるし。あまり掃除はしてなさそうだし。とにかく汚くて臭いです。それに粉塵や排気ガスで空気も汚れまくっています。ちょっと外に出ると鼻の穴は真っ黒です。いや、むしろ宿から出なくても鼻の穴は黒くなります。どれだけ空気汚れてんねん。。。僕は大気汚染に弱いので外出する度にとても疲れます。そして、この後訪れる全ての北インドの都市がジャイプル並かそれ以上に汚染されていたのでした。。。
あと、ジャイプルでは南京虫に軽くやられました。インド一泊目で南京虫。先が非常に思いやられました。幸いこの時の被害は軽かったし、その後は寝袋を使っていることもあり虫の被害はありませんが、インド手強い、というイメージがつきましたね。最初から。
<デリー>
デリーは人口10億を誇る大国インドの首都としては拍子抜けするくらい中途半端で垢抜けない都市でした。でも、バックパッカーが集まるメインバザールと言われるエリアは、小さいエリアに安い食堂や商店、ネット屋が集まっているし、インド人がわんさかいるし、物乞いもいっぱいいるし、牛もたくさんいるし、インドの混沌具合が手軽に体感できる場所なので、僕は結構好きでした。(前回のブログの写真は、メインバザールです)
僕がインドでイメージする言葉は「混沌」と「何でもあり」です。(バラナシであったインド人も似たようなことを言っていました。)
オールドデリーの大混雑
リクシャに乗ってもあまりにも混んでいるので100m進むのに5分以上かかったりします。
メインバザールの大衆食堂。
カレーが一食100円以下で食べられるし、そこそこおいしいのですが、たまに我慢できないほど激辛の時があるので、いつも一口目はヒヤヒヤします(腹に当たるんじゃないかというヒヤヒヤもあり)。自然とインド大衆食堂からは足は遠のき、中華や日本食が食べられる店にばかり行くようになってしまいました。
クリケットをする少年達
インドのスポーツと言えばカバディかと思ったら、実はクリケットでした。子供達はほんの少しのスペースを見つけてはボールとバットを持って集まってクリケットをしていました。上の写真は、一つの公園で6組くらいの少年達がクリケットをしているところです。インドらしく公園でも混沌としています。
ニューデリーの街並と髪を赤く染めたおじさん
ニューデリーで見かけたこれぞインド人!というカップルを盗み撮りしました。
<アーグラ>
インドといえばタージマハルということでアーグラに来ました。タージマハルは想像以上に白く輝いていていました。街中にサルがとても多いのが印象的でした。
やっぱり綺麗なタージマハル。昔の王様の奥さんのお墓です。
相変わらず牛も多い。この牛はしばらく商店に顔を向けていて買い物しているみたいで面白かった。
八百屋で店番する少年。
インド人は大人も子供もカメラを向けると嬉しそうにポーズをとってくれたりするので、写真を撮るのが楽しいです。それに、思わず写真を撮りたくなるような面白い人が多いです。
駅のホームに猿が普通にいてました。
次回はバラナシ、コルカタと続く後半戦です。
今はバングラデシュを抜けてインド東北部のシーロンにいます。もうすぐネパールで美味しい日本食を食べられるのかと思うとワクワクします。
インドをしばらく旅行して思ったこと。
・人が多い
・牛が多い。その他動物も(猿、リス、犬、ヤギ)
・自転車、バイク、車、リクシャなどが多い。
・交通マナーも悪い。
・牛の糞(やその他生き物の糞)がそこら中に落ちていてとても歩きにくい。
・宗教的なことをいろいろ(ヒンドゥーとイスラム、シークなど。後日もう少しこれについて書きたいです)
・食べ物はそこそこ(カレーが辛い、スイーツは甘い、ラッシーはおいしい)
・移動は結構楽
・空気の汚さ。町を歩くとすぐにのどがイガイガする。
・町の汚さ、臭い
・人は想像していたほど悪くない。人懐っこくて親切。
・宿は汚い。インド初日、いきなり虫に刺された。
・物価はかなり安い
・旅行者が多い。特に日本人と韓国人。
・物乞いが多い。しつこく、態度がでかい。
・とても面白い。
・とても疲れる。
詳細はまた後日アップします。
今後、バングラデシュ→インド東北部(アッサムとか)→ネパール→バラナシと動く予定です。バングラやインド東北部ではネット環境が全然駄目らしいので、そこは即効で駆け抜けて、ネパールのカトマンドゥで安くて美味しい日本食を食べながら、のんびりとインド編のブログを書く予定です。
首都デリー
前のブログで書いたように、イランのテヘランからアラブ首長国連邦(UAE)経由でインドへ飛びました。本当はアジアはトルコから全て陸路で旅して日本へ帰りたかったけど、イラン東部が誘拐事件などもあり危険なのと、当時パキスタンで非常事態宣言が出ていたりしたので、イランからインドへ飛ぶことにしました。ネットでフライトを検索してみたところ、最も安いのがUAE経由だったので、どうせ寄るならついでにUAEに少し滞在してみることにしました。UAEと言っても有名なドバイやアブダビではなく、シャルジャという第3の町(というか首長国)ですが。
テヘランからのフライトでの車窓風景。月面のような感じ。
写真では判りにくいけど、広大な砂漠の中に小さい町があります。
ガイドブックも事前情報も全くない状態での入国だったけど、幸い空港に地図つきのシャルジャ観光ガイドの冊子が無料配布されていたので、なんとかなりそうです。しかし、いきなり宿探しで大きく路頭に迷うことになりました。ガイド冊子を頼りに安めのホテルをしらみつぶしに当たったのですが、どこもフルもしくは料金がガイド冊子の数倍という状態なのです。バックパックが僕を置いて先にインドへ飛んでしまっていたので(これはこれで結構焦ったけど)身軽な状態だったので良かったですが、イランと違い25度はあるかという暑い中2時間以上町を歩き続けて疲れ果てました。時間は夜の10時半です。こりゃもう野宿するしかないか、人生始めての町中での野宿だけど、寝袋はないけど、暖かいしなんとかなるだろう、と公園を探しました。すぐ近くに芝生のある公園があり、そこで何人か芝生で寝転がっていたので、僕も寝転がって寝心地を確かめ、まあ悪くないな、と思っていたら、近くのブランコでぶらぶらしながら暇そうにしている三人組が声をかけてきました。
暇そうな出稼ぎインド人3人組
「公園で寝たらあかんよ。12時を過ぎると警官が来るんやで。ホテルならそこら中にいっぱいあるやないか。」
「いや予算オーバーやねん。」
「そしたら、ローラ広場に行けば安いところがあるで。まあ、なんか困ったことあったら俺の携帯に電話してや。うちに泊めたげるで。」
と言って電話番号を教えてくれました。少し話をすると彼らはインドから出稼ぎに来ているらしく、UAEで裕福に暮らしているみたいです。インドは人が溢れて職がないけど、UAEは逆に人不足で職が溢れているらしいです。今までアフリカやカリブの国でインド人移民と接してきて、彼らの傲慢で外国人見下したような態度や目つきに接してインド人が嫌いになっていた僕にとって、彼らの親切さや人懐っこさはとても新鮮でした。彼らはイスラム教徒でした。この後も町のいたるところでインド人を目にするのですが(道行く人の4割以上がインド人。アラブ人は半分ちょっとくらいしかいない。)、やっぱりみんなムスリムのようです。話しかけてくる人も多く、みんな人懐っこくてフレンドリーで、同じ出稼ぎインド人でもムスリムの人はやっぱりいい人みたいです。
そうして、彼らのアドバイスどおりローラ広場(実は空港からのシャトルバスが着いた場所)に気力を振り絞って歩いて戻り、無事インド人経営の安宿にチェックインできたのでした。(バックパックが無いので、シャワーは浴びれませんでしたけど。)
UAEとえいばドバイの都会っぷりというイメージがありますが、シャルジャもやはりオイルマネーで潤ってる感じがとてもしました。建物や道路はだいたい新しくて綺麗だし、走っている車はほとんどが新しい高級車です。商店やレストランも多数あり、大型ショッピングモールもたくさんあって物が溢れている感じです。人も多くて町には活気があります。夜の11時を過ぎても賑わいは続いていました。ただ、道行く人はほとんどがアラブ人の着る例の白いドレスなのが、唯一アラブっぽさを残している感じです。(インド人は白ではなくて、色や柄の入ったものを着ていたのが面白かったです。)
シャルジャの繁栄の象徴クリスタルタワーと巨大ショッピングモール(左手前)
象徴というわりにはタワーは低いですが、三本も建っているし外も中も非常に綺麗でした。
アラブのヨドバシカメラEMAX
夕暮れ時は海辺に集まって和みます。
モスクと公園
UAEでは、インド人と会話をし、インド人経営の宿に泊まり、インド料理を食べ、目前に迫っているインド旅行の予行演習となったのでした。もちろん、インドはそんな甘いものではなかったと今は痛感しているのですが。。。
※どうでもいいことですが、できればこれを最後の空路移動にしたいと思っています。理由は南北アメリカや日本一時帰国で飛行機を使いすぎてお金が無くなってきたからです(強盗や盗難も大きいけど)。飛行機はやっぱり高い。それに、空路移動は事前にチケットを買うのが面倒くさいし、陸路移動に比べるとなんだか味気ないですしね。ミャンマーなどの陸路移動が難しい国にどうしても行きたくなった場合はまた飛んじゃうかもしれないけど。
※遅くなりましたが、去年の年末を過ごしたイランについてです。
世界で最も旅人に親切な国と言われるイラン。そういう評価がある一方で、「あの国は最低だ。超うざい。」という人もたまにいたりして、評価が両極端に別れる国でもあります。(イスラム圏全体的にそういう傾向がありますが)
僕の場合はどうだったかと言うと、、、
まず、入国して最初の移動(夜行バス)の時、レストランで休憩中に同じバスの乗客がいきなり夕食をおごってくれるという事が起こりました。それも、バスの席が離れているし、ほとんど会話をすることもなく、です。こんな事はアフリカ以来です。さすがイラン、めちゃくちゃ親切だな、というスタートです。
次の夜行バスでは、僕の席の周囲全員10人くらいが、外国人である僕に興味津々で、乗務員も含めてみんながじろじろと見てなにやら囁いたりしています。たまにペルシャ語で何かを言ってくるけど、全然意味がわかりません。なんかうざいなあ、と思っていると、その中に英語が少し話せる中年のおじさんがいて、彼がみんなを代表するような形で僕に話しかけてきました。
「どこから来た?アフガンか?」
「いや、日本だよ。」(イランやトルコ東部では、なぜかしきりにアフガニスタン人と思われた。)
ということから始まり、やんややんやの質問攻めが始まりました。周りの英語が全く話せない奴は、その片言の英語が話せるおじさんを通訳にして、なんやかんやと聞いて来ました。そして、同じく少しだけ英語のできる青年が、僕の隣へ席を交替までして通訳に精を出し始めました。
「名前は?」「父親の名前は?」「母親の名前は?」「兄弟は?」「兄弟の名前は?」「結婚は?」「仕事は?」「イランはどうだ?」「食べ物はどうだ?」「どこへいくのだ?」「その後は?」「ゴム(質問者が住んでいる町の名前)には来ないのか?」「音楽は好きか?」「イランの女は好きか?(ニヤニヤ)」etc
僕の四つ前の席の乗客までが後ろを向いて僕らのQ&Aをニコニコしながら聞いています。なんて人懐っこい人たちなんだろう。終いには5つくらい前の席から、そこそこ英語ができるビジネスマン風の人が満席のバスの中をわざわざ移動してきてちょっと高度な質問をするようになってしまいました。しかし、そのビジネスマンの「イランの核開発問題をどう思う?アメリカとイラン、どっちを支持する?」なんていう微妙すぎる質問が来て、「詳しい事を知らないから。。。」とお茶を濁した回答をしたことを機に、徐々に僕に対する好奇の視線は納まっていきました。時計を見ると11時を過ぎていて、2時間もこうして問答していたことに気付きました。面白い経験だったけど、疲れました。騒ぎが落ち着いた後も、僕の隣の席の少しだけ英語の話せる青年は、自分の携帯電話に登録してある写真を見せてくれたり、音楽を聞かせてくれたりし、今夜はゴムに来て自分の家に泊まるように誘ってくれたりもしました。その時は急いで移動したかったので、その申し出は断ったけど、その後もレストランでの休憩時にはお茶もおごってくれたりして、「なんてイラン人は親切なんだろう」という印象を強めました。
その後も、イランでは親切が続きました。チャイハネ(イランの喫茶店)でお茶を飲めば、隣の席のイラン人達が僕の席へ移動してきて、チャイやお菓子をご馳走してくれるし、夜行バスに乗れば、隣の席のおっちゃんがいつのまにかジュースやお菓子を買って僕のところへ持ってきてくれるし(それまで全く会話していないのに)、バスで全然席の離れているにーちゃんが、休憩時にふとノンアルコールビールを2本持って現れて1本を僕にくれるし、商店で水とお菓子を買っていると、たまたまそこにいた別の客のおじさんが僕の分も支払ってくれるし、その他、10日間の間に、ここに書ききれないくらいの親切を受けました。イラン万歳、です。
夜行バスで出会った親切な青年(彼もシステムエンジニア)とイラン製ノンアルコールビール(禁酒国なので)
ノンアルコールビールは、美味くもないが不味くもないという感じです。
チャイハネでチャイやお菓子をくれたおじさん達。なんと写真の右の人はシャープの社員だそうです。シャープのメモ帳ももらいました。
彼らはムスリムにかかわらずお酒が大好きらしいです。「どこで酒を買うの?」と聞いたら「ヒミツの場所だよ。あっはっは。」と答えました。
ということで、僕としては、イラン人にかなり好印象を受けました。たーまに、すっごいうざい人もいるけど。でも、全体としては、みんなフレンドリーで人懐っこく、外国人に興味津々で、思わず話しかけたりせずにはおれない、という感じで、しかも自国イランをとても誇りに思っているみたいで、旅人にもイランを好きになって欲しいからなのか(もしくはイスラムの教えからなのか)親切にせずにはいられない、という国民性だと思いました。
あと、昔日本で働いていたという人がたまにいて、町を歩いていると「日本人ですか?」と日本語で頻繁に声をかけられ、日本語で立ち話なんかをするのもまた楽しかったりもしました。
また、イランは観光面においても実力者であります。
◆テヘラン
まずは、首都のテヘランです。
テヘランの繁華街
テヘランは、まあそれほど観光的な見所はないのですが、ドライバーの運転の凶悪さがエジプトのカイロと互角かそれ以上というのが印象的です。道を渡る時、走っている車の間をすり抜ける必要があるので多大な精神力を要します。
あと、女性は例のイスラム的黒装束だけど、男性は完全に洋服なのが変な感じです。女性も、スカーフで髪の毛を完全に隠すのではなく、額の生え際をさりげなく見せて、しかも髪を染めていたりして、イスラム法をかいくぐるおしゃれテクニックを発揮していました。
イランは世界でも珍しい宗教国家ですが、イスラムの厳格さという意味では、そんなに厳しくなさそうな感じです。見た目上は。やっぱり自前の工業を持っているし国が物質的に豊かなので、あまり宗教的にシビアではないのかもしれないですね。多分。
旧アメリカ大使館の壁の絵。
このように、アメリカ(やイスラエル)を呪うかのような絵やメッセージがずらっと書かれています。しかもメッセージは、ホメイニ師のように国の象徴のような人やその他歴とした権力者が発した言葉として、痛烈なアメリカ批判(または呪い)が書かれており、やり過ぎ感が否めません。(アメリカ大統領のイランに向かっての「悪の枢軸」発言もたいがい酷いけど。)
しかし、実際イラン市民は、そんなにアメリカが嫌いなわけでもなさそうで、テレビではアメリカ映画がしょっちゅう流れています。
◆エスファハン
次は、イラン観光のハイライト・エスファハンです。
「エスファハンは世界の半分」を象徴するエマム広場
広くて人が少なくて綺麗で清潔で、感じの良い場所でした。
その広場にある綺麗なモスク
その近くにある綺麗な橋
イランの(元)名物チャイハネ(喫茶店)
近年、水タバコが禁止されたためにイランのチャイハネほぼ全滅しているみたいです。ちなみに、ちょうど僕が滞在中に公共の場所での普通のタバコの喫煙も禁止されたみたいです。
エスファハンは、テヘランのように混沌としていなくて、非常に過ごしやすい場所でした。とにかく雰囲気が明るくて、人は観光客慣れしているけど親切でフレンドリーだったし、気持ちよく過ごせました。しかし、宿で同室だったチェコ人から、以下の話を聞いて僕の気持ちは萎えました。
「エスファハンは、とにかくついてないんだ。俺は体調を崩してこの一週間寝たきりだし。隣のベッドのオーストリア人なんて、この間接触事故を起こしてたし、しかも風邪で体調を崩してたな。それに1週間前、ここのバスターミナルでフランス人が強盗に刺殺されたらしいぜ。全くエスファハンはついてない町だ。」
と聞いた次の日に同部屋にチェックインして来た日本人も体調が悪いみたいで、ベッドにもぐりこんでずっと咳をしてました。
これ以上エスファハンに留まるのはまずいと思った僕は、すぐに次の目的地マシュハドへ向かいました。
◆マシュハド
マシュハドはイランのイスラム教の最高の聖地とされるハラムという巨大宗教施設がある町です。あいにくの雨の中、寒さに文字通り震えながらハラムを観光しました。
昼も夜も観光したのですが、夜の方が人も多く熱気に溢れていました。エマム・レザー廟という聖人の廟へ泣き喚きながら必死に群がるムスリム達は迫力ありました。
そして、夜のハラムはディズニーランドのようにライトアップが綺麗でした。
◆おまけ
イラン定食
イランは食のバリエーションが少ない国として有名です。写真のチキン+ライス(またはケバブ+ライス)ばっかり食べていました。美味しいです。
あと、お菓子が安くておいしかったです。
追伸:体調は随分良くなりました。それにしてもインドは空気が悪いですね。外を歩くとそれだけでまた病気になりそうです。近々UAE編もアップできればいいなあ、と思っています。
<食事中の方注意>
ついにインドで下痢をゲットしました。
さすがインド!人生で最も酷い下痢ですわ。
3日寝たきりだったけど、薬を飲んで随分良くなったのでホテルから徒歩一分のネットカフェまで大冒険の気分でやってきました。いつ漏れるかヒヤヒヤしながらですわ。
そんなに腹が痛いと言うわけではないのだけど、とにかく水のような便が出続けてます。1日に30回くらいトイレに行ったかな。部屋のまん前がトイレでホントに良かった。(ただし、その部屋にはネズミが這い回ってるけど)
原因は多分屋台で食べたヤキソバかラッシー(ヨーグルトジュース)です。しばらくはインドの屋台で食べることはないでしょう。
ココナッツ水がお腹に良いとホテルの人が言うので毎日飲んでいます。これを飲むと少しだけ元気になったような気がします。
ベネズエラやイスタンブールでインド経験者の旅行者達とインドの下痢について随分と会話が盛り上がったものですが、これほど酷いとは思いませんでしたよ。昔から良くお腹を壊す方だったけど、こんなのは始めてです。ああ、つらかった。
では、みなさんも体調には十分気をつけてくださいね。
今年の新年はインドで迎えました。
去年のエジプト同様あまり新年という感じのしない年明けです。雑煮もおせちも着物もかくし芸もないんですもの。
でも、インド人は大挙してヒンドゥー寺院に押し寄せていました。インド人も初詣するのでしょうか?
今のところ、お腹は壊していませんし、旅行会社に監禁もされていないので、快適で順調なインド旅行です。いつ腹痛が来るのかとびくびくはしてますが。
インドの詳細や写真は、イランとUAEも含めて後ほどアップいたします。(イランの後、UAE経由でインドに飛んできたのです。)
それでは、今年もよろしくお願いします!!!