ミュンヘンでなおくんと遊んだ後の予定はかなり悩んだのですが、結局パリに行くことにしました。2度目のパリです。1度目は9年前の大学の卒業旅行です。その時はすさまじい下痢に襲われ3日の観光のうち1日をベッドで寝て過ごしたためルーブル美術館とか行ってないのです。今回はそのリベンジということで、ルーブルやヴェルサイユなど前回行ってないところを行く予定です。
ミュンヘンから夜行バスで11時間、早朝6時にパリに着きました。パリは朝が遅く、まだ真っ暗です。同じバスだった日本人女性二人と宿を探して、幸運にも中心から近くてかなり安い宿を発見しました。彼女たちは明日からスペインに語学留学するらしいです。スペイン語。僕も南米周遊に向けて今頃は勉強を始めている予定だったのですが、スタート地点のアムステルダムで教材を無くしてしまったので、全然進んでいません。もっとも、英語が全然できてないので、当然そちらが優先なんですけどね!
まずは朝からルーブルへ。お、人が少なくてラッキー!と思ったら火曜日は定休日でした!しょぼーん!仕方ないのでオルセー美術館へ。でも、長蛇の列ができていたので、中止です。町をぶらぶら散歩しました。
パリは、旅行者と話をしていると、「やっぱりパリはすごい」という人が多いです。テレビや雑誌なので、既に見知っていても、パリはやっぱりヨーロッパ最強の観光地です。なんだかんだでちょっとテンションが上がります。
というのも最初だけで、2度目だし、ヨーロッパ風町並みも飽きてきてるので、テンションは昼ごろにはすっかり落ち着いていました。。
なおくん夫妻にパリにはラーメン屋があると聞いていたので、昼食にはラーメンを食べました。美味かった~。白人や黒人の店員さんも「いらっしゃいませ」と日本語をしゃべっていたし、客も半分くらいは日本人でした。
夕方ごろに再度オルセーへ。今回は閉館間近なのですっと入れました。印象派の名作ぞろい。「あ、知ってる!」という絵がたくさんありました。中でもルノアールの有名な舞踏会の絵は生で見るとやっぱり素晴らしかったです。
↓オルセーのベランダから見た風景
夕食は、これまた日本食屋「江戸っ子」へ。焼き鳥定食が美味かった~。いや、こんな食事ばっかりでは旅人としておかしいとは思うのです。自分でも。しかし、パリでフランス料理を食べると日本料理の1.5倍くらいしよるんですよ。なので、仕方なく日本料理を食べてしまうというわけなのです。ね、仕方ないでしょ。(言い訳)
↓中華料理屋のメニューの日本語が割りと意味不明です。「海の幸のはべもの」って・・・
次の日の昼食も同じラーメンでした・・・半カレーセット
次の日ついに念願のルーブルへ入りました。
あまりにも広いので見たいところを絞って見ろという教えに従って、まずはモナリザを目指します。途中、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケなどの彫刻の前を通ります。そして、肝心のモナリザとご対面!なのですが、特に何の印象も残りませんでした。ダヴィンチ・コードも読んでないですしね。
やっぱり広くて回っているうちに完全に疲れてきました。椅子に座って休憩しているといつの間にか寝てしまっていました。気を取り直して再観光。この日最も素晴らしいと感じたのは、ジェリコーの「メデューズ号の筏」です。
まず、絵がでかい!そして、筏の存在感、人の生命のはかなさ、にしびれました。なんとドラマチックな絵なのでしょう。ドラクロワの民衆を導く自由の女神もすごく良かったのですが、この絵の近くだったので少し迫力不足に感じるくらいでした。
パリは今まで旅した国の中ではダントツに日本人が多くて、宿も日本人だらけです。食堂でも英語やフランス語以上に日本語会話が飛び交っています。いろんな日本人の人たちと話せて楽しい滞在になりました。パリ自体は二度目なので、あまり感動はなかったかなぁ。日本食やラーメンが食べれて良かったです。
↑ネットカフェではいつもこんな感じでPCつないでアップしています。
ミュンヘンは今オクトーバーフェストというお祭りの期間中です。この祭は、ただ集まってビールを飲むというだけなのですが、全世界から、のべ700万人もの人が集まるそうです。そのため、ホテルも安宿もどこもかしこも人で溢れ返っていてとても予約ができるよな状態じゃありませんでした。でも、なおくん(Kくん改め。ハンブルグでお世話になった大学時代の友人。)が、金曜日から家に泊めてくれるという、ありがたいメールが!遠慮なくお世話になることにしました。彼は9月に、ハンブルグからミュンヘンに転勤して来ていたのです。金曜の夜は奥さんの美味しい手料理(豚のしょうが焼き!)をいただきました。次の日の朝、なおくん夫妻とオクトーバーフェストへ出陣しました。
上の写真の通り朝からすごい人手です。会場にはなんとかなり本格的な遊園地が設置してあり、観覧車、ジェットコースター、フリーフォールなどなどかなりの数の乗り物があります。そのどれも結構大きくて迫力あります。なおくんたちが言うには、その作りは結構ちゃちくて、毎年事故が起きてるそうです。でも、ドイツ人は適当だから、特に問題にもならずに毎年同じように営業してるらしい・・・。
食べ物の売店はそこらじゅうあるのですが、ビールは醸造所直営のテントに入らないと飲めないみたいです。そういった巨大テントがかなりの数設置されていて、そのどれもが大行列です。とても1時間やそこらでは入れなさそうです。仕方なく売店で鳥の丸焼きとコーラを買いました。客層は噂どおりイタリア人の団体客はかなりの数いましたが、日本人はほとんど見かけませんでした。半ズボンや民族衣装のドイツ人達もいっぱいいます。
午後からは、サッカー・ブンデスリーガでバイエルン・ミュンヘンの試合を見るためにスタジアムへ移動しました。チケットは先の先まで予約で埋まっているので、ダフ屋狙いでいきました。
買ったチケットの値段は、なんと、100ユーロ!(1万5千円!)なかなか2枚連番のチケットは無くて、泣く泣くおっさんの言い値で買いました。席はメインスタンド(もしかしたらバックスタンド)の中央で、すごく見やすかったです。
(マスコットのくまと)
<しばらくサッカーの話が続きます。興味の無い方、すいません>
相手チームはアーヘンとかいう聞いたこと無いチームで、一方的にバイエルンが攻め立てる展開。特にボランチに入っているオトルという新鋭選手が抜群のテクニックで中盤を組み立てていました。彼は、そのうちきっと世界的な選手になるでしょう。しかし、アウェーのアーヘンがFKからラッキーなゴールで先制しました。これで、面白くなるなと思ったら、すぐにバイエルンがCKからピサロのヘッドで同点に。この日彼は終始鋭い動きで、攻撃を活性化していました。そして、後半この日攻撃的な位置で起用されていたファンボメルのミドルシュートが炸裂してバイエルンが逆転!この時のスタジアムの盛り上がりは凄かったです。結局2-1でバイエルン勝利でした。試合内容の方は、かなりハイレベル。バイエルンはDFからのロングボールは一切使わずに全てボランチのオトルを経由したすばやいパスワークで攻撃しています。サイドからも中央からもバリエーション豊かに攻めて、ほとんどがシュートかラストパスで攻撃を終えていました。ストライカーのマカーイやサンタクルスが不調で2点しか入りませんでしたが。イラン代表のカリミは残り10分ほどで登場。でも、周りと全くかみあわず。。。
夕方から再度オクトーバーフェスト会場へ。テントには結局入れなかったので、屋外のテーブル席へ。ここでも席は無いのですが、親切な外人が僕らのためにビールを注文してくれました。(テーブルに座っていないと注文できないシステム)バイエルンのユニフォームを着ている東洋人が珍しいのか、次から次へと外人が話しかけてきます。おかげで楽しい夜を過ごしました。
↑昔アーセナルのユースチームにいて、今はアーセナルの会計の仕事をしているというモロッコ人と。(アーセナルというのはイギリスの有名サッカーチーム)
↑最後にフリーフォールに乗りました。
次の日は3人でイングリッシュガーデンへ。緑溢れる巨大な公園です。下の写真では判りにくいですが、裸の白人がたくさんねっころがってます。中には本当に素っ裸の人もいて、びっくりです。
この日も昼から屋外のビアガーデンでビールを飲んで贅沢な時間を過ごしました。
この日もなおくんの家に泊めてもらい、都合3泊もしてしまいました。食事も美味しい日本料理を作ってくれて、何回感動の涙を流したか。本当にありがとう~!!!
結局インスブルックからフュッセンへは電車を1回乗り換えて、最後はバスを使えばショートカットできて、しかも値段も3分の1くらいで行けることが分かったので、めんどくさいけどその方法で行くことにしました。車窓からの風景は相変わらずきれいです。
途中の乗換駅。すごく空気が美味しくてびっくりしました。つまりめちゃくちゃ田舎です。
フュッセンでは、予約していたユースホステルに「予約されてないし、FULLだから帰れ」という怒り狂わされる出来事があったけど、文句を言いまくって近くの個人経営ペンションを予約してもらいそこへ。ツインを一人でつかって4000円というそこそこの安さと宿のきれいさに大満足。そこで、ブラジル人カップルと出会って一緒に夕食。帰りに宿を探している感じの日本人を見かけたので、僕たちのペンションを紹介してあげて、僕のツインの部屋のもう一つのベッドで泊まることに。彼は元カナダのツアーガイドで、会社を辞めてヨーロッパ旅行中だそう。
翌日は朝からノイシュヴァンシュタイン城へ。天気は快晴で、めちゃくちゃ爽やかな朝です!ノイシュヴァンシュタイン城は近くで見た外観はそんなにすごくありませんでした。昨日出会った元ガイドさんと日本語のオーディオツアーで内部を観光。中はかなり贅沢なつくりになっていました。贅沢王が作っただけのことはあります。途中廊下が鍾乳洞(のリアルな模型)になっていたのにはびっくりしました。その後、少し裏山を登ってマリエン橋から城を見下ろしました。
天気が良く、緑あふれる山にそびえたつ白い城はすばらしく綺麗でした。ノイシュヴァンシュタイン城の観光地としての最も素晴らしいところは、この立地だと思います。山の上に立ち、周りを美しい森と湖や滝に囲まれていて。その後、ここにあるもう一つの城であるホーエンシュヴァンガウに行き、湖にも行きました。
湖の白鳥は異常に人懐っこくて30センチくらいの距離まで近づいてきました。
天気に恵まれて、なかなか良いフュッセン滞在になりました。
やっと晴れましたなんだかすごい長い間雨に降られていたような気がします。(たった二日だけど)後で聞いた話だとザルツブルグ周辺はすごく天気の悪い地域なんだそうです。
今後の予定を20日インスブルック⇒21日フュッセン⇒22日ミュンヘンという風に考えて、駅へ宿の手配と交通手段の確認をしに行ったのですが、目論見どおりには行きそうにないです。まずは、インスブルック⇒フュッセンは電車では直接行けないみたいなのです。地図の赤のルートで行きたかったのに、緑のルートを取っていったんミュンヘンを経由しなければ行けないという、なんとも非効率なルートしかないそうです。(結局電車とバスを乗り継げば、赤のルートで行けることが後日わかりました。)
約2時間の電車の旅で、車窓の風景が低い山や丘のある平地から、高い山々が連なる景色へと変わってきました。インスブルックはアルプスの麓の町なのです。
インスブルックで泊まろうと思った宿は、電話で予約しようとしても「いいから、こい!」としか言わない変な宿で、実際行ってみると、受付のおっさんが、家族連れの一団とビールを飲みながらダーツをして遊んでいました。対応もめんどくさそう。息もビール臭い。「ダーツのじゃますんなや」みたいな感じ。宿にも部屋にも鍵が無く、自由に出入りしていいみたいで、西欧としては、かなりざっくばらんな宿です。こういう方が居心地はよかったりするんですが。
ガイドブックを見ると裏にある山の一つにケーブルカーで登れてアルプスのパノラマを楽しめるとあったので、そのケーブルカーに乗るために、えっちらおっちら山を登りました。45分ほど登って、そろそろケーブルカーがあるはずなんだけど・・・と思って歩いてみると、なんか線路らしきものの跡が。
いつの間にか廃線になってたみたいです。仕方ないので下山しましたが、プチハイキングのような感じで、これはこれで気持ちよかったです。
町はとても小さくて、観光の中心となるオールドタウンは15分もあれば全て回れるくらいの規模です。アルプスの山々の美しい姿を楽しんだり、ハイキングしたり、スキーしたり、というのが最大の娯楽なのでしょう。同部屋のオーストラリア人学生は、スキーをするためにここへ来たとか言ってました。まだ雪ないのになあ。
夜は宿でドイツ人の学生(哲学を学んでいる)と、日本とドイツの文化についてまじめに語り合いました。(もちろん、僕の方はカタコト英語なので、正確には伝わっていないはず。)この旅では、ヨーロッパだけにヨーロッパの学生(特にドイツ人)と同じ宿になることがかなり多いのですが、彼らは結構日本のことが好きで、日本文化に興味を持っている人が多いです。サムライとかカラテドウとか仏教とか。僕はそのどれについても専門知識がないので、本などで知った情報をカタコト英語で語っています。誤解がないように伝わってればいいなあ。この日印象に残ったのは、「ドイツの若者は今、キリスト教にはほとんど興味が無く、自分の利益を追求することしか考えていない」と彼が嘆いていたことです。
天気の回復を期待したのですが、今日も雨・・・宿は4人部屋に一人だけでシングル状態です。寂しいながらも満喫してチェックアウト時間の11時までぐだぐだしてから、渋々観光へ。岩塩の採掘場は、雨の中坂道を20分以上歩かなければいけないし、4時間くらい時間を取られるので結局却下して、昨日言ってない町の北側ゾーンをぶらぶら歩きました。第二の観光スポットのボーン・ハウスへ。
1200個もの頭蓋骨が装飾を施されて設置してあります。
↓バラの絵とか名前、没年などが書かれています。
ここは、墓場の敷地が限られているので、お墓に10年くらい入った後にそこから取り出して、装飾した後、ここに安置するということだそうです。今までエジプトやペルーでミイラや骨を見ましたが、それらと比べるとあまり暗さが無くて、逆にかわいらしい感じでした。
↓周辺のお墓もかわいらしい
これで、ハルシュタット観光は完了です。
本当はすぐにでもノイシュバーンシュタイン城を見にフュッセンに行きたかったのですが、バックパックをザルツブルグの駅のロッカーに置きっぱなしなので、昨日来た道を引き返してザルツブルグへ。
駅でフュッセン行きの電車を調べると22:45着がありました。そこから宿を探すのは無理なので事前にガイドブックに書いてある宿を予約することに。しかし、その宿が言うには、22:30に閉まるのでそれまでに来なさい、と。ガイドブックにはその宿しか書いてないので今日中にフュッセンに行くことは却下しました。それならばとフュッセン行きの拠点になるミュンヘンで宿を探したのですが、オクトーバーフェストがすでに始まっているからなのか、どこも満室です。それならばと、趣向を変えてフュッセンに近いオーストリアの町インスブルックを検討したのですが、なぜかインスブルック行きの電車の便が少なくて、到着が23:00近くになってしまい、これも宿が閉まってしまい、無理ということが判明。ここまで行き先を閉ざされるとは・・・。仕方なくザルツブルグでもう一泊することにしたのですが、今ここは自転車レースのワールドチャンピオンシップが開催されているみたいで、宿が見つかるかどうかかなり不安でしたが(最悪24時間営業のどこかの店で徹夜か)、かろうじて4500円のシングルが見つかり、ホッと一息です。そういえば、これで3日連続でシングル(うち1日はドミに一人)に泊まっていることに。ここまでずっとドミトリーで誰かしらと同部屋だったので何か会話をしていたのですが、この3日間ほとんど誰とも会話をしていません。宿や駅での事務的会話や、道を聞いたり聞かれたりを除いて。ヨーロッパを旅していると、同じ部屋の人とくらいしか会話することがないので、シングルに泊まると誰とも会話することなく一日が終わることになりかねないのです。それが3日も続くなんて・・・
精神的に疲れた一日でした。
↓ボートから見た町
↓霧のかかった町
ハルシュタットの町はすごく小さく(マクドがないくらい)湖に沿って細長い形です。後ろは山に挟まれています。どの家もおしゃれでかわいらしく、花を飾ってたりして良い感じです。でも、木造の家が多いし、道が細くて階段が多いので、日本の田舎の港町に似てるなあと僕は思いました。(岡山県の日生とか(僕の本籍地))
↓ちょっと日本っぽくないですか?1281
この町の最大の見所は岩塩の採掘場なのですが、のんびりランチを食べてると、3時で閉まってしまっていました。なんと寒い・・・あまりにもがっかりしたのでこの後ザルツブルグに戻ってそこから移動する気力が無くなり、ここで一泊することにしました。ほとんどの荷物はザルツブルグの駅のロッカーですが、まあ、一泊くらい大丈夫でしょう。
この宿はなんと滝のすぐそばにあり滝に面した僕の部屋はものすごい轟音に包まれていました。窓をしめると多少ましになるのですが、常にゴーッという音が聞こえています。やっぱり夜中3時に目が覚めて、なかなか寝付けないし、寒いしでつらい夜を過ごしました。とにかくいろいろと寒い一日でした。
今日は晴れてます
ウィーンから電車で3時間少しでザルツブルグへやってきました。ここの町は見所はそんなにないのですが、ここを拠点にザルツカンマーグートという映画サウンドオブミュージックの舞台にもなった湖の町へいくことができるのです。
観光の中心となるオールドタウンはとても小さいです。しかし、ここは物価が高い!ペットボトルの水は300円、外食も1500円以上、ネットカフェは1時間で1800円です。観光の中心地から外れると多少安くなるので、食事やネットは全部そこでしました。
フェスタング・ホーヘンザルツブルグという丘の上の要塞からの眺めは良かったです。
ランドリーがある宿だったので、午前中は洗濯をして午後から観光へ出かけました。昼食はプラハで日本食に目覚めたので、この日も宿の近くの日本食屋に言って巻き寿司を食べました。涙が出そうなほどおいしかったです。
↓すし
ウィーンと言えば芸術の都。モーツァルトやベートーベンなどの音楽家や、クリムトやシーレといった画家などが活躍した場所です。美術好きな人には見所はかなり多いのですが、僕はクリムトとシーレに的を絞って観光することに。ベルベドーレでクリムトとシーレの絵画を堪能し、セセッションハウスでクリムトのベートーベンフリーズを見学しました。クリムトは日本でも写真でその絵画を見ることが多いのであまりインパクトは受けなかったのですが、シーレの暗く悲観的な世界観がキャンパスいっぱいに広がった絵画は印象に残りました。期待のベートーベンフリーズは、空白部分が思ったより多くてびっくりしました。でも、残っている部分は、かなりすごかったです。
↓セセッションハウス(分離派会館)
夜はせっかくなのでオペラ鑑賞に行くことに。立ち見だと500円くらいで見れるのです。1時間ならんでチケットを買い、立見席の場所取りへ。すごく小さいスペースにものすごい人数が押し込まれています。なんとか手すりにウィンドブレーカーをくくりつけて外へ脱出しました。夕食を取って戻ってきてオペラの開幕です。とにかく人口密度が高い立見席は、暑くてしんどいです。なかなかオペラに集中できません。休憩を入れて2時間半の劇なのですが、30分ほどすると次々とギブアップした観客が帰っていきました。おかげで空いてきて楽になりました。オペラ自体も言葉がわからないので、いまいちぴんと来ないです。(半分以上終わってから手すりに英語かドイツ語の字幕がでていることに気づきました。)ただし、悲劇の女王(と思われる)役の主演女優(リサという名前みたいです)の声は、めちゃくちゃすごかったです。これは心に突き刺さりました。劇中はあまり感動しなかったのですが、終幕後、鳴り止まないカーテンコールに、「すごいものをみたのかも」とちょっと的外れな感動をしました。
↓一番下の小さいスペースに200人近く押し込まれました。
↓鳴り止まないカーテンコールに応える主役級の人たち。左から二人目がリサ(すごい声の持ち主)。
なんとこの日もプラハは快晴です
この旅初めて二日酔いになり、重たい頭と胃を抱えてなんとかバスに乗りました。
そして、この旅初めて移動でのちょんぼをやらかしました。乗ったバスが直接ウィーンに行くものだと思っていたのですが、チェコの国境近くの町でバスを乗り換えなければならなかったみたいなのです。そんなことは知らずにバスを降りてブラブラしてると、どうも様子がおかしいことに気づきました。なんかウィーンっぽくないなあと。それでチケット屋に確認して、バスを乗り換え損ねた事実に気づいたのです。しかも「今日のウィーン行きのバスはもうないよ。さっさとどっかいきな!」みたいな感じで追い払われました。しかたなく駅を探すと徒歩3分のところにちょうど駅があり、しかもウィーン行きの電車が45分後にあるという幸運なことに!この良くわからない町に一泊することを覚悟していたのでこれはかなりうれしかったです。電車のチケット2600円は勉強代ということで。
宿にチェックインして部屋に入ると白人がいたのであいさつをしたら、なんと無視されました。こんなことこの旅行初めてです。ちょっと凹んでいると、「こんばんは」と言う声が。なんとその白人の向かいの席で元会計士のTさんが、インスタントラーメンを食ってるじゃないですか!プラハ以来2回目の再会なのですが、同じ部屋で再会っていうのは、心底びっくりしました。同じ宿とか駅でばったりとかは、東欧旅行者同士結構あるのですが、この同じ部屋っていうのには本当にびっくりです。この出会いのおかげで、バス乗り損ねも無礼な白人のことも、吹っ飛びました。二人で旅の話をしながら夜の街を観光して夕食を食べました。旅の話をしていると、どんどん行きたい所が増えるので、困ってしまいます。Tさん、是非また会いましょう!!!今度はギリシャかアフリカか南米か・・・
今日も快晴ですプラハに2泊するか3泊するか迷ってたのですが、ブログの引越しを片付けるのと今後の予定が全然決まってないのでそれを考えるということをするためにもう1泊延泊することに。
9月23日(土)にハンブルグでお世話になった大学時代の友人なおくんとミュンヘンで遊ぶことになっていて、そのためにどういうルートを通るか考えて、プラハ⇒ウィーン⇒ザルツブルグ⇒フュッセン⇒ミュンヘンのような感じで行こうかなと漠然と決めました。
バスステーションへ向かったのですが迷いに迷って徒歩10分のところを2時間かかりました。いろんな人に道を聞いても、みんな知らないか適当に嘘を教えるんだもんなあ。
ネットカフェで4時間かけて(2000円もかけて)ブログの引越しと今後の予定の調査をいろいろしました。
夕食はこの旅初の日本料理屋に行くことに。昨日店の前を通ったときから、親子丼やとんかつなどのメニューにすごい魅かれててがまんできなくなっていたのです。親子丼と緑茶を頼みました。1500円くらいしたけど、大満足です!味噌汁も親子丼も完全に日本の味!うまい!うますぎる!バンザイ!ビバ親子丼!そこのシェフが日本人の方だったので1時間ほどいろいろと話しました。ユニークな人生を送ってる人で「本業は画家なんだけどね」と言ってご自身の絵葉書を頂きました。色がきれいで印象的な絵でした。
↓親子丼
夜の街をぶらぶらして(手足を掻きむしりながら)12時くらいに宿に帰ると例のアイリッシュ達に飲みに誘われました。宿でウォッカを2杯飲んでから、前日のリベンジということで今日は一緒に外に繰り出しました。バーを2件はしごして、ヨーロッパ版カラオケに行って(バーカウンターにカラオケ機が1台あるというスタイル)、昨日行けなかったクラブへ。10年前に戻った気分で踊りまくりました。そもそも彼らには僕は23歳だということにしておきました。今まで31歳というと、白人たちはいつもちょっとびっくりして変な空気になる(え?21歳の言い間違いじゃないの!?みたいな)ので、これからは白人に対してはサバを読むことにしたのです。結局朝の5時までくたくたになるまで遊びました。プラハ最後の夜は最高の夜になりました。アイリッシュたち、ありがとう!!!
なんとこの日も快晴!気分良く二日目の観光です。とはいえ虫刺されは悪化してきてかなり痒いです。
ミュシャ博物館に行きました。実は僕はここに来るまではミュシャは知らなかったので入場するかかどうか迷っていたのですが、併設されているみやげ物屋で作品を見て、とても魅かれたので金を払って入場することに。彼はポスター絵画で有名になり、その後は絵画だけにとどまらず、家具や装飾品なども手がけたアーティストです。独創的で繊細な装飾が素晴らしく作品全体としてとても調和がありインパクトの強い作品が多いです。
夕方は教会内のパイプオルガンを使ったオルガンとトランペットのコンサートへ。モーツアルトも演奏したという由緒ある教会だそうです。トランペットとオルガンの熱のこもったハーモニーが胸に突き刺さり、震えました。
その後カレル橋で大道芸を見ていたら同宿のアイリッシュ軍団と遭遇しました。彼らは宿に戻ってからクラブ(ディスコ)に行くと言って、僕を誘ってくれました。夕食を食べたら合流するよと答えていったん別れました。プラハでクラブかあ。刺激的。夕食は中華料理。やっぱり中華はおいしいですね。せっかくなので違う道を通って帰ろうとしたところ道に迷いオープン写真展の場所へたまたまたどり着きました。ここはある写真家が世界中を周って撮った航空写真を環境問題などの社会問題とからめて展示してあるところでした。写真がすごいものばかりだったし、コメントも興味深いものばかりだったので辞書を引きながら、夢中になって見入っていました。
↑あるアフリカの風景の写真。こんな面白い写真が100点くらいありました。
全部見終わったら12時半になっていました。そこからクラブへ向かったのですが、水のペットボトル持ち込み禁止だと言われたので宿に置きに行ったのですが、いったん宿に帰るとどっと疲れが出たので、せっかくのアイルランド人の誘いをほって寝てしまいました。今思えば行っとけば良かったなあ。後で聞いたら4時半まで彼らは遊んでいたそうです。
朝7時に列車が到着。今日も快晴!今回も宿をとっていなかったのでiを探してぶらぶらしました。ここで、世界一周中の元会計士さんと再会!同じ電車だったんですね。アメリカ人が騒いで寝れなかったとのこと。僕の車両のアイルランド人といい白人はほんとにパーティー好きですなあ。
彼は別の町にすぐに移動するということですぐにお別れしました。本当にまたどこかで会えたらいいですね。
余談ですが、銀行のカードは見つかったのはいいですが、例のJTBトラベルデスクとの途中までの電話で止められていたのです。名前を言ったところでぷっつり切れたのに・・・まあ、日本人は良い仕事をするということで。なので、クレジットカードでキャッシングしてお金を下ろすつもりが、これも限度額を過ぎたということで使えない!なんとびっくり!確かにクレジットカード使いまくっていますがこんな事態になるとは・・・仕方ないのでこの旅行始めてトラベラーズチェックを駅の両替屋でチェコ・クラウンにしました。予想通りすさまじいレートの悪さです。手数料も高い。(キャッシュカードはこの後宿で電話して再利用できるようにしてもらいました。電話代700円。)
そして、肝心のiが駅にたくさんある!つまりどれも公共のものではなくて旅行代理店みたいな存在っぽいです。本当は公共のところで公正な宿の紹介をしてもらいたいところですが、仕方なくそこで宿を紹介してもらいました。
宿へ向かう途中で例のアイリッシュ軍団13人と遭遇しました。なんと彼らも同じ宿だそうです。奇遇ですねえ。
宿の設備はけっこう悪いです。直前のクラコフが良かっただけにその落差が大きいです。シャワーは湯はちゃんと出るのですが常にボタンをおしておかなくてはいけなくて洗いにくいし、全てのトイレに鍵がついてないし、トイレットペーパーは切れまくってるし、そこらじゅうが壊れているし。朝食がただなのと、切れまくりのワイヤレスがあるのでまあいいとします。
肝心のプラハ観光なのですが、これがかなりすごいです。噂以上でした。ヨーロッパ的町並みには飽きてきてたのですが、ここは完全に別格です。町を歩いてるだけでテンションが上がりまくりです。観光客が休日のディズニーランド並に多いです。なんだか中世ヨーロッパテーマパークのような感じです。いや、そのもっとスケールはでかいですね。僕は特にカレル橋が気に入りました。観光客がごった返す中露店や大道芸人達もたくさんいてそれを見てるだけでも楽しいですが、そこからの景色が筆舌に尽くしがたい美しさです。なんといってもプラハ城がそびえたつ姿が先に見えるのが素晴らしかったです。
↓カレル橋
↓プラハ城
プラハ城自体もすごく良かったし、そこから見下ろす景色も良かったです。
夜のプラハも素晴らしいです。プラハ城から見下ろす夜景も、カレル橋から見上げるライトアップされたプラハ城も、橋の架かっている川辺からみる夜景も、どれも素晴らしいです。カレル橋付近には水鳥がたくさん飛んでいるのですが、その鳥もライトアップされてまるで火の鳥が飛んでいるように見えたのも印象的でした。
↓夜のプラハ城
ブログ引越後の初投稿です。
がんばって書きますので今後ともよろしくお願いします。
「2006/9/10 クラコフ 快適な安宿でだらだら」
この日も前日のワルシャワに続き快晴です!
ワルシャワからクラコフまで約3時間の列車の旅。
のどかな田園風景になごみます。
ただし、全身100箇所以上の虫刺されにより常にどこかを掻いていますが・・・
↓しょっぱなからきたない画像ですいません・・・
クラコフに到着してホームに降りたとたん、なんと宿の客引き(老人)がやってきました!
これはヨーロッパの旅で初めてのことなのでびっくりしました。
その老人以外にも宿の客引き達がホームや駅の周辺にうようよしています。
重い荷物を背負ってさまようのが嫌だったので、結局その客引き達の中から最もホテルの設備がよさそうなところを選びチェックイン。
(受付の女性が日本語ペラペラというのにも魅かれたのですが、結局その女性はお休みで会えませんでした。)
で、その宿が今までの安宿の中では最高のサービスと設備でした。
部屋が清潔で、シャワーもきれいで、バーやラウンジもあり、スタッフもとても親切でフレンドリー、キッチンがありパンやシリアルが食べ放題、しかもワイヤレスネットワークが使い放題、その上チェックアウト後もそれら全ての施設が使えるという素晴らしい宿です。
客引きが「ホステルズワールド」というサイトで世界4位の評価を受けてるんだぜ!といってたのも納得です。
夕方までごろごろしてクラコフ観光へ。クラコフはポーランドでは一番の典型的な観光地みたいです。日本で言えば京都みたいな存在でしょうか。ワルシャワがびっくりするような大都会だったことからすると随分とこじんまりしていていい感じの町です。中世の町並みそのままといった感じで。でも、さすがにそういうものには飽きてきていますが。
中央広場。ものすごい広さ。観光客がいっぱいです。
「2006/9/11 アウシュヴィッツ見学、プラハへ移動」
この日も快晴です!
アウシュヴィッツへはガイドツアーでいくか個人でいくかかなり迷いましたが、英語の勉強もかねてツアーでいくことにしました。料金的にも個人で行くのとそんなにかわらなかったし。
ツアーの内容の一つバスでのフィルム上映50分は思いっきり寝てしまい、気がついたらアウシュヴィッツ到着です。あまりの晴天で屋外にいる間は全然暗い雰囲気はないです。
でも、屋内に入ってガイドの説明を聞いているとそのすさまじさにぞくっとします。(ちなみにガイドの英語は早くは無かったけどなまっていたので50%くらいしか理解できていません)
建物は当時の物なのですが、中を博物館として利用するために一部改装してあります。そこで当時ナチスによって何が行われたかという事実を示す展示が行われています。当時の写真や、殺された人の靴や鞄や服などの大量の遺品、毛髪によって作られた大量の生地、1m四方の密閉された部屋で4人が立って寝るという懲罰室、銃による処刑が行われた「死の壁」、ガス室、死体の焼却炉(そのすぐ隣にヘス所長の住居があったそう。ヘス所長の死刑はこの焼却炉の前で行われたという)。最も印象に残ったのは3歳~5歳児くらいの子供の服や靴などの遺品です。子供も大人と全く同じ扱いを受けて死んでいったそうです。そこにはいくつもの献花が供えてありました。
バスで第二アウシュヴィッツ・ビルケナウへ移動。ここはアウシュヴィッツの処理能力がオーバーしたので主に大量虐殺を目的として作られた広大な施設です。ドイツ軍が撤退時に証拠隠滅のために大部分を破壊したらしいのですが、いくつかの住居やガス室・焼却炉の残骸などは今も残っています。そのドイツ軍の「証拠隠滅」という考え方と、その中途半端な行為に驚きを覚えます。
↑ナチス・メンゲレ医師により強制労働とガス室送りの判定が行われた場所。メンゲレ医師は女性や双子を使った非人道的な人体実験も行っていました。彼は戦後南米に隠れ住んで最後まで逃げとおしたそうです・・・
そのほかにもここには書ききれないすさまじい事実がたくさんありました。
この日もし天気が悪ければ一日鬱に過ごさなければならなかったと思います。
アウシュヴィッツ見学の後はプラハへと夜行電車で移動です。
夜行列車ではヴィリニュスでバックギャモンで遊んだアメリカ人と再会したり、陽気なアイルランド学生の大群とビールを飲んだり、スイス在住ペルー人にフジモリ賞賛の話を聞かされたりで、なんだか面白い移動になりました。
みなさん、こんにちは。プラハの宿で書いています。
ジオシティーズからグーへブログを引っ越しました。
しばらくはここでやっていこうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。