世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

死海

2007年11月26日 06時29分37秒 | アジア
イスラエルに行く前にヨルダンでは死海に行ってきました。死海に行ったことがある人は、みんな口を揃えて「死海は楽しい。是非行くべきだ。」と行っていたので、期待に胸を膨らませて行ったのですが。。。

しかし、僕らが行った日、死海には普段ありえないような強い風が吹いていて、海には、そこにあるはずのない波が立っていたのです。普通は波の全く無いフラットな海面でプカプカと浮いて、楽しい時間を過ごすらしいのですが、波があると、、、

もの凄い浮力で浮くのですが、、、


波があるので、どうしても顔に海水がかかってしまいます。

また、この海水が非常に危険なのです。目に入ると激痛のあまり数分間は視力を奪われ、鼻や口に入ると呼吸困難に陥ってしまいます。

いつ波に襲われて、激辛な上に猛毒といってもよいあの死の水を顔に被ることになるかとヒヤヒヤしているので、全然楽しめません。


結局、海には合計10分くらいしか入ってなかったです。しかも、海から上がったら上がったで、強風のためとても寒いのです。一種の苦行なのでしょうか、これは?

しかも、無料ビーチはゴミだらけ。



アンマンでは超親切な人として有名なサーメルさんのいるマンスールホテルに泊まったのですが、僕が泊まった時期は諸事情によりサーメルさんは、それほど親切ではありませんでした。うーむ。ヨルダンとの相性はあまり良くないのだろうか。。。


ところで、今滞在しているイスラエルという国は、思ったとおりの凄いところでした。宿の居心地もいいので、もう少し長居する予定です。そんなイスラエルについては、次回のブログで書く予定です。

久しぶりのアラブです。シリア(アレッポ、ハマ、ダマスカス)

2007年11月22日 23時38分23秒 | アジア

シリアはトルコとは違って完全なアラブの世界でした。人は陽気で人懐っこくて親切で、女性は黒い布で顔を隠しているし、町は埃っぽく雑然としていて、香辛料の匂いがして活気があってドライバーの運転が荒くて、土やレンガ主体の建物の雰囲気は独特で異国情緒があり、食べ物は安くて美味しくて、物価は全体的にトルコの半分くらいになるしで、やっぱりアラブの国はいいなあと思わされます。

シリア旅行は、石鹸が有名なアレッポ、水車が有名なハマ、欧風の城クラック・デ・シェバリエ、首都のダマスカス、と6日間で駆け抜けました。

アレッポの石鹸屋。

アレッポという町は、美容に良いと評判の石鹸が安く買えるので有名です。せっかくなので買いに行ったのですが、種類が豊富すぎていったいどれを買えばいいのかまったくわからないのです。しかも、店の人が英語をほとんどしゃべれないので、判断基準に困ります。仕方なく片言英語の「ディス・イズ・ナンバー1」という言葉を信じて一つ買ったけど、なんだか泡立ちが弱いので、あんまり使用感は良くないです。

アレッポの城を観光した時、見学に来ていた学校の子供達と遭遇して「写真を撮って!」とか「握手して!」とか、あっという間に数十人集まってきてもみくちゃにされました。彼らは外国人が大好きみたいです。

僕も調子に乗って写真を撮ったり、握手をしたり、子供と遊んでいたのですが、しばらくするとカンカンに怒った先生がやってきて子供達はみんな思いっきりはたかれちゃいました。それでも、懲りずに何度も集まってくる君達はエライ。

ハマの水車

しかし、シーズンオフのためか止まっていて、水も排水が溜まっていて臭かったです。残念。

中世十字軍の城、クラック・デ・シェバリエ

小高い丘の上にあって、人も少なく静かで、なかなか雰囲気良かったです。

この城の近くにいる乗馬少女

馬に乗っていると凄くかっこよく、馬から下りるとはにかみ屋さんでかわいかったです。お菓子をあげると、それを半分にしてちゃんと馬にもあげてました。

首都ダマスカスの巨大なモスク

床がピカピカなところが良かったです。入場無料なとこも。

シリアは昔ギリシャ・ローマに支配されていたので、ギリシャ・ローマ風の建造物が多数残っています。前述の水車なんかもそうです。ダマスカスでは、アラブ風のスーク(市場)にギリシャ風の門が建っていて独特の雰囲気がありました。下の写真は、上のモスクを出てすぐのところの門で、奥がスークです。


個人的ダマスカス最大の見所は、ここ。内装が金ピカのモスク。

外から見ると普通の小振りなモスクなのですが、内部がとにかくド派手で凄いです。ディスコかここは?という感じなのです。

男性の部屋は青が基調


女性用の部屋は白とピンクでお洒落な感じです。

そんなド派手なモスク内では、うらぶれたおっさん達がごろりと寝転がって昼寝をしていたりしていて、なんだかアナザーワールドな雰囲気でした。

ダマスカスの映画館。このおっさんは、シリアの映画スターなのでしょうか?



現在はヨルダンの首都アンマンにいます。明日、イスラエルへのノースタンプ入国にチャレンジします。(イスラエルのスタンプがパスポートに押されていると入国ができなくなるイスラムの国があるので。例:シリア、イエメンなど)トルコからわざわざ南下してきたのはイスラエルに行くためなので、なんとかうまくいって欲しいものです。インシャッラー。




という記事を書いてアンマンのネットカフェでアップロードしようとしたらなぜか駄目だったので、今はエルサレムの宿でアップしています。そうです。イスラエルでのノースタンプ入国は無事できたのです。よかったよかった。
(イスラエル側の国境で元サッカー日本代表の北沢豪さんに会いました。仕事で来てるのでしょうけど、なぜ陸路で国境を越えてるのだろう???)


カッパドキア

2007年11月17日 02時51分19秒 | アジア

楽しかったけど、寒くて天気が悪くて空気も悪くて体調が悪くなったイスタンブールでの沈没の日々(アジア編スタート早々なのに。。。)に終止符を打ち、トルコ観光の目玉ともいえるカッパドキアにやってきました(旅行者からはカッパと略されること多し。河童?)。夜行バスで着いた朝にいきなり雪がぱらついていて、その寒さにびっくりしましたが、イスタンブールに比べて空気が非常にきれいだったので、イスタンでひいた風邪はあっという間に治りました。つまり、イスタンの空気(というか泊まっていた宿ツリーオブライフの空気)がどれほど汚れていたということか。

なんといってもカッパドキアといえば奇岩です。変な形の岩がニョキニョキと生えていて、昔の住人はその岩に穴を掘って家にしてそこで生活をしていたらしいです。昔といってもつい50年くらいまで実際に住んでいたとか。カッパドキアの中のギョレメという変な名前の村に滞在したのですが、この村も奇岩と一体になっており、多くの宿は岩と建物が一緒くたになっていて、いくつかの部屋は岩をくりぬいた洞窟部屋となっています。(トルコ人客引きのキメぜりふは”コンニチワー。キノコ岩ノ部屋アリマース”)


奇岩の群れと一体化したギョレメの村


代表的なキノコ岩たちがこれらです。

人工的に作ったやろ、これ!と思わず言ってしまうような、何とも形容しがたい(むしろ形容しやすい)すさまじい形のキノコ岩がそそり立っています。な、なんじゃこりゃ。。。

上部の拡大。人が岩の上に岩を乗せたやろ?と聞きたくなりますね。

本当に自然にこうなったんだろうか。。。

1950年頃まで実際にトルコ人が住んでいたと思われる場所

この外観からして当時は高層マンションとして高く売られていたのかも。

奇岩に大興奮のあまり、岩の上でジャンプ

小さくてわかりにくいですね。。。

奇岩とは関係なくカッパドキアには地下都市があります。2000年以上前に作られ、地下8階まであり、まさに蟻の巣のように張り巡らされていて最大で数万人の人がここで暮らしていたそうです。

ビジュアル的なインパクトはそんなにはないのですが(実際に中に入ってもただの洞窟だなあ、という感じ)、”よくぞ、そんな大昔にこんなにも凄いものを作ったなあ!全く!”というインパクトでは、エジプトのピラミッドやペルーのマチュピチュに匹敵するものがありました。

早起きして、朝日を見る気球ツアーにも行ってみました。

上がる直前にトルコ人が「よし、撮ってやろう!」と僕の手からカメラを奪って一枚撮ってくれましたが、結構焦りました。

数ある気球の中で一番最初に上がりました。他の気球たちがムクムクと膨らんでいるところを見下ろす。

初めは勢い良く高く上がって行ったのですが、途中から風が出てきたとの事で、ずっと低空飛行でした。1000mくらいまで上がると聞いていたけど、実際はせいぜい50mくらいまでしか上がらなかったし、後半は高めの木にバスケットの底がぶつかるくらいの超低空飛行が続きました。残念だったけど、気球に乗るという経験はなかなか面白かったです。すぅーっと音も無く空の上を流れていく感じが心地よかったです。

一番高くてこれくらい


低い。



前回のコメントでクスコで出会ったMrWhite氏からカッパのUFO博物館を凄く推薦されていたので、カッパ最終日に行ってみました。評判通りの超B級っぷりにびっくりしました。博物館というか、なんというか、雑誌や新聞などの切抜きを洞窟の部屋に張っているだけ、なんです。

でも、記事は結構面白くて2時間くらい読みふけりました。各地でのUFO目撃の写真や記事、アポロ8が月で異性人と遭遇した話、ローズウェル事件、ミステリーサークル、などなど。
ミステリーサークルの写真達。どれもこれも美しい模様ばかり。日本の家紋みたいですよね。右上の馬の形だけなぜか異色。


見学に熱中していると、博物館を一人で管理しているお姉さんが「バスの時間が来たから閉めるわよ。出て行って。」と言ってきます。入り口に書いてあった閉館時間は19時で、現在時刻は16時半。「閉館時間までは、まだまだありますよ。」と言ってみても、彼女は「バスの時間なの!」の一点張り。諦めて帰ろうと博物館を出て少し歩くと、彼女の「ミスター!」と僕を呼び止める声が。何だろうと戻ってみると「バスは問題があるみたいだから、ここにまだいてもいいわよ。」とのこと。帰ってくれと言われて博物館を出てから、僅か1分足らず。その間にいったい何があったのだろう???しかし、そう言われたので、あまり訳がわからないまま、すごすごと見学に戻りました。こんなところも、さすが超B級という感じですね。

ピジョンバレーというところにあったお守りの木


以上で、一旦トルコの観光を終わりました。今はシリアにいます。心配していた国境でのビザ取りは無事出来ました(噂ではたまに国境ではビザが取れずにイスタンまで追い返される人がいるらしい)。この後、イスラエルまで南下した後、再びトルコに戻ってきて、そこから東を目指す予定です。
シリアは、スーダン以来、10ヶ月ぶりのアラブ世界です。やっぱり旅情があっていいですねえ。人も笑顔がいっぱいです。


寒い。。。イスタンブールその二。

2007年11月10日 22時10分27秒 | アジア

本場のケバブ屋


気がつくとイスタンブールに15泊もしてしまっていました。まさにあっというま。日本一時帰国後のリスタート地点でのまさかの停滞。そして一箇所連続滞在記録を更新(過去最長はメキシコシティ・ペンションアミーゴの14泊)今日の夜行バスでやっとカッパドキアに向かいます。まさかイスタンブールにこんなに長くいることになろうとは。。。物価も高いのに。

インドビザがようやく取れました。ビザ申請受付の女性は驚くほど親切で手際が良かったのでインドを見直したのですが、ビザ受渡し時のおっちゃんは驚くほど手際が悪くてやっぱりインドはインドだという結論に戻りました。

いくつか観光もしました(主に宿でだらけていましたが)。

地下宮殿。

名前は宮殿ですが、実際は貯水池だったらしいです。1500年も前にできたという事実にびっくりです。

新市街ガラタ塔から見た旧市街の夜景

イスタンブールは都会ですが、夜景は結構暗くて地味です。唯一モスクだけが暗闇の中で光って目立っています。その地味さ加減が渋くてかっこいいですね。

そのガラタ塔でのナイトショーでベリーダンスを見ました。

ダンサーのおねーちゃんがびっくりするほど綺麗でした。

イスタンの思い出として外せないのが、日本人宿ツリーオブライフ。去年のエジプトサファリホテル宿泊時にも匹敵するような個性的な旅人達との出会いが非常に刺激的でした。それに、ブルガリアで出会ったMさんとの1年ぶりの再会、南アで出会ったS夫婦との半年振りの再会、南米で出会ったKくん達との1ヶ月ぶりの再会、ベネズエラのギアナ高地を一緒に旅したTさんとの再会などもありました。マンガもモンスター、スラムダンク、シガテラ、デスノートと完読することができ、この面でも非常に満足の行く結果が出せました。いったい何をしてるんだか(泣)。

↑深夜2時ごろ、安酒をあおりマンガを読みながら下ネタトークに花を咲かせる宿の宿泊客達。毎晩だいたいこんな感じでした。


タイトルにも書きましたが、今イスタンブールは非常に寒いです。着いた頃は昼間半袖でも出歩けていたのが、今は冬用の完全防寒で出歩いています。夜は宿の中にいても隙間風にガタガタ震えています。二日前から鼻水がとまりません。そういう理由もあってイスタンブールを出る決心がつきました。僕は寒いのが大嫌いです。

この後は、カッパドキア、シリア、ヨルダン、イスラエルと進んでからトルコに戻って来る予定です。カッパドキアがイスタンよりも寒いという噂を聞いてかなりびびっていますが、きっとシリアまで下ると暖かいことでしょう。きっと。

アジアの始まり。トルコ・イスタンブール

2007年11月05日 00時51分32秒 | アジア


アジア編のスタートはイスタンブールからです。ここから日本を目指して東へ東へと進んでいくつもりです。(季節的な要因でたまに西へと戻ることもありそうだけど。)時間の許す限りできるだけ日本に近づきたいです。目標は香港か上海くらいかなあ。

そんなこんなでアジア旅行スタートしたのですが、相変わらずまだイスタンブールにいます。今日でかれこれ10日目です。ほんとはパッパッと動きたかったのですが、各種ビザ取得が、想像以上に手間がかかったり祝日が重なって役所が動いてくれなかったりで思ったように進んでいないのです(アジア旅行はビザが必要な国が多くて面倒くさい。。。)その合間にちょくちょく観光などしたので、今回はそのレポートを。



イスタンブールは街並や道行く人はほとんどヨーロッパと変わらなく、ヨーロッパとアジアの中間と言われる割には見た目はかなりヨーロッパ寄りです(物価も)。しかし、ここがアジアでもある(というか中東である)と思わされるのは、町にモスクが多数あることと、一日に数回流れるアザーン(お祈りのための歌)のためでしょう。ギリシャ正教の影響を受けたドーム屋根と尖塔を持つモスクはびっくりするほど街中にたくさんあります。中でもまるで兄弟か恋人のように近くで向き合ってあるブルーモスクとアヤソフィアは最高にかっこいいです(アヤソフィアは今はモスクではなく博物館)。

ブルーモスクのライトアップ。かっこいい。。。


アヤソフィア

アヤソフィアの内部。うーん、かっこいい。


モスクの内部もかっこいいです。下の写真は、トルコ風モスクの最高傑作といわれるシュレイマニエ・ジャーミーの内部ですが、天井が高くてステンドグラスがあって壁には細かい装飾があって、とても良い感じです。




トルコ料理は誰が決めたのか世界三大料理などと言われているそうです。でも世界で最も食べ物が美味しい日本からトルコに来てしまうと、なんか、うーん、そうでもないかな、、、という感じです。

安くて美味しいと有名なのはサバサンド。200円~300円。船で売っています。確かにかなり美味しいのですが、僕が最も気に入ったのはムール貝に入ったピラフです。これも200円くらいなのですが、日本人好みの味付けで激ウマでした。



↑「これ、いけるぜ」などとトルコ語でいいながらピラフを食すトルコ人。

他には、世界全土に広まっているケバブや、ピデといわれるピザのような食べ物はなかなか美味しかったです。でも、ロカンタといわれるビュッフェ風の食堂は、あまり僕の口には合いませんでした。残念ながら。なので、今はもっぱら宿で自炊(シェア飯)です。日本食最高。


インドビザが後4日で発給されるので、そうしたらカッパドキアにでも行ってみようかなと思っています。その後はシリアに行くか、イランに行くか。。。