世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

チベット旅行 その2(ラサ)

2019年03月11日 18時31分13秒 | チベット
■2011年2月3日:北京からラサへの移動日

7時50分発のラサ行きの飛行機に乗るために、6:05にホテル前発のバスを予約。5時半にモーニングコールをかけて起こしてもらうが、ボンヤリした頭で準備をしていて、バスの時間に少し遅刻。バスに満載されていた他のお客さんを待たしてしまう・・・。ごめんなさい。
飛行機には無事間に合い、重慶空港で乗り換えてラサ行きの飛行機へ。
重慶-ラサ間の飛行機の窓の風景がまた素晴らしかったです。人間の気配が全くしない厳しい山の景色が延々と続いていました。僕の座席は窓際だったのですが、窓際に座っていた中国人のカップルがわざわざ席を替わってくれました。おかげで、下記の素晴らしい光景を堪能できました。



窓からの光景






ラサ空港。まさに荒野にポツンと存在する空港。


昼過ぎにラサ着。天気は快晴。高地特有の濃い青色の空。ここは標高3650m。ほぼ富士山と同じ高さ。日本語ペラペラのチベット人女性ガイドが迎えてくれました。名前はダチョンさん。
カイラスホテルという名前のホテル(名前が良い!)で、明日以降の予定を打合せる。
※今回の旅行は日本でカイラス巡礼の予定を全てツアー会社に依頼してセッティングしてもらっていたのでした。
彼らが言うには、現在、カイラス山の近辺は相当に寒いらしく、念願のコルラ(山歩きの巡礼)は難しいらしい。気持ち的に相当へこんだけど、可能性は0では無いらしいので、行くだけ行ってみようということになりました。
町を少し散策。チベットでも旧正月(春節)を祝うらしく、どこか祝祭ムード。真冬で観光シーズンではないので、欧米人や日本人の観光客はほとんどいない。中国人ツアー客がちらほらいるくらい。祝日なので店は大半が閉まっているが、ジョカン寺というチベット仏教最大の寺へ参拝に来ているチベット人が多くて街に活気はあった。体が高地順応できていないので、歩いているとすぐに疲れて眠くなった。軽く夕食を食べて部屋に戻る。部屋の暖房が効かなくて寒い。気持ちがさらに落ちる。。ホテルなのに寝袋にくるまって寝る。

【ラサ市街の写真】
夜景1


夜景2


活気のある町


めちゃくちゃ袖の長い服を来た渋いチベット人


サングラスかけて渋いお坊さん


可愛いけど、強い眼差しの店番の女の子


牛の骸骨が店の飾りつけ。かっこいい。



■2011年2月4日:ラサ観光

この日は、ガイドのダチョンさんと、その親戚の男性と3人でラサを観光する日。ダチョンさんは、昔、大相撲の白鵬と日本で会ってチベット語で話をしたり一緒に写真を撮ったりしたことがあるらしい。白鵬が若い頃、チベット仏教の寺(川口慧海(※後述)も修行したセラ寺)に修行に来ていたことがあるそう。何かの本でモンゴルはチベット仏教が盛んだと聞いたことがあるような。地理的には間に中国をはさんでいるし、距離的にめちゃくちゃ離れてるのだけど不思議ものです。

まずは、チベットの象徴ポタラ宮を観光。すごく広くて、回るのに時間がかかった。とても壁が白くて綺麗なのだが、毎年10月に塗り直しを行うらしい。
ポタラ宮


続いて、白鵬や河口慧海が修行したセラ寺へ。河口慧海(かわぐちえかい・1866~1946)は、「チベット旅行記」という旅行記を残した宗教家・冒険家です。私が、チベット旅行にここまでこだわったのも、彼の旅行記を読んでめちゃくちゃ熱くなったからです。彼は、19世紀当時、外国人が入国できない純粋な意味での秘境だったチベットに、日本人で初めて入国した人です。しかも、山賊などとの遭遇を生き延びつつ、中国人だと偽って・・・。詳しくは「チベット旅行記」を読んでほしいのですが、その行動力・発想力は常識はずれで、本当に刺激的で感動できる物語です。その彼が、修行していた場所として、セラ寺に行ったのですが、厳かな雰囲気は感じたものの、彼の痕跡のようなものは一切分からなかったので、そこまで印象には残らず。。。また、未だに残っているチベット独特の習慣である鳥葬を見学したかったのですが、残念ながら見学禁止でした。

セラ寺の外観。重厚な雰囲気。


セラ寺の内部。チベット寺特有の赤い内装。お坊さんはいなかったけど、めちゃくちゃ厳かな雰囲気。


この日の夕食は、一人でハンバーガーを食べて、油っこさにやられて、腹痛に・・・。眠りも浅く、何度も夜中に目をさますことに・・・。

ライトアップされたポタラ宮




<続く(次は、チベット第二の町シガツェへ向かいます)>


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