ヨーロッパでは経験できないボロいバスで数時間、マラケシュからモロッコ最大の町カサブランカへやってきました。お約束のように途中バスは故障で停車しました。そしてしばらくしたら復旧して動き出しました。
カサブランカにあるモロッコで最も美しい建築物ハッサン2世モスク。海辺に建ち、その大きさと美しさは、圧巻です。
カサブランカでも相変わらずモロッコ人は、みな気さくで優しいです。町を歩いていると子供からお年寄りまでが、「モロッコへようこそ」「(日本語で)こんにちは。ありがとう。」「ジャッキーチェン!アチョー!」などと声をかけてくれて、全く退屈しません。残念なのは、彼らの多くが英語を話せない(フランス語はいける)ので、あまり会話が続かないことです。でも、カタコトの英語と、アラビア語とフランス語を使って必死にコミュニケーションをとろうとしてくれます。旅人と話すこと(またはおちょくること)が本当に好きな国民性なんでしょう。モロッコ滞在は、途中お腹を壊したりしましたが、とても素晴らしい滞在となりました。
モロッコの次の目的地はチュニジアにするかエジプトにするかかなり迷いましたが、チュニジア行きの航空券の高さ(4万円以上)にびっくりしたので、今回はチュニジアは断念して一気にエジプトまで飛ぶことにしました。チュニジアには、将来アルジェリアとリビアが簡単に旅行できるようになった時に3国まとめて行くことにしたいと思います。
モロッコの喫茶店。みんな外に向かって座ります。
カサブランカからエジプト・カイロへの飛行機は夜行でした。カサブランカを深夜12時半に出発してカイロに朝の6時半に到着するのですが、時差が2時間あるので実質は4時間しか飛行機に乗っていないのです。もっと寝させてくれ・・・。しかも、僕がウトウトしかけた時に、なんと機内食のサービスが始まりました。時計を見ると深夜の1時半です。夕食は済ませたし、次の日の朝食もちゃんと用意していたので、スルーするつもり寝ているふりをしていたら、となりの親切なエジプト人が気を利かして、起こしてくれました。余計なことを・・・。ということで、ほぼ寝ずにカイロへ到着しました。(ちなみにこの機内食はとてもおいしかったです)
エジプトは5年前に1度来て大体観光してしまっています。(ピラミッド、砂漠、アブシンベル、ルクソールなど)しかし、今回はアフリカ南下に向けた情報収集と、前回行けなかったシナイ半島の観光、そして世界で最も有名な日本人宿「サファリホテル」への宿泊、という3つの大きな目的があります。そして、サファリホテルへ行けば、アフリカ南下に向けた情報も豊富らしいので一挙に目的の二つが果たせるわけです。
ということで、寝てなくてぼーっとした頭を抱えてサファリホテルへ到着しました。ちなみに、今回初めてその国のガイドブック無しで入国しました。モロッコで英語のガイドブックを探したけど見つからなくて。でも、インターネットでサファリホテルの住所と行き方が検索できたので、辿り着けました。ネットって偉大!
このホテルでは、二つの再会がありました。一つはブダペストとアテネで同宿だったAさん。もう一つはソフィアで同宿だった神戸出身の世界一周二人組YちゃんとEちゃん。再会の喜びで眠気も一気に吹き飛びました。他にもさすがサファリホテルという素晴らしいキャラの人達が揃っていて、出会いの喜びに胸が躍ります。久しぶりのシェア飯(みんな本当に料理が上手くて、毎晩のシェア飯がかなりの娯楽タイムです。)、バックギャモンや四つ並べ、トランプの七並べなどのゲーム、大量の日本語の本・漫画、旅人同士の語らい、、、ホテルのボロさや汚さ、蚊の多さなどが気にならなくなるくらい居心地が良いです。
サファリホテルの入り口。ここから6階まで息を切らして階段を登れば、そこがサファリホテルです。ホテルのある通りはスーク(市場)で、夜中までにぎやかです。
現在の主な活動は、エチオピアとスーダンのビザ取りです。ビザを取るために他国の大使館へ行ったり、レター(この人は危険を承知ですという証明のようなもの)をもらいに日本大使館に行ったりするのは初めてなので、どぎまぎしながらなんとかやっています。僕は地下鉄を使うのは景色が見れないので好きじゃないので、4、5kmの距離ならいつも歩いているのですが、カイロではそれはかなりの苦痛を伴います。なぜならカイロは超大気汚染されていて、そのうえ交通ルールがめちゃめちゃだからです。排気ガスが充満していて、しばらく外にいるとのどが痛くなってくるし、車道は交通量が多い上に、信号はほとんどないし、あっても守られておらず、ドライバーは通行人がいても全くブレーキを踏もうとしないので、交差点を渡る度に大きく精神力を使います。反射神経と勇気をかなり使います。なので、最近は徒歩10分以上なら確実に地下鉄使っています。
大都会カイロ。ドライバーの目にはおそらく通行人は入っていない。
しかし、カイロは大都会です。ヨーロッパでもカイロほどの大都市はそうはないでしょう。地下鉄もあるし。少なくともモロッコのどの町よりも都会です。(モロッコの首都ラバトは行ってないけど)それなのに、物価がモロッコの3分の1くらいなのです。宿は1泊200円、水のペットボトルは20円、地下鉄の運賃も20円、ネットカフェも1時間60円。うーん、、、不思議だ。でも、素晴らしい!
ビザが取れたらシナイ半島へ移動して山登りやダイビングに挑戦する予定です。
※食事中の方はご注意ください。
※2006/12/16 汚いトイレ画像追加
マラケシュでお腹を壊しました。昨日は10回以上もトイレに行きました。そんなに激しくやられている訳ではないですが、何かを食べる毎にその2時間後には必ず腹痛が襲ってきます。そして、その後何度かトイレに駆け込むことになります。なのでこの3日間くらいはずっと宿にこもっています。パソコンで懐かしいスーファミゲーム・クロノトリガーをして遊んでいます。(面白すぎる)なのでお腹も痛いし、その上、目も疲れて痛くなってきました。
それにしても、下痢の時ってアラブ式(インド式)トイレってお尻に優しくて良いですね。紙で拭くと痛くなりますもんね。
アラブ式トイレ(モロッコで初日に泊まったホテルにて。ここまで綺麗なとこは珍しい)
実は、アラブ式トイレはこのモロッコが初体験だったのです。(過去エジプトに行った時はどこも水噴射ホースみたいなのがついていて日本のウォシュレットと変わらなかった。)今回の旅でも東ヨーロッパでは、たまにこのアラブ式を見かけましたが、そこでは大をする機会には恵まれませんでした。しかし、ここモロッコでのトイレの選択肢は、このアラブ式か、洋式だが紙が備え付けられていない(しかも紙を流せない、便器も汚い)、の2タイプが主流なので、前者を選ばざるを得ないのです。
しかし、このトイレで大をした後の正しいお尻の拭き方って、どんな感じなのでしょうねえ。旅仲間に見せてもらった地球の歩き方モロッコ編では、「水桶を使って左手で処理する」という簡単な記述しかありません。僕の持ってるロンリープラネットヨーロッパ編(なぜかモロッコが載っている)には一切トイレの記述はありません。昔ネットで見たある人のインド旅行記のやり方を参考にしてトライしてみました。それによると、右手で水桶を持ち、それを動かして尻に水をかけながら、タイミングよく左手で拭き取るというものです。しかし、実際にやってみると水桶を動かしてお尻に水をかけるという動作が僕にはどうもできません。水がお尻の下を素通りしたり、全然関係の無いところにかけてしまったり・・・。仕方なく僕なりに別の方法でトライしてみることに。それは、水桶の水を少量左手のひらに貯めて、それをお尻に向かってべちゃっとかけながら同時にそのままの勢いで左手で拭き取るというものです。いくら水をかけながらとはいえ、物の感触は確実に左手に伝わ・・・ああっ、もうこれ以上は書けません。
過去インドやアラブ地域を旅された皆様は、いったいどうやってお尻を拭いていますか?後、濡れたお尻はどうしてますか?僕は濡れたままパンツを履いています。それでいいのですか?その辺りについて是非教えてください。
※あるネットカフェでそこに一つしかないトイレでは、肝心の穴に2Lペットボトルが刺さっていました。いったいどうすればいいのでしょうか?画像をアップしようかどうか迷いましたが、もの凄く汚い写真だったのでやめました。
※しかし、あるマニアックな方から画像が見たいというリクエストがあったので、やっぱりアップします。(2006/12/16)
ふう。さて。下痢の原因は色々考えられますが、このモロッコらしからぬ雨と寒さが最大の原因と思われます。後は、ヨーロッパからの劇的な環境変化による疲れ、衛生環境の悪化、食事の変化、などが追い討ちをかけたのだと思います。モロッコ人曰く、昔は冬もこんなに寒くなかったらしいです。雨も降らなかったらしいし。なので、モロッコの宿には雨や寒さをしのぐ設備が貧弱なのです。どちらかというと夏の暑さ(50度を超える)をしのぐための工夫が凝らされている感じ。当然暖房が無いし、すきま風はばっちり入るし、雨漏りも当然のようにあります。一泊800円程度で泊まっているので文句も言えませんが。
特に朝方の冷え込みはかなりのものなので、寝る時は朝に備えて、外出時と変わらぬ厚着と寝袋と毛布3枚重ねでしのいでいます。油断して寝袋を出さなかった日は何度も寒さで目が覚めました。しかも、朝食つきのホテルの場合、その朝食を中庭で食べさせられるのです。(モロッコの宿は大体中庭がついている)寒い。寒いです。
しかし、もし雨や寒さがなかったらモロッコは大変良い国だと思います。ここに来る前にモロッコについては良い噂も悪い噂も色々聞いてきましたが、どちらも全て本当でした。そしてその悪い面を受け入れると、とても楽しいです。
その悪い部分とは、旅行者から金をふんだくろうとする輩と、町や宿の汚さ、の2点かなあと思います。治安はそんなに悪くなさそうですし、僕は男なのでセクハラ系の嫌がらせは受けていないです。過去エジプトやペルーを旅したことがあり免疫ができていたのか、思っていたよりは全然快適に過ごせています。町の埃や排気ガスや小便の臭さには疲れますが。
タンジェ⇒フェズ⇒マラケシュと移動してきましたが、どの町も個性があり観光が楽しいです。物価も半分くらいになったし。タンジェは、スペインと地中海を挟んで20kmくらいしか離れていない港町ですが、そのメディナ(モロッコでの旧市街のこと)は、今まで旅してきたヨーロッパからがらっと雰囲気が変わりました。迷路のような埃っぽい細い路地、小さい商店、露店、独特な町の匂い(香辛料の匂い?)、アラブ人ばかりの雑踏、押し売りガイド(初日にいきなりつきまとってきた)、ハシシの売人(「葉っぱ好き?」と声かけてくる)などなど。仕事もせずにぶらぶらハシシを吸ってすごしてそうなモロッコ人が街中にいっぱいいて、かなり妖しい雰囲気です。
タンジェのひたすら広いビーチ
次の町フェズは、世界最大旧のメディナがある観光地です。
メディナにはスークと言われる商店街があり、細い路地に人が溢れ、そこをロバが荷物を背負って人波をかきわけて歩いていたり、バイクが人にぶつかりながら走っているのには、びっくりしました。メディナがとにかく広くて、そこにいるモロッコ人も親切で面白くて(商人はもちろん基本ぼってくるが)、町をぶらぶら歩いているだけで最高に楽しかったです。フェズ大好きです。
猫の多いフェズのネットカフェでは受付の椅子をネコが占領。
マラケシュのメディナはフナ広場での毎日のお祭り騒ぎが特徴的です。ただ、雨と寒さのせいでそんなには盛り上がってなかったかも。昼は、蛇使い、猿回し、賭博屋など、が広場に陣取り、夕方からは大量の屋台が店を出します。(蛇使いは、本気で怖かったので、とても近寄れなかったです)音楽を演奏する人たちもたくさんいて、まさにお祭りのような雰囲気です。
ここで、モロッコ人男性ハッサンと日本人女性Sさんの二人組みと知り合いました。ハッサンは日本に数年住んでいたらしく日本語がペラペラです。28歳ですがかなり人生経験豊富な感じです。Sさんは、日本社会が嫌いでイギリスに移住して、でもイギリスも物価高などで嫌になり、モロッコで暮らすためにやってきて今1ヶ月という人です。昔モロッコに旅したときにモロッコ人の彼氏ができて、その彼にお金やipodを盗られたりしても、やっぱりモロッコが好きで戻ってきてしまったそうです。二人とも、今は職が無くマラケシュでぷらぷらして暮らしているらしいです。でも、全然困っている感じはせず、僕に対してもとても親切だったし、モロッコが本当に好きなんだなという感じです。モロッコでは昼間から仕事もせずにぶらぶらしている人が多くて、みんな無職でまずしいらしいのですが、明るく感情豊かに、楽しく暮らているみたいです。特にSさんいとっては、感情を剥き出しにして生きているところが、とてもうらやましいみたいです。僕は、日本のことも、日本社会のことも好きなので、Sさんのようにモロッコに住みたいとは思いません。でも、確かに、モロッコ人のことは、たまにうらやましく思います。
次の目的地を迷っています。もう少しモロッコで観光するか、チュニジアに行くか、エジプトまで飛んでしまうか。チュニジア行きが第一希望なのですが、飛行機代が思ったよりも高くて・・・
今回は、趣向を変えまして、ヨーロッパ旅行のまとめをアップしてみました。個人的にエクセルに書いておいたものを貼り付けただけですので読みにくいかと思いますが、ご容赦ください。しかもちょっと長文です。写真も無いです。その上、文体も敬語ではなくなっています。
すいません。
<ヨーロッパまとめ >
・家計簿
・国ごとに一言
・食事
・行きたかったけど行かなかった場所
・最後にまとめの所感
滞在日数:119日
訪問国:27カ国
訪問都市:55ヶ所
<家計簿>
出費 1,130,000
一日平均 9,500
◆内訳
移動 353,000 31%
飲食 207,000 18%
観光 87,000 8%
宿 260,000 23%
英語学校 82,000 7%
その他 121,000 12%
出費の地域別 :出費 : 滞在日数: 一日平均
西ヨーロッパ :944,000 : 83 :11,373
東ヨーロッパ :184,000 : 36 :5,111
◆所感
物価の高さには本当に驚いた。円安ユーロ高の影響が大きい。特に西ヨーロッパの移動費の高さ。
東ヨーロッパは西ヨーロッパの半分くらいの出費で過ごすことができた。
西側で1日平均1万円を超えているが、英語学校やその他無駄な経費がかさんでいるためで、旅行だけなら9000円くらいと思われる。
去年まで1ユーロ130円くらいだったので、それならば8000円以下でもいけていただろう。
滞在日数が予定よりも1ヶ月も多くなったこともあり、出費も予定を25万円ほどオーバーしてしまった。
ユーレイルパスについては、旅のスタイルに合わなかったし、結局あまり得にもならなかったと思われる。
<国ごとに一言>
・オランダ(2006/8/7~8/11:アムステルダム、デンハーグ)
記念すべき最初の国。物価の高さと、自分の英語力の無さにかなり驚く。
アムステルダムのいかがわしさ、デンハーグのフェルメールの素晴らしさ。
・ベルギー(2006/8/11~8/15:ブリュッセル、ブルージュ)
ブログには書かなかったが、デンハーグからブルージュまで密かに激しいホームシックにかかっていた。
しかし、ブルージュ観光中になぜか突然ホームシックからは解放された。
そして、それ以降は一度もホームシックにはかかっていない。
ベルギーはとても町が美しく、また、8月とは思えない寒さであった。
・ドイツ北部(2006/8/15~8/23:ケルン、ブレーメン、ベルリン、ハンブルグ)
ベルリンで風をひき、ハンブルグのなおくん夫妻に大変お世話になった。
北部ドイツは観光的に特筆すべきものは少ないが、車窓ののどかな風景が心に残る。
・デンマーク(2006/8/23-8/24:コペンハーゲン)
後にボローニャでお世話になるイタリア人マークと出会った。
物価が高く、観光すべきものも無かった。
・ノルウェー(2006/8/25:オスロ)
物価の高さに恐れおののき、夜行で入って一泊もせずに夜行で出た。
ムンクとヴィゲランという二大巨匠の美術鑑賞。
しかし、フィヨルド観光をしなかったことは未だに悔やまれる。
・スウェーデン(2006/8/26-8/28:ストックホルム)
特別な独特の美しさストックホルムの町。
ヘルシンキへ向かう豪華客船シリヤライン。
・フィンランド(2006/8/29-9/2:ヘルシンキ、ロバニエミ)
サンタクロースへ会いに夜行列車の往復でロバニエミへ行った事は良い思い出。
・エストニア(2006/9/2-9/4:タリン)
突然物価が安くなった。
安宿で出会った白人たちと飲みに行ったりサッカーしたりの楽しい時間が深く心に残っている。
・ラトヴィア(2006/9/4-9/6:リーガ)
物価が安く、スーパーでたっぷりおいしいものを買って食べた。
・リトアニア(2006/9/6-9/8:ヴィルニュス、シャルレイ)
ヨーロッパ編最大の出来事の一つ、キャッシュカード紛失事件。(見つかって本当に良かった)
安宿での素晴らしい出会いの数々(ダニやノミとの最悪な出会いも同時に経験)
十字架の丘の美しさは静かに心に刻み込まれている。
・ポーランド(2006/9/8-9/11:ワルシャワ、クラコフ(アウシュヴィッツ))
ワルシャワは僕がヨーロッパで見た中で唯一地下街が広がる大都会。
クラコフは天気が良く居心地良かった。
・チェコ(2006/9/12-9/15:プラハ)
この旅で最も印象に残る町の一つプラハ。本当に美しかった。
アイルランド学生達との楽しい思い出も。
・オーストリア(2006/9/15-9/21:ウィーン、ザルツブルグ、ハルシュタット、インスブルック)
再び物価の高い西ヨーロッパへ。かなり憂鬱になったが、観光に精を出した。
ウィーンは上品な町、それ以外の町は自然との調和のある町。静かに美しい国だった。
・ドイツ南部(2006/9/21-9/25:フュッセン、ミュンヘン)
つり橋から見た美しいノイシュバーンシュタイン城の姿は鮮明に脳裏に焼きついている。
ミュンヘンではハンブルグから引越してきたなおくん夫妻に再度お世話になった。
本当に楽しかったブンデスリーガ観戦とオクトーバーフェスト。
・フランス(2006/9/26-9/30:パリ、モンサンミッシェル)
卒業旅行(ローマ、パリ、ロンドン)以来のパリ。パリとはあまり相性がよくない。
観光はそこそこに英語学校探しに明け暮れた。そして無事見つかった。
モンサンミッシェルの夜景はかなり凄かった。魔王の棲む城のようだった。
・イギリス(2006/10/1-10/16:ロンドン)
2週間のプチ留学。凄く充実していて楽しくて、そして疲れた日々。
2週間ではあまり英語は上達しなかったが、あれから2ヶ月たった今、
あの時からの蓄積により少しは上達できてきたと感じる。
あの留学は意味があったと、はっきりと思える。
ロンドンの町は、ヨーロッパの中では最も日本っぽくて、とても居心地が良かった。
・ハンガリー(2006/10/16-10/22:ブダペスト)
この旅初の日本人宿に泊まり、楽しい日々を過ごした。
この宿で出会った日本人達とはその後もしばらく一緒に旅をし、
いろいろと勉強になったし、助けられもした。
くさり橋の夜景は美しく、静かに心に刻まれいている。
・スロベニア(2006/10/22-24:リュブリャナ、ブレド)
こじんまりとした町と美しい湖。
・クロアチアその1(2006/10/24-25:ザグレブ、スプリット)
想像とは違って、明るくて楽しい国。
初めて海外で散髪。結構良い感じに仕上げてくれた。と自分では思っている。
・ボスニア(2006/10/26-28:サラエボ)
噂のセクハラおばさんの家ヤスナハウスに宿泊できた。無事生還。
町が他のヨーロッパ諸国とは全然違う風情があり、町歩きが楽しかった。
・クロアチアその2(2006/10/28-10/31:ドブロヴニク)
光り輝く海と空、美しい旧市街、素晴らしい町であった。
この旅で初めて海で泳いだ。綺麗な海で、素晴らしい体験だった。
ブダペストの仲間たちと毎日楽しく過ごした。
・モンテネグロ(2006/10/31-11/1:コトル)
独立間もないモンテネグロの観光地コトルで一泊した。
湾と山に囲まれた小さい町だが、すぐ日が沈んで寒かった。
この国からブルガリアまでは、しばらく寒さを耐え忍ぶ日々が続く。
・アルバニア(2006/11/1:ティラナ)
バス移動の合間に通過しただけだが、タクシーと徒歩での国境越えや、
ヨーロッパ最貧国の街並など、意外と記憶に鮮明に残っている。
・マケドニア(2006/11/1-2:オフリド)
残念ながら、宿のおっちゃんがアル中だったことと雨と雪で凍えそうになったことが
最も印象に残っている。
・ブルガリア(2006/11/3-11/8:ソフィア)
着いた瞬間あまりの寒さにすぐにギリシャへ行こうと思った。
しかし、日本人宿の快適さと楽しい仲間達、安くて美味しい御飯とお酒の誘惑により、1週間近く過ごすことに。
良い思い出ばかり残る滞在となった。
・ギリシャ(2006/11/9-11/15:アテネ、ミコノス、サントリーニ)
3週間ぶりに一人旅となった。
アテネは暖かく、物価が安く、活気もあり楽しかった。
ミコノスは、閑散としていて寒かった。
サントリーニは、絶景だった。夏にまた来たい。今度は一人ではなく。
・イタリア(2006/11/15-11/27:ナポリ、フィレンツェ、ボローニャ、ヴェネツィア、ミラノ)
最も観光した国。そして最も観光が楽しかった国。
町によってがらりと印象が変わるので飽きることがなかった。
ただし、食事は期待が大きすぎたためか、少し落胆した。
ボローニャでは、デンマークで出会ったマルコに何から何までお世話になった。
ミラノでは、旅行に来ていたなおくんと念願のサンシーロでACミランをみることができた。
・ポルトガル(2006/11/27-29:リスボン)
リスボンは、巨大なクリスマスツリーと巨大ショッピングセンター。
ロカ岬の最果て感。
・スペイン(2006/11/30-12/3:セヴィージャ、グラナダ)
たくさんの日本人との出会いがあり、ずっと日本語をしゃべっていたような気がする。
ヨーロッパ観光自体にはかなり飽きてきた。
<食事について>
基本的にマクドナルド、サンドイッチ、ケバブスタンド、ピザスタンドなどの軽食をほぼ全ての国で主食とした。
なぜならば、コストパフォーマンスに対する安心感があるから。まずいものが出てくることはまずないし。
特にマクドナルドは週に2回くらいは行っていた様な感覚。
後、中華料理もかなり食べた。これもコストパフォーマンスが平均してかなり高い。
同様にイタリアレストラン(イタリア以外の国で)も。
もちろんたまには地元料理の食堂やレストランにも入ることはある。
しかし、「これは、うまい!」と思うことは少なかった。
美味しかった地元料理は、強いて言うとブルガリア・ソフィアで食べたファーストフード的地元料理食堂(ビュッフェ形式)と、ポルトガルのスープスタンドくらいである。
料理が美味しいと評判のフランスやイタリアでは、そこまで美味しいと思うことは無かったと思う。
日本食レストランも数回行った。
特にロンドンの行列のできる日本食屋「みさと」のカツカレーは涙が出るくらいおいしかった。
また、パリで食べたラーメン屋はあまりに美味しくて、連日通った。
やはり日本人には日本食が一番のような気がする。
最後にシェア飯について。
ハンガリーとクロアチア以外は、ほとんどシェア飯することはなかったが、ブダペストで食べたフォアグラとドブロヴニクで食べたクリームシチューは、どちらも美味しくて印象に残っている。
まだまだ続く旅に備えて、もう少し料理ができるようになりたい。
<行かなかったけど、行きたい場所>
以下は今後の楽しみに取っておきたい。
・オランダ・アムステルダムのアンネフランクの家
アウシュヴィッツに行ってから興味が湧いてきた。
・ノルウェーのフィヨルド観光
オスロの物価高にびっくりして一泊もせずにノルウェーを出てしまったが、
冷静に考えると、せっかくだから行っておけばよかった。
・チェコのチェスキークロムルフ
チェコを出た後、いろんな人からあそこはよかったと聞かされた。
・フランス・パリのエッフェル塔登頂
英語学校探しで疲れ果て断念。登って夜景が見たかった。。。
・イギリス全般
スコットランドのエディンバラや北アイルランドやウェールズのハイランドなどなど。
ロンドンも大英博物館はもう一回行きたかった。
物価高と英語学校疲れで断念。
・アイルランド
プラハで出会ったアイルランド人達が良い奴ばかりだったので、その国を訪ねてみたかった。
季節的に寒くなってきたので断念。
・クロアチアのプリトヴィッツェ
たくさんの湖と100を超える滝のある絶景らしい。
クロアチアを過ぎてから存在を知った。
・スイスと南仏(ニース、モナコ、アルル、マルセイユなど)
スケジュール的に押してきたので断念。
老後にでも。
・スペインのバルセロナなど
バルセロナは7年前に来たことがあるので断念したのだが、凄く好きな町だし、ミロ美術館や、ダリ美術館などは行ってないので行ってみたかった。
<まとめ>
ヨーロッパは4ヶ月くらいでは全然足りないということが良く分かった。
国の数が多いし、それぞれの国が多くの見所を持っている。
その上、季節によってもがらっと変わるので、まだまだ見たり無い部分が大きい。
しかし、どの国も似通っているので、3ヶ月~4ヶ月くらいでちょうどいいとも思える。
物価も高いのでヨーロッパの長期旅行はよっぽどお金がないと心から楽しめないのでは。
ヨーロッパに着いてから知ったのだが、ヨーロッパ間の移動は飛行機が最も安い。かなり安い。
予めスケジュールを決めて飛行機移動すればダイナミックに色々周れて良いのでは、と思う。
2年間の世界旅行全体の中では、ヨーロッパは肩慣らしという位置づけであった。
そういう意味では良いウォーミングアップになったと思える。
移動、宿探し、移動の手配、観光、旅行者同士の語らい、というパターンが見について来た。
当初はかなり物を無くしていたが、最近は減ってきたし、常に警戒心を持つことにも慣れてきた。
まあ、高いウォーミングアップ代だったが。
旅行者同士で、どこが一番良かったかという話によくなるが、プラハと答えることが多い。
プラハにいる当時は自信を持ってそう思っていたが、今となっては、プラハがそんなに良かったかどうかはもう自信は持てない。
イタリアの各都市や、ギリシャのサントリーニ島、モンサンミッシェルなどは、それぞれ最高に良かったし、それ以外の国や場所も、それぞれ深く印象に残っている。
ブルガリアのソフィアなどは、ほとんど観光しなかったが、一番楽しかった場所の一つであるし。
そもそも、その日の自分の気分や健康状態、天気、季節、どういう出会いがあったか、宿はどうか、などにその場所の印象はかなり左右されると思う。
ただ、なんとなく、この後も「ヨーロッパで一番良かった場所はプラハです。」と惰性で答えてしまいそうである。
その理由は不明。
(この旅行では行ってないが、バルセロナもプラハに匹敵する良いところだと思う。)
以上
追伸1
このような駄文の長文を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
感想について、メールやコメントをいただけますと、とてもありがたいです。
また、今までのブログの記事でどの記事が一番おもしろかった、印象に残っているなども教えていただけるとありがたいです。つまらなかったというのでもいいです。(本当はよくないですが)
追伸2
足跡マップのどこなのコムのURLがアフリカ編から新しくなりました。
http://www.dokonano.com/kisimt2/index.html
このブログの左にあるブックマークからも飛べます。
ヨーロッパ編は元のままですので、この先も閲覧可能です。
ついにヨーロッパ最後の国スペインにやってきました。太陽の国と言われるだけあってたとえ12月でも日差しが明るいです。雰囲気も明るいです。ヨーロッパ滞在が予定を1ヶ月もオーバーしたため楽しみにしていたバルセロナ(2回目)やバレンシア、トレドなどはすっ飛ばしてしまいましたが。今回はアンダルシア地方のセヴィージャとグラナダだけ訪問しました。セヴィージャもバスの乗換えで半日滞在しただけで(街中が工事中だらけだったこともあり観光もせずにカフェやネットカフェで主に過ごしました)、すぐにグラナダへ移動しました。
観光名所の周辺も思いっきり工事中のセヴィージャ
1500円もの入場料を払ってアルハンブラ宮殿へ。天気が良かったのでピクニック気分で楽しかったです。噂の繊細な装飾もとてもよかったです。
高台にあるので、グラナダの町が一望できます。
グラナダでは日本人との出会いが多かったです。まずは、パリで2ヶ月前に出会ったスペイン留学中の二人と再会でき、おすすめのバルに連れて行ってもらいました。また、泊まっているホテルにも日本人が多かったし、アルハンブラ宮殿では40歳で世界一周中の人にも出会いました。
しかも、グラナダには日本語情報センターというものがあり、ギター販売をしているおっちゃんが旅行者向けに色々と情報を教えていました。僕もその人の噂を聞いていたので、暇つぶしに訪ねてみました。どうもその人はモロッコとイタリアに恨みがあるらしく、モロッコやイタリアの悪口ばかり散々言っていました。しかし、ちゃんと地元情報として安い中華料理屋の情報とかも快く教えてくれましたが。そこでも一人旅で貧乏旅行中の学生と出会いました。彼女は、次の目的地がモロッコということで色々話をしましたが、なかなかハードな旅をしているみたいで、びっくりさせられました。毎日夜行列車で移動していたとか、パンとシーチキンだけの食生活を送っていたとか。しかも、シベリア鉄道でヨーロッパに来たらしいのですが、そこで出会ったイギリス人との恋愛に悩んでいるそうです。
バスでアルヘシラス⇒タリファと経由して船でモロッコのタンジェへ渡りました。アルヘシラスから船に乗るつもりが、タリファに移動した方が安いとその時一緒にいた日本人に聞いたので、タリファからの船に乗りったのです。この旅行で僕が唯一持っている小説がアルケミストという本です。(英語の勉強用に英語版を持ってきたのでまだ読み終わっていません)その本の主人公の少年が、夢をかなえるためにアフリカへ渡ったのが、このタリファからタンジェというルートだったので、偶然同じルートになって密かに嬉しかったです。
ヨーロッパを去ると言う少しの感慨と、アフリカに対する期待と不安とともに船はタリファを出発しました。
とにもかくにも、旅の序盤戦ヨーロッパ編は無事終了しました。この4ヶ月は、この先に待っているハードな旅に向けてのいいウォーミングアップになったような気がします。英語力も多少上がってきましたし。そして、ついに、いよいよ、この旅全体での最難関アフリカ編に突入です。まずは北アフリカ諸国で、その後に待ち受ける東アフリカ縦断に向けて、もう一度、今度はもう少しハードなウォーミングアップをしたいと思います。
追伸:ボローニャでお世話になったイタリア人マルコのホームページ(少し工事中。年内完成予定)です。
http://marco.sannioprogetti.it/
さすがIT企業の社長!な仕上がりなので、よかったら一度ご覧になってみてください。