甞蔑べ如淵轡礇鵐哀螢蕁砲㎠蘋圈淵船Д鵐疋ァ砲悗琉榮阿詫汁曚茲蠅眇鑛♢板校屬㎠㎠蠅泙靴拭E蕕魯轡礇鵐哀螢蕕㎠號未惺圓辰突筺淵螢織鵝砲箸いΕ船戰奪畔顕酬猟㌔鯆未辰得圓帽圓ヹ縦蠅世辰燭里如∩案膨瓦戮討Ⅳい燭修離丱垢了屬帽腓錣擦督㎠裡胸箸い燭丹徹任涼罎鬟丱好拭璽潺淵襪惺圓函▲船吋奪版笋蠑譴里Ⅳ个舛磴鵑法屬修辰訴未漏姐饋佑縫船吋奪箸鯒笋譴覆ぁ廚斑任蕕譴討靴泙い泙靴拭Ⅴ螢鵐團奪㎐澱罎里燭瓮船戰奪肇┘螢△愕姐饋佑鯑譴気擦覆い燭瓩里茲Δ任后B召領洪佑㎠蕕両霾鵑任海Δ覆襪海箸詫汁曚靴討い燭里如◆屬任眄圓帽圓④燭い里任后匹Δ垢譴侘匹い任垢㎜廚畔垢∮兵尊櫃蓮崟圈ⅻ圈Ⅰ廚範討靴燭世院砲函屬泙採鏐召惺圓辰討修海妊僖鵐献侫々圓④離丱垢望茲蟯垢┐覆気ぁ僖鵐献侫,㎠蘋圓惺圓韻泙后廚閥気┐討發蕕い泙靴拭兵腓縫献Д好船磧爾如法僖鵐献侫,箸いγ鰐召瓦垢い燭海箸量気っ鰐召世辰燭里埜溶任い泙靴燭♤▲♠ぅ疋屮奪涼録泙鬚Ⅳ个舛磴鵑妨㎠擦橡♢佑襪函冨技涓屐匹箸いβ腓④修Δ閉㌔鮖悗啓┐靴討譴泙靴拭修Δ靴橡佑歪㎠裡兄領鏐捷圓④離丱垢愍茲蝓△海猟垢ぐ榮阿鬟好拭璽箸靴燭里任靴拭br>
麗江に昼の12時ごろに到着し、そこのバスターミナルで14時30分発の攀枝花(パンジファ)行きのバスチケットを買いました。ガイドブックの地図でもう一度攀枝花の場所を確認してみると、4日くらい前に麗江からバスで行った瀘沽湖(モソ族)の近くでした。麗江から瀘沽湖まではバスで片道7時間くらいだったので、攀枝花までもだいたいそれくらいの時間がかかって夜の9時半くらいに到着するだろうなと見当をつけました。それくらいの時間帯なら、大きい町ならば宿探しに苦労することもないだろうとも思いました。バスターミナルで運良く成都行きのバスでもあれば、それにそのまま乗れるかもしれないですし。
攀枝花行きのバスはそこそこ大きいバスでした。道は瀘沽湖へ行ったときよりも険しい山道で、カーブがとても多くて道幅も狭く、対向車との行き違いは毎回スレスレなのでかなり怖くて、車内全体に唾をごくりと飲み込むほどの緊張感が漂います。バスが大きいので乗り心地はそれほど悪くはなかったのですが、僕の座席の通路を挟んで隣の座席に座っている若い中国人の男性がずっとゲロを吐き続けていました。出発してからずっとです。それも15分おきくらいにです。しかも通路に置いてあるゴミ箱に向かって思いっきり吐くので、僕のズボンにかからないかとても心配です。車内が揺れるたびにゴミ箱が倒れて彼の吐瀉物が僕の足元に流れ出さないかも心配です。気になって綺麗な山の景色を楽しめません。でも、真っ青な顔一面に脂汗を垂らしながらなので、とても気の毒です。幸いゴミ箱が倒れることは一度もありませんでしたが、その脂汗の彼はその後数時間に渡ってずっとコンスタントに吐き続けていました。バスに乗ってから全く飲み食いをしていないはずなのによくもそれだけ胃の中に吐くものがあるなというのが驚きでした。
逆側の隣の座席は中国人の女の子でした。僕が足元のゲロ満載のゴミ箱のことを苦々しく感じていると、突然、彼女が聞いているウォークマンのイヤホンの片方を僕に貸してくれて「どうぞ、聞いて。」と言うようなニュアンスのことを中国語で言いました。流れているのは中国語の綺麗なメロディのバラードでした。音楽を聴きながら僕は、ゲロゴミ箱のことはすっかり忘れて、「中国ポップスっていいなあ。それにこの女の子優しいなあ。」なんて思って、すっかり楽しいバスの旅になりました。その後の夕食休憩の時には、彼女のお姉さんとそのボーイフレンドと一緒に片言の英語で会話しながら夕食を食べました。隣の女の子は、僕のことを中国人だと思ったので声をかけたのだそうです。食事の最後には、お姉さんのボーイフレンドが「当然だろ!」という感じで奢ってくれました。
そんな親切な三人組
攀枝花に着いたのは夜中の2時でした。しかも僕が降ろされたのはバスターミナルでもなんでもなく、真っ暗な幹線道路の脇で、そこには高そうなホテルが一軒あるだけでした。そのホテルの人に聞くと(筆談)、成都行きはバスではなくて電車があるそうで、駅まではバスで一時間もかかるしこの時間だともちろんバスは無いそうです。仕方なくこの高いホテル(1300円)にチェックインして(でもすごく快適でした)、翌日駅へ行って成都行きの電車チケットを買うために窓口へ行きました。硬臥(寝台)のチケットを買おうと思っていたのですが、硬座(リクライニングなしの座席)しかチケットはありませんでした。攀枝花から成都まではてっきり(いつものように)24時間とかの長時間かかる夜行移動になると思っていたので、「これは相当きついことになりそうだ」と思いながら電車に乗りました。でも、成都に着く時間を確認したら当日の夜11時30分に着くことがわかり、ほっとしました。乗車時間12時間ですが、夜行じゃないのならなんとかなりそうです。僕がなぜ硬座での夜行移動を恐れているのかというと、経験のある旅人からの情報で、硬座は夜の間ずっと電気が明々と点いていて、中国人達は団体でトランプなどをして大騒ぎをしており、乗客は定員オーバーで座席は狭くリクライニングが無いので、とてもじゃないけど寝れる代物ではないと聞いていたからです。でも、昼間だけの移動ならいたって快適なのです。この日も周りの中国人達が僕が日本人だとわかると、言葉が全然通じないのに中国語でどんどん話しかけてきたり、お菓子をもういらないと言っても次々と差し出してきたり、散々お世話になってしまい、あっという間に12時間が経ちました。疲れましたが。
というような感じで、前日の朝6時に始まったシャングリラから成都への長い移動は36時間後の深夜12時過ぎに目的地である成都の超有名宿シムズ・コージーに到着することにより、ようやく完了したのでした。ゆっくりと寝て休みたかったけど、蚊が多くて何度も目を覚まされました。
成都に着いた次の日を完全休養日として体力を回復させてから、成都観光を行いました。僕の中で成都観光といえば、三国志とパンダと麻婆豆腐(四川料理)です。
まずは三国志から。成都は、三国志において、劉備玄徳や諸葛亮孔明が建国した蜀の都です。その蜀の英雄達が祭られている武候嗣というところに行きました。ちなみに、僕が三国志を好きになったきっかけは小学校時代にNHK人形劇を見ていたからなのですが、その物語は蜀びいきの構成となっているので、後に僕がファミコンでゲームの三国志をするようになってからも蜀を使うことが多かったです。なので武候嗣で祭られている蜀の武将達は馴染み深い人物が多くて、懐かしい思いがします。また三国志のゲームをしたくなりました。
各武将達はそれぞれ塑像となって陳列しているのですが、その塑像は下の写真のような感じなのです。
武候嗣の塑像代表例
見ての通りヒゲが長すぎます。それになぜか耳の下から長い毛が生えて・・・。なんか、ちょっと微妙な感じです。NHK人形劇やゲームのグラフィックのようにかっこよくないです。
でも、この武候嗣の主である劉備玄徳はさすがの御威光!慈愛に満ちた眼差しです。さすが人徳が売りの君主です。
ヒゲが不自然に長かろうと、耳の下から不自然な毛が生えていようとも、やっぱり玄徳は素晴らしい!・・・。
当時最強の豪傑の一人だったはずの関羽は、なんだか優しい感じに。
ちなみに、関羽はなぜか中国国内では商売の神様として崇められていて、商店や食堂には悉く彼の像か絵が飾られています。三国志の物語中には、彼が商売上手だったというようなエピソードは無いにもかかわらず。
関羽と違って弟分の張飛は豪傑というイメージ通りでちょっと安心しました。
目をひんむいています。
武候嗣のもう一人の主・諸葛亮孔明は、別格として劉備よりもさらに奥に鎮座していました。
僕の三国志の原点・人形劇の孔明人形も陳列されていました。かっこいい。
小説や漫画でも三国志の物語を読みましたが、何度読んでも後半は物悲しい気持ちになります。前半部分で活躍した英雄達がみんな志半ばで死んでいき、特に蜀に関しては劉禅という愚帝のせいであっけなく滅んでしまうという悲しい結末になるからです(その上、魏も最終的に司馬一族に乗っ取られる)。そんな蜀の2代皇帝であり最後の皇帝となった劉備の息子・劉禅の塑像は、この武候嗣には飾られていませんでした。不自然ですが、当然のようにも思えます。
武候嗣の側の星巴克珈琲(スターバックス)
パンダは、”パンダ基地”というパンダ専門観光施設へ見に行きました。ものすごいたくさんの数のパンダがいました。
施設内の注意書き
「私は国宝です。騒ぐことを恐れるのです。」他に、「私を愛してくれて、怒らせないでください。」などの微妙な表現で観光客をたしなめています。
食後、まどろむパンダ。自分のお腹をぺろぺろなめてます。
このパンダを見た欧米人の第一声は「なんて姿勢が悪いのかしら!」でした。
生後一ヶ月くらいの赤ちゃんパンダもいっぱいいました。写真撮影禁止だったのが残念です。とてもかわいかったです。
そして、自分で食事ができる子供パンダもいっぱいいました。
彼らはぐーたらな大人パンダと違って活発でじゃれあったりして動きがあり、いつまで見てても開きませんでした。
そんな子供パンダをだっこする中国人観光客。
パンダの目がちょっと怖いですが。ちなみに一回16000円という破格のお値段でした。僕もだっこしたかったけど、ちょっと無理です。
成都には串焼き屋が多かったです。
牛や鳥や魚介や野菜など様々な食材があるのですが、いかんせん味が辛すぎて何を食べても辛さしか感じませんでした。辛いのが苦手な僕には四川料理は厳しいです。
そんな四川料理のハイライト・恐る恐る入店した陳麻婆豆腐店
ガイドブックによるとこの店が麻婆豆腐を最初に作った店であるかもしれないとのことです。陳婆さんが作った辛い豆腐ということで、麻婆豆腐という料理名になったと噂されています。(”麻”という中国語は山椒のしびれる感じなのだそうです。)
そんな元祖・麻婆豆腐
これほど大量の山椒が入った食べ物を口にしたのは人生で初めてでした。半分も食べるのが精一杯でした。本当に辛かったです。
ところで、成都には、小さなチベット人街がありました。チベット人向けの、仏像やマニ車やタンカ(仏画)やタルチョ(五色旗)や毛皮やブーツやテンガロンハットなどのチベットグッズがたくさん売っていてテンションが上がりました。いつの日かここでチベットグッズを買い揃えて、チベタンコスプレをしてカイラス山巡礼をしてみたいものです。
シャングリラを代表するチベット仏教寺のスンツェリン・ゴンパ(松賛林寺)
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なんと観光客は入場料を払わないと入れないというとてもツーリスティックな場所でした。中国人の団体観光客が大挙してやってきていたりもしてました。「お布施を払えば幸せになること請け合い!」みたいな張り紙と賽銭箱がいたるところに設置してあったりもしていました。でも、寺の内部では僧侶が生活をしていたり修行をしていたりするのが見れるし、僧侶のみなさんは僕が日本人だとわかると「君は良い人だ」とチベット語で何度も言ってくれたり、果てには頭をなでてくれたりと大そうな歓迎ぶりをしてくれたりしました。
寺の周囲を取り囲んでいる僧侶の住居
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門のところで待ち構えているチベットの女性達。
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写真を撮ると激しくチップ要求をしてきました。ここはエジプトか?と一瞬思います。
道でみかけたチベット人の子供
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傘で遊んでいるところを「かわいいなあ」と思って写真を撮ると、まさかのチップ要求をしてきました。断ると僕のカメラのひもをつかんで引きちぎり、泣きながら「お金ちょうだい~」と叫び出しました。周りの観光客がじろじろと見てくるし、仕方なく1元(16円)を払いました。この写真はなかなかお金を渡さない僕に傘で襲い掛かっているところです。チベット人のたくましさは、子供の頃からすさまじいものがあります・・・。
マツタケバーベキュー
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香格里拉は松茸の名産地らしく、屋台で松茸を食べました。唐辛子と山椒がかかりすぎていて松茸の風味は無くなっていました。
香格里拉の旧市街にある巨大マニ車
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マニ車というのは、チベット仏教に伝わる便利宗教グッズで、わっかの中にお経が書き込まれていてそれを一回まわすと一回読経した事と同じ効果が得られるのだそうです。瀘沽湖の道端で会ったおばちゃんグループも小さいマニ車をそれぞれ手に持って、それを廻しながらのんびりとぽくぽくと歩いていました。この写真はそのマニ車の超巨大バージョンです。高さ10mくらいはありそうです。下のほうに人が持って廻すための手すりがついていたので、実際に廻すことができそうなのですが、一人でひっぱってもうんともすんともいいませんでした。あきらめて立ち去ろうとした時、ちょうどチベット人の老夫婦がやってきて「一緒に廻しましょう」という感じで誘われたので「たった三人でまわるのかなあ」とやってみると、これが簡単に周りました。チベット人老夫婦おそるべしです。これが信仰の力なのでしょうか・・・。後で別のチベット人に聞いたところによると、普通は6人がかりでまわすのだそうです。
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軽々とまわす老夫婦(だんな)
シャングリラの古城(旧市街)
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その多くがチベット式の建物で、タルチョ(色とりどりの旗)もたくさんはためいていて、チベット風情満点でした。
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ライトアップされた巨大マニ車
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夕食を食べたレストランで英語を話せるチベット人がいたのでチベット名物のバター茶を飲みながら話を伺うと、チベット人がなぜガタイが良くて強そうなのかというと、毎日バター茶という高カロリーの飲み物を飲んでいるからだと言っていました。バター茶があるから標高が高い厳しい環境の中を生きていけるのだそうです。ちなみにバター茶というのは、その名のとおりお茶にバターを溶かした飲み物です。寒いところで飲むと暖まります。
さて、シャングリラの後は、稲城(ダオチェン)や理糖(リタン)というチベット文化圏を通って成都へ行く予定だったのですが、噂どおりそちら方面のバスのチケットを売ってくれなかったので(オリンピック期間中はチベット関連の地域への外国人旅行者を禁止しているらしい)、仕方なく麗江に戻ってそこから成都を目指すことになりました。写真は、その麗江のバス停で見た女性です。
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すごい帽子です。成都については次回のブログで書きたいと思います。
上記のようにオリンピック期間中はチベットには行くことは相当厳しいし不可能に近いと思っていたら、上海で会った日本人の旅人が、なんとオリンピック期間中にパーミット無しで普通に電車でラサと上海を往復して帰ってきていました。びっくりです。電車内で何度もパスポートチェックあったらしいのですが、無事ラサに着いたそうです。中国政府も甘いのか厳しいのかよくわからないですね。
<近況>今、上海なのですが、たまげるくらい大都会です。本当にびっくりするくらい大都会なのです。
そんな麗江の町並はとても綺麗で、あてなくぶらぶら歩いているだけで胸が高鳴るような素晴らしさでした。
今回は写真多めで紹介いたします。
その1
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その2
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その3
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その4
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その5
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その6
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ただし、中国人の観光客の数がやたらと多くて、彼らの「カーッ、ペッ」という例のあれがしょっちゅう聞こえてきます。もちろん地元のナシ族の人からも。そのたびに気分が萎えますが。
中国人団体ツアーの皆様
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町の中心部はどこもかしこもこのような団体で埋め尽くされていました。いたるところで写真撮影をしまくりです。
麗江に着いた初日は、宿探しにとても苦労しました。宿の数はめちゃくちゃ多いのですが聞いても聞いても予算オーバーの宿しかなく、2時間以上かかってヘトヘトになった末、ようやく見つけた予算内の宿が民家に毛の生えたような民宿でした。
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掃除中のピンクの人は宿のナシ族のおばちゃんで、右下に見える青いのは猿を飼っている檻です。というか、何ゆえ猿を檻に入れて飼っているのでしょうか。夜中キーキー鳴いてとてもうるさかったです。しかも、宿泊者名簿を見ると僕の前に泊まった人は2007年9月の宿泊でした。うーん、営業は大丈夫なのか非常に心配になります。部屋はとても綺麗で清潔でしたのでオッケーなのですが。しかし、翌日別のユースホステルに移りました。そのユースホステルは前日必死に探して見つからなかったのですが、落ち着いて探せば簡単に見つかりました。
そんな麗江のユースホステル
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風情があって大変良かったです。それに毎日入れ替わり立ち代りで新しい旅行者がやって来るので楽しかったです。宿泊客は主に中国人なのですが、ドミトリーの中国人は意外と一人旅の人が多かったです。さらに意外なことに英語を話せる人も多くて、話し相手に困るようなことには全くならなかったです。みんな明るくて楽しい人ばかりで、毎晩夜中の2時や3時までビールを飲んだりして、良い思い出の宿になりました。
街中で踊るナシ族
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雲南省の少数民族たちはどの民族もみな歌や踊りが好きなようです。
麗江では近郊の見所として瀘沽湖(ルーグーフー)という所に行きました。ここにはモソ族という可愛らしい名前の民族が住んでいるということです。しかも、ユースホステルで出会った中国人の学生によると、モソ族は女系制と通い婚の文化らしく、女性が家の主人であり、結婚しても一緒に住まずに男性は子作りのために女性の家に通い、子供が出来ても特に男性は世話をするとかは無いのだとか。しかも一人の女性は何人もそういう関係の男性を持っているのだとか。どこまで本当かは知りませんが、凄い話ですね。
そういうわけで近郊というにはあまりにも長い片道7時間の山道バス移動の末にルーグーフーに到着しました。
瀘沽湖
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ボートに乗って湖中の島に行ったりもしました。
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ボートを漕ぐのはやっぱりモソの人で、モソの歌を歌ってくれたりしました。ちなみに行った先の小さな島にはチベット仏教の寺がありました。モソはチベット文化圏ということらしいです。
モソ族の家
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モソ族のダンス
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フエの音にあわせて歌って踊っていました。歌が物凄く上手くて感動しました。
瀘沽湖名物のカエル料理に挑戦してみました。カエルに関しては、日本で学生時代にバイトしていた中華料理店でカエルの唐揚がメニューにあって、よくそれを食べていてそれは鳥の唐揚とほとんど同じ味と食感だったのですが、本場中国のカエル料理はいったいどのような味なのでしょうか。
湖で取れたばかりの牛蛙を調理します。
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この後、台所で包丁で豪快にぶった切られていました。
出来上がり図
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写真ではあまり伝わっていませんが、見た目はかなりグロいです。なぜならカエルの身の部分だけではなく皮膚や骨や内臓がそのままくっついて来ているからです。ぶった切った状態をそのまま調理したみたいです。えいやっと口に入れてみると、これがなかなか白身魚みたいでさっぱりしていて美味しかったです。
そんな感じの瀘沽湖&モソ族観光だったのですが、中国語がさっぱり話せないので結局女系制文化や通い婚については何も判りませんでした。ただ町のあちらこちらに「Girls’ Kingdom」とか「Sisters’ States」といった看板があったので、まあそういう女性中心の文化ではあるんでしょうね。
そして、また7時間バスに乗って山道を揺られて麗江に戻って来ました。そしてビザを延長して、すぐに香格里拉に移動しました。僕は以前中国地図を見ていた時に香格里拉をコウクリラと読んでいたのですが、実はシャングリラと読むのだそうです。なんという中国らしくない名前の町なのでしょうか。そんなシャングリラについては次回にて。
<近況>現在は成都にいます。明日の夜行バスで上海に移動する予定です。
前回のブログでベトナムでは蚊に刺されなかったと書きましたが、中国に出国する直前の国境の町ラオカイで、なんと蜂に刺されました。ミツバチのような小さ目の蜂に。20年以上ぶりに蜂に刺されましたが、昔の記憶以上に相当痛かったです。その後、刺された右膝は腫れ上がり痛痒い状態が一週間くらい続きました。
そんなこんなで、痛痒い右膝をぼりぼりと掻きながら国境を越えて中国に戻ってきました。この旅で3度目の中国入国です。パキスタンからの入国時とは違って、大勢の中国人観光客や仕事のベトナム人でごった返す国境なので、係官も忙しそうで荷物検査も適当でした。国境の中国側は河口(フーコー)という小さな町です。ベトナムとの国境なので、”ベトナム市場”というものがありました。そこを覗いてみると入り口を入ってすぐにいきなり”成人用品”の店が正面にどどーんとあり、その奥には同じような店構えの小さな店がいくつも並んでいて、そのほとんどの店が「香水・サンダル・武器」の3種類の品物を取り扱っているのです。香水とサンダルと武器・・・。なんという不思議な取り合わせなのでしょうか。しかも、その成人用品やサンダルや香水や武器とベトナムとの関連性が良く判りません。一応、市場の中の食堂ではベトナム料理を扱っていましたが・・・。
河口のベトナム市場。
武器(左)と香水(右奥)とサンダル(右)。武器には、飾り用の刀や斧から実戦用と思われるナイフや棘つきナックル、警棒、さらには忍者用の手裏剣まで取り扱っていました。
河口では、ベトナム料理の孵化する直前の卵を食べました。
うーーーーん、グロい。
初めはただのゆで卵だと思って注文したのですが、卵を割ると出てきたのが黄身と白身ではなく、ぬめっとした奇妙な物体で、それを屋台のおばちゃんがハサミでジョキジョキと切り、すっぱいスープと香草を加えて、上の写真のような状態にします。味はさっぱりとしていて美味しかったです。
※※※※※※※※※※8月21日追記※※※※※※※※※※
そういえば、河口についた日(8月6日)が旅に出発した日からちょうど2年目にあたります。出発当初は2年以内に帰国予定だったのですが、ちょっと無理でした・・・。ちなみに、もう一つ。河口がこの旅での訪問都市のちょうど200都市目でした。ちょうど2年目の日に200都市目。なんだか切りの良い一日です。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
中国では雲南省を中心に見て周る予定なので、すぐに雲南省の旅の基点・昆明に移動しました。ちなみに雲南省というところは、中国の他の地域とは違って色々な少数民族が暮らしている所で、独特の古い町並みが残っていて、人も良く、外国人旅行者に人気の地域らしいのです。しかも、その少数民族の名前は、ペー族、ナシ族、リス族、モソ族、イ族、ミャオ族、etcとかなり興味深い名前ばかりで、それだけでなんだかそそられます。ということで、雲南省に行くことにしたのです。
昆明への道中は、ずっと山道というか崖沿いの道をうねうねと通るのですが、ところどころ土砂崩れの跡がありました。道路上に崖から落ちてきた土砂が広がっているのです。毎回バスはそれを避けて通ります。雨季だから、まあ、そういうこともあるのだろうなと思って席の横の窓から外を見ていると、バスの真横の崖から大きさ50cmくらいの石がまさにバスに向かって落ちてきていました。僕のまさに目の前でした。幸いその石はバスに当たらなかったのですが、正直かなりびっくりしました。パキスタンのフンザなどでも前方20mくらいのところでの落石現場は見たことがありますが(その時もかなり怖かったですが)、自分の乗っているバスにダイレクトでぶつかりそうな落石を見たのは初めてです。さすが、中国。東南アジアのようなゆるい旅はもうさせないぞ、という警告なのでしょうか。
実際、東南アジアから中国に戻ってくると、いろいろな面で中国はやっぱりスパイスが効いているなと感じることが多いです。まず、英語が全然通じない。そして、屋内や車内でも関係なく床に痰を吐く。最後に、地獄トイレ。(地獄トイレとは、床に穴が数個開いているだけの水洗設備が無く、過去の使用履歴がはっきりと目視でき、鼻が腐るんじゃないかと思うほどの悪臭を放つトイレのことです。バスの休憩所などで遭遇率高いです。食事後に行くと吐き気との壮絶な戦いが必ず起きます。)まあ、英語に関しては、英語が通じない国は今まで幾つも行ってきたのでそれほど苦痛でもないのですが、痰と地獄トイレに関しては、出くわすたびに毎回多大な精神的ダメージを被ります。本当に疲れます。もう、イヤ。
でも、そんな中国に住む中国人たちは親切で、なんというか心があったかいというか広いというかそんな人達が多く、行く先々で嬉しい出来事もたくさん起きるので、そのギャップがなんとも刺激的に感じるのです。なんだかんだ言って中国大好きです。
さて、雲南省の旅はまず大理(ダーリー)からです。ここは、白族(ペー族またはバイ族と読む)の自治州らしく、古いまま残る昔からの町並みに白族が暮らしていました。
大理の町
ペー族の観光用住居にてペー族のガイドと。
北京滞在時、ユースホステルで働いている漢人の女の子が「雲南省は少数民族がたくさんいるから、とても可愛い女の子がおおいわよ♪よかったわね☆」と言っていましたが、確かに雲南省の女の子は北京よりも可愛いような気がします。このガイドの子も可愛かったけど、対応がとてもビジネスライクで逆にちょっと寂しい思いをしました。
ペー族のダンスショーも見ました。
カラフルな衣装。そして明るくてリズミカルな曲でした。しかも美男美女です。写真は、ペー族の結婚式を表現したような感じのダンスです。
大理の田園風景
小さな旧市街を一歩出れば延々と田園風景が広がっていました。大理では自転車をレンタルしてこの風景の中を3時間も走りました。疲れ果てました。
大麻の売人のおばちゃん(青色の長靴)
「ニホンジン?ハッパ?」
大理では何とおばちゃんが大麻を売っていました。普通は男性なのに。めずらしい。
大理で泊まったユースホステルでは、日本語がペラペラで現在はアメリカ留学中の台湾人の女の子とオリンピックの開会式をテレビで見ながら日本語で話をしました。香港の中国返還や台湾の中国併合に関して、当事者の心理を聞けて興味深かったです。香港にも返還賛成派と反対派がいたように、台湾にも併合に肯定的な人もいれば否定的な人もいるのだとか。うーん、どうなるんでしょう。
次回ブログは雲南省のハイライト・麗江についてです。
カンボジアを出て、ベトナムに来ました。前回のブログでも書きましたが、フエやホイアン、ムイネイなどの素晴らしい見所を全部すっ飛ばしてホーチミンとハノイだけ訪問しました。特に観光もせずに宿の近くをぶらぶらと歩くくらいで、他には宿でテレビを見たり、ブログを書いたり、無線LANの繋がるレストランでだらだらとして、時間をつぶしていました。ベトナムは雨季なので毎日雨が降るため、わざわざどこかに出かけるのがおっくうなのです。でも、それ以上に、ベトナムについてから、どうも旅に疲れてきたというか、日本帰国が見えてきて旅へのモチベーションが下がってきたというか、テンションが下がり気味なのでした。せっかく、ベトナムというとても面白い国に来ているのに、残念なことです。(今は中国に戻ってきて、中国の毒のおかげで旅の刺激が復活して、テンションも戻ってきています。やっぱり旅が楽すぎるのは良くないのかも。M旅人としては。)
なので、今回のブログは写真中心でさらっといきたいと思います。
ホーチミン名物・電線
とにかく電線の数が凄かったです。そして、全体的に張られている場所が低いので、場所によっては手を伸ばせば届くようなものもありました。危なくないのか?
ベトナムのヘルメット屋さん
ベトナムの道路はバイクに占領されています。ノーヘル天国の中国とは違ってヘルメット着用が義務付けられているみたいで、みんなヘルメットをしています。そのヘルメットでおしゃれをするのが、ベトナム流です。
ところで、ベトナム人の女の子は全般的に可愛かったです。スタイルもいいです。中国に戻ってきて最初に感じたのは、「むむっ。ベトナムの方が女の子が可愛かったぞ。ほぼ同じ人種なのに。」ということでした。アオザイという民族衣装が、これまたセクシーで可愛くて、そんなベトナム人にとても似合うのです。でも、実際は街中にアオザイを来て歩いているベトナム人がほとんどいません。残念です。アオザイの写真もいいのがありません。とても残念です。
後ろ姿のカフェの店員(アオザイの制服着用)。
上の写真のカフェで無線LANでブログをアップしていると、スコールで道路が川になりました。
写真に写っている道路の向かい側の店は床上浸水しています。
でも、雨が止むとすぐに道路の水ははけていきました。さすが。洪水対策の構造になっているのでしょうね。
ベトナム名物のシクロ(自転車タクシー)
自転車の前に乗客用の座席があるという変わった乗り物です。この後、この運転手とは料金のことで怒鳴りあいになりました。料金について、乗る前の交渉では5千ドン(約40円)と言っておきながら、走り出した途端に5ドルだ、と料金を10倍以上に値上げしてきたので。ベトナム人の観光客向けに商売している人達は、インド人やアラブ人並みに金に汚かったです。
僕の好きな町ハノイ
洋風のオシャレな感じと、東南アジア的な庶民的な感じが、ごっちゃになった魅力的な町でした。町歩きがとても楽しかったです。
ハノイのツーリストエリア。
編み笠をかぶった女性達が、強引に果物を売りつけてきます。押し売りです。僕はライチを買わされました。
ハノイも相変わらずバイクが多いです。
ベトナムといえば屋台食が最高です。レストランで食べてもめちゃくちゃ美味しいけど。
特にベトナム麺のフォーは、何度食べても飽きが来ない感じなので、毎日食べていました。ベトナム人も毎日屋台で麺を食っています。
ここの歩道の屋台はいついっても満員盛況で、歩道を100人ほどのベトナム人が埋め尽くしています。
ここは、フォーだけではなく、ビールとつまみを出す店で、まるで居酒屋のような感じでした。すごい熱気です。
ベトナムの夜は町のあちらこちらで奥様達がエアロビに励んでいます。
他にベトナムについて特筆すべきことは、なぜか蚊が少ないということです。タイやカンボジアで悩まされた蚊に、ベトナムでは全く出会いませんでした。同じような地域の同じような気候の国なのに。とても不思議です。もちろん、もっと田舎に行けば蚊はいるのでしょうけど。ホーチミンやハノイのエアコンの無い安宿では窓にネットが無いので、凄く不安だったのですが一度も蚊にさされることは無かったです。カンボジアでは一日に20箇所とか刺されていたのに。
ということで、東南アジア最後の国ベトナムも終わりました。今回、東南アジアの旅はとても急ぎ足の旅になってしまったのですが、東南アジアの魅力はある程度理解できました。物価が安い割りには十分に発展していて旅行が楽で、食べ物がメチャクチャ美味しくて、文化的にも自然的にも見所が多く、人がマイルドで接しやすく、ショッピングが楽しくて、しかも日本から近いという。いやあ、素晴らしい。リピーターが多いのも納得です。僕も、東南アジアにはきっとまた来たいと思います。その時は、たんまりと金を持って来て、そこそこ良い宿に泊まり、美味しいものを食べまくり、おみやげを買い漁りたいと思います。
今は中国の雲南省・大理(ダーリー)にいます。毎日しとしとと雨が降っていて憂鬱なのですが、今日、オリンピックでサッカー日本代表が負けて予選敗退が決定したので、余計に憂鬱です。中田英寿や俊輔小野稲本の黄金世代以降、長らく谷間世代と言われていますが、次の山が来るのはいったいいつなのでしょうか・・・・・・・・・・。
明日麗江(リージャン)に移動します。
タイの次はカンボジアにやって来ました。タイでは、チェンマイ、アユタヤ、ゴーゴーバーなど僕の行っていない見所がまだまだ残っていたのですが、先を急いでカンボジアへ行きました。
カンボジアといえば何といってもアンコールワットですね。この2年の旅で最後に残った超大物観光地です。世界3大遺跡といえば、ピラミッド、マチュピチュ、アンコールワットですが、僕の会った旅行者からの評判が最も良いのがアンコールワットであり、先の二つは会社員時代の短期旅行で既に見ているので、まさにこの旅の終盤を飾るにふさわしい最後の真打ち登場という感じです。
バンコクからアンコールワット(町の名前はシェムリアップ)への陸路の道は悪路として有名ですが、現在はかなり舗装されていて、どちらかといえば快適な移動でした。国境でカンボジア人のツアーエージェントが、カンボジアにはATMが無いとか、1ドル=3300リエルだと嘘の両替レート(実際は1ドル=4000リエル)を教えてきたりとかがあって、うざかったですが。
随分とならされたシェムリアップへの道
周りは360度草原で、空がとても広かったです。
このバスで日本人旅行者二人と知り合い、一緒にタケオ・ゲストハウスという日本人宿へ向かいました。その二人は、ヒロくん(爽やか)とヒデローくん(お笑い)といい、今後のシェムリアップ観光を共にすることになっていきます。ちなみにタケオという宿は武夫という日本人が経営しているわけではなく、オーナーはカンボジア人のおばちゃん(その名もモムさん)でした。名前のタケオというのも、武夫という日本人名とはどうも関係なくカンボジアの地名らしいです・・・。
そのタケオには、多くの日本人が泊まっていて、久しぶりに酒を飲みながら日本人とワイワイ騒ぐという場にめぐり会えました。いやあ、楽しいです。大勢で酒を飲んで騒ぐのなんていつ以来だろう。中国では日本人グループに会わなかったし、欧米人グループと出かけることもなかったし、インドやパキスタンはほぼ禁酒状態なのでそんな機会は無かったし、どうやら去年のイスラエル滞在まで遡らなければならないっぽいです。なるほど。やけに楽しく感じると思ったら、そんなに長く酒を飲んで騒ぐということをしてなかったのですね。そして、そこでは別のヒロくん(エロい)というのがいて、彼がタイのゴーゴーバーの達人で、ゴーゴーバーの話で盛り上がりました。ああ、そんなに楽しい所なのなら、行っておけば良かったと後悔しました。タイでは、あまり他の旅行者との出会いが無くて、「今日はゴーゴーバーへ行こう!」という機運が無かったのです。勝手が分からないのに一人で行くほど、行きたかったわけでもないし・・・。しかし、今思えば無理してでも行っておけば良かったです。そういえば、バングラデシュなどで一緒だったKヘイ・Kスケの関西ドレッド・コンビも「タイの見所はゴーゴーバー」と言い切っていたなあ。しかし、もう遅い・・・。まあ、将来の楽しみに取っておくことにしましょう。
そんなこんなで、Y談で盛り上がっているときに3人目のヒロくん(鬼畜)が現れて(日本人旅行者には本当に”ヒロ”という名前が多いです。この日ヒロ3人目の彼はなかなかの鬼畜でした。でもビールを奢ってくれました。)、明日ベンメリアというちょっと遠い遺跡に車をチャーターしていかないかと誘われました。ここで、ちょっとだけアンコール・ワット観光について説明すると、アンコール・ワットというのはもちろん遺跡の名前なのですが、その周辺には”アンコール遺跡群”と呼ばれる多数の遺跡があるのです。有名なアンコール・トムなどもその一つなのですが、アンコールワットを観光するというのは、そんなアンコール遺跡群をアンコールワットを含めて複数観光するのが一般的なのです。その中で、ベンメリアというのは、ガイドブックのお勧め度はかなり高いものの、シェムリアップから80kmも離れているので僕は行くのを半ば諦めていたのです。しかし、みんなで車をチャーターして行くのなら別です。これ幸いとばかりに、その誘いにみんなで乗っかりました。
翌日、結局参加者は日本人ばかり10人も集まったみたいで、チャーターしたハイエースに乗り込みベンメリアへ行きました。道中、たくさんの選挙カーや選挙バイクと出会いました。翌日がカンボジアの大きい選挙だったみたいで、カンボジア人はみんな大挙して道路へ出てきて自分の応援する政党の選挙活動に励んでるようなのです。そんな車やバイクの列が数キロに渡って続いていて、まるで暴走族のようでした。人数的にはシェムリアップという小さい町の半分くらいの人が参加しているのではと思うような大人数でした。
探検気分のベンメリア観光
森林の中にある遺跡で、自然と遺跡の融合が味わい深かったです。
日中は遺跡観光を満喫し、夜は一緒にベンメリアに行ったナミちゃん(富士の樹海で育った美女)とイトウさん(広告関連の会社に就職予定の野獣。というかオタク)コンビが北朝鮮レストランに行くというので、ベンメリア参加メンバーみんなで一緒に連れて行ってもらうことにしました。カンボジアはどうやら北朝鮮や韓国との繋がりが深いらしく、いたるところに韓国料理屋があります。なかでも平壌レストランというのが、北朝鮮政府直営の店で、あの有名な喜び組の歌と踊りのショーが見れるということらしいのです。
喜び組の華麗なるダンス
しかもビールを注いでもらえる
でれでれ
写真撮影もオッケー
でれでれ
さすが将軍様のお眼鏡にかなっただけあって美女揃いで、男性人はみんなデレデレと鼻の下が伸びっぱなしでした。うふふふふ。でれれれれれ。
この平壌レストランでシコタマ酒を飲み、その勢いで宿に帰ってからもみんなで飲んで騒ぎました。いやあ、ほんっとうに宴会っていいですね。
<8月11日追記>そういえば、平壌レストランでは犬肉を生まれて初めて食べました。割と美味しかったです。
そんなこんなで夜遅くまで飲んだのですが、翌日は朝の4時に起きてアンコールワットの日の出観光に出かけました。バスで出会った一人目ヒロくん(爽やか)とヒデローくんとユリエちゃん(副社長)と4人です。
アンコールワット入口にてナイフを持って人間に凄みを利かせる門番猿
アンコールワットの次はこれもまた有名なアンコールトムへ。
さすが有名なだけあって見応えありました。
最後にタプロームという遺跡へ行きました。
ここは、遺跡が木に侵食されて崩壊しているという面白い場所でした。
夕方はプノン・バケンという遺跡兼夕日観光ポイントへ行く予定だったのですが、この日一日お世話になったサリーという可愛い名前(でも男)の日本語ペラペラのトゥクトゥクドライバー兼ガイドがトンレサップ湖というところの夕日が素晴らしいと猛烈にプッシュしてくるので、渋々そこへサンセットを見に行くことにしたのですが、これが予想外の大ヒットとなりました。
トンレサップ湖に向かう川に浮いている家とそこで生活する人
トンレサップ湖に関する情報が全く持ってなかったので、まさか人が水の上で生活しているところを見れるとは思っても見ませんでした。いや、びっくりです。船と家の中間のような建物が川の両岸にぷかぷかと浮いていて、それが長々と続いているのです。その多くの家が玄関ドアを開けっぱなしなので、中の生活が丸見えなのでした。台所で料理をしていたり、テレビでキックボクシングを見ていたり、ビリヤード台があったり、子供がハンモックで寝ていたり、驚きの光景の連続でした。ガイドが言うには、子供達は中学校までは水の上の学校に通うのだそうです。教会も水の上に浮いていました。生業はだいたい川魚捕りらしいです。家の底に網を張っておけば勝手に魚が捕まるらしいのです。なんて楽な。
中には船そのもののような家に住んでいる人も
移動はもちろん船のみ
水上教会
そして、そんな光景の続く川をひとしきり進んでいくと突然海のような見渡す限り泥水の場所へ出ます。そこがトンレサップ湖です。対岸が全く見えない広さで、まさに海のような感じなのですが、水が青じゃなくて茶色なのが異世界的な感じで痺れました。この時点で感動はかなり高まっていて、サリーの言うとおりにトンレサップ湖に来てよかったと大満足だったのですが、その後、帰り道で見たサンセットがかつて見たことの無い美しさで、感動はさらに高まって最高潮となって、この素晴らしい一日にふさわしい締め括りとなったのでした。
夕食はサリーおすすめの店でカンボジア風・焼肉とカンボジア風・鍋でした。うまかったです。
最初から最後まで本当に幸せな一日でした。
そんな楽しいシェムリアップの次は、首都プノンペンに移動しました。また一人旅です。着いた初日は3人目のヒロくん(鬼畜)と偶然再会して、駐車場のような場所の屋台で深夜まで飲んで、鬼畜トークに花を咲かせて楽しかったのですが、翌日、トゥール・スレーン博物館というポル・ポト派の虐殺について展示してある所へ一人で行きました。シェムリアップでの楽しかったムードは吹き飛び、いきなり重苦しいムードです。この博物館は元クメール・ルージュの強制収容所だった場所で、なんともいえない暗いムードが漂っています。
収容された人の写真が全員分展示されていました。
赤ちゃんと一緒に収容された女性
ポル・ポトは農村で働く人こそが本当の人民であるとして、当時の知識人や都市生活者を社会の悪として決めつけ、その多くを収容所送りにして次々と殺したのですが、ポルポトの経歴を見ると、フランスに留学して帰国後はフランス語教師で働いていたらしい、って完全に都市生活者の知識人やんけ!と思いっきり突っ込みたくなりました。
狂気の理想主義者ポル・ポト(左)
見学中にスコールが来ました。台風のような暴風雨で、窓が開けっ放しのこの博物館内にも激しく吹き込んできました。そして、上記のポル・ポトの写真が風によってばたんっと落ちたのが印象的でした。
雨上がりのプノンペンの町
そんなこんなで、現在はベトナムのホーチミンです。ベトナムではベトナム料理を食べる以外は特に何もする予定は無い(というか何をしたらいいのか良く判らない)ので、さっさと中国に戻ろうかと思います。今夜、2泊3日の夜行列車で首都ハノイに向かいます。
ビエンチャンからの夜行バスで早朝バンコクに着きました。僕の中ではアンコールワットと並ぶ東南アジア観光の目玉です。それに、初めてのタイ、初めてのバンコクです。超有名都市、そしてバックパッカーの聖地(と僕が勝手に思っている)バンコクはいったいどんなところなのか、ワクワクします。
ところで、バンコク行きの夜行バスでは、アジアでは珍しく長身の黒人男性と席が隣になりました。冷房があまり効いていなくて全身がねっとりするような蒸し暑さのバスの車内で、彼は僕にビスケットを差し出して、話しかけてきました。僕はありがたくビスケットをもらって、日本が大好きだという彼と話をしました。南アフリカ国籍でカメルーン出身の彼はバンコクのサッカーチームでプレーするサッカー選手らしいのです。彼のチームはタイのトップリーグの中でも強豪チームらしく、先日のワールドカップ予選で日本代表と戦ったタイ代表にもチームから何人か代表として参加していたらしいです。そんな彼のタイサッカー界に関する話は興味深かったです。タイのサッカーリーグはプロ化していなくてまだセミプロらしく、とにかくレベルが低いことを嘆いていました。去年はタイの北部の町ウドンターニとかいう所でプレーしていたらしいのですが、そのチームにバックパッカーでふらりと訪れた韓国人学生二人組みがチームに参加するといきなり主力になってしまったそうです。黒人の彼も「韓国人はとにかく体が強いくて運動量があるね。」と言って驚いていて、韓国人は90分間フルに動き続けるけど、タイ人は最初の20分だけ動いたら後はグダグダになるのだそうです。タイではやっぱりムエタイ(タイのキックボクシング)が人気があるスポーツで、サッカーはまだまだ発展途上なのだそうです。(ちなみに彼もやっぱりパクチソンを日本人だと思ってました。)上述のワールドカップ予選を彼はスタジアムに見に行ったらしいのですが、観客席には日本人観客の方が多く、タイ人もタイの応援を特にするでもなく、みんな中村俊輔のプレーばかり見ていたそうです。そんなタイを嘆いていました。そして、そんなタイでプレーする彼は、この後数年間は東南アジアでプレーした後、日本か韓国でプレーし、そこで認められて最終的にはフランスリーグへ行きたいのだそうです(彼はカメルーン出身なのでフランス語が話せる)。ちなみに彼の名前はPatrick Peka(パトリック・ペカ)で、ポジションはフォワード、背番号は27番だそうです。いつか彼が日本に来てJリーグでプレー出来たらいいですね。
前置きが長くなりましたが、タイ・バンコクです。ラオスからタイへ入国した瞬間、発展度合が怖ろしく上がり、北部の名も無き町ですらラオスの首都ビエンチャンを遥かに越える都会ぶりです。どんな地方の町でも日本のコンビニ・セブンイレブンが大量にあるのが印象的です。そんなタイの首都バンコクは、やっぱり物凄い大都会でした。これはもう日本の大都市と比べても全く遜色の無い大都会っぷりです。中国も十分に発展していたので、今までのように発展途上国から突然都会に来れて大喜びの大興奮という感じでは無いのですが、コンビニの多さや(セブンイレブンが日本以上にたくさんある。ファミリーマートもあった。)、ATMの多さや、伊勢丹などの百貨店があったりするところが、なんというか、予想を遥かに超えて洗練されていて便利な感じなので、バンコクってやっぱりすごいな、という印象です。空気が悪いとか、渋滞が酷い、などの噂を聞いていましたが、どちらも北京に比べたら全然マシでした。暑さもラオスに比べたらマシだったし、非常に過ごしやすい場所です。
バックパッカーにとって聖地の中の聖地カオサン
カオサンは屋台やらみやげ物やが密集していて、欧米人バックパッカーや地元タイ人、みやげ物の売り子などで大混雑です。凄い熱気です。日本人は想像していたよりも随分と少なかったです。それに比べて欧米人の多さは凄かったです。何処を見ても白人だらけでした。
タイ飯の屋台
タイといえば、やっぱりタイ料理です。屋台で食べようが、レストランで食べようが、まず間違いなく美味しいです。中華料理も美味しかったけど、タイ料理のほうが、僕個人的には好きです。ほとんど外れが無いし、油っこくないところがいいですね。
そんなタイ料理ですが、当初は虫歯に苦しみながら、柔らかくて噛みやすい焼きソバなどを主に食べていました。しかし、コンビニで買った日本風せんべいを、一瞬油断して虫歯のある左側の歯でがりっと噛んでしまった時に激痛に見舞われ、それ以来、水を飲むだけでも痛むくらいに虫歯は悪化してしまったのでした。日本帰国までは治療せずになんとかごまかしながら残り短い旅の期間を乗り切ろうと思っていました。でも、もう無理です。完全に無理です。歯が痛すぎて食欲が全く無くなってしまいました。気分も悪くなって、外出する気も起きなくなってきました。外国で歯医者か・・・。それは辛い。かといって、歯の治療のために帰国なんて嫌だし。そういえば今は日本の健康保険から外れているので、日本で治療したら凄い治療費がかかりそうだな。うーん、どうしよう・・・。
そういえば、パキスタンのフンザで出会った長旅の女性(なんと日本を出て10年以上)がインドで何度も歯医者に行っていると言っていました。インドで歯医者・・・。でも、その人はインドの歯医者も全然大丈夫だと言っていました。インドで大丈夫ならタイのバンコクなんて、さらに大丈夫に違いないはず。そうして、バンコクで歯医者に行くことを決心し、僕はインターネットでバンコクの歯医者さんについて調べてみました。すると、カオサンにある日本料理店”竹亭”の人が、バンコクの安くて良い歯医者を紹介してくれるみたいなのです。早速、竹亭に行って住所の書いてある名刺をもらいました。その日は日曜日で休みだったので、次の日の朝に早速歯医者に行きました。先生も助手の人も全員女性(それも結構美人orかわいい)の歯医者さんでした。先生は片言の英語しか話せませんでしたが、まあなんとかなりました。診察してもらうと実は4本も虫歯があったみたいで、それらも全部治してもらいました。久しぶりの虫歯の治療は、ちょっと空気を当てられただけで飛び上がるくらい痛かったのですが、あまりにも僕が大げさに痛がるので、見かねた先生にたっぷりと麻酔を打ってもらい、それ以降は痛みを感じることも無く、治療は無事につつがなく終了しました。でも、治療後一時間くらい経って麻酔が切れると、歯が痛み出して不安になりましたが、2日くらい経つと新しい詰め物が歯に馴染んできたのか、痛みも消えて焼きソバはもちろん硬い肉ですら噛み切れるようになりました。いや、ほんと歯が治って良かったです。この一ヶ月くらいは、せっかくの美味しい中華料理やタイ料理も心から楽しめていませんでした。歯にやさしそうなメニューをできるだけ選んで頼むようにしたりしなければならなかったし。でも今は全力100%で楽しめるようになりました。歯医者さんに感謝。竹亭に感謝です。
ショッピングが楽しいMBK
カオサンにある漫画喫茶(さくらゲストハウス内)
バンコクに長期滞在する日本人の気持ちが少し分かりました。読んだのは柔道部物語やワンピースなど。やっぱり漫画っていいですねぇ。早く日本に帰って漫画喫茶に篭りたいものです。
タイのお寺その1(夜景)
お寺その2(お昼)
オレンジのタイル屋根が東南アジアっぽいです。
ムエタイも観戦しました。大枚(6400円)をはたいてリングサイドの最前列で観戦しました。会場は意外にもガラガラで、リングサイドに座っているのはほとんどが外国人観光客でした。日本人も多いです。普段から日本人が多いのでしょうか、場内アナウンスはタイ語、英語、それに日本語でされていました。リングサイドには可愛い日本人のウグイス嬢が座っていました。
8試合くらい試合があったのですが、前座の4試合くらいは体重が40kgそこそこの小学生くらいの子供の試合でした。でも、ちびっこ選手達の技術はきちんとしていて、なにより試合への集中力や勝利への執念が凄くて、会場からの野次(おそらく賭けをしている人たちから)も激しく飛び交い、思いっきり蹴り、思いっきり殴っていました。どの試合も緊張感があり、試合に引き込まれてしまいました。日本のテレビでムエタイを見た時は、派手なKOが少なく、首相撲からの膝蹴りの打ち合いが主体で地味な印象を受けていたのですが、間近で見ると膝蹴りがわき腹にバシンという大きな音を立てて突き刺さるのがリアルに痛そうで迫力があり、それは例え子供の膝蹴りだったとしても相手も子供なので凄い痛そうで、ムエタイという競技の過酷さに驚きました。
ちびっ子戦士
メインイベントは日本人(赤)とタイ人(青)の試合でした。この試合のみ唯一60kgという一般の大人の体重での試合でした。
日本人のハイキックを紙一重でかわすタイ人。スピードとテクニックで勝るタイ人の判定勝ちでした。この試合の後、なんと選手との記念撮影会があり、試合直後の両選手と写真を撮らせてもらいました。ガンガンに蹴り合った直後なのに、両選手ともリングサイド席のお客さん一人一人と笑顔で写真を撮らせてくれて、ムエタイ選手のタフさに驚きました。
タイでは、1年ぶりにスキューバダイビングをしてみました。南国の小さい島・タオ島です。今回は、ダイビング中にどうもトイレが近くなってしまい、不本意ながらも海中での放尿に初チャレンジをしてみました。ウエットスーツ内に広がる液体は、あったかかったです。オ、オホン(咳払い)。もちろん、タオ島の海は素晴らしく、キンセンフエダイの大群(数十万匹?)という今まで見たことの無い素晴らしいものも見れました。視界がキンセンフエダイのキラキラした黄色で埋め尽くされました。巨大なカーテンのようでした。
タオ島のビーチの朝
そして夕焼け
ということで、歯痛も治り今は万全の体調です。タイの次はアンコールワットのカンボジアです!
(現在は、そのカンボジアも終わってベトナムに滞在中です。)
<8月2日追記>
そういえば、なんで「極楽タイ旅行」というタイトルにしたのかを書くのを忘れていました。タイ式マッサージが極楽的に気持ちよかったからです。上述の黒人サッカー選手ペカも良く行くと言っていました。