北京で体調を崩し予定外に長く滞在してしまったので、ここからは大急ぎで東南アジアを目指します。なぜ急ぐのかと言うと、中国のビザ無しでの滞在可能期間がたったの15日間なので、ゆっくりしているとオーバーステイで一日500元(約8000円)という高額の罰金を取られてしまうからです。それに、急ぐ理由はまだあります。全部で2年間という予定で出発したこの旅も気付けば1年と11ヶ月が経ってしまい、帰国予定は2008年8月のはずが、中国と東南アジアを今まで通りのペースで旅を続けていると来年の帰国になってしまいそうなのです。(どんなに急いでもさすがにちょうど2年目となる8月6日の帰国は厳しそうですが・・・。)また、旅の最初の方からじわじわと歯を蝕んできた虫歯がパキスタンあたりから突然酷くなり、食事中に激痛が走るようになったので、早く日本に帰って治療をしたくなったというのもあります。
とにかく、ここからは大急ぎで東南アジア4カ国を周り、中国と韓国経由で陸路帰国を目指すのです。この先のルートで最低限押さえておきたいポイントは、東南アジアでは、タイのバンコク(バックパッカーの聖地ということで)とスキューバダイビング、カンボジアのアンコールワット、そしてベトナム料理、といったところです。東南アジアについては元々大して知識が無い上に、ガイドブックも無いのでそれくらいしか分かりません。まあ、見所を知らないというのは、急いでいるので好都合です。そして、中国に戻って、雲南省や上海などを周り、大連辺りから船で韓国に渡り、釜山から船で日本に帰りたいと思います。
北京からはまず、雲南省の省都・昆明(クンミン)を目指します。どうやらここからラオスへ行けるようなのです。ラオスについては、ほとんど全く情報が無いのですが、東南アジアに行ったことのある旅人は口を揃えて「ラオスはよかった」と言うので、どんなところなのか興味はあります。残念ながら長居はできなさそうですが・・・。
北京西-昆明の列車はなんと580元(9300円)もかかりました。一回の陸路移動で5000円を越えるなんて、アジアの旅では破格の高値ですが、よく考えてみると昆明まで3200km、2泊3日の40時間を快適な寝台車で移動できるのだから、安いものなのかもしれません。
北京では、遅めに宿を出て渋滞に巻き込まれたので、北京西駅に着いたのは出発の10分前でした。バックパックを背負い全身から汗を噴き出しながら全力疾走し、大急ぎで出発ロビーへ行くと、電車の発射時刻は10時間も遅れていたのでした。10分遅れではなくて10時間遅れ。どうやら雲南省で大雨があり、北京まで電車が着かなかったそうなのです。17時発の電車が翌日の深夜3時発に・・・。こればっかりはどうしようもないので、10時間待たなければならないのですが、出発ロビーには既に”俺達は10時間をここで過ごすぞ!”という準備万端の中国人達がそれぞれのグループで新聞紙をひいて寝転んだりして場所を確保し、カップラーメンや弁当や野菜や果物を食べたりしてくつろいでいます。例のごとく床は食べ物のカス等で汚れています。しかし、北京西駅には休憩所という便利なものがあり、25元(約400円)を払えばエアコンの効いた大部屋のソファで寝転がって休めるようなのです。バックパッカーなら待合室で中国人に混ざり雑魚寝をして10時間を過ごすのが、正しい姿だとは思いますが、この日はそんな元気はなかったので大人しく休憩所を利用しました。非常に快適に10時間を過ごせました。
待合室で寝る人たち(深夜2時半)
電車はきちんと深夜3時に無事出発しました。その後の電車の旅も寝台のベッドでゴロゴロしながら本を読んだりしていると、あったいうまに40時間は過ぎて昆明に無事着きました。いやあ、本当に中国の夜行列車移動は快適で楽ですね。車内販売の弁当もおいしいし(歯は痛いけど)。昆明は、ウルムチや西寧などの地方の省都同様、さすがの大都会でした。中国は、どんなに北京や上海から離れている地方に行っても省都に関しては大都会ですね。
昆明の路上マッサージ屋
仕事帰りのお父さん達が頭や肩や足を揉んでもらっていました。
昆明で一泊して翌日夕方発のラオスの首都ビエンチャン行きのバスに乗りました。なんとこのバスも乗車時間40時間の2泊3日バスでした。インターネット情報によると、この昆明発ビエンチャン行の寝台バスは、新しくきれいで乗り心地が良く、その上乗客も少ないという話でしたが、実際乗ってみるとそうでもありませんでした。乗客はめちゃくちゃ多くて車内は人と荷物で溢れかえり、なんと通路にマットを引いて寝ている親子までいました。しかも乗客の大部分はガタイのいい中国人のおっちゃんなので、暑苦しさ・息苦しさ満点です。車内に入ったとたん、汗臭さにムッとします。僕の席(ベッド)は最後尾で、広いベッドに5人が川の字になって寝るスタイルでした。両隣は中国人のおっちゃんと若者なのですが、就寝中は誰かが寝返りをうつ度に体が接触し、その度に眠りが妨げられるし、クーラーは大して効かず蒸し暑いし、とにかく寝苦しかったです。とはいえ一応中国の寝台バスなので、アフリカやインドの夜行バスに比べると天国のように楽でしたが。
寝台バス
老●万象と書いてラオス・ビエンチャンなのだそうです。万象の町ビエンチャン。
おっちゃんで溢れかえる車内
酒やつまみを持ち込んで宴会風になったりもします。
道中でのラオスの風景
泥の色をした川が流れ、ジャングルが広がり、アマゾン川のような雰囲気でした。
そんな寝苦しい夜を二回耐えるとラオスのビエンチャンに到着しました。朝早い時間に到着しましたが、大雨でした。今のラオスは雨季で、僕が滞在している間は毎日、一日のうちに何回も晴れと強い雨を繰り返す典型的な雨季の天候でした。気温は常に高く、めちゃくちゃ蒸し暑いです。今まで訪れた国の中では最も日本的な蒸し暑さを感じさせる国です。
バスの乗客の95%が中国人だったのですが、そのうちの一人がビエンチャンで宿を経営しているおばちゃんで、車で宿まで送ってくれるということだったので、その宿に行くことにしました。ガイドブックも地図も無いし大雨の中で宿探しをする気力も無いので、ちょうど良かったです。その宿は完全な中国人宿で、ラオス語などのラオスを感じさせるものは一切無く、中華料理のレストランが併設され、従業員も宿泊客も全て中国人なのでした。部屋のテレビも中国のチャンネルしか映らないし・・・。昼前に雨が上がったので外へ出てみると、周りの商店やレストラン全てに中国語の看板がかかっていたのでした。もちろんラオス語で書かれている看板も一緒にかかっていることもあるのですが、中国語の方が断然目立っているのです。なんだかあまりラオスに来たという感じがしません。そういえば、ここに来るバスの休憩所は全て中華料理の店でした・・・。どうやらラオスは中国化していっているみたいです。
ラオスラーメン
さっぱり味で非常においしいです。ラオスでは食事に写真右の野菜皿がつくことが多くて、とてもヘルシーな感じです。中国の油ぎった食事の後なので嬉しいです。
のどかなビエンチャン
これでも首都です。
ビエンチャンに着いたのはいいものの、地図が無いし、現在地がどこなのかもわからないし、タイへの行き方も何もかも分からないので、それを調べることから始めました。まず、宿の従業員に尋ねてみますが、言葉が全く通じないので大した情報は得られず、ネットカフェに行って調べることにしました。このネットカフェも中国人経営で、フォントは中国語フォントしか入っていないという驚きの中国人専用ぶりでした。ここで、ビエンチャンの地図を検索して表示し、従業員(英語が話せる中国人)に現在地とバスターミナルの場所を教えてもらいました。現在地は、意外と町の中心部に近かったです。周囲ののどかな光景からして、きっと中心部からだいぶん離れていると予想していたのですが。
ビエンチャンには一泊だけして翌日タイのバンコクに行くことにして、ぶらぶらと宿の周囲を散歩しました。ラオスは仏教国というだけあって、街中にオレンジの袈裟を来たお坊さんがたくさんいるし、仏教寺院もそこら中にありました。寺院の中へは自由に入れるみたいです。中は意外と広く、お坊さん達の居住スペースがあり、金色にぴかぴか光る仏像がたくさんあり、若いお坊さん達が何かしらお勤めをしていました。のんびりとした平和な空気が漂っていました。
黄金の仏像
寺で共同生活をする少年僧侶たち
若いお坊さんの一人が英語を話せるみたいで、僕に話しかけてきました。彼は大学生で寺に住みつつ大学に通っているのだそうです。そこで英語や経済学を勉強しているらしいのですが、卒業後は就職せずに仏門に入るのだとか。
ラオスは、中国化が進みつつも全体としてはのんびりとしていて、中国的な雰囲気はあまりないのどかな落ち着いた国という感じでした。ここに住んでいる中国人達もラオスに馴染んできているのか、不必要な大声で話す人はいないし、「クァーーッ!ペッ!」と何処でも痰を吐く人もいませんでした。中国の旅での疲れを癒すには良い場所かもしれません。ただ、残念ながらここでのんびりする時間があまりないのですぐにタイへと向かってしまいました・・・。