エチオピアはネット環境が良くないのでまた更新が遅くなってしまいました。
現在、エチオピアの首都アジスアベバです。さすが首都だけあってこれまでの滞在都市とは比べ物にならないくらい都会です。今までの未開民族の村々は何だったの?本当に同じ国?という感じです。
エチオピアから、ついに旅がハードになってきました。さすがアフリカという感じです。
<エチオピアうんちく>
エチオピアは最古の人類といわれるルーシーが発見された国です。しかし世界で最も発展の遅れている国でもあります。国土が山や丘ばかりの高地なので、赤道にかなり近いにも関わらず気候は過ごしやすいです。宗教はクリスチャンとムスリムが6:4くらいらしいです。
<エチオピア所感>
・現地人にうざいやつがいる。スーダン人が天使に思える。顔はスーダン人とあまり変わらず、黒人とアラブ人の中間のような感じだが、目つきが険しくなった気がする。ただ、暴力的な雰囲気は無い。治安はよさげ。
・親切な人がとても多い。よく食堂で食事(インジェラ)をおごってもらっている。しかし、少数のうざいやつがとことんうざい。子供は無邪気でかわいい。うざいやつもいるが。
・基本は洋服だが、辺境民族の人達がマントに裸足という風貌で町を歩いていたりもする。
・移動がつらい。かなりつらい。町と町の間の移動は、基本はバスで、毎日朝6時に出発するため、毎日早朝の5時に起きなければいけない。未舗装の道路で、かなり揺れるし、砂埃が大量に車内に入ってきて服もかばんもどろどろになる。鼻も口も砂だらけ。バス内に立ち込めるエチオピア人の独特の体臭も鼻につく。時間も短くて5時間、普通に12時間くらいかかったりする。しかし、距離的には300kmくらいしか進んでなかったり。
・ただし、車窓からの景色は素晴らしい。山や丘の連なるダイナミックな景色に移動のつらさも多少紛らわされる。
・食事はインジェラかスパゲティなどイタリアン。インジェラというのは、エチオピア独自の食べ物で、びろーんと広がった大きいクレープ生地のようなもの(雑巾とも評される)。それに辛いスープや肉などを合わせて食べる。インジェラは酸っぱくて日本人の口には合わないと聞いていたが、思ったほどまずくはない。もちろん、うまくもない。ああ、日本食が食べたい・・・
⇒これを書いた後に食あたりになった。その後インジェラに対して拒否反応が。。。
・首都アジスアベバのイタリアンは結構いける。
・ホテルについて。水シャワーのところが多い。断水と停電は日常茶飯事。さあ、気合を入れて水シャワーを浴びるぞと思ったところで断水になることもあり、かなり辛い。
・エチオピア名物の南京虫には幸い今のところやれれていない。虫対策として、まずベッドを中心に部屋中に殺虫剤を撒き、ベッドがすっぽり隠れるようにシーツをひき、その上で寝袋で寝ている。南京虫にやられた人の話では痒くて寝れないらしい。できればやられずにエチオピアを出国したい。ノミには割りとやられている。
○ここまでの移動と観光
<1/22 スーダン・ハルツームからゲダレフへ>
宿のおっちゃんにホットシャワー出る?と聞いたら「ホットシャワーはない。アフリカンシャワーだ。」と言われました。何かと思ったら、ホテルの水周りが全て汲み置きだった。洗面台もシャワーもあるのだが、ピクリとも水は出ません。この旅で初めて行水を行いました。これが、アフリカンシャワーね。
<1/23 エチオピア国境越え(ガラバート、メテマ、シェハディ)>
いきなり、ゲダレフでバスの出発を3時間待たされました。初めバスのおっちゃんは15分とか言っていたが・・・。
国境までの道は、凄いゆれと暑さと埃でした。
待ち時間にその辺の市場を冷やかす。でっかいスイカとスーダン人。
ようやくスーダンを出国してエチオピアに入ったら、わらぶきの小屋がイミグレだった。さすが、エチオピア。噂には聞いていたが、実際に来て見るとその発展途上ぶりはかなり衝撃的です。
国境を越えたとたん、人々の顔つきがかわりました。エチオピア人はやけに目つきが険しいです。そして、闇両替やホテルの客引きや、ガイド料請求など、歩いているとうざい現地人が次々とやってきます。スーダンとは別の国なのね、と実感します。
メテマからシェハディという小さい町に移動してそこで一泊しました。着いたのは夕暮れ時でした。しかし、この町(村?)には街灯が無いです。めちゃくちゃ暗いです。星が綺麗です。しかし、ヤギのむれが道の真ん中で寝ているので、空を見上げて歩いていると、うっかり蹴飛ばしそうになります。
<1/24 ゴンダール>
この日から毎朝5時おきの毎日が始まりました。しかし、5時に起きても電気が来ていないので真っ暗闇です。満点の星空です。ホテルのトイレが尋常ではなく汚かったので、我慢しました。頼むからウ○コはトイレの穴にしてくれ。頼むから使った後は水で流してくれ。
早朝のバスターミナルは、エチオピア人たちが殺到して大混乱です。もみくちゃになりながら席取り合戦が繰り広げられていました。Oさんのおかげで(エジプトアスワンから一緒に行動している日本人旅行者)なんとか席が確保できましたが、中には席が無く立っている人もいます。この悪路の中で、数時間バスで立ちっ放しというのは、僕にはかなり無理があるのですが、エチオピア人の子供は割りと平気な顔をして立っていました。
正午ごろにゴンダール着。ゴンダールは、それなりの町でした。久しぶりに舗装されている道に来ました。やっぱり舗装されている道はすばらしい。
エチオピア名物、ユー!ユー!言いながらついてくるガキんちょ。にくたらしくてかわいい(にくかわ)。
ここで、アスワン以来、1週間以上行動を共にしたOさんとは別ルートになります。久しぶりの一人旅です。エチオピアでの一人旅、不安は大きいです。
<1/25 バハルダール>
バハルダールへ向かうバスで早速トラブル発生です。早めに行ってチケットを買って席を確保して出発を待っていたら、「お前のバスはこっちだ」と言われたのでバスを変更。昨日もこの展開だったぞ。頼むぞエチオピア人。とか思っていたら、その移った先のバスの乗客達が8割くらいバスを降りていきました。ひょっとしてこのバスも違うのか?と思って少しだけ残った乗客に「バハルダール行きか?」と確認して大丈夫だったので、安心して乗っていました。しかし、バス発車後の検札の時に、なんと、「このチケットは別のバスのチケットだから、お前はもう一回料金を払え。」と言われてしまいました。そんなことできるか!と日本語でわめきちらしました。(検札が英語できないやつだったので)周りの乗客で一人だけ英語ができるやつがいたので、彼に一生懸命お願いしてなんとか料金を2回払うことは阻止できました。一人になったとたんこのトラブルか・・・。
バハルダールではタナ湖の教会を観光しました。しかし、ガイドの客引きがうざい町です。
<1/26 ラリベラへの移動>
次の日は、エチオピア最大の観光地ラリベラへ移動です。
ラリベラ行きのバスでは、チケット詐欺に会いました。バス会社とは関係ない奴が、さもバス会社の人間のように装って僕にチケットを売って来ました。僕には見分ける術が無かったので思わずそいつからチケットを買ってしまいました。小銭が無かったので、料金の倍の値段のお札を彼に渡してチケットを受け取りました。しかし、彼はお釣は後でチケット係が払うから、と言って僕を安心させておき、僕と雑談をしながら時間を稼いで、バス発車の間際にバスから降りて逃げていったのです。この時はまだ騙されたとは気づいてなく、オフィシャルのチケット係の人に「お釣を返して」と頼めば返してもらえると思っていました。しかし、彼は返してくれません。しかも、英語も話せないので話が通じません。頭にきて日本語でわめきまくったら、周りの乗客はヘラヘラ笑っています。親切なエチオピア人が「お前はだまされたのだ。今後気をつけろ」と言ってくれました。しかし、連日のトラブルにエチオピアへの怒りが爆発です。「Bad counry!Bad coutry!」と英語のわからない人にも通じるように、怒りをぶつけました。すると英語のできるエチオピア人がさすがにそこまで言われるとまずいと思ったのか、色々とお釣が返ってくるようにチケット係に掛け合ってくれたり(しかし返ってこず)、色々と話しかけてくれて、なだめてくれたりしてきました。昼食もおごってくれました。損したのはたかだか800円くらいなので、気分はすぐに良くなりました。しかし、道は悪く、バスは滅茶苦茶揺れています。なんて移動がしんどい国なんだ、と疲れ果てましたが、まだこの日の移動は終わりません。
昼食休憩でインジェラをごちそうしてくれた3人組。
バスは3時くらいにガシェナという町に着いたのですが、なんと乗っていたバスがここで終わりなので、ラリベラ行きは乗り換えなければ行けない、チケットもまた買わなければいけない、と言われてしまいました。ラリベラ行きのチケットを買ったのに、しかも倍額払っているのに、なんという仕打ちだ!と思っていたら、チケット係がガシェナからラリベラまでのチケット代金を返してくれました。そして、30分ほど待ってようやく来たラリベラ行きのバスに乗ろうとしたら、なんと満席。また、がくっと来たのですが、すぐに次のバスがやってきて、急いで乗り込みました。しかし、そのバス料金はなんと返金してくれた額の1.5倍!仕方ないので渋々払いました。しかし、その後、エチオピア人たちが払っている額を見ると、ちょうど返金された額と同額です。チケットを見るとちょうど返金された額が書かれています。かなり頭に来ましたが、車内の揺れ、暑さ、ここまでの疲れ、により、もうどうでも良くなってきました。たかが50円くらいの損ですし。ただ、エチオピア人を信用することは今後二度とないでしょう。
バスが途中で立ち寄った村。エチオピアでは町と町の間にこういう未開の村がたくさんあります。弥生時代に迷い込んだのかと思ってしまいます。(クロノトリガーの原始時代みたいでもある)
6時にラリベラ到着。朝6時から12時間の移動です。それにしても、疲れました。
この日、ラリベラでは女性の日本人旅行者Tさんに出会いました。Tさんも世界一周中で、エリトリアからソマリランドへ船で渡り、エチオピアでヒッチハイクを駆使しながら旅をしているそうです。すごい。しかも、この後はエリトリアから船をヒッチしてエジプトへ渡るそうです。すごい。同じくここで出会ったエチオピア系スーダン人ダニエルとTさんと地元エチオピア人達と地元のバーでエチオピア特産の蜂蜜ワインを飲んで過ごしていると、いつのまにかこの日の疲れもすっかり忘れたのでした。
<1/27-1/28 ラリベラ>
久しぶりに朝の5時に起きない朝。すばらしいです。エチオピア随一の観光地ラリベラを観光しました。
この日は土曜日でサタデーマーケットがありました。近隣の村々からたくさんの人達が集まって来ます。徒歩でいくつもの山を重い荷物を背負って越えてくる様子は圧巻です。
そして、岩窟教会群。12もの教会が、一枚岩を彫りぬいて作られています。特に聖ギオルギスは圧巻でした。
宿にたむろしているエチオピア人に昼飯をおごってもらいながら、色々と会話しました。彼らは、アーミーだったり(つい最近のソマリア攻撃にも参加していたらしい)、デルグ(一昔前のエチオピアの社会革命家)出身のやくざだったり、貧乏学生だったり、境遇は様々だったのですが、共通しているのが宗教・政治・社会問題に関して知識が豊富だということでした。英語も上手だし。エチオピア人を少し見直すことになりました。ただ、彼らはキリスト教徒で、ムスリムのことをかなり悪く言っていたのは、少し悲しかったです。
また、ラリベラでは観光地から少し離れた村で学生達と話をする機会がありました。一通り雑談した後、いつものように「俺達は貧乏だ。助けてくれ。勉強をする本を買ってくれ。」と言われて、いつものようにげんなりして「悪いが助けてあげることはできない」といって断りました。でも、彼らはそれで僕を悪く言うでもなく、「別にいいよ。きにするな。」という感じで、とても爽やかで良い感じでした。その上、別れ際に、聖ギオルギスを模したペンダントを僕にくれて、「ずっと俺のこと覚えていてくれよ」と言いました。ますますエチオピア人を見直すことになりました。
いっちょまえにポージングするガキンチョ
<1/29-1/31 アジスアベバへの移動>
ついに体調を壊しました。多分食あたりです。下痢と嘔吐です。なにが原因かは、心当たりがありすぎます。チャット(噛んで楽しむ葉っぱ)を飲み込んだこと、不衛生な手での食事、生水、移動の疲れ、などなど・・・。ラリベラからデシェというところで一泊して次の日にアジスアベバへ行く予定だったのですが、デシェでもう一泊して体調回復を待つことにしました。その間何も食べずに、体内の食物を全て嘔吐と下痢で出し切ると楽になってきました。
アジスアベバ行きのバスではついに大きなトラブルなく(小さなものはあるが)無事12時間の旅路の末、アジスアベバにつきました。まる2日間まともに食べていないのでフラフラになりながらも、親切な現地人とエチオピア大学に留学中の日本人Y君のおかげで、無事ホテルにチェックインできました。あー、疲れた。そして、腹減った。
しかし、チェックインと同時に外は激しい雷雨になりました。早く外へ出て噂のおいしいイタリア料理を食べたいのに。。。なんという仕打ち。
アジスアベバの後は一路ケニアの首都ナイロビを目指して移動します。噂ではこの移動が東アフリカで最もきついとか。。。不安で胸一杯です。