世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

2007/1/20-21 スーダンの首都ハルツーム

2007年01月22日 01時06分12秒 | アフリカ

明日(2007/1/22)、ゲダレフというエチオピアへの国境近くにある場所へ出発します。そうなるとまたしばらくネット環境はなくなりそうです。なので今のうちにハルツームについて記事をアップしておきたいと思います。

観光は青ナイルと白ナイルの合流と国立博物館の2箇所に行きました。青ナイルというのは、エチオピアが源流で、白ナイルは、ウガンダ辺りがその源流なのだそうです。その二つがここハルツームで合流し、エジプトを通って遥か先地中海に流れ込んでいると言うことだそうです。しかし、行ってみるとあまり色の違いは判りません。そもそも青ナイルはそんなに青くないし、白ナイルもそんなに白くないです。

境界線は判りますか?向こう側が白ナイルで、手前が青ナイルです。

スーダン博物館は入場料が約60円です。安い。もちろん60円以上の価値はありました。昔スーダンがエジプトを征服してイスラエルの辺りまで攻め込んでいたり、イスラム教が入ってくる前はキリスト教の王国が支配していたり、スーダンの意外な事実がわかりました。

スーダン人のキリスト教ハイプリーストの絵。渋いです。

しかし。何よりもここハルツームで印象に残ったのは、下の写真の建造物です。いったい何なのかは不明です。

ハルツームは、車の交通量は多いです。道もばっちり舗装されています。しかも、走っている車は、エジプトで走っている車よりも新しいので排ガスも少なく、交通の秩序も割とあります。韓国車がとても多いです。その次は日本車です。

商店街。活気があります。しかし、歩道にはたくさん椅子がおいてあり、そこでお茶を飲んだりしている人がいたりするので、歩くのは大変です。

肉の串焼きと野菜とパン。スーダンに来てから最もよく食べた食事です。スーダンに来てからは、ついに食事を手で食べるようになりました。意外と違和感無く手で食べれています。

ハルツームは、ここまで訪れたスーダンの町(ワディハルファ、アブハメド、アトバラ)とは全く世界が違っていて結構都会です。さすが首都です。活気があります。でも、人々は相変わらずフレンドリーで優しいです。
入国するまでは、ビザ代が高かったり、国境を渡る船が週一本しかなかったり、外国人の入国をかなり制限している様子で、さすが内戦中の国という感じもしたのですが、いざ入国してしまうと、そんな感じは全く無いです。いたって平和な国です。平和すぎる感じです。
ワディハルファでは、ダルフールという内戦中の地域から来たと言う学生に出会いましたが、とても優しい笑顔で「ダルフールは安全なところだよ」と言っていました。本当かどうかはわかりませんが、とにかく、なにもかもピースフルな国です。

スーダンは、移動が長時間だったり、宿にホットシャワーがなかったり、物価が意外と高かったり、としんどい面もありましたが、それ以上に人の親切さや、旅情溢れる砂漠の風景に、旅の良さを感じることが多かったです。

次は、エチオピアです。虫、移動の辛さ、食事の辛さ、と三重苦を持つ東アフリカ屈指のハードな国らしいです。しかし、その反面それらを克服できた人にとっては、アフリカで最も良かった国として心に残るそうです。果たして僕はどちらになるのか・・・。

エチオピアの後は、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア、マラウィ、ジンバブエ、モザンビーク、南アフリカ、と旅行する予定です。各種状況により、変更される可能性は大きいですが。


2007/1/14-1/19 リアルアフリカへ(スーダン)

2007年01月20日 23時22分45秒 | アフリカ

ついにアフリカ南下の旅が始まりました。
スーダン国境の町ワディハルファは、その始まりにふさわしい場所でした。砂漠の上にぽつぽつと建物がたつ町。
長い船旅の末スーダンに着いた日の夜、ホテルへ向かうピックアップトラックの荷台に他の旅行者達8人と詰められ座り、そこから見た風景は、この旅で最も「旅をしている」という非日常の実感を感じさせるものでした。街灯など全く無いただの砂漠の上を砂煙を上げてガタガタ揺れながら走り、後ろから追い越そうとして迫る他の車のヘッドライトが砂煙を照らして浮かび上がる。思わず「アフリカに来たんだ」と口にしました。隣に座っていた白人旅行者がそれに応えて、「This is Real Africa!」と叫びました。
いよいよアフリカ南下の旅が始まりました。

今はスーダンの首都ハルツームです。さすがにそれなりに都会です。相変わらず街灯がほとんどなく夜は真っ暗ですが、高いビルがあり、道は舗装されており、昼間見ると町としての体裁は整っています。久しぶりのネットカフェもあります。物も溢れています。フレッシュジュースは相変わらずとても安くておいしいです。

エジプトのアスワンからここまでの道のりは、これまでで最もハードなものでした。

<アスワン>
エジプト最南端の町アスワンにはスーダン行きの船が出る前日の昼に到着しました。ここで、日本語の情報ノートがあるマルワホテルという宿にチェックイン。同部屋に日本人男性のOさんという人がいました。同年代のOさんとはアフリカをケープタウンまで南下した後、南米に飛ぶと言うルートが同じでした。もちろん明日のスーダン行きの船も同じです。(5年前に一回エジプトに来ているというところまで同じでした。)
荷物を置いて「切りかけのオベリスク」という観光地に徒歩で行きました。割と地味な観光場所なのですが、アスワンの主なところは5年前に行っているので残っているのはこれくらいなのです。なんでも大昔に遺跡を作るのための石を切り出している途中で作業がストップしたみたいで、そのまま作業途中の状態で残っているのだそうです。
徒歩で20分くらいで行けるそうなのですが、歩いても歩いてもなかなか着かないので不安になってきて、その辺のエジプト人に道を尋ねてみました。すると、その若いエジプト人の二人組みは自分達と逆方向なのにわざわざそこまで連れて行ってくれました。バクシーシの要求も無く。ただメールアドレスを交換して写真を撮って別れました。なんとも爽やかな別れ。エジプト人は、うざいとか、ぼってくるとか言われていて割と旅行者に評判が悪く、その中でも特にアスワンは評判が悪かったのですが、こういう良いことがあって、とても爽やかにエジプトを去れそうです。と思ったら、宿への帰り道に、ガキンチョの集団(10人くらい)に「ジャッキーチェン!アチョー!」とかやられてもみくちゃにされて、全然爽やかではなくなりましたが・・・

切りかけのオベリスク(結局閉館で入れなかった)をバックにナイスガイエジプト人学生と。

<スーダン行きの船>
翌朝港へ行きました。船の出航時間は夕方らしいのですが、場所取りが必要なので早めに行くのが良いという情報があったので9時には港に着きました。ここで、カイロで船のチケット取りなどでいろいろとお世話になったSさんカップルと合流しました。どうやらスーダンまではOさんを含めて日本人4人で向かうことになりそうです。

10時に乗り込んで早速2等船室(ベンチがならんでいる広い部屋)で場所を確保しました。

2等船室。時間が経つにつれ、ここは人と荷物で溢れかえって行きます。

しかし、ここがガソリン臭いのです。かなり気分が悪いです。Sさんカップルは1等船室で2段ベッドの個室だったのですが、部屋の床なら使っても良いと言うありがたいオファーがあったので、そちらへ移らせてもらいました。たとえ床にシートを敷いて寝袋で寝るだけとはいえ、2等船室や甲板の上に比べると遥かに快適でした。

甲板の上。2等船室に入れなかった人達と荷物で溢れかえっています。しかも夜は凍えます。

船はなんと夜の9時まで出港しませんでした。船の中で11時間待ち。
夜11時頃、甲板の上に出てみると完全な暗闇で、毛布や寝袋にくるまった人達で足の踏み場もないくらいでした。知らずに踏んづけてしまいそうです。しかし、空を見上げてみると満点の星空でした。今まで見た中でも最も星が綺麗に見えた星空でした。長く尾を引く流れ星も見れました。ナセル湖を渡る船なので波が無く、船に乗っているとは思えないほど揺れませんでした。そんな穏やかな航海の中、満点の星空を一人眺めていると、旅情に溢れていて、なんともいえないうっとりした気分になりました。

翌朝船からアブシンベル大神殿が見えました。

スーダンには昼の1時半くらいに着きました。しかし、荷物を降ろしたり、入国手続きをしたりで、結局船を降りたのは夕方の4時くらいでした。前日午前10時に乗船してからなんと30時間も船に乗っていたことに。

ついにスーダンが見えてきたところ。

<ワディハルファ>

砂の町ワディハルファだけあってこの日泊まったホテルも砂上のホテルです。部屋の床も砂です。砂の上にベッドが置いてあります。さすが砂漠の国。すげえ。水道も無いので、水は全て汲み置きです。そして、その水は全て濁っています。飲むと少し口の中がじゃりっとします。初めは抵抗がありましたが、川で泳いで水を飲んだと考えたら、同じようなものか、、、と思って自分を納得させています。

ワディハルファのホテル

ホテル唯一の水道。しかし汲み置き。

メインストリート。この町では道は一切舗装されていません。(多分)

なので、主な交通手段は4駆の車か、ロバです。ロバはかわいいです。

町から電車の駅へ向かう道。っていうか道はありません。砂漠です。ここを駅に向かってテクテク歩きました。

スーダン人は、旅行者達から噂で聞いていたとおりとても優しいです。あいさつをすると、みんなとびっきりの笑顔で応えてくれます。ぶらぶらしているとレストランやお茶屋にいるスーダン人達が食事や飲み物をおごってくれます。しかも、席を譲って自分は立ってまで僕達をもてなしてくれます。なんていい人達なんだ・・・。色は黒くて完全に黒人の国なのですが、アラブ系の血がだいぶん混ざっているのか顔はエジプト人と似ています。しかし、その国民性はエジプトとはえらい違いです。

お茶屋にて。お茶をおごってくれた親切なスーダン人達。

<アトバラ行きの電車>
ワディハルファに一泊した後、首都ハルツームへ向かうのですが、一旦アトバラという町を経由することにしました。一挙にハルツームまで行くと電車代が高かったので(しかし、後で考えるとハルツームまで行った方が楽だしコストもあまり変わらなかったと思われる)推定所要時間は24時間。夏場は車内は砂だらけで、しかも灼熱地獄だそうですが、幸い今は真冬なので気候は快適です。車内は砂だらけですが。1等チケットなのですが、コンパートメントはベッド無しで椅子のみです。しかもリクライニングなし。幸い6人の部屋に3人だけだったので1人で椅子を二つ使いなんとか縮こまって寝転べました。満席の部屋などでは床に寝転がったり、通路に寝転がったりしています。
アトバラへは結局出発してから25時間後に到着しました。

車窓の風景。基本的に砂漠なのですが、たまに町なのか遺跡なのか微妙なものが出てきます。

電車内で出会ったスーダン人一家


<アトバラ~ハルツーム>
アトバラは久しぶりに道が舗装されている町でした。(もちろん未舗装部分も多い)ホットシャワーがあるホテルなので4日ぶりにシャワーを浴びました。(シャワーを浴びない最長記録更新してしまいました。)一泊してバスで4時間、ハルツームへ。バスで4時間。なんて短い移動なんでしょう!これまで船で30時間とか電車で25時間とか超長時間移動が続いたので、すごくあっという間に感じます。

途中車窓から見えたピラミッド群

ハルツームはさすがに首都だけあって都会です。しかし、空いているホテルはどこも水シャワーばかりです。最初に書きましたが、夜は街灯がほとんどないので真っ暗です。その真っ暗の中、怒り狂う黒人にからまれました。夜10時ごろ一人で宿へ歩いていると、何か言ってくる人がいたのですが、言葉が判らないのでそういうジェスチャーをしてその場を離れました。そこから50mくらい歩いたところでいきなりつかみかかられて、どこかへ連れて行こうとされました。こっちは、もう、なんのこっちゃわかりません。何かが気に障ったのでしょうか。抵抗しながら「ヘルプ!ヘルプ!」と叫びました。幸い、その場所は人通りが多かったので、助けてもらうことができ、盗難も怪我もなんともなかったけど、かなりびびりました。黒いので表情がわからないですし。。。
ということもあったハルツームですが、これから観光でもして楽しみたいと思います。


2007/1/6~1/13 まだエジプト。もうすぐスーダン。

2007年01月14日 02時23分32秒 | アフリカ

あいかわらずエジプトにいます。来週月曜日の船でエジプトの南の観光地アスワンから、船でスーダンの国境の町ワディハルファへと向かいます。結局エジプトにはビザの期限ぎりぎり一杯のちょうど1ヶ月間もいることになりました。(無事スーダン行きの船に乗れてエジプトを出国できれば、ですが。)5年前に1度来ていてその時に1週間滞在しているのにもかかわらず。どれだけエジプト好きやねんって感じですね。その上、今回はダハブとシナイ山以外はまともに観光していません。日本人宿の居心地の良さ、ダハブの居心地の良さ、カイロサファリホテルの階段がしんどいことによる外出のめんどくささ、などが長期滞在の原因なのでしょう。

最近は、特に観光していないので、今回はエジプトの宿や食事について書きたいと思います。

<宿>
カイロではサファリホテル、イスマイリアホテル、スルタンホテル、という有名な安宿3つにそれぞれ泊まりました。ダハブではセブンヘブンという日本人の溜まり場宿に泊まりました。どこもそれぞれ個性があり、おすすめです。

・サファリホテル
ドミ:230円
立地:ホテルの前がスークだし、地下鉄の駅が近いし、かなり良い。ただし、階段で6階まで上がらなければならないことはマイナス。
設備:ドミの部屋はそこそこ広いが、共同シャワーが一つしかなく、全体的にあまり清潔ではない。しかし、キッチンがあり、情報ノート、日本語書籍、漫画、が膨大な量あり、バックギャモンをはじめとする数々の遊びもあり、どちらかというと設備はプラスイメージ。
所感:サファリホテルでの宿泊が、今回のエジプト訪問の3大目的の一つ。(後二つは、ダハブでのダイビングとシナイ山登山)期待を裏切らない沈没宿っぷりに大満足。毎日のシェア飯は本当においしく、かなり癒された。個性的な長期旅行者達との出会いがあり、忘れられない場所になりそう。

・イスマイリアホテル
シングル:740円、ドミ:420円。朝食つき。
立地:タハリール広場というカイロ観光の中心地に面していて快適至便。日本大使館やスーダン大使館にも近く何かと便利だった。
設備:サファリホテルと比べると、バスルームの広さと清潔さにちょっと感動する。ただし、ビルの9階にありエレベーターがぼろいのはマイナスかなあ。シングルの部屋は広かった。ドミはかなり狭く不便そうだった。インターネットが使える。
所感:サファリに泊まるとついつい怠惰になってしまうので、ビザ取りや情報集めなどを頑張るためにこのホテルに泊まった。立地の良さと清潔さは○。韓国人が多い。

・スルタンホテル
ドミ:230円
立地:サファリと同じビルだが2階なので、サファリよりもかなり良く感じる。
設備:サファリよりも共同シャワーの数が多い。キッチンあり。
所感:2階にあるので気軽に外出できるところが良い。サファリのような広い共有スペースがないので、だらだら遊ぶには向いていない。行動的に過ごしたい人向けな気がする。ここも韓国人が多い。

・セブンヘブン
トリプルのシングル利用:630円
立地:ダイビングやシュノーケルのポイント(ライトハウス)から少し遠いので、海から出て宿に帰るまでが凄く寒かったというイメージがある。その他は便利。ダハブ自体が小さい町なので、どこに泊まっても立地条件はあまり関係ないが。
設備:超リラックスできる共有スペースがある。シャワーがぬるかった。
所感:日本人インストラクターのいるダイビングショップのある宿。陽気なエジプト人の従業員がたくさんいて、楽しかった。とてもリラックスできる雰囲気。もちろんダハブという町自体がそういう雰囲気に満ちている。

<食事>
アフリカに来てからは、ヨーロッパであれほどお世話になったマクドナルドにあまり行かなくなりました。コシャリなどの安いエジプトの食事と比べて凄く割高なので。マクドだと400円くらいかかるのが、エジプトの食べ物を食べると50円~100円でお腹いっぱいになります。味のバリエーションがあまりないのですが、コストパフォーマンスは異常に高いと言う感じです。
お気に入りは、タジン(タジニ?)とフルーツジュースです。タジンは、マカロニの上にミートソースがかかっている食べ物で、僕はコシャリよりも好きです。コシャリは、米とパスタと豆をトマトソースでごちゃまぜにした食べ物です。僕はコシャリを食べているうちに飽きてしまう傾向にあります。
フルーツのフレッシュジューススタンドは町に一杯あります。一杯20円~60円くらいで、超美味しいオレンジ、ストロベリー、マンゴー、グァバ、メロン、などのジュースを飲めます。コクテールというフルーツがコップに入っているデザートも安くて美味しいです。

タジン。サラダとコーラがついて150円。


2006/12/19-2007/1/5 エジプト満喫

2007年01月06日 04時45分02秒 | アフリカ

明けましておめでとうございます!
昨年は大変お世話になりました。みなさまからのコメントやメールのおかげでブログを続けることができましたし、このブログを続けること自体が旅への活力にもなりました。
今年はアフリカや南米を旅する予定です。それはまさにこの旅のメインパートです。これまで以上に頑張っていきます。どうぞ今年もよろしくお願いします。

それにしても、久しぶりのブログ更新になってしまいました。原因は、カイロで風邪を引いてしまい、何をする気力も湧いてこなかったこと、ダハブ(シナイ半島にある紅海リゾート地)でスキューバダイビングのライセンス取得とシナイ山の登山という屋外アクティビティに熱中していたため、です。(今年は最低週一回の更新目指して頑張ります!)

前述したとおりカイロでは風邪を引いてしまいました。原因は明らかにカイロの常軌を逸した大気汚染です。4日間くらい宿からあまり出ずに様子を見ても、あまり治らなかったので、思い切ってシナイ半島にある紅海リゾートのダハブへ移動してしまったのですが、なんと移動中のバスの中で風邪が治りました。あのしつこかった風邪が。よほどカイロの空気が僕の健康を害していたのでしょう。エジプト人達はなぜあの空気の中で平気なのだろう・・・。ある日僕がマスクをして町を歩いていたら、かなりの数のエジプト人達が僕のマスクに注目し、そのうちのかなりの数の人が「それはなんだ?」みたいに訝しげに聞いてきました。「風邪だ」と答えると納得してくれますが。でも、そういえばエジプト人は誰もマスクなんかしてないですねえ。よっぽど珍しかったみたいです。

サファリホテルの前の通りのスーク。深夜2時でも果物屋が営業しています。

サファリホテルでの風邪療養中には、宿に置いてある「風の谷のナウシカ」漫画版を読みました。これにははまりました。映画とは全然違うストーリーでとても面白かったです。完全な悪のキャラクターは出てこず、人間が人間としてエゴを全うしたら世界は滅びに向かうというお話だったと思います。主人公のナウシカですらその滅びに加担しているという。(後日、スキューバダイビング中に見た、サンゴの周りを色んな姿の魚が悠々と泳いでいる世界は、腐海に見えて仕方なかったです。)エジプトのカイロという混沌の町で、風邪に苦しみながら見るには最適な漫画でした。心に突き刺さりました。

そして、カイロからバスで10時間近くかけてダハブへ行きました。途中パスポートチェックが7回くらいあってゆっくり寝れませんでしたが、空気汚染から解放されて、風邪がすっかり治りました。セブンヘブンというダイビングの日本人インストラクターがいて、しかも日本人の溜まり場になっている宿にチェックインしました。幸い僕の着いた次の日にダイビングライセンス取得したいという日本人男性が二人追加でやってきたので、3人で楽しくライセンス取得コースがスタートしました。一人は世界一周中の旅人Mくん、もう一人は大学生バックパッカーBくん。

1日目:DVD鑑賞会。レギュレーターとかパワーインフレーターとか中性浮力とかいろいろ言われてもぴんとこず。

ダハブではビーチエントリーでダイビングします。

2日目:ついに海へ。マスククリアという技を練習。これは、海中で水中マスクに水をわざといれて、これを鼻息で排出するという技です。僕はこれが下手くそで、毎回水を飲んでしまいます。水を飲んでしまうと喉や鼻に不快感を感じて正常な精神状態では無くなってしまいます。ダイビングをされたことがある人なら判ってもらえると思いますが、ダイビング中に精神が不安定になると、かなりつらいです。「早く海面に出たい!」という欲求が突き上げてきます。
しかも、この日の午後からの講習では直前に昼ごはんを食べ過ぎてしまい、胸が気持ち悪くなり、食べ物が食道を逆流してくるという異常事態に。マスククリア時に水を飲んだことと相まって、大パニックに。気分は「死ぬ!死ぬ!早く海面に上がりたい!ああ、息が、息が、苦しい~!!!」という感じです。しかし、S先生(日本人の若い女性の先生。明るくて良い人でした。)に異常事態のサインを出そうにも、先に行ってしまってこっちの異常事態には気づいてくれていません。この時は、半分死を覚悟しました。しかし、隣に一緒に講習を受けているMがいてくれて、「落ち着け」のジェスチャーをしてくれて、気分的に助かりました。ナイスバディ!(ええからだ、っていう意味ではないですよ)先生がようやく気づいて来てくれたので「浮上したい」とジェスチャーしても、「ダメだ。水底でじっとしろ。」と言われてしまいます。「なんで!?死ぬ!」と思いながらも、渋々おとなしく従いました。この時先生の持っているホワイトボードに「食べ過ぎて苦しい」と書いたのですが、なんか笑われてしまいました。こっちは死ぬほど怖いのに・・・。でも、水底でじっとしているとなんだか落ち着くことができました。やはり先生は偉大です。

3日目:サウスという国立公園でダイビングと水泳試験。何事も無く終了。

4日目:オープンウォーター最後の講習+アドバンスの1本目ナイトダイビング。無事オープンウォーターの筆記試験合格し、最初のライセンス取得!相変わらずマスククリアは苦手だけど。ここでバディのMが終了して、Bと二人でアドバンスコースへ。ナイトダイビングは、すごい寒かったけど、腐海の底という雰囲気が最高でした。

4日目からは先生の水中カメラをみんなで使って写真をとりまくりました。

マスククリアに苦戦する

5日目:アドバンス講習2本目、3本目。アドバンスからはマスククリアとか無しで、ただ潜るだけになるので楽チンになりました。でも、この日は天気が雨で砂嵐という楽園ダハブとは思えない悪天候。水の中は暖かいのですが、外に出たときの寒さが凄かった。。。

魚まみれで魚の絵を描く講習

6日目:アドバンス講習4本目、5本目。ダハブのダイビング名所ブルーホールとキャニオンへ。ブルーホールとは浅瀬からすぐの場所に100m近い深い穴が開いていて、海面から見るとそこだけが深い青色に見えているという場所です。ただ、この日は、相変わらずの寒さと連続ダイビングの疲れによりヘトヘトになってしまい、楽しむ余裕はあまりなかったです。残念。

キャニオン名物泡のカーテンの中で


ブルーホール近くにて。右側は珊瑚の壁、左側は底の見えない深い海。


ダイビングでは、心の平静を保つことがとても重要でした。何か心に動揺が起こると呼吸が苦しくなり、ダイビングを続けることが困難になりました。常に落ち着いた精神状態でいることが大事ということで、良い精神修養になったのかなと思います。もちろん、遊びとしてもとても楽しかったので、今後の旅の中で後2、3回は最低ダイビングをしたいと思います。せっかく高いお金を払ってライセンスを取ったことですしね。

ところで、ダイビング講習中にダハブでクリスマスを迎えました。宿でエジプト人達が太鼓と焚き火で即席クリスマスパーティーを実施してました。まったくクリスマスを感じさせないパーティーでしたが、まあ、これも、たまにはありでしょう。少なくとも日本にいる時のような一人で寂しくケンタッキーを齧りながらTVを見るクリスマスよりは、マシだと思われます。

ダイビング後はダイビング講習仲間達とシナイ山登山に行きました。シナイ山はかのモーゼが十戒を開いたと言う聖なる山です。夜中に出発して頂上で御来光を見るというプランです。頂上には約2時間ほどで到着しました。夜空は満天の星空で、いくつも流れ星が落ちていきます。
しかし、寒い!めちゃくちゃ寒いです。数日前に降った雪が全く解けずにサラサラ状態で残っているほど寒い。頂上には日の出時刻の2時間前くらいに着くのですが、この待ち時間が特に寒かった。頂上のお茶屋で休憩していると、店員が早く客を追い出して新規客を入れたいみたいで、「ここはホテルじゃない」と言われ追い出されそうになるので、何度もお茶を頼みギリギリまで粘りました。(このお茶屋の中も風はしのげるが、暖房設備などはないのでかなり寒い)しかし、お茶屋の店員がいい加減に切れてきて「出て行け!」と実力行使に出られる直前になったので、外へ出て行くと、ちょうど日の出前の空が明るみ始める瞬間でした。

頂上で日の出が見えやすい場所に陣取り、その時を待ちます。しかし、あまりの寒さとさっきのお茶屋で水分を取り過ぎたためにすさまじい尿意が・・・我慢、我慢。。。しかし、日の出までは後15分以上はかかりそう。もう限界だ・・・しかし、さっきのお茶屋の裏のトイレ(といってもただの物陰)までは人の行列が続いていてとても戻れない。。。ということで仕方なく聖なる山の頂上で御小水を放出させてもらいました。もちろん岩の陰で人に見られないようにですよ。。。

頂上で寒さに耐えながら日の出を待つ

夜明け前、赤く染まるシナイ山

そして、ついにご来光

そして、雪で滑る岩道でころんっころんっと滑ってこけながら下山しました。一緒に登った仲間たちと聖なる話ならぬ性なる話に花を咲かせて・・・

そら滑るわ、という雪まみれの下りの道。

このようにしてダハブでの日々は過ぎていきました。予想以上に寒くて期待していた楽園ムードっていうわけでは無かったのですが、充実して楽しくて忘れられない滞在になりました。また暖かい(または暑い)時に再訪したいです。ぜひとも。

今もしつこくエジプトにいます。今更ながらアフリカ南下に向けた準備中です。1月中旬くらいのスーダン行きの船のチケットが取れればいいな、と思っています。でも、それはエチオピア情勢(ソマリアとの関係悪化)を睨みながらということになりそうですが。。。

最後に。繰り返しになりますが、昨年は本当に皆様にお世話になりました。
旅の出発に当たって快く送り出してくださった日本にいる皆様、旅先で出会った素晴らしい旅仲間の皆様、海外において無償の親切で僕の旅を助けてくれた現地の皆様、本当にありがとうございました!

今年もよろしくお願いします!