ついにアフリカ南下の旅が始まりました。
スーダン国境の町ワディハルファは、その始まりにふさわしい場所でした。砂漠の上にぽつぽつと建物がたつ町。
長い船旅の末スーダンに着いた日の夜、ホテルへ向かうピックアップトラックの荷台に他の旅行者達8人と詰められ座り、そこから見た風景は、この旅で最も「旅をしている」という非日常の実感を感じさせるものでした。街灯など全く無いただの砂漠の上を砂煙を上げてガタガタ揺れながら走り、後ろから追い越そうとして迫る他の車のヘッドライトが砂煙を照らして浮かび上がる。思わず「アフリカに来たんだ」と口にしました。隣に座っていた白人旅行者がそれに応えて、「This is Real Africa!」と叫びました。
いよいよアフリカ南下の旅が始まりました。
今はスーダンの首都ハルツームです。さすがにそれなりに都会です。相変わらず街灯がほとんどなく夜は真っ暗ですが、高いビルがあり、道は舗装されており、昼間見ると町としての体裁は整っています。久しぶりのネットカフェもあります。物も溢れています。フレッシュジュースは相変わらずとても安くておいしいです。
エジプトのアスワンからここまでの道のりは、これまでで最もハードなものでした。
<アスワン>
エジプト最南端の町アスワンにはスーダン行きの船が出る前日の昼に到着しました。ここで、日本語の情報ノートがあるマルワホテルという宿にチェックイン。同部屋に日本人男性のOさんという人がいました。同年代のOさんとはアフリカをケープタウンまで南下した後、南米に飛ぶと言うルートが同じでした。もちろん明日のスーダン行きの船も同じです。(5年前に一回エジプトに来ているというところまで同じでした。)
荷物を置いて「切りかけのオベリスク」という観光地に徒歩で行きました。割と地味な観光場所なのですが、アスワンの主なところは5年前に行っているので残っているのはこれくらいなのです。なんでも大昔に遺跡を作るのための石を切り出している途中で作業がストップしたみたいで、そのまま作業途中の状態で残っているのだそうです。
徒歩で20分くらいで行けるそうなのですが、歩いても歩いてもなかなか着かないので不安になってきて、その辺のエジプト人に道を尋ねてみました。すると、その若いエジプト人の二人組みは自分達と逆方向なのにわざわざそこまで連れて行ってくれました。バクシーシの要求も無く。ただメールアドレスを交換して写真を撮って別れました。なんとも爽やかな別れ。エジプト人は、うざいとか、ぼってくるとか言われていて割と旅行者に評判が悪く、その中でも特にアスワンは評判が悪かったのですが、こういう良いことがあって、とても爽やかにエジプトを去れそうです。と思ったら、宿への帰り道に、ガキンチョの集団(10人くらい)に「ジャッキーチェン!アチョー!」とかやられてもみくちゃにされて、全然爽やかではなくなりましたが・・・
切りかけのオベリスク(結局閉館で入れなかった)をバックにナイスガイエジプト人学生と。
<スーダン行きの船>
翌朝港へ行きました。船の出航時間は夕方らしいのですが、場所取りが必要なので早めに行くのが良いという情報があったので9時には港に着きました。ここで、カイロで船のチケット取りなどでいろいろとお世話になったSさんカップルと合流しました。どうやらスーダンまではOさんを含めて日本人4人で向かうことになりそうです。
10時に乗り込んで早速2等船室(ベンチがならんでいる広い部屋)で場所を確保しました。
2等船室。時間が経つにつれ、ここは人と荷物で溢れかえって行きます。
しかし、ここがガソリン臭いのです。かなり気分が悪いです。Sさんカップルは1等船室で2段ベッドの個室だったのですが、部屋の床なら使っても良いと言うありがたいオファーがあったので、そちらへ移らせてもらいました。たとえ床にシートを敷いて寝袋で寝るだけとはいえ、2等船室や甲板の上に比べると遥かに快適でした。
甲板の上。2等船室に入れなかった人達と荷物で溢れかえっています。しかも夜は凍えます。
船はなんと夜の9時まで出港しませんでした。船の中で11時間待ち。
夜11時頃、甲板の上に出てみると完全な暗闇で、毛布や寝袋にくるまった人達で足の踏み場もないくらいでした。知らずに踏んづけてしまいそうです。しかし、空を見上げてみると満点の星空でした。今まで見た中でも最も星が綺麗に見えた星空でした。長く尾を引く流れ星も見れました。ナセル湖を渡る船なので波が無く、船に乗っているとは思えないほど揺れませんでした。そんな穏やかな航海の中、満点の星空を一人眺めていると、旅情に溢れていて、なんともいえないうっとりした気分になりました。
翌朝船からアブシンベル大神殿が見えました。
スーダンには昼の1時半くらいに着きました。しかし、荷物を降ろしたり、入国手続きをしたりで、結局船を降りたのは夕方の4時くらいでした。前日午前10時に乗船してからなんと30時間も船に乗っていたことに。
ついにスーダンが見えてきたところ。
<ワディハルファ>
砂の町ワディハルファだけあってこの日泊まったホテルも砂上のホテルです。部屋の床も砂です。砂の上にベッドが置いてあります。さすが砂漠の国。すげえ。水道も無いので、水は全て汲み置きです。そして、その水は全て濁っています。飲むと少し口の中がじゃりっとします。初めは抵抗がありましたが、川で泳いで水を飲んだと考えたら、同じようなものか、、、と思って自分を納得させています。
ワディハルファのホテル
ホテル唯一の水道。しかし汲み置き。
メインストリート。この町では道は一切舗装されていません。(多分)
なので、主な交通手段は4駆の車か、ロバです。ロバはかわいいです。
町から電車の駅へ向かう道。っていうか道はありません。砂漠です。ここを駅に向かってテクテク歩きました。
スーダン人は、旅行者達から噂で聞いていたとおりとても優しいです。あいさつをすると、みんなとびっきりの笑顔で応えてくれます。ぶらぶらしているとレストランやお茶屋にいるスーダン人達が食事や飲み物をおごってくれます。しかも、席を譲って自分は立ってまで僕達をもてなしてくれます。なんていい人達なんだ・・・。色は黒くて完全に黒人の国なのですが、アラブ系の血がだいぶん混ざっているのか顔はエジプト人と似ています。しかし、その国民性はエジプトとはえらい違いです。
お茶屋にて。お茶をおごってくれた親切なスーダン人達。
<アトバラ行きの電車>
ワディハルファに一泊した後、首都ハルツームへ向かうのですが、一旦アトバラという町を経由することにしました。一挙にハルツームまで行くと電車代が高かったので(しかし、後で考えるとハルツームまで行った方が楽だしコストもあまり変わらなかったと思われる)推定所要時間は24時間。夏場は車内は砂だらけで、しかも灼熱地獄だそうですが、幸い今は真冬なので気候は快適です。車内は砂だらけですが。1等チケットなのですが、コンパートメントはベッド無しで椅子のみです。しかもリクライニングなし。幸い6人の部屋に3人だけだったので1人で椅子を二つ使いなんとか縮こまって寝転べました。満席の部屋などでは床に寝転がったり、通路に寝転がったりしています。
アトバラへは結局出発してから25時間後に到着しました。
車窓の風景。基本的に砂漠なのですが、たまに町なのか遺跡なのか微妙なものが出てきます。
電車内で出会ったスーダン人一家
<アトバラ~ハルツーム>
アトバラは久しぶりに道が舗装されている町でした。(もちろん未舗装部分も多い)ホットシャワーがあるホテルなので4日ぶりにシャワーを浴びました。(シャワーを浴びない最長記録更新してしまいました。)一泊してバスで4時間、ハルツームへ。バスで4時間。なんて短い移動なんでしょう!これまで船で30時間とか電車で25時間とか超長時間移動が続いたので、すごくあっという間に感じます。
途中車窓から見えたピラミッド群
ハルツームはさすがに首都だけあって都会です。しかし、空いているホテルはどこも水シャワーばかりです。最初に書きましたが、夜は街灯がほとんどないので真っ暗です。その真っ暗の中、怒り狂う黒人にからまれました。夜10時ごろ一人で宿へ歩いていると、何か言ってくる人がいたのですが、言葉が判らないのでそういうジェスチャーをしてその場を離れました。そこから50mくらい歩いたところでいきなりつかみかかられて、どこかへ連れて行こうとされました。こっちは、もう、なんのこっちゃわかりません。何かが気に障ったのでしょうか。抵抗しながら「ヘルプ!ヘルプ!」と叫びました。幸い、その場所は人通りが多かったので、助けてもらうことができ、盗難も怪我もなんともなかったけど、かなりびびりました。黒いので表情がわからないですし。。。
ということもあったハルツームですが、これから観光でもして楽しみたいと思います。