世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

日本一時帰国

2007年10月29日 23時38分53秒 | その他連絡

旅行を再開して今はトルコのイスタンブールです。ビザ取りとかなんやらでしばらくはここでゆっくりすることになりそうです。時間はたっぷりあるけど、トルコ料理食べないといけないし(誰が決めたのかなぜか世界三大料理の一つらしい)、日本人宿に泊まっているので退屈することはなさそうです。
今回は、日本一時帰国時に撮った写真をちょっと載せて終わりにしたいと思います。イスタンブールについては、また今度。


地元姫路の英賀保駅。

1年ぶりに帰ってきたら思ったよりも田舎だった。山や田んぼがあって。のんびりとできてよかったけど。

通っていた小学校。久しぶりに前を通ったので写真を撮りました。

平日だったけど地域のお祭りがあったので学校には誰もいなかった。

15年ぶりに見た地元のお祭り。

「えんや~それっ」っていう独特の掛け声。とても懐かしかったし、気分も盛り上がりました。

一時帰国前に日本で一番行きたかった場所の一つ、回転寿司スシロー。

最高に美味しかったです。ああ、幸せ。

京都の鴨川。

前の会社の同期と昼過ぎから夕方までぽくぽくと散歩しました。

その同期に教えてもらった京都の小料理屋で伊勢海老を食す。

濃厚で美味しかったぁ。

神戸のモトコー(元町高架下商店街)の看板。

やっぱり神戸はいいところでした。

<番外>
トルコ行きの大韓航空では、なんと機内食にビビンバが!感動。


南北アメリカまとめ

2007年10月24日 16時32分52秒 | 南北アメリカ

◆◆南北アメリカまとめ◆◆

・国ごとコメント
・食事
・宿
・行きたかったけど行かなかった場所
・犯罪
・まとめ所感

滞在日数:166日(旅行計433日)
訪問国数:12カ国(旅行計52カ国)


<国別コメント>

・アルゼンチン(2007/4/30~5/18:ブエノス・アイレス、ウシュアイア、エル・カラファテ、バリロチェ)

南米最初の町ブエノスは、ほとんどヨーロッパ。住民は全員白人だし、インフラは整っているし、街並もヨーロッパそのものだし。気候がすっかり冬になっていて寒くて、幾分気分が萎えた。
ウシュアイアは上野亭という日本人宿が目的で行ったが、期待通りの素晴らしさ。
カラファテのペリト・モレノ氷河は青くて大きくて寒かった。
湖の町バリロチェにてオッドアイの猫と孤独な31歳の誕生日を迎えた。


・チリ(5/19~6/2:バリディビア、サンティアゴ、ビーニャ・デル・マル、サン・ペドロ・デ・アタカマ)

チリは、なんといってもビーニャでの海鮮三昧の沈没生活。あのサーモンの刺身はいまだに忘れられない!観光はせず。


・ボリビア(6/3~6/19:ウユニツアー、ラパス、ルレナバケ、コパカバーナ)

高山病と英会話に苦しみ乾季のため意外と大したことのなかったウユニ塩湖。安くて快適で楽しいラパスで日本食三昧。ルレナバケのエキサイティングなアマゾンツアーでは、昼はピンクイルカと泳ぎ、夜は無数の蛍が空を舞う満点の星空を見上げた。ボリビアは、物価が安いし住民の顔が日本人と似ているインディヘナだし、チリやアルゼンチンに比べると南米の旅っぽくなってきた。


・ペルー(6/19~6/29:クスコ)

大好きな町クスコ。空が青く澄み渡っていて綺麗な街並との融和がとても美しい。日本人宿八幡での楽しい日々。インティライミという大きなお祭りの時期だったので、町に活気があった。


・ベネズエラ(6/30~7/30:カラカス、バリーナス、バルキシメト、プエルト・オルダス、シウダー・ボリーバル、カナイマ、サンタ・エレーナ、ロライマ)

南米では最長の1ヶ月滞在。
前半はコパアメリカの孤独なサッカー観戦。後半は気の合う旅仲間達とギアナ高地でエンジェルフォールやロライマ観光。
最初から最後まで非常に充実していたし、楽しかった。ペルーから来ると気温が上がって、テンションも同様に上がった。気温は大事かも。


・ブラジル(7/30~8/1:ボア・ビスタ)

ギアナ3国へ行くために立ち寄り2日間だけ過ごした。本来はギアナ3国の後にブラジルへ戻ってきて、リオやサンパウロ、イグアスの滝を観光するはずだった。しかし、ガイアナにて不幸な出来事があり・・・


・ガイアナ(8/1~8/11:レセム、ジョージタウン)

入国後いきなりホテルで泥棒に遭い、パスポートやデジカメなどを盗まれた。しかし、ガイアナという国は南米の中にあるアフリカという感じで、非常に面白かった。100年前のヨーロッパのような街並でアフリカ人とインド人が暮らしている。世界のどこにも無い独特の雰囲気があると思う。あと、警察の働かないっぷりがすごかった。


・トリニダード・トバゴ(8/12~9/2:ポート・オブ・スペイン、スカーボロー、スピーサイド)

本来は来る予定ではなかったが、パスポート再発行のために仕方なく来ることに。首都ポート・オブ・スペインでは宿に引きこもってパソコンゲームに明け暮れた。トバゴ島のスピーサイドは、まさにカリブの島という感じで美しく、素晴らしかった。人も素朴で親切で。ダイビングもサンゴが凄くて非常に良かった。


・メキシコ(9/2~9/19:メキシコシティ、パレンケ)

この旅で最も「楽しい!」と感じた場所の一つ、メキシコシティの日本人宿ペンション・アミーゴ。みんなで見に行った独立記念日の花火は一生忘れられない。シティは見所も多く、あっという間に2週間が過ぎた。


・グアテマラ(9/19~9/21:フローレス)

ジャングルの中にあるマヤ文明の遺跡ティカルは雰囲気が良かった。ティカル・ツアーで一緒だった欧米人達と仲良くなり、欧米人と久しぶりに酒を飲んだのは楽しかった。


・メキシコ2回目(9/21~9/26:パレンケ、カンクン)

カリブ海のリゾート。やっぱり海は綺麗だった。


・キューバ(9/26~10/1:ハバナ、バラデロ)

古い建物、50年代のクラシックカー、多様な人種、眩しい太陽、チェ・ゲバラ、嘘のように綺麗な海。独特な雰囲気を持つ国。


・メキシコ3回目(10/1~10/4:カンクン)
なんとメキシコに3度目の入国。


・アメリカ合衆国(10/4~10/13:ニューヨーク、コネチカット、サンフランシスコ)

ニューヨークでは、ベネズエラのロライマ登山で一緒だったアメリカ人親子の下宿や豪邸に泊めてもらったり、コンサートに行ったり、ご飯をおごってもらったり大変お世話になった。ニューヨークは何もかもがかっこよくて、この旅で初めて「ここに住みたい」と思った場所でもある。
サンフランシスコでは会社員時代の後輩に色々と案内してもらい、その後朝まで酒を飲んで楽しかった。




<食事について>
正直南米の地元料理は美味しくなかった。特にペルー、ボリビアは酷い。ましだったのはベネズエラくらいか。美味しかったのは、中華や日本食を食べに行ったときや、宿で自炊した時。ただ、アルゼンチンのワインは凄く安くて美味しかった。

北中米は、メキシコのタコス屋台が安くて手軽で美味しくて、大変良かった。キューバは、中華以外を食べるとかなりつらいものがある。アメリカは高かったけど、各国料理が揃っていて金額のことを忘れると食は楽しかった。



<宿について>
南米を旅している時の大きなテーマが”日本人宿でのんびりする”だった(アフリカの旅で疲れていたので)。どの宿もとても印象的で居心地もよかった。日本人宿以外でも、面白い宿がいくつかあった。なので、ここでは日本人宿かどうかにはこだわらず、南米の宿の中で印象的だったものを書いておきたい。

○アルゼンチン
・ビクトリアホテル(ブエノスアイレス)
ブエノスは日本旅館というそのものズバリな名前の日本人宿が有名だが、そこは中心から遠く離れいるので、中心街にあり日本語情報ノートもあるというこの宿に宿泊した。確かに情報ノートもあるし、日本人宿泊客もいた。しかし、共有スペースがほとんど無く、数人いた韓国人学生のマナーが悪くて雰囲気悪いし、あまり面白くなかった。

・上野亭(ウシュアイア)
世界最南端の町にある日本人宿。日本人のおばあちゃんが一人で営業している。静かで平和な雰囲気が素晴らしかった。

・FUJI旅館(カラファテ)
冬だったので外はかなり寒い。でも、宿の中は暖房がガンガンに効いており、日本語の書籍はあるし、管理人さんをはじめとする他の旅行者も面白い人が多くて、宿を出るのが辛かった。

・1004(バリロチェ)
日本人宿ではない。しかし、おそらく南米一眺めのいい宿。キッチンが異常に広かった。おすすめ。

○チリ
・汐見荘(ビーニャ・デル・マル)
日本人宿として所蔵している書籍の数はおそらく世界最大では。部屋の中に無料の無線LANが飛んでいる。近くの海鮮市場で海鮮を買って自炊を始めると、なかなかこの宿から出られなくなる。防寒が弱くて寒かったけど、大好きな宿。

○ボリビア
・サンタクルス(ラパス)
ボリビア人経営の日本人宿。満室で残念ながら泊まれず。情報ノートを読むために良く遊びに行ったが、雰囲気が良かった。シャワーの湯がぬるく、湯温の調整が大変らしい。

・エルソラリオ(ラパス)
上記サンタクルスがいっぱいだったので近くで評判の良いここに泊まった。ホットシャワーはちゃんと出るし、日当たりが良くて部屋も暖かいし、欧米人も日本人も泊まっているし、結構良かった。

・アウストリア(ラパス)
ルレナバケから戻った後に宿泊。上記のサンタクルスとは対照的にホットシャワーがガンガン出る。キッチンも広い。しかし、部屋の中は寒かった。

○ペルー
・ペンション八幡(クスコ)
素晴らしく居心地が良かった。当時の宿泊客も楽しい人が多くて、大好きな宿。

○ベネズエラ
・ポサダ・カオリ(プエルト・オルダス)
カオリというのは日本人女性の名前カオリとは何の関係もないらしい。満室と言われて、他の宿の目当ても無く途方に暮れていた僕を、親切なオーナーが自宅に泊めてくれた(有料だったけど)。

・ポサダ・ドン・カルロス(シウダー・ボリーバル)
広めのバルコニーに吊ってあるハンモックで寝た。初めてのハンモック泊。酷暑の町なので、それで全然オッケー。蚊には刺されたけど。

・ホテル・ミッシェル(サンタ・エレーナ)
ロライマトレッキングで汚れた靴を洗って干していたら、誰かに盗まれた。一緒にいた友達はジャケットを盗まれていた。

○ガイアナ
・ホテル・トロピカーナ(ジョージタウン)
泥棒に遭った宿。夜中に2階の窓から忍び込まれた。セキュリティ甘し。

○メキシコ
・ペンション・アミーゴ(メキシコシティ)
カイロのサファリ、バラナシの久美子ハウスなどと並び称される超有名日本人宿。期待以上の居心地の良さ、楽しさだった。何しろ宿の雰囲気が良い。

・ロサス7(カンクン)
できてまだ1年くらいの新しい日本人宿。居心地良かった。



<行きたかったけど行かなかった場所>
今回南米編では、かなりいっぱいあります。なぜならば、中南米自体が半年やそこらでは絶対に周りきれないくらいに見所が多い上に、僕が各地の日本人宿でゆっくりと過ごしすぎたからです。それに、ガイアナの泥棒のせいでパスポートと一緒にブラジルビザとイエローカード(黄熱病予防接種証明)を無くしてしまったことも大きいです。ここでは、行かなかった場所のうち、代表的でメジャーなものに絞って書きたいと思います。

・イグアスの滝(ブラジル、アルゼンチン)
なんといってもイグアスの滝。ブラジルビザ盗難のため断念。

・イースター島(チリ)
初めから行く気は無かったけど、行ったことのある人達がみんな「あそこは良かった」という評判を言うので、それを聞くたびに「行っとけばよかった」という気になってきた。

・バルデス半島(アルゼンチン)
クジラがガンガン見れるらしい。シャチもたまに。アルゼンチンを過ぎてから存在を知った。ああ、残念。。。

・雨季のウユニ塩湖(ボリビア)
僕の行った乾季はただの白い平野で雪景色と一緒。雨季は一面が鏡のようになり上も下も真っ青になるのだそう。そして夜は上も下も星空に。。。

・ガラパゴス諸島(エクアドル)
時間とお金が無くなってきたので断念。

・ハイチ
カリブ海に浮かぶインドとエチオピアを足したような国(らしい)。一人で行くのは怖いので断念。

・サンパウロ(ブラジル)
日本人街に行きたかった。

・グランドキャニオン(アメリカ)
サンフランシスコから意外と遠かったので断念。

<犯罪>
アフリカに続き南米でも犯罪に遭ってしまった。しかし、南米でよく聞く暴力的な手口には遭わずにすんだので、ほっとしている。ここでは、他人から聞いた南米の荒っぽい犯罪手口についていくつか書きます。

・アルゼンチンのブエノスアイレスのボリビア人街で白昼4人組の男達に取り押さえられボコボコにされ、金品を奪われる。
・ボリビアのラパスで深夜タクシーに乗ったら実は強盗タクシーで、拳銃を突きつけられて脅され、ATMで現金を降ろさせられる。
・同じくラパスで、夜宿に戻ろうとしたら宿のまん前で首絞め強盗に遭う。
・ベネズエラのカラカスで警官にカツアゲされる。ホテルまで押しかけられて、パスポートを破られたくなければ400ドル渡せと脅され、払った。
・ブラジルのリオやサンパウロでは拳銃強盗が頻発しており、もし遭遇してお金が無いと簡単に撃たれるらしいので、外出時は強盗に渡す用のお金を別途携帯しておく必要があるらしい。

南米は、町を歩いて感じる雰囲気がアフリカよりは随分と安全そうなので、つい油断しがちですが、実際に犯罪に遭う人は南米の方が多いような気がします。実際の旅行者の数が南米の方がはるかに多いからなのでしょうが、絶対に油断はできないです。上記の他にも強盗の類の話は数え切れないくらいたくさん聞きました。みなさんも、南米に行かれる際はお気をつけください。


<まとめ所感>
ベネズエラにいる時の日記で南米は刺激が無いと書きましたが、それについてもう一度考えてみたいと思います。
まず、アフリカは観光をせずとも町を歩いたり、食事をしたり、バスに乗って次の場所へ移動したり、それだけで毎回何らかの強烈な刺激に遭遇していたのですが、南米ではそれだけでは特に何も起こらないし、雰囲気もヨーロッパにいるのとそれほど変わらないので、面白く感じられなかったのではと思います。
それプラス、以前にも書いたけど、スペイン語が全然話せないのも大きな要因でした。アフリカでは、かなり英語が通じるので地元の人との交流が結構あったのですが、それとは対照的に南米では地元の人と話すことは少なくなりました。あと、季節が冬だったり、標高が高かったりで、気温が低かったのもテンションが下がる要因になってような気がします。

しかし、今思い返してみると、南米にはアフリカには無い大きな刺激がありました。それは、他の旅行者との出会いです。アフリカには旅行者が集まって交流するような宿が決定的に少なかったけど、南米の主だった町にはほとんど全てに日本人宿があるし、無かったとしても旅行者の集まる安宿は必ずありました。そこでの、日本人や欧米人旅行者との交流は、大きな刺激になったし、楽しくて素晴らしい思い出になっています。


さて、次のアジアではどんな刺激が待っているのでしょうか。特にインドなどでは心が一刀両断にされるような凄いモノが待っているのではないかと、今からワクワクしています。
まずは、トルコのイスタンブールからスタートです!


日本一時帰国直前のスパート ニューヨーク、コネチカット&サンフランシスコ

2007年10月15日 15時24分38秒 | 南北アメリカ

今は日本に一時帰国中です。今回の記事では、この一時帰国前にスパートをかけて周ったアメリカ旅行後半戦について書きたいと思います。


ニューヨークで4泊させてもらったジョナサンの家を後にして、ジョナサンの親父さんのデイビッドの家があるNYの隣の州コネチカットへ移動。州が違うといっても電車または車で1時間ほどの距離にあり、NYの郊外といったイメージです。緑の多い閑静な場所で、大阪にとっての奈良のような存在でしょうか。駅からデイビッドの車(新しいアウディ)で国立公園のような森の中をしばらく走るとデイビッドの大豪邸に着きました。周囲には他の家は無く、家の裏には直ぐ側に湖があるという凄いロケーションです。部屋の数は14で、そのどれもが10畳以上の広さがあり、その中にはトレーニングルームまであり、4台くらいのトレーニングマシーンが設置されています。(デイビッドが異常に元気でパワフルなわけがわかった)客室は3つあり、その全てが個別にTV・バス・トイレ付きです。僕はそのうちの一つに泊まりましたが、この旅で泊まったどの宿よりも豪華で清潔で居心地が良かったです(しかもタダ)。その他に30畳くらいありそうな屋根裏の倉庫があったり、車が3台あったり(うち一台はマスタングのオープンカー)、プール付きの庭があったり、、、アメリカの金持ちってすげえ!デイビッドは57歳で、金融関係の仕事を数年前にリタイアして今はその会社で知り合った10歳年下の美人の奥さんと再婚して、家を改築したりゴルフしたりしながら暮らしているそうです。

夕食はアメリカンスタイルのハンバーガー。

手作りのハンバーグはボリューム満点でかなりおいしかったです。

この日もヤンキースの試合をTV観戦。でっかいソファーにでっかいTV。

犬2匹、猫3匹と一緒に観戦しました。全員人懐っこくて、どれか一匹持って帰りたくなるくらい可愛かったです。

デイビッドは翌朝4時に起きて車で1時間の空港までわざわざ送ってくれました。ベネズエラで出会った素性の良くわからない日本人の旅行者を親子で手厚くもてなしてくれた彼ら親子に素直に感謝です。アメリカ人の人としての大きさを感じました。デイビッド&ジョナサン、本当にありがとう!




サンフランシスコでは、旅行前に務めていた会社の元後輩Mと再会しました。彼は会社を辞めてアメリカに英語留学に来ているのです。レンタカーを借りて色々と案内してくれました。

Mと会う前に一人で観光したジャパンタウンのジャパンセンターのレストラン街。

そこでジャパニーズスタイルのラーメンを食べました。大阪屋という店で。

おいしかったーーー。

ゴールデンゲートブリッジにてMと。

橋は名前に反して赤色でした。綺麗だったけど、なんだかがっかり。

チャイナタウンのシティバンク。

良く見ないと銀行だとは気づけません。

チャイナタウンでの値段表示。
Tシャツが1$!と思って近づくと小さく”.99”の文字が。せこい。。。


サンフランシスコの夜景。

NYに比べると随分こじんまりとした感じです。でも、町は美しくて清潔で坂道が多くて、独特の感じの良さがありました。しかし、一つ欠点があり、それは凄く寒いということです。日本の12月上旬くらいの寒さでしょうか。ここ最近ずっと暖かい所にいたので、寒さが身にしみました。お腹も壊れました。ゴロロロロ。

Mは普段はサン・ラファエルという近くの町にホームステイしているのですが、僕のホテルに来てくれて二人でツインルームをシェアして朝まで酒を飲んで語らいました。(メキシコ以来、ラムにはまっています。)相変わらず熱い男で、会社勤め時代の話から、これからの事の話など、刺激的な話ができました。それに彼がアメリカに来て僅か4ヶ月で凄く英語が上達しているのにも驚き、とても刺激になりました。俺ももっと頑張らないと!

ということで、アメリカ滞在はニューヨークもサンフランシスコもずっと知人にお世話になるというありがたい旅になりました。あと、物価はかなり高かったけど、思い切って使いまくりました。10$以上する外食とかガンガンしたし。南米でのあの節約生活はなんだったんだ、という感じだけど仕方ないですね。ほんと、おいしかったです。後悔なし。


ということで、1年2ヶ月ぶりの日本です。いたるところが清潔で、誰もが日本語で喋り、あまりにも快適で、あまりにも便利で、口にする全てのものがおいしく、あらゆる娯楽が手に入り、仲の良い知人・友達のほとんどが住んでいて、アフリカや南米などと比べると天国としか良いようがない国。ああ、幸せ。
後10日ほど滞在して、この旅最後のアジア編へと出発する予定です。でも、まだアジア旅行のルートが決まっていません。早く考えて航空券を買わないと。。。


ニューヨーク

2007年10月08日 23時50分06秒 | 南北アメリカ


この旅に出るにあたって最も行きたかった町は、エジプトのダハブ、インドのバラナシ、そしてニューヨークでした。そんな憧れの町ニューヨークは、期待以上に素晴らしい町でした。NY大好きです。


ニューヨークに行くにあたって、ベネズエラのロライマ登山で知り合ったNY在住のアメリカ人親子にメールすると、「うちに泊まっていいよ」というありがたいお言葉のメールが!それは、ネットで宿を予約しようとしていたまさにその瞬間に受信したメールでした。やったね!

彼ら親子は別々に住んでいて、まずはNYの中心地に住む息子ジョナサンの家に行くことにしました。

彼は国際政治問題を勉強する大学院生で、来年の北京オリンピック時にはチベット開放を訴えるメディア向けの活動をするために北京まで行くそうです。がんばれ!

部屋には昔NGO活動でミャンマーに行っていたときのみやげ物が多数あり。しぶい。

親父さんのデイビッドの家は郊外にあるので最終日に一泊だけさせてもらうことにしました。この日はマンハッタンで待ち合わせてバーでヤンキースの試合(プレーオフ第二戦)を観戦。その前に寿司で腹ごしらえ。おごってもらっちゃった!やたっ!

日本では食べられない種類の創作巻き寿司の数々。右下の赤いのは”クレイジー・ロール”という名前です。なんのこっちゃ。すごく美味しかったけど。
試合は残念ながらヤンキースがサヨナラ負け。がっくり。


昼間は、親子はそれぞれ忙しいので一人で観光。NYには行ったことのなかった僕でも知っている有名な場所がいっぱいあります。自由の女神、ウォール・ストリート、ブロードウェイ、セントラルパーク、WTC跡(グランドゼロ)、エンパイア・ステート・ビル、ロックフェラーセンター、タイムズスクェア、マジソンスクェアガーデン、、、などなど。それらが全部マンハッタンという小さい島に集中しているので観光は楽でした。交通も便利だし。(ただし、地下鉄の料金がメキシコの10倍だけど。240円)


まずは、お約束の自由の女神像。

自由の女神の斜め後ろ。右の足裏がちらっと見えてます。実は彼女は歩いてるんですね。
自由の女神の顔の実物大。鼻に手を入れられて不機嫌そうです。



グランドゼロ。

久しぶりに涙が出るほど胸が痺れました。憎しみの連鎖の始まりの場所。(もちろん実際には2000年以上前から続く様々な対立の一つの結果に過ぎないのだけれど)
いつかその連鎖が終わる時が来るのを祈ります。と、たまにはシリアスなことを言ってみたかった。


ブルックリン・ブリッジから見るマンハッタンのウォールストリート。

ニューヨークの最大の特徴の一つが、高層ビルの多さと、その美しさだと思います。エンパイア・ステート・ビルやクライスラービルに代表されるような風格のあるアンティーク調の高層ビルにはただただ見とれてしまいました。頂点の部分が教会の尖塔のようになっているのがかっこいいんですよねー。

チャイナタウン。

あのスターバックスが中華風ビルの中に!写真はそうでもないけどびっくりするほど漢字の看板が多かったです。


焼き鳥スタンド。

物価の高いNYで安く食べるにはやっぱり屋台かなと思って頼むと、なんと3ドルもしました。おそるべし、NY。

タイムズ・スクエアの地下鉄の駅。

すごい派手な電飾。かっこいい。もう、NYでは全てがかっこよく見えます。町行く女性の美しさも、今まで訪れた町の中ではパリと並んでNo.1ではないでしょうか。やっぱり都会の女性はきちんと自分を磨いているなあ、という印象です。

エンパイア・ステート・ビル。高すぎてビルの頭が雲につっこんでいます。

上まで登って夜景を見ましたが、あいにくの曇り空(というか雲の中)なのであまりはっきりとは見えず。下の写真のサイドはまだましでしたが、逆サイドなんて真っ白でした。


週末の夜に息子ジョナサンに誘われ、その友達たちと一緒に近所で行われた野外ロックフェスティバルへ行ってきました。

広い会場に凄い数の人が集まっていました。出演バンドは、LCD SOUNDSYSTEMやARCADE FIREなど。どちらも聞いたことのない名前だったけど、後者は世界的に有名らしいです。みなさん、知ってますか?どこかで聞いたことのあるような曲がいくつかありました。それなりに新鮮な音だったし、かなり楽しめました。


今日の夜、親父さんのデイビッドの郊外の家に移動して一泊した後、明日はサンフランシスコです。そこでは前の会社の同僚Mに会えそうなので楽しみです。

カリブ海。カンクン、そしてキューバへ

2007年10月04日 05時04分14秒 | 南北アメリカ

トリニダード・トバゴ以来のカリブ海に戻って来て、メキシコのリゾート地・カンクンと社会主義の国キューバを観光しました。

カンクンは、町の中心部で市民の生活の場となっているセントロと、ホテルゾーンと言われるアメリカと変わらないリゾート部分とに大きく分けられます。ホテルゾーンにあるホテルは一泊100ドルは下らない高級ホテルしか存在しないので、僕のような金の無い長期旅行者はセントロに泊まります(一泊8ドル)。しかしセントロにはビーチが無いので、ビーチに行くには、ホテルゾーンへバスで20分くらいかけて行き、ホテルのプライベートビーチへ宿泊客のような顔をして進入するのが一般的なやり方です。しかし!メキシコシティのペンション・アミーゴで知り合った友達Hくん(会社の休みで短期旅行で来ているリッチマン・神)がそのホテルゾーンに100ドルも出して泊まっているとの情報を得たので、彼のホテルに遊びに行きました。天気は雨にもかかわらず。

そこはまさにアメリカという感じで(アメリカにはまだ行ったことがないけど、想像で)巨大な高級ホテルが立ち並び、巨大ショッピングモールがあり、ほぼ全員が英語を話します。そして、海は驚くほどコバルトブルーでした。


普通海が水色になるのは晴れている時だけだと思っていました。同じカリブ海のトバゴでも晴れているときはターコイズ・ブルーだけれども、曇ったり雨が降ったりすると普通の濃い目の青色になっていました。しかし、ここカンクンのビーチはこんなにどんよりと曇っているのに綺麗なコバルトブルーなのです。びっくりです。なぜなのでしょうか?


荒れ気味の海にて。来ているシャツはシティでサッカー観戦したクルス・アスルというチームのシャツなのですが、これを着てメキシコの町を歩くとたまに声をかけられます。クルス・アスルが好きな人には「いいねー!クルス・アスル!」と笑顔で、嫌いな人には「は?クルス・アスル?お前ら弱いんだよ、どっかいけ!」と憎たらしい顔で。メキシコ人のこういう所は大好きです。


ホテルゾーンにあるまるで城のような巨大ホテル



日を改めて晴れている時にイスラ・ムヘーレスという島にも泳ぎに行きました。ここはひたすら遠浅で50mくらい沖に行っても足がつくというとっても安全なビーチでした。波もほとんどなかったし。でも、海の青色の綺麗さはホテルゾーンの方が上でしょうか。



そして、ついにカリブ海観光のメインディッシュのキューバへ行くことに。社会主義の国。アマチュア野球が強い国。チェ・ゲバラが革命をした国。キューバに行ったという旅行者からの話を聞いても評判は上々で、その印象は変わった不思議な国という感じです。どんな国なんだろう?と期待が高まります。その期待はキューバ行きの飛行機でいきなりかなえられます。キューバの航空会社クバーナを使って行くのですが、かなり年代物の古い機体な上に、出発直前に足元から白い煙がもくもくと立ち昇ってきて機内が真っ白になるのです。事前に他の旅行者から話を聞いていたので、落ち着いていられましたが、もし知らなかったらかなり焦っていただろうな。。。


キューバでは、まず首都ハバナを観光して、その後ビーチのあるバラデロを観光しました。

キューバの特徴は、建物が古い(まるで廃墟)、車も古い(まさにクラシックカー)、二重通貨で物価が高い(人民向けはとても安い)、割と暑い、早朝から深夜まで町には常にたくさんの人が出歩いている、暑いのか上半身裸の男が多い(たまにキャミソールのようなものを着ている男も)、白人・黒人・混血・中国人と多様な人種が入り乱れている、人種間でみんな仲が良さそう、旅行者に対して気さくで親切、といったところでしょうか。
では、写真でキューバを振り返ってみたいと思います。


古い建物。旧市街は全体的にこういう味のある建物で占められていました。


古い車。キューバは何十年も前のクラシックカーの宝庫です。



革命博物館にて、アメリカのレーガン大統領を痛烈に風刺した絵。「革命をさらに力強くした人物」

やっぱりアメリカが嫌いなのでしょうか。でも、地元のテレビでは毎日ハリウッド映画を流していたし、アメリカ人も普通に旅行をしていました。まあ、時代は変わっていくのですね。(コカコーラはさすがに売ってなかったけど。)

野球の国というイメージだけど、ストリートサッカーをしている子供達がたくさんいました。

数年後には、サッカーも強くなるかもですね。

支倉常長という伊達政宗の家臣の像。

彼は数百年前のまだ戦国時代とか江戸時代とかに長い航海の末にキューバに辿り着いたのだそうです。それ以来、キューバと日本の関係は続いているとか。信じられないくらいの大冒険ですよね。なんという凄い冒険家なのでしょう!

人民用の通貨で買える数少ない食事の一つチャーハン。50円。味が薄くて不味かった。。。スプーンが入れ物の紙の切れ端というところが、チープでいい感じ。ちなみにビールも人民用通貨なら50円(旅行者用通貨では130円)。


お世話になった中華街。ハバナで最もコストパフォーマンスの高い食事ができる。しかし、中国人の姿はほとんどなく、チャイナ服を着たキューバ人が多数働いています。中国人はどこにいったんだろう?



内務省のビルの壁に浮かび上がるチェ・ゲバラの顔。めちゃくちゃかっこいい。


奮発してジャズバーへ。ジャズというかなんというかリズム中心の不思議な音楽が聴けました。かっこよかったです。かなり。

バンドメンバーも黒人、白人、混血、と様々な人種の混合でした。キューバらしく。

キューバ第一のビーチリゾート・バラデロのビーチ。

今まで見たビーチの中で最も綺麗だったかも。タンザニアのザンジバルと並んで。コバルトブルーでクリスタル・ウォーターな海。20kmに渡って延々と続く白い砂浜。人が少なくのんびりとした雰囲気。
やっぱりカリブ海は最高です。



最終日はハバナに戻って来ました。日曜日だったけど飲食店は大体開いていて(すばらしい!)仕事が休みの地元キューバ人で賑わっていました。昼間っから酔っ払って酒臭いです。人民通貨でビールを飲める店に一人でふらりと入るとそんな酔っ払いのキューバ人が僕に群がってきます。僕はスペイン語が話せないのに、血走った目で口角泡を飛ばしながらスペイン語で激しくしゃべりかけてきます。たまに少しだけ英語を話せる人がいて通訳してくれるのだけれど、その人も酔っているのでスペイン語と英語が半々なので、結局何を言っているのか判りません。一人が言いたいことが終わると、また次の一人が来て何かを僕に対してしゃべりかけてしばらくすると、満足したのかあるいは言葉の通じない相手と話すことに飽きたのか、また次の一人に代わるというのの繰り返しでした。あるキューバ人は僕のビール瓶の口にいきなり指を突っ込んできて「これがキューバスタイルだ」とかなんとか言ってきます。なんのこっちゃ。睡眠薬入れてるんじゃないだろうな?別のキューバ人は勝手に僕のビールを飲んで知らんふりしています。太った白人のキューバ人のおばちゃんは、「今日は私の誕生日なの。だからビールをおごって☆」などとタカリをかけてきます。別の黒人のキューバ人のおっさんは「日本はすばらしい。テクノロジーが良い。だからビールをおごれ」などと言ってきます。
まあ、こういう感じはアフリカで何度か経験したけど、うざいんだけど楽しい、という感じでしょうか。



キューバはやっぱりどこか変わった不思議な国でした。でも、観光に力を入れているだけあって旅行はしやすかったです。宿はずっと外国人が泊まれる民家に泊まっていましたが、どこもとても綺麗で快適で普通でした。そういう意味では刺激は少なくて、期待外れだったかもしれません。もっと何もかもが変わった国を想像していたので。


いよいよ明日ニューヨークに飛びます。そしてサンフランシスコを経由して10月13日に日本に一時帰国します。物価が高いアメリカと日本に行くのは少し気が重いけど、仕方が無いので思い切ってお金を使おうと思っています。10日間ほど日本に滞在して、中東からこの旅の最終フェーズのアジア編をスタートさせる予定です。


日本にいるみなさんへ。お暇なら帰国中の僕と是非遊んでください。色々と日本の話などを聞かせてもらえると嬉しいです。連絡お待ちしております。