道東の狼!驀進 新鮮組

動乱の幕末を想わせる薄野。新鮮組は動乱の薄野を驀進します!

この世はミステリーだらけ

2022-08-11 03:29:06 | 時事トーク
ミステリーって何だろうか?いわゆる”謎”ですね。
あくまでも僕の見解ですが、謎には2種類あると思うんです。

一つが、科(化)学が元になる物でサイエンスの部類です。
そしてそれをさらに大きな枠組みで現わすと学問。
今ある共通認識における見解と新たな共通認識の探索。
何を言わんとしているかと言うと、
学問における謎と言うのは、私達が知らないだけであって
自然界からすれば謎でも何でもない。
それはそもそも原理原則の中ですでに出来上がっているものであって、
その原理に追いつく作業となる。要は、謎ではなく知らないだけと言う事。

もう一つが、心理的な事含めて人間がかかわっている事。
「誰がやった」「なぜやった」みたいな事。
しかし、これも言ってしまえば謎ではなく知らないだけ。
だから人の行動や審理における謎を解くと言うのは、厳密に言えば
その人を知る作業であると言える。はず・・・

では謎とは何なのか?
現実において当事者が理解していない事。
ある意味、理解しようとしない人にとっては都合のいい言葉ですよね。
では、謎に対し答えを断定できる人とはどういう人のことか?
それは「私は理解している」と言っている事と同じです。

僕が思う一番面白いたとえ話が「オカルト」です。
オカルトを完全否定する事は「私は理解している」と言っている事と同じ。
性格の悪い僕はすぐに聞きます「科学的に説明して?
底意地の悪い僕はすぐに勧めます「論文書いたらノーベル賞だよ
当然です、全世界的に科学において否定できていない事を、
なぜ一般人が断定して否定する事が出来るのでしょうか?出来るはずがない。
要はぶっ飛んだ知ったかぶりです。
だからそんな話になったときには「私は信じられない」というような
かわいらしい返答をお勧めします。

さぁ夏らしい話の脱線となってしまいましたが・・・
それでは、謎=理解していない事=ミステリーなのか?
そうではありません。(個人の見解です)
だってそうなってしまうと理解しようとすることがミステリーを解く
事となってしまいますから。まぁそれでもいいけれど・・・。

さぁようやく結論となります!
ミステリーとは、これまでに称してきた謎=理解していない事を
意図的に他者が理解できないように工作したものとなるわけです。
もう少し細かく言えば、さきほどまで書いていた
2種の謎(科学と人)を合わせて意図的に工作した物となります。
なぜなら科学を工作するには人が動かなくてはできないし、
人を工作する為には科学の力が必要だからです。その場合の科学の力とは
”嘘”に対する真実性の創造です。
いずれにせよ真実性の創造なくしてミステリーは成り立たない。

そのような意味においては、本日のこの投稿は超下級ミステリーです。
そうです!私は長々と意図的に本題を隠してきたのであります。
「この世はミステリーだらけ」と言うタイトルでありながら、
その本題には触れずに長々と「ミステリーとは何か?」を綴って参りました。

さぁそれでは!
ここまで読み続けている人はそうはいないだろうと確信して続けます。
「この世はミステリーだらけ」とは何を言っているのか?
そして、なぜこれまで「ミステリーとは何か?」を書いていたか?

チョー絶かわいい2枚のナンノちゃんを見ながらお考え下さい!



ということで、皆様分ったでしょうか?
「この世はミステリーだらけ」と言うタイトルは、
今まで綴ってきたミステリー=意図的に工作した物とした場合
「この世は意図的に工作した物だらけ」となるわけです。

では、その工作した物とは何か?
そこにこの超下級ミステリーの意図があります。
なぜなら、この話をして怒る人がいたら僕泣いちゃうから😰 
さらに、これがミステリーであれば以後僕が書くことは推理であり、
馬鹿にされても怒る人はいないはずだ!
僕は怒られたくないんだ!泣いちゃうから・・・

結局はコロナの話。
今年の3月くらいから、なぜ感染者数の報道の中から「重症者数」
がなくなったのか?ってことです。

あった物を故意に失くしたわけだから、そこには必ず意図があるわけです。
ではその意図とは何か?

もしそれを報じる事に意味がないという事でなくなったのなら、
それに対しての説明がある筈なんです。
しかし、それもなくパタッと報道されなくなったわけです。
もし「重症者数を報じる意味がない」となったのならば、そのように
結論付けた理由があるわけで、それを報じないのはおかしい事です。
これだけ国民の生活に影響を及ぼしたコロナの新事実なんだから、
私達は知る権利がある。そして、それを報じるのがマスコミです。
しかしそれを報じないのですから大きな問題ではないでしょうか?
そうなると「マスコミの怠慢だ」となるのです。
例えばそれが「正確な数字ではなかった」と言う理由だったとしても、
不正確な数字をずっと流していたわけだから謝罪があって当然です。
どちらにしても、正当な理由の元に削除していたのであれば
説明や謝罪がないのはマスコミの怠慢となるのです。

そして、それが怠慢でないとすれば意図の有る行為なのだとなるのです。
いずれにせよ批判の出る行動だと言う事です。
では、マスコミを擁護して怠慢ではないとすると、その意図とは何か?
その数字がある事で不都合が生じると言う事です。

ではその不都合って何だろうね?
報道である限りは、そこに必ず相手(視聴者)がいます。
と言う事は、視聴者に与える印象について不都合があると言う事です。
さてその印象とは何だったのでしょうか?

それは重症者数と死者数の関係性にある!
と僕は推理しているのです・・・。

よし、ここでやめておこう。
結局は忙しくて写真撮ってなかっただけなんだよねぇ・・・