旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

 商店街のガラポン

2016年02月15日 18時15分06秒 | エッセイ
   商店街のガラポン

 子供の頃は、世の中にスーパーもコンビニも無かった。お母さん達は近所の商店街に行って、八百屋で野菜、魚屋で魚貝、肉屋で肉を量り売りで買っていた。米は何んと1981年まで配給制度が残っていて、お米は米屋で買うものだった。ついでに言えば、靴は街の靴屋、家電は電気屋さんで買うのが当たり前だった。デパートは昔の方が今より活気があって繁盛していたが、大型店や専門店なんて未だなかったんだ。
 だから小さくても大きくても、商店街には活気があった。商店主が集まって、商店街活性化のためのイベントやセールを企画していた。今より地域が密にまとまっていて、お客が固定化していたんだ。買い物から奥さんの経済状態が分かってしまう。急に貧乏になったり景気がよくなったら、噂になる。あそこんち、今日スキヤキだって。日本がまだアジアだったんだ。それが懐かしくて俺は亜細亜に行くんかな。
 商店街はいかに小さくても春夏のセール期間に福引をやる。百円で一枚、五枚で一回だったかな。十枚で一回だったか。福引券を集めるとガラポンを回せる。景品は各店で出し合っていたようだ。このガラポンはドキドキものだった。券が集まると、親は大てい子供にやらせてくれる。時には券だけ渡して行ってきなさい、となる。
 その日俺は30枚、3回分を握りしめて一人で福引会場、といっても机があってガラポンが二台置かれ、後ろの棚に景品、模造紙に景品内容が書かれている程度だが、そこへ行った。大人には見降ろすガラポンも小さい子供には正面にデンと座っている。
 一回目白、二回目白、白は最低ランク。最低つまり一番数の多い景品は何だったんだろう。今ならポケットティッシュが出てきそうだが、その当時そんな気のきいた物は無い。チリ紙の時代だ。大きなアメ玉とか、鉛筆一本とかかな。ラスト一回、気を落ち着けてゆっくりと廻す。ポトっと落ちた玉は紫。えっ?ガランガラン、おじさんが鐘を鳴らす。ボク、おめでとう。三等賞!何?商品は何? げっ一升瓶に入った醤油でした。「ボク大丈夫、一人で持てる?」アチャー、ガッカリポンや。当たったのはうれしいが、子供にはしょーもなくてくそ重い一升瓶の醤油を抱えて持ち帰り、母親に渡したよ。誇らしいやら、情けないやら。


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