ミャウー探訪
密林に点在する遺跡。古アラカン王国の都。ミャウーには、以前から行きたかった。でも密林はないな。田舎の草原に広がる遺跡群。その規模は、相当なものだ。充分に世界遺産の価値はある。最近(1990年代)に本格的に発掘されたので、遺跡の保存状態が素晴らしい。とても500年前の遺跡とは思えない。
パガンのように荒野を埋め尽くす、大小3千ものパゴタ群。というのではなく、高低差のある山野に遺跡が点在している。地元の人が手を加えているわけではなさそうなので、こちらの方が先に世界遺産になるんじゃないかな。インフラ整備の遅れているラカイン州のためにも、そうなるといいね。
ヤンゴンからシットウェまでは飛行機。シットウェからミャウーへは、船で6時間かかる。18世紀、1785年にビルマのコウバウン王国に征服されるまで、アラカン山系を隔ててアラカン王国が栄えていた。アラカン王国は、港町アキャヴ(現シットウェ)が海の中継貿易で栄えていた。
ビルマのことわざに云う。「アラカン(兵)とコブラに出会ったら、アラカンを殺せ」勇猛なアラカン族の兵士は、毒蛇よりも恐ろしい。上座部仏教の盛んなミャンマーの中でも、ラカイン州の仏教徒はとりわけ熱心な信者が多いそうだ。またラカイン州の若者は、滅多に他州の娘を嫁にはしないらしい。
ところでロヒンギャの問題をみても分かる通り、他民族国家のミャンマーの中でも、ラカイン州は特に多民族な州だ。キリスト教のチン族、ヒンドュー教やイスラム教のインド系の人々が多い。
さてミャウー探訪は2019年2月8-10日で、この3日間は快晴。ヤンゴンもシットウェも暑かった(36℃)が、ミャウーの朝晩は、高地なので意外に肌寒く(日中は灼熱)ウィンドブレーカーを持ってきて良かった。
トランクはヤンゴンのホテルに預けて、リュックだけで旅した。
韓国旅行はさておき、今回初めて本格的にLCCを使った。ヤンゴン往復42,000円。行きはバンコク、帰りはクアラルンプール乗り換えだ。ネットで予約してカード払い。チケットはなく、プリントアウトした紙切れを持って成田へ向かった。
行きはタイのLion Air。紙切れだけで大丈夫かいな。バンコクの乗り換えは90分だが、荷物はちゃんとヤンゴンまで届くかな。心配はいらなかった。座席は20A。何てことなくライオンの腹に納まった。
ヤンゴンの空港で買った中国製のタバコは、なかなか美味でUS$13。一箱150円かと喜んでいたら、帰りはミャンマー製が1カートン5$だった。一箱60円。
7日の夜にヤンゴンの安宿(US$24)に泊まり、翌朝連れと待ち合わせて空港へ向かった。連れのナナさん(仮名)は、前回の旅行の時の日本語ガイドさんだ。彼女に今回の旅の手配を頼んだ。ナナさんが、ミャウーに行きたいと言ってきたからだ。
ヤンゴン⇔シットウェの国内線は、呆れるほど高かった。行き$115、帰り$113。往復の料金かと思った。ミャンマー人は約半額。3月になると、何故か半額になるらしい。行きはヤンゴン発12:00(13:20着)
、もっと早い便があれば良いのに。帰りはシットウェ発17:20の予定が、何故か20:10に変更になった。帰りの船便は7時にミャウー発だから、シットウェに相当長い時間いることになる。
今回の旅行は、友人と行く予定だったが、友人に予定が出来てキャンセル。急きょカミさんを誘ったら、行くというので手配した。ところが、出発の10日ほど前になって、帰りの一人での深夜乗り換えを怖れたのかキャンセル。何だよ。何なんだよ。
カミさんの希望に従って、シットウェ⇒ミャウーを車にしたのに。おばちゃんのナナさんと2人で行くのは気まずい。車なら何人乗っても料金は同じだ。ナナさん、誰か誘ったら。すると最初は姪御さん、次に会社の同僚が参加します、という。結局、出発当日の国内線ターミナルに女性4人が集まった。意外にも2人は可愛らしい娘さんだ。へー、何か楽しくなってきた。
ミャンマーは不思議と英語が通じる。45年前のバンコクやスペインでは、全く一言も通じなかったのに。でもこの同行3人の女性たちはあまり英語が得意ではなかったので、会話は発展しなかった。と、いうか、この旅は必然的にオバさんx2、娘さんx2、爺の成りかけx1となる。車は、助手席に自分、オバ2、娘2となる。ボスはナナさんだ。
ナナさんはやり手おカミ、もう一人のオバさんは副官、綺麗どころが二人、ボケた旦那が自分。ハイエースの運転手は、「ホウッケ、バー(ヘイ)おカミ、何でもおっしゃってくだせー」中年だが、若い衆といった役割だ。何しろこの旦那、おカミさん以外と話しが出来ない。
このメンバーで、車旅が始まった。田舎はいいな。何しろ道に広告が一つもない。広告する意味がないのだ。検問とかもなく、街灯もなく、こぶ牛やトラクターの他に道を遮るものもない。ほぼ一直線の道路だ。ラオスやカンボジアの田舎よりちょい立派くらいのボロ家が、時々集中して現れる。
すると鉄道が道に平行して現れた。何だ、鉄道があるやんけ。ところがこの鉄道はミャウーには通じていないで、シットウェと別の港町を一日一往復しているそうだ。運よく鉄道車両を見ることが出来た。一両編成か。何だか可愛らしい電車だが、意外と新しい。日本から持ってきた車両だそうだ。
道路は所々未舗装で、橋は木製。橋に掛かると線路が急接近して木橋の上を通る。
この木橋には、線路はない。
副おカミはエンジニアで、広島に行ったことがあるそうだ。この人は、さりげなく気を使ってくれる良い人だった。娘2人は多分、初めて会ったんじゃないかな。意気投合したらしく、終始仲良くしていた。2人は飛行機に始めて乗るそうで、控えめにはしゃいでいた。
ミャンマーの娘さんは、礼儀正しい。姿勢よく、澄んだ瞳を真っすぐに向けて話す。フィリピン娘のように人懐っこくはなく、ラオス人の娘のように、身を世もなく恥ずかしがったりはしない。自分に、まるで先生のように接する。ちょっと物足りない。でも煙たがられている訳ではなさそうだ。
遠くに電車が走っているのを教えてくれたり、アイスクリームを買ってくれたりした。遺跡の高い石段で、巻きスカートがきつそうなので、手を出すと素直に摑まってくる。
国内線の機内で軽食が出たが、時間を節約するため昼食をとらずに車に乗った。ところが、ナナさんのバックは魔法のバック。お菓子が次々助手席に廻ってくる。自分が今朝渡したお土産(成田で買ったヒヨ子饅頭)も廻ってきた。途中、織物工場やパゴタに立ち寄り、2-3時間走って小休止。
オバ2は、屋台で麺を食っている。あれほどお菓子を食べたのに。果物の屋台があった。小さな小さなミカン 6ヶで100チャット(7円)、葡萄一房 150チャット(10円)。あれっこの売り子の娘、可愛いな。
織物工場
途中のパゴタ
ミャウーには19時ごろに着いた。途中で凄いものを見ちゃった。地平線に沈む真っ赤(真っオレンジ)の夕日。その残光が遠くの地平線に残る中、草原を縦断する2筋の野焼きの火。立ち昇る煙は、暗くなった濃褐色の空に溶け込んでよく見えない。鮮やかな火の列が2筋、地表を100mも一直線に連なる。目に焼き付くような火列だ。野火は心に、本能に響く。凄いじゃないか。でも同行の女性陣には、さほどの感動を与えていないようだ。ちょっと、ちょっと車を停めて。一枚写したい。と言いたかったのだが、止めた。まっ、しょーがない。心の記念ショットっとしよう。
ミャウーで夕食。坂の多い街だ。店の料理が全部出て来た。これなら分かる。ガーヒン(魚カレー)、チャターヒン(チキンカレー)。実に美味かったが、ちと辛い。ナナさんが、一人350円分くらい払っていた。娘さんもご飯をおかわりして、よく食っていた。
運転手を待たせていることもあるのか、皆食べるのが早い。うちのカミさんがいたら、半分も食べていないだろう。ホテルは2泊したが、バンガロー風の良い部屋だった($30)。
ミャウー初日の朝、7時前にはホテルを発った。「xxさん、チン族の村に行きます。船で半日かかります。いいですか。」とナナさん。ガイドの時の彼女と全然違う。有無を言わせぬ貫禄だ。時々、トランクを持ってあげる以外に全く役にたたない旦那に、反対する理由はない。
小さなボートでシッタン川?に乗り出した。早朝は涼しい。綺麗な水だ。川岸に広告は一切ない。ゴミ一つ浮いていない。乾季の終わりで水量は少なく、途中で川の掘削をしていた。所によっては川底まで数10cm。底の小石に触れそうだ。空は晴れ渡り、ボートのモーター音もさほど喧しくはない。プラスチックのひじ掛け椅子を5つ並べて一杯一杯。北に向かって走る。上流に向かっているんだろう。
川風は涼しく、んっ、だんだん寒くなってきた。ゴムぞーりを脱いで靴下を履き、タオルを首に巻き付け、ナナさんに貰ったロンジーを腰に巻いた。静かな川だ。すれ違う船は少ない。
ボートは90分ほど走ると、川幅が狭くなり、水の色が変わってきた。両岸の緑を溶かし込んだような抹茶色。桟橋に着いた。下から見上げると、集落があるようには見えない。ちょっと坂を登ると集落に入った。そこには、ぶっとい葉巻をくわえたバアさん軍団が待ち構えていた。やたらと子供がいる。そうか、今日は日曜日だ。
チン族は明らかに母系社会だ。キリスト教なのだが、に教会はない。ラカイン州では、教会やモスクは建てられないそうだ。ヤシの実ジュースを飲んで休憩。帰りの船中で、焼き飯弁当・フライドエッグ載せを食べる。ホテルで作ってもらった。景色も空気も水も綺麗で、当然美味い。スプーンが無いから手で食べた。川の水で洗えばよい。
帰りは陽も高くなって暖かかった。暖かくて川面に光が反射してキラキラ、風が心地よい。パライソって、こんな瞬間の連続なんだろうか。桟橋に着いたら、娘がすっ飛んでいった。トイレを我慢していたのね。いよいよ午後は、ミャウー遺跡だ。今回の旅のハイライトだ。
学校
チン族のおババ
後編に続く、
密林に点在する遺跡。古アラカン王国の都。ミャウーには、以前から行きたかった。でも密林はないな。田舎の草原に広がる遺跡群。その規模は、相当なものだ。充分に世界遺産の価値はある。最近(1990年代)に本格的に発掘されたので、遺跡の保存状態が素晴らしい。とても500年前の遺跡とは思えない。
パガンのように荒野を埋め尽くす、大小3千ものパゴタ群。というのではなく、高低差のある山野に遺跡が点在している。地元の人が手を加えているわけではなさそうなので、こちらの方が先に世界遺産になるんじゃないかな。インフラ整備の遅れているラカイン州のためにも、そうなるといいね。
ヤンゴンからシットウェまでは飛行機。シットウェからミャウーへは、船で6時間かかる。18世紀、1785年にビルマのコウバウン王国に征服されるまで、アラカン山系を隔ててアラカン王国が栄えていた。アラカン王国は、港町アキャヴ(現シットウェ)が海の中継貿易で栄えていた。
ビルマのことわざに云う。「アラカン(兵)とコブラに出会ったら、アラカンを殺せ」勇猛なアラカン族の兵士は、毒蛇よりも恐ろしい。上座部仏教の盛んなミャンマーの中でも、ラカイン州の仏教徒はとりわけ熱心な信者が多いそうだ。またラカイン州の若者は、滅多に他州の娘を嫁にはしないらしい。
ところでロヒンギャの問題をみても分かる通り、他民族国家のミャンマーの中でも、ラカイン州は特に多民族な州だ。キリスト教のチン族、ヒンドュー教やイスラム教のインド系の人々が多い。
さてミャウー探訪は2019年2月8-10日で、この3日間は快晴。ヤンゴンもシットウェも暑かった(36℃)が、ミャウーの朝晩は、高地なので意外に肌寒く(日中は灼熱)ウィンドブレーカーを持ってきて良かった。
トランクはヤンゴンのホテルに預けて、リュックだけで旅した。
韓国旅行はさておき、今回初めて本格的にLCCを使った。ヤンゴン往復42,000円。行きはバンコク、帰りはクアラルンプール乗り換えだ。ネットで予約してカード払い。チケットはなく、プリントアウトした紙切れを持って成田へ向かった。
行きはタイのLion Air。紙切れだけで大丈夫かいな。バンコクの乗り換えは90分だが、荷物はちゃんとヤンゴンまで届くかな。心配はいらなかった。座席は20A。何てことなくライオンの腹に納まった。
ヤンゴンの空港で買った中国製のタバコは、なかなか美味でUS$13。一箱150円かと喜んでいたら、帰りはミャンマー製が1カートン5$だった。一箱60円。
7日の夜にヤンゴンの安宿(US$24)に泊まり、翌朝連れと待ち合わせて空港へ向かった。連れのナナさん(仮名)は、前回の旅行の時の日本語ガイドさんだ。彼女に今回の旅の手配を頼んだ。ナナさんが、ミャウーに行きたいと言ってきたからだ。
ヤンゴン⇔シットウェの国内線は、呆れるほど高かった。行き$115、帰り$113。往復の料金かと思った。ミャンマー人は約半額。3月になると、何故か半額になるらしい。行きはヤンゴン発12:00(13:20着)
、もっと早い便があれば良いのに。帰りはシットウェ発17:20の予定が、何故か20:10に変更になった。帰りの船便は7時にミャウー発だから、シットウェに相当長い時間いることになる。
今回の旅行は、友人と行く予定だったが、友人に予定が出来てキャンセル。急きょカミさんを誘ったら、行くというので手配した。ところが、出発の10日ほど前になって、帰りの一人での深夜乗り換えを怖れたのかキャンセル。何だよ。何なんだよ。
カミさんの希望に従って、シットウェ⇒ミャウーを車にしたのに。おばちゃんのナナさんと2人で行くのは気まずい。車なら何人乗っても料金は同じだ。ナナさん、誰か誘ったら。すると最初は姪御さん、次に会社の同僚が参加します、という。結局、出発当日の国内線ターミナルに女性4人が集まった。意外にも2人は可愛らしい娘さんだ。へー、何か楽しくなってきた。
ミャンマーは不思議と英語が通じる。45年前のバンコクやスペインでは、全く一言も通じなかったのに。でもこの同行3人の女性たちはあまり英語が得意ではなかったので、会話は発展しなかった。と、いうか、この旅は必然的にオバさんx2、娘さんx2、爺の成りかけx1となる。車は、助手席に自分、オバ2、娘2となる。ボスはナナさんだ。
ナナさんはやり手おカミ、もう一人のオバさんは副官、綺麗どころが二人、ボケた旦那が自分。ハイエースの運転手は、「ホウッケ、バー(ヘイ)おカミ、何でもおっしゃってくだせー」中年だが、若い衆といった役割だ。何しろこの旦那、おカミさん以外と話しが出来ない。
このメンバーで、車旅が始まった。田舎はいいな。何しろ道に広告が一つもない。広告する意味がないのだ。検問とかもなく、街灯もなく、こぶ牛やトラクターの他に道を遮るものもない。ほぼ一直線の道路だ。ラオスやカンボジアの田舎よりちょい立派くらいのボロ家が、時々集中して現れる。
すると鉄道が道に平行して現れた。何だ、鉄道があるやんけ。ところがこの鉄道はミャウーには通じていないで、シットウェと別の港町を一日一往復しているそうだ。運よく鉄道車両を見ることが出来た。一両編成か。何だか可愛らしい電車だが、意外と新しい。日本から持ってきた車両だそうだ。
道路は所々未舗装で、橋は木製。橋に掛かると線路が急接近して木橋の上を通る。
この木橋には、線路はない。
副おカミはエンジニアで、広島に行ったことがあるそうだ。この人は、さりげなく気を使ってくれる良い人だった。娘2人は多分、初めて会ったんじゃないかな。意気投合したらしく、終始仲良くしていた。2人は飛行機に始めて乗るそうで、控えめにはしゃいでいた。
ミャンマーの娘さんは、礼儀正しい。姿勢よく、澄んだ瞳を真っすぐに向けて話す。フィリピン娘のように人懐っこくはなく、ラオス人の娘のように、身を世もなく恥ずかしがったりはしない。自分に、まるで先生のように接する。ちょっと物足りない。でも煙たがられている訳ではなさそうだ。
遠くに電車が走っているのを教えてくれたり、アイスクリームを買ってくれたりした。遺跡の高い石段で、巻きスカートがきつそうなので、手を出すと素直に摑まってくる。
国内線の機内で軽食が出たが、時間を節約するため昼食をとらずに車に乗った。ところが、ナナさんのバックは魔法のバック。お菓子が次々助手席に廻ってくる。自分が今朝渡したお土産(成田で買ったヒヨ子饅頭)も廻ってきた。途中、織物工場やパゴタに立ち寄り、2-3時間走って小休止。
オバ2は、屋台で麺を食っている。あれほどお菓子を食べたのに。果物の屋台があった。小さな小さなミカン 6ヶで100チャット(7円)、葡萄一房 150チャット(10円)。あれっこの売り子の娘、可愛いな。
織物工場
途中のパゴタ
ミャウーには19時ごろに着いた。途中で凄いものを見ちゃった。地平線に沈む真っ赤(真っオレンジ)の夕日。その残光が遠くの地平線に残る中、草原を縦断する2筋の野焼きの火。立ち昇る煙は、暗くなった濃褐色の空に溶け込んでよく見えない。鮮やかな火の列が2筋、地表を100mも一直線に連なる。目に焼き付くような火列だ。野火は心に、本能に響く。凄いじゃないか。でも同行の女性陣には、さほどの感動を与えていないようだ。ちょっと、ちょっと車を停めて。一枚写したい。と言いたかったのだが、止めた。まっ、しょーがない。心の記念ショットっとしよう。
ミャウーで夕食。坂の多い街だ。店の料理が全部出て来た。これなら分かる。ガーヒン(魚カレー)、チャターヒン(チキンカレー)。実に美味かったが、ちと辛い。ナナさんが、一人350円分くらい払っていた。娘さんもご飯をおかわりして、よく食っていた。
運転手を待たせていることもあるのか、皆食べるのが早い。うちのカミさんがいたら、半分も食べていないだろう。ホテルは2泊したが、バンガロー風の良い部屋だった($30)。
ミャウー初日の朝、7時前にはホテルを発った。「xxさん、チン族の村に行きます。船で半日かかります。いいですか。」とナナさん。ガイドの時の彼女と全然違う。有無を言わせぬ貫禄だ。時々、トランクを持ってあげる以外に全く役にたたない旦那に、反対する理由はない。
小さなボートでシッタン川?に乗り出した。早朝は涼しい。綺麗な水だ。川岸に広告は一切ない。ゴミ一つ浮いていない。乾季の終わりで水量は少なく、途中で川の掘削をしていた。所によっては川底まで数10cm。底の小石に触れそうだ。空は晴れ渡り、ボートのモーター音もさほど喧しくはない。プラスチックのひじ掛け椅子を5つ並べて一杯一杯。北に向かって走る。上流に向かっているんだろう。
川風は涼しく、んっ、だんだん寒くなってきた。ゴムぞーりを脱いで靴下を履き、タオルを首に巻き付け、ナナさんに貰ったロンジーを腰に巻いた。静かな川だ。すれ違う船は少ない。
ボートは90分ほど走ると、川幅が狭くなり、水の色が変わってきた。両岸の緑を溶かし込んだような抹茶色。桟橋に着いた。下から見上げると、集落があるようには見えない。ちょっと坂を登ると集落に入った。そこには、ぶっとい葉巻をくわえたバアさん軍団が待ち構えていた。やたらと子供がいる。そうか、今日は日曜日だ。
チン族は明らかに母系社会だ。キリスト教なのだが、に教会はない。ラカイン州では、教会やモスクは建てられないそうだ。ヤシの実ジュースを飲んで休憩。帰りの船中で、焼き飯弁当・フライドエッグ載せを食べる。ホテルで作ってもらった。景色も空気も水も綺麗で、当然美味い。スプーンが無いから手で食べた。川の水で洗えばよい。
帰りは陽も高くなって暖かかった。暖かくて川面に光が反射してキラキラ、風が心地よい。パライソって、こんな瞬間の連続なんだろうか。桟橋に着いたら、娘がすっ飛んでいった。トイレを我慢していたのね。いよいよ午後は、ミャウー遺跡だ。今回の旅のハイライトだ。
学校
チン族のおババ
後編に続く、
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