旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

四国遍路 ー 遍路ってこんなの?続

2023年11月16日 23時30分30秒 | 旅日記
四国遍路 ー 遍路ってこんなの?続

*容量が一杯だって。新しくするね。

★ 旅のエピソード 2
 城さんは、可愛いお遍路さんだ。娘さんの遍路は珍しい。おばちゃんなら結構いる。吉野川に掛かる長い橋を、荷物をカートに載せてガラガラ引いていたら、彼女が追い付いて声を掛けてくれた。その日は結局、彼女が泊まると言っていたゲストハウスにした。
 12番の難所を、一部一緒に登った。その後2日、同じ宿だった。遍路に宿の選択肢は大してない。自分はバス・電車を使うから、その先は先行して会っていない。城さんは、all歩きなんだ。でもある宿で、自分の名前を宿帳に見た、とのことでLINEを送ってくれ、その後やり取りがある。城さんはまだ遍路の中にいる。彼女が旅していると、自分もまだ旅しているような気になる。
 ゲストハウスでは、歩き遍路がたくさんいて、ロビーで夜楽しい歓談のひと時を持った。城さんは、2日前に会社を辞めたばかりで、ちょっと気持ちが揺れていたが、その場にいた5人が全員無職なのを知り、なあんだ、全員無職!と力を抜いた。
 城さんは本当に優しい子で、山の上のゲストハウスで、到着が遅くなった見ず知らずの外国人(チェコ人)を、ここまでかと心配していた。彼女は土地の人
から、頻繁に声をかけられる。そりゃそうだ。自分でもそうする。娘さん、休んでお茶でも。あんたじゃない。ジジイ遍路は呼んでない。
 彼女とイスラエルのアリ君が、山道で呼び止められ、爺さまにぬるいお茶としけった煎餅をご馳走になったそうだ。急いでいるのに、結構迷惑な話しだが、心優しい城さんは断るのが苦手だ。
 爺さんは、家族に全員先立たれ大きな家に一人ボッチと愚痴りだし、記念にたくさんある食器をどれか持って行ってくれまいか。人に使ってもらえばうれしい。これこそ迷惑。荷物は100gでも減らしたい。断る城さん。しつこく懇願する爺さん。結局アリは、一番小さな徳利とぐい飲み。城さんは、けっこうな重さの器を2つ。
 困った、困ったという城さんに、自分は入れ知恵をした。道端にお地蔵さんがあるだろ。あの前に置いてきちゃいな。でも心優しい城さんは、そんなわけにはいかないわ。お爺さんの気持ちを裏切ることになる。でも困った。誰か貰ってくれないかな。

★ 旅のエピソード 3
  外国人の遍路は、別に仏教徒ではないから、お祈りはしない。あまり遍路っぽい恰好もしていない。若い娘は、山岳救助隊みたいなのがいる。男は例外なくひげを生やしている。彼らと話すのは面白い。ミカンをあげると喜んでくれる。おいしいそうだ。
 12番・焼山寺過ぎた所のゲストハウスで、夕食にデンマーク人がいた。120kgの巨漢だ。彼は、どこからここへ来たのか、明日の朝に12番に行くという。12番は登るのも大変だが、ここまでの下りもきつい。あれで駄目押し。親指の爪が剥がれた。
 明日はたいへん(Hard work)だね。そう言ったら、こう返ってきた。何の、毎日スーツを着てネクタイを締め会社に行く。今日も明日も行くのがHardなんで、これはわくわくする。楽しくてしょうがないよ。

★ 旅のエピソード 4
 春さんは、まだ十代かと思われるボーイッシュな娘さん。自転車で遍路に来た。どうやって自転車を持ってきたの?お父さんに車で送ってもらって、フェリーで来ました。見たところ電動ではなさそうで、12番のくねくね道を担いで押して登るのは、相当大変だろうな。下りは一気に行けるけど。
 また、何で遍路に?誰だって聞きたくなるよね。うーん、美容院に行ったのね。そこのママが話の中で、あんた、お遍路に行きなさいよ。次の日、大して親しくもないおじさんから、君は遍路に行った方が良い。
 たぶん、言ったほうは何も考えていなかったんだろうな。言われた春さんは、そうかな?2人から続けて言われるんだから、行ったほうが良いのかな。でも何?お遍路って。それでアルバイトを辞め、自転車担いで来ちゃうんだ。凄いな、この子は。

★ 旅のエピソード 5
 民宿・樹園が大当たりだったのは、食事だけではないんだ。ここには犬がいる。割と大柄なおとなしい犬だ。食堂の脇、玄関の前にゴザのような丸い敷物
が置いてあり、そこが彼女の定位置だ。
 この犬は、ワンともスーとも言わないが、目としぐさで促す。あなた、そこに立っているなら、私を撫ででちょうだい。おばさん、この犬、お年寄りでしょ。もう16歳(or 17歳)で、耳が聞こえないの。でも賢い犬よ。徳島新聞に載ったこともあるの。海岸から捨ててあるペットボトルや空き缶を拾ってきていたのよ。
 もともとは近所のお年寄りのご夫婦の飼い犬だったんだけど、夫婦が相次いで脳溢血で倒れてしまった。保健所で始末すると聞いて、うちでもらったの。
翌早朝、自分が出発するのでドアを開けたら、彼女が敷物からゆっくり立ち上がり、ゆっくりスタスタと先に出てゆく。そして玄関先にちょこんと座る。いいのかな、外に出して。xx、またお見送りかい。何と行ってらっしゃいをしてくれるんだ。ジーンときたね。

・旅のエピソードは、まだまだこれから。でも文章ばかりじゃ、疲れるよね。

〇 四国の鉄道
 バスはバス。異国のバスのように、乗客を眺めて楽しい、といったことは、ここではない。電車や路面電車は楽しい。ワンマン列車は、最初は戸惑った


この渡し舟はただ。








〇 路傍の石仏
 遍路路や寺の参道には、お地蔵さんや石仏が並んでいる。お遍路の歴史を感じさせてくれる。よく見ると、味のあるものだ。お寺の中の像も一緒に、ご鑑賞あれ。




































★ 旅のエピソード 6
 やっぱゲストハウスが良い。前日泊まったビジネス旅館の夕食は、お通夜か自閉症セミナーのようだった。向かい合って、目を合わさないようにして食う飯は最悪。ゲストハウスは、ただベットとシャワーと洗濯機を提供するだけで、朝は勝手に行ってらっしゃい。でも人との触れ合いがある。
 76番・金倉寺近くのゲストハウス安宿ミカサスカサも面白かった。良い宿は、予約の時に客のことを知ろうとする。何か嫌いな食べ物はありますか?
とか、うちは何もありませんよ。ベットを提供するだけです。とか。電話番号も知ろうとしない宿は、客によほど関心がないんだろう。
 ミカサスカサはJR土讃線の駅前で、翌朝電車を待つ間にホームから降りて、宿の灰皿に行ったほどだ。ここの女性オーナーの話しが面白かった。コロナで数年、開店休業状態。毎日駅を見ても、降りてくる乗客すらいない。といって、自分の宿から患者を出すわけには、けっしていけない。
 政府の補助金は、料理屋や旅館ほどは出ない。そうだろうな。行政がゲストハウスに優しいわけがない。でもそのなけなしの補助と貯金で過ごしているうちに、働くのがいやになっちゃった。分かる。分かる、その気持ち。
 そんな話しをしていると、電話が入り、急にペルー人の夫婦が車でやってきた。まだ若いご主人は、日本語が達者だ。奥さんは話せない。彼らは、仕事で来たそうだ。何の仕事か、翌朝聞いたがよく分からなかった。疲れていたんだろう。シャワーを浴びると、すぐ寝るそうだ。
 では、奥さんはこちらのベットを。いいえ、一緒に寝ます。ヒエー、仲のよろしいこと。夜中に帰ってきた青年の、地割れのようなイビキを夢うつつに聞きながら、ぐっすり寝た。翌朝、ペルー旦那が注射を打っている。インシュリンです。あー、僕もそうだよ。奥さんにミカンをあげて、アスタ・ルエゴ。



★ 旅のエピソード 7
  先入観や思い込み。嫌だね。そういう物に囚われている人間は。ところが自分がそれをやっていた。難所、遍路転がし Part 2 へ向かう前日に泊まった宿の親父さんは、なかなか味のあるお爺さんでした。
 遍路杖をバスの中に置き忘れた話しをしたら、ちょっとついてこい。手製の自然木の杖が何本も立てかけてある。自分で選びたかったが、これをやると先がちょっと曲がった一本をくれた。申し分なく硬くて、そこそこ軽い。この杖は、最後まで遍路旅を共にした。でも四国を離れる前日に、駅の傍に置いてきた。ロードオブリングの魔法使い、ガンダルフが持つような杖で、大阪の街を歩き、新幹線に乗るのはどうもな。
 その宿に、台湾人の年配の夫婦がやってきた。支払いの時に、二人で1万円と親父が言ったら、奥さんはちょっと変な顔をして、一瞬ためらった。ははーん、あれだなと自分は思った。実は、ネットで調べた情報では、素泊まりが4,500円だったのに、宿では5,000円と言われたんだ。えっと思った。
 でも杖をもらい、役に立つパンフももらった。これ、持ち出し禁止って書いてあるんですけど。いいの、いいの、持ってき。洗濯・乾燥はサービスで、翌朝6時に山(寺)の登山口まで、車で送ってくれる。これで徒歩1時間は助かる。
 車の中で、豚コレラの話しなどをし、聞いてみた。ホームページには、素泊まり4,500円ってなっています。これは直したほうが良いのでは?だな。でも直し方が分からねえ。昨日の台湾人もそう思った(4,500円)のでは?ああ、あれは違う。あの奥さんは、12,000円出したんだ。

 駅で特急電車を待っていると、前日のゲストハウスで話しをし、自分の下段のベットにいたスイス人のおばさんがやってきた。電車一緒ですね。あと30分です。ところが、彼女は1時間後の各停に乗るという。何故?
 本を開いて教えてくれた。次の一駅、すごい高低差(峠)があるんだ。彼女は基本歩きだが、この一駅だけ乗って、その峠をカットするわけだ。これなんか、聞かなきゃ理由が分からないだろ。

★ 旅のエピソード 8
 杖を置き忘れる。初日は寺の納経所の杖置きに忘れ、2km戻って取り返した。手を洗う。鐘をつく。ローソク、線香、般若心経。納経所と杖を手放すことが多いんだ。納経所と本堂が250m離れた寺。階段が見上げる寺。くそ!もうこのまま手放すか。と思いつつ、取りに戻った。
 ところが最後の寺、88番に行くバスの中にまた置き忘れた。あっちょうどよいかも。もう最後だもんね。ところが、迎えに来たバスが同じバスで、再会した。あんまり嬉しくない。
 納経を忘れたことがある。前のページをめくっていたら、アチャー、一枚抜けているじゃあありませんか。忙しい行程の日だったから、行くのを抜かしたかな、それとも納経を忘れたかな。電車で半日かけて戻った。後戻りは嫌じゃ。


これがガンダルフの杖


★ 旅のエピソード 9
 エピソード7で出てきた春さんの話しを、夕食後にしたら、調理場で聞いていた女将さん、綺麗な女性ですよ、がそうそう惹かれるってことあるわね、と話し出した。あれはある夏の日、雨の夜----。おいおい、怖い話しは嫌だよと思った。
 でも怪談ではなかったのよ。その日は客がなく、さあお風呂に入って寝る準備というタイミングで電話が鳴ったそうだ。若い女性の声だが、外国人で日本語がたどたどしい。私は東京にいるんですが、友達があなたの宿の近くにいて困っています。どうか泊めてやってくれませんか!
 xx時だし、外は土砂降り。断ろうとしたが、電話は必死になって頼んでくる。うん、分かった。では見てくるね。傘をさし、手にもう一本持って電話で言っていたコンビニに行くと、軒先に女の子がしゃがみこんでスマホを見ている。脇には大きなリュック。
 声をかけ、宿に彼女を連れて帰ると、濡れて震えている女の子をお風呂に入れ、あり合わせの食事を用意した。その子はマリアと名乗った。日本語は出来ない。お風呂から出たマリアを見るとビックリ。腕に真っ黒な入れ墨が。
 スマホの翻訳サイトで会話した。マリアはチリ人。大好きなおばあちゃんが亡くなり、その思い出を抱いて日本に来ました。日系なのかな?おばあちゃんは、ユリの花が大好きで、娘、マリアのお母さんをユリ(スペイン語)と名付けた。私もユリの花、大好き。この入れ墨はユリなの。

 ふーん、あんた、この宿の名前を知ってる?ここは、りり庵だよ。ユリの英語名は、lily。私のxx(叔母?)が百合子っていうんだ。
 一瞬、ポカーンっとしたマリアは、故国のユリの名を持つお母さんとFacebookで、大興奮で話し始めた。お母さん、あたし今どこにいると思う!ユリの宿だよ!ユリの花の女の人に助けてもらった!まあまあ、娘を助けていただき、ありがとうございます。
 もともとお金のないマリアは、寝袋を持ち、ただで泊まれる所を調べて行ったのだが、先客がいて追い払われ、行き場を失ったんだ。
 翌朝、すっかり元気になったマリアは、快晴のなかリュックを背負い、大きなマグカップにコーヒーをなみなみと入れ、反対の手をブンブン振って満面の笑みでアディオス!おいおい、そのコーヒー、持って歩くんかい。こぼれるだろ。こぼれたら、手が熱いでしょ。早く飲めよ、マリア。あっ、そんなに手を振るな。

〇 四国八十八ヶ所
 仏教のお寺が88あるわけだ。宗派はどこ?弘法大師・空海の真言宗が80。残りは8だね。空海のライバル、天台宗が3。禅宗の曹洞宗が1、臨済宗が2。内1寺は、長宗我部元親が再建した。あと、一遍上人の時宗が1、単立(包括宗教団体に属さない)が1で88だ。

 開基(物事のもとを開くこと。開山)は?弘法大師 42、行基(ぎょうぎ) 29、役行者(えんのぎょうじゃ) 4、他は様々で、十一面観音を山で拾った狩人兄弟とか、長者、上人。天皇の勅願(天武と天智)、聖徳太子、藤原不比等、鑑真和上など。凄いメンバーだこと。
 弘法大師は、774~835年。だから生誕1,250年記をやっているんだね。行基(ぎょうぎ)は、668~749年。このお坊さんは、明治以前は大層な人気者だった。もともと在野の人で、土木工事の監督、各地の行基伝説、後に朝廷に重用され、東大寺・大仏殿の建立に携わるなど、空海の先駆者のような人物だ。
 役行者(小角=おづぬ)は、634~701年と言われているが、実在の人が疑わしい。仏教僧というより、孔雀の呪術を使う行者、仙人、修験道の開祖というべきだ。伊豆の島に流された時、海上をすたすた歩いて赴き、夜になると空を飛んで富士山に上がって修行に励んだという。行きも飛んで行けば良いのに。
 ちなみに、幕末に現れた金光教と天理教は、修験道の世界と濃厚に接触している。脱線ついでに、聖徳太子が、574~622で、仏教伝来が、552年?または538年だ。

 本尊は、伝、弘法大師が49、行基 19、智証上人 3、聖徳太子 1、役行者 1、恵心僧都 1、聖徳太子 1、運慶 1、伝なし 14。あれ、一つ多いな。まあ、こんなのはどうでもよいや。仏像製作者じゃあるまいし、そんなの作るほどひまな人たちじゃあない。運慶は本職だけどね。国宝も重要文化財も、本堂の奥にあるのか、ほとんど見られない。

 長宗我部元親は、一代の英雄だ。活躍の場がほぼ四国に限られるため、さほど有名 ではないが、彼の行った土佐統一、四国平定は一人の武将が行った事業としては、規模は小さくとも信長を上回る。彼は一領具足という、半農半兵の兵士を活用した。彼らは、農作業をしている時も槍と鎧を、田畑の傍らに置いていた。予備がなく、一領しかない具足(武器・鎧)だ。農作業で身体壮健、集団行動に慣れている。
 四万十川の戦いに勝ち、土佐統一を果たした元親は、伊予、阿波、讃岐に侵攻する。 信長に敗れ、落ち目の三好一族はそれでも、根拠地の淡路島から阿波、讃岐方面に勢力を誇っていた。元親の侵攻は、当初は三好の抵抗が激しく、思うように攻略が進まなかった。しかし天正5年(1577年)に三好長治が一揆で戦死すると、一気に加速する。
 この長宗我部元親の四国統一戦で、現遍路寺は大変な目にあった。高知で 1、愛媛(伊予)では 13(内4は、直接の長宗我部戦役ではない)、香川(讃岐)では 7(内2は、直接の長宗我部戦役ではない)、徳島(阿波)では 12(内1は、直接の長宗我部戦役ではない)の寺が、兵火に焼け落ちた。66番・雲辺寺は標高千m、西側のロープウェイの駅のある山麓は香川県だが、頂上の雲辺寺は徳島県。ロープウェイの標高差は650mだ。ここを攻め落とした長宗我部兵は、まるで山岳部隊だな。レンジャーだ。
 歩いた自分はよく分かる。山の上の寺は、守るに易く攻めるに難い。上からは、石やら材木やらを落とす。弓でも鉄砲でも狙い撃ちだ。一領具足の長宗我部兵は、歯をむき出して猿のように山道を攻め上ったのだろう。夜討ち、奇襲に、寝返り調略も駆使しただろう。
 山の上の拠点に、敵を残したまま前進するのは危険だ。隙を見て山から降りて兵站を狙われる。こまめに潰し、焼き払う必要があったんだね。これで、その後数百年廃寺となり、再建したのが曹洞宗とかになるわけだ。寺がひとつづつ復興して、江戸時代の遍路ブームにつながるわけだが、明治になって、遍路はまた断絶する。明治初年の神仏分離令による、廃仏毀釈だ。この運動による廃寺、荒廃は凄まじいものだった。
 近年の失火も多い。江戸時代にも2-3あるが、8番・熊谷寺は昭和2年の火災、17番・井戸寺は昭和43年。40番・観自在寺は昭和34年の火災で本堂消失。44番・大宝寺は明治7年。55番・南光坊は、昭和20年の今治空襲。58番・仙遊寺は昭和22年の山火事による類焼。どこだか、参拝者(遍路?) による火の不始末が原因。ドキっとさせられる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿