心底困ったカルカッタ
あれは大学五年の夏、所は印度のカルカッタ。自分にとっては二度目の印度旅行で正直印度をちょっとなめていた。当時の、今から三十年以上前のカルカッタの街は汚水があふれ、乞食や皮膚病の路上生活者がそこにある太陽と同じく、その目をギラギラさせながら迫ってきた。大きく見開いた目玉、白目に血管が浮いている。何を言っているのか、大勢で一斉にしゃべるなよ。痩せてアバラ骨が浮きだしたノラ牛が地面に落ちた野菜くずを探してよろよろと歩き回る。そんなものが落ちていたら、人が食っちまうに決まっているが、それでも死なないところをみると、誰かが餌をあげているんだろうか。
空港から下町について安宿を探した。インドでは頼んでもいないのに、四六時中乞食、物売り、物買い(フィルム、ジーパン、ウィスキー、百円ライター他何でも)がつきまとう。その中で比較的悪党面をしていないのを選んで安ホテルを紹介させたが、炎天下広場から細い路地に入ってやたら早足でどんどん進んでいく。
薄汚れたビルに入り、暗い階段を四階まで上がっていくと、そこが安宿だった。牢屋みたいに狭い部屋だが一応個室。天井には大きな扇風機がモーター音の割にずいぶんゆっくりしたスピードで暑苦しい空気をかき回していた。ここでいいや、疲れた。値引き交渉を宿の親父と大声で済ませて、その部屋に落ち着き夕方まで休んで、飯を食いに出かけた。やかましい街の中を乞食の集団を引き連れて歩き回り、飯屋に入ってチャパティーとカレーを食い、飲み水にボーフラが浮いているのを発見するも、もう飲んじゃったよ。コップを指でトントン叩くとボーフラが勢いよく底にもぐるので、上澄みを飲んだ。その水は脇に置いてある大きな水瓶から柄杓で汲んでいた。
飯の後、街の大きな通りに出て、屋台の売り物等をひやかしてから広場に戻った。さしもの凶暴な太陽も西の空に消えつつあった。悲劇はそこからだった。あれ、あれ?ホテルはどこだっけ?この道だよな。いやその隣の路地か。それともあのビルを曲がるんだっけ。あせった。全財産とパスポート、荷物一式、帰りの航空券はホテルの中だ。まさかそのホテルを見失うとは。うわっ、ぞっとしてきた。こんな所でのたれ死ぬんかい。やみくもに早足で薄暗い路地から路地へと歩き回るが、ホテルのあるビルは見つからない。というかどれも同じような路地、同じような汚いビルだ。
こんなに奥のはずがない。広場からたいして時間がかからなかったじゃないか。広場に戻り、また路地へ。迎えるのは腐臭と路上生活者の下から見上げる大きな目の数々。
もう同じ道を何度も通っている。どうしよう。途方にくれて広場にしゃがみこんだが、そんな外国人の俺をここの連中が放っておくはずがない。「ヘイ、マスター、マネーチェンジ」「ヘイ、シャチョー、ジャストミルミルオンナ、ステューデント、ノーシック」乞食もつきまとう。「バクシーシ、バクシーシ、ワンダラー」あア、もう暗くなってきた。もうすぐこいつらの黒い顔が見えなくなって目玉だけが残るんかな。参った。
空港には恋人とはぐれ、荷物を盗まれ無一文になって途方にくれていた若い外国人の兄ちゃんがいた。あの時はこちらに余裕があったから、「街へ行って救世軍(安ホテル)にでも行けば、旅人が集まっているから何か情報が入るかも。」とか言ってジュースをおごったが、それ以上はつき合えない。それが我が身かよ。
「おい!おい!お前、ヘイボーイ、アイロストマイホテル!」オー・マイ・ブッダ!ホテルを紹介してくれたポンちゃんじゃあないか。彼は「何だ、さっきの日本人か。ホテルが汚いとかいちゃもんつけるんじゃああるまいな。」と迷惑そうな顔をしたが、こいつは死んでも離さない。訳を話してホテルに連れていってもらった。ポンちゃんはつまらなそうに俺を案内して「ここだよ。」と言ってあっさり去った。「え、ここ?あー確かに見覚えがある。」そこは俺が座っていた広場から直ぐの所で、さっきから何度も行き来した角から一つ先の建物だった。何で分からなかったんだろう。どこも汚くて特徴が無いとはいえ、迷子になるのが不思議なほど、近くて当たり前な建物だった。
だけどあの時は心底ほっとした。ポンちゃんが天使に見えた。あれでホテルを見失い荷物を無くしていたら、どうなっていたんだろう。その日はもう一歩もホテルの部屋から出ず、天井で暑い空気をゆっくり撹拌する大きなファンを見上げながら寝てしまった。夜中に自分がウンウンうなっている声で目が覚めた。寝汗をぐっしょりかいていて気持ちが悪い。昼間猛暑の中をしゃかりきに歩き回ったので、軽い日射病にかかったようだ。印度をなめてはあかんよ。それから数日、すっかりカルカッタがいやになってデカン高原へ向かって旅立った。
あれは大学五年の夏、所は印度のカルカッタ。自分にとっては二度目の印度旅行で正直印度をちょっとなめていた。当時の、今から三十年以上前のカルカッタの街は汚水があふれ、乞食や皮膚病の路上生活者がそこにある太陽と同じく、その目をギラギラさせながら迫ってきた。大きく見開いた目玉、白目に血管が浮いている。何を言っているのか、大勢で一斉にしゃべるなよ。痩せてアバラ骨が浮きだしたノラ牛が地面に落ちた野菜くずを探してよろよろと歩き回る。そんなものが落ちていたら、人が食っちまうに決まっているが、それでも死なないところをみると、誰かが餌をあげているんだろうか。
空港から下町について安宿を探した。インドでは頼んでもいないのに、四六時中乞食、物売り、物買い(フィルム、ジーパン、ウィスキー、百円ライター他何でも)がつきまとう。その中で比較的悪党面をしていないのを選んで安ホテルを紹介させたが、炎天下広場から細い路地に入ってやたら早足でどんどん進んでいく。
薄汚れたビルに入り、暗い階段を四階まで上がっていくと、そこが安宿だった。牢屋みたいに狭い部屋だが一応個室。天井には大きな扇風機がモーター音の割にずいぶんゆっくりしたスピードで暑苦しい空気をかき回していた。ここでいいや、疲れた。値引き交渉を宿の親父と大声で済ませて、その部屋に落ち着き夕方まで休んで、飯を食いに出かけた。やかましい街の中を乞食の集団を引き連れて歩き回り、飯屋に入ってチャパティーとカレーを食い、飲み水にボーフラが浮いているのを発見するも、もう飲んじゃったよ。コップを指でトントン叩くとボーフラが勢いよく底にもぐるので、上澄みを飲んだ。その水は脇に置いてある大きな水瓶から柄杓で汲んでいた。
飯の後、街の大きな通りに出て、屋台の売り物等をひやかしてから広場に戻った。さしもの凶暴な太陽も西の空に消えつつあった。悲劇はそこからだった。あれ、あれ?ホテルはどこだっけ?この道だよな。いやその隣の路地か。それともあのビルを曲がるんだっけ。あせった。全財産とパスポート、荷物一式、帰りの航空券はホテルの中だ。まさかそのホテルを見失うとは。うわっ、ぞっとしてきた。こんな所でのたれ死ぬんかい。やみくもに早足で薄暗い路地から路地へと歩き回るが、ホテルのあるビルは見つからない。というかどれも同じような路地、同じような汚いビルだ。
こんなに奥のはずがない。広場からたいして時間がかからなかったじゃないか。広場に戻り、また路地へ。迎えるのは腐臭と路上生活者の下から見上げる大きな目の数々。
もう同じ道を何度も通っている。どうしよう。途方にくれて広場にしゃがみこんだが、そんな外国人の俺をここの連中が放っておくはずがない。「ヘイ、マスター、マネーチェンジ」「ヘイ、シャチョー、ジャストミルミルオンナ、ステューデント、ノーシック」乞食もつきまとう。「バクシーシ、バクシーシ、ワンダラー」あア、もう暗くなってきた。もうすぐこいつらの黒い顔が見えなくなって目玉だけが残るんかな。参った。
空港には恋人とはぐれ、荷物を盗まれ無一文になって途方にくれていた若い外国人の兄ちゃんがいた。あの時はこちらに余裕があったから、「街へ行って救世軍(安ホテル)にでも行けば、旅人が集まっているから何か情報が入るかも。」とか言ってジュースをおごったが、それ以上はつき合えない。それが我が身かよ。
「おい!おい!お前、ヘイボーイ、アイロストマイホテル!」オー・マイ・ブッダ!ホテルを紹介してくれたポンちゃんじゃあないか。彼は「何だ、さっきの日本人か。ホテルが汚いとかいちゃもんつけるんじゃああるまいな。」と迷惑そうな顔をしたが、こいつは死んでも離さない。訳を話してホテルに連れていってもらった。ポンちゃんはつまらなそうに俺を案内して「ここだよ。」と言ってあっさり去った。「え、ここ?あー確かに見覚えがある。」そこは俺が座っていた広場から直ぐの所で、さっきから何度も行き来した角から一つ先の建物だった。何で分からなかったんだろう。どこも汚くて特徴が無いとはいえ、迷子になるのが不思議なほど、近くて当たり前な建物だった。
だけどあの時は心底ほっとした。ポンちゃんが天使に見えた。あれでホテルを見失い荷物を無くしていたら、どうなっていたんだろう。その日はもう一歩もホテルの部屋から出ず、天井で暑い空気をゆっくり撹拌する大きなファンを見上げながら寝てしまった。夜中に自分がウンウンうなっている声で目が覚めた。寝汗をぐっしょりかいていて気持ちが悪い。昼間猛暑の中をしゃかりきに歩き回ったので、軽い日射病にかかったようだ。印度をなめてはあかんよ。それから数日、すっかりカルカッタがいやになってデカン高原へ向かって旅立った。
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