万年集落~資源の減らない社会
小じんまりとした金魚の水槽、小さな金魚が一匹泳いでいる。金魚藻は窓からの太陽の光を受けて緑色にたなびく。この水槽にガラスのフタをしてみよう。フタをすることによって水は蒸発しなくなる。すると水槽の中に、金魚の寿命が尽きるまで循環した小宇宙が生まれる。藻は太陽の光で光合成を行い成長する。成長した藻をミジンコやプランクトンが食べる。そのミジンコ類を金魚が食べてフンをする。そのフンを栄養素として藻とプランクトンが成長し、それぞれをエサにして-----生命の循環。小宇宙は無駄なく循環して不要、余剰を生じない。でもこの水槽の中で一生を終える金魚は、果たして幸せなんだろうか。危険はないが出会いも無ければハプニングもない。
先日NHKでやっていた番組の中で、縄文時代を取り上げていた。ご存知のように縄文の火焔式土器の造形は美しい。煮炊きの目的にはじゃまになりそうな装飾は、伸び伸びとして自由奔放で力強く、楽しくて美しい。土偶は個性的だ。宇宙人を思わせるような、型にはまらない自由な発想に満ちている。縄文の社会は1万年継続が可能なものだったという。1万年続いて人が生活しても、余程の自然環境の変化が起きない限り、野山の動植物はその数を減らさない。毎年毎年収集した分は、自然に補充される。人はリスや鹿のように自然の一部として生きる。
縄文人は狩猟と採集を行う。農耕も遊牧も行わない。大陸との交流は行われていたので、朝鮮半島から稲作の技術を導入する機会はあったのだが、彼らはそれを選択しなかった。稲作に頼らなくとも野山や海川湖から豊かな恵みを享受出来たのだ。例えば野山ではワラビ・ゼンマイ・ヤマイモ・ノビル、海辺では貝や海藻を採る。カニや昆虫、昆虫の幼虫、鳥の卵やハチの巣なども良い。
東北で数百年続いたと思われる集落の発掘調査を行うと、巨大な物見櫓、大きな集会場のような建物、集落を貫く立派な道路が見つかった。そしてその集落を取り囲むように、広大な栗の木の林が作られていた。栗、ドングリ(ブナ、コナラ、ミズナラ、クヌギ、アカガシの実)、胡桃等は貯蔵に適している。狩りはいつでも獲物が取れる訳ではないが、保存食があれば落ち着いた生活が営める。但し人間の数があまり増えてはいけない。鹿・猪・狼・熊・兎・ネズミ・蛇・鳥といった動物達と同じように、人も適切な数を保つ必要がある。これは重要なポイントだ。旧約聖書に云う「生めよ、ふえよ、地に満てよ。」ではいけない。☆☆☆ 最後に註あり。
我々は田園風景を見て自然はいいな、田んぼがあって柿の木が植わり、鎮守の森があるねと思う。田畑の脇に村落が広がり、川では水車が回る。これが本当の人間の営みだ、自然と共存した生き方だ、などと思うが水田や畑は本来の自然ではない。照葉樹林の森や平原、湿原を変形させて作ったものだ。厳しい言い方かもしれないが、田畑は極めて人工的なものである。米・麦といった作物の集積は生活の余裕を生み、富の蓄積が生まれた。それに伴って強いリーダーシップを持ったボスが必要になり、徐々に階級社会へと移行する。
機能的な弥生式土器には独創性も大らかさも感じ取れない。貯蔵可能な収穫物の収蔵に伴って、その掠奪が始まり、やがては集落同士の争いに発展する。稲作は共同作業で、水利は収獲を左右する。水利権や争いごとの調整、隣村との闘争に打ち勝つために権力の集中が行われ、階級社会が定着した。余剰生産の結果、職人や大工、天文・気象を見る人、薬草のプロ、ついでに娼婦といった専門職が生まれ、戦いの武器が進化し、やがては銅、錫、そして鉄といった金属加工の技術を獲得するに至る。そして社会は加速度をつけて前進する。立ち止まれば他の集団に負け、奴隷となるしかない。青銅の剣は鉄の剣には歯がたたない。
大和大乱の時代が始まり、小集団が征服されたり融合したりして、やがては豪族が誕生する。動き出した社会は止まらない。宗教も発展し人々の救いになったり、逆に人々を抑圧したりする。宗教が発展すると、直接生産活動をしないシャーマンや僧侶といった人達が現れる。占い師や医師が生まれる。分業が定着してそれぞれの技術が飛躍的に進む。
ところで、近代になってから奇妙な大軍縮を自ら行い、テクノロジーの進化を中断するという、世界史上でも珍しい選択をした社会がある。その国では、大砲・鉄砲から弓矢・槍の時代へ逆行したのだ。日本の江戸時代260年間がそれだ。国の門戸を極めて限定し、原則国交を閉じる〝鎖国政策〟を取りえたのは島国であること、極東に在ること、ポルトガル・オランダ・イギリスが他の植民地や中国で手一杯で未だ手が回らなかったという、多分に外因的な地政学上の理由による。
そして江戸時代の末期になると、外部的には帝国主義の先進国であるアメリカ、ロシア、イギリス、フランス等の進出。内部的には閉鎖的な経済と硬直化した身分制度の行き詰まりにより、江戸時代は劇的な崩壊を遂げる。しかしながら200年以上戦争のない社会を保ったのはなかなか凄い。環境・自然破壊の極めて少ない社会で、文化的でありながらエネルギー消費のとても小さい世の中であった。地方の族長(藩主)の財力が蓄積するのを防ぐ為の〝参勤交代〟の制度は実にユニークだ。でも仏塔建築競争とかなら形に残ったのにね。
江戸の町を例にとると、包装紙は笹の葉、履物はワラで編んだ草履、着るものは主に木綿・麻、暖房・調理は炭か焚き木、灯りは植物油・魚油又はろうそく。肉食はほとんどしないで、食事は主に穀物と魚貝類、野菜。全て自然に還る有機物である。まあ屋久杉(樹齢千年を超える巨木)の伐採などはあったが、大きな森林破壊は無くて里山はよく手入れがされていた。枝は切るが木はあまり倒さない。余談だが、韓国の山には樹齢500年を超えるような大木が生えていない。元寇の際に日本攻略の兵船を作るため、根こそぎ伐採してしまったのだ。これは朝鮮も被害者だろうが、日本はより一方的な被害者だから、さすがに韓国も日本に抗議するわけにはいかないな。
江戸の町は縦横に水路が発達していたので、牛馬に頼らなくてもその十倍も輸送力のある舟によって荷物はスムーズに運搬された。排泄物は貴重な肥料として農村部に送られ、食料増産の基となって循環した。汚物を買い取ってくれるのだから、衛生面でも都合が良い。かまどの灰まで定期的に買い取る業者がいたという。木と紙で出来た家屋は燃えやすくてしばしば大火災を出したが、レンガを作るために山を丸裸にして火を焚いたり、羊を飼って草の根まで食べつくすような事は無かった。
上水道が整備され公衆浴場が発達していたので、都市の清潔は保たれ、幕末から明治の初めにかけて大流行した、コレラやインフルエンザのような病気
の蔓延は起きなかった。治安はすこぶる良く、殺人などはあれば語り草になるほど起きなかった。その結果、開国した頃の日本は鬱蒼たる森林に囲まれ、野山には野鳥や獣があふれ、川は現在の数倍の水量が流れ、上流にはカワウソが巣を作っていた。海で獲れる魚は信じられない程大きくて、カレイやヒラメなどは肩で担ぐ程の大きさ(魚河岸の絵が残っている。)で、鯨の群れは沿海を群れをなして泳いでいた。
しかしインフラの整備は悪くて、道は狭くて川は政策的に橋をかけず、山奥の集落へは獣道のような道路しかなく、隣の村より先に行かないで生涯を送るような人々が大勢いた。階級はカーストの如く固定化し、士農工商その下に被差別階級、、を設けた。親の仕事を子が継ぎ、孫が継ぐ。戦争が200年無いのに、鎧のスス払いが一生の仕事だったりする。それを代々世襲する。俺だったら人生に絶望してヤケクソになりそうだ。
世の中が閉塞し、長いものには巻かれろ、事なかれ主義、くさい物には蓋、横並び精神、出る杭は打たれると、全体を通し陰気で沈滞した社会であった。しかし各種の手工業や絵画、読み物、演芸等は独自の深化と発展を遂げる。この鎖国時代を壮大な実験として捉えると、良い面もあり悪い面もある。しかしとてもユニークな文明だった。幕末~明治の初めに日本に来た欧州の人が目を見張るワンダーランドだ。当時の日本人は平均身長が小さかった。体が小さいということは消費エネルギーも小さいということだ。省エネには適している。住まいも小さくて済む。
また子供の教育には大変熱心で、江戸の文盲率の低さは群を抜き、教育水準は当時のロンドン、ニューヨーク、パリを上回っていた。教育の蓄積が開国後の急速な発展の原資となった。短期間では作れない、とても貴重な人的資源だ。男女の色ごとにはかなり開放的で、今のようにあくせくしていない。ちょっと信じられないが、明治の初めに日本で仕事をした欧州人が、日本人が時間にルーズなことを嘆いている。
あ々、こんなに長く江戸の事を書く積りじゃあなかったのに。万年集落、資源を減らさない文明はアイヌの人達も、イヌイット(エスキモー)もアメリカインディアンも、それからオーストラリア、NZ、アフリカ等世界各地で数千年間続けられてきた。しかし農耕を始めると自然との共存は困難になる。年を越えて備蓄出来る食料(つまり富)を持つ事は滅びへの始まりなのか?言い換えればそれは、輝かしい進歩・発展なのだが。食料が増産され人口が飛躍的に増えるのは良いことなんだろうか。或いは滅亡への第一歩となるのだろうか。急激に大増殖したレミングは、集団で爆走し新天地を求めて移動する。その一部は川や海に落ちる。もっとも泳ぎはうまいらしい。
ここまで人口が増え(キリストが生まれた頃の世界人口は2~3億人、15世紀で約5億人)、電気に頼り一人でパーソナルコンピューターと携帯端末を持つような社会で、狩猟採集の万年集落をそのまま手本にすることは出来ない。しかしながら地球と人間、自然と人間、人のあるべき姿、何か学ぶべき点があるような気がしてならない。
このままでは世界は行き詰まる可能性が大きい。一人一人で考え、世の中の流れに竿を差して生き方を模索し、選択し変えて行く。一歩の前進は千里への道のスタートだ。まあ俺には面倒ちいが、有志の皆さん頑張ってね。応援するぜよ。
今回は説教ジイくさかった?ゴメンね。でもたまには真面目に。
☆☆☆
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ。」= 旧約聖書、創世記。6日目の神の言葉。旧約聖書をバイブルとするユダヤ教、キリスト教、イスラム教、つまり啓典の民はこのように自然と対峙し征服しようとする。人間界に於いても選民思想を貫く。八百万の神を自然の中に見出そうとした日本とは真逆の精神だ。
仏教は世捨て人の思想だ。つらい現世、輪廻の世界からの解脱を目指す。自然はあるがままに受け入れる。道教も自然体だ。ヒンズー教、儒教、ジャイナ教、ゾロアスター教、よく分からん。ただ旧約聖書に依る人達で、世界の55%は占められる。
人間を生き物の上位に置き、その上に神を置く。大地を支配下に敷く、この考え方は行き詰っている。しかし過酷な砂漠、土漠地帯で生きていくのが大変な環境の中で、自然に親しめというのもふざけた話しだ。色々な考えがあって当然、みんな勝手な事を言っても良いが、それしかないと思い込み、人に強制したらいかんよ。それはうまくない。
小じんまりとした金魚の水槽、小さな金魚が一匹泳いでいる。金魚藻は窓からの太陽の光を受けて緑色にたなびく。この水槽にガラスのフタをしてみよう。フタをすることによって水は蒸発しなくなる。すると水槽の中に、金魚の寿命が尽きるまで循環した小宇宙が生まれる。藻は太陽の光で光合成を行い成長する。成長した藻をミジンコやプランクトンが食べる。そのミジンコ類を金魚が食べてフンをする。そのフンを栄養素として藻とプランクトンが成長し、それぞれをエサにして-----生命の循環。小宇宙は無駄なく循環して不要、余剰を生じない。でもこの水槽の中で一生を終える金魚は、果たして幸せなんだろうか。危険はないが出会いも無ければハプニングもない。
先日NHKでやっていた番組の中で、縄文時代を取り上げていた。ご存知のように縄文の火焔式土器の造形は美しい。煮炊きの目的にはじゃまになりそうな装飾は、伸び伸びとして自由奔放で力強く、楽しくて美しい。土偶は個性的だ。宇宙人を思わせるような、型にはまらない自由な発想に満ちている。縄文の社会は1万年継続が可能なものだったという。1万年続いて人が生活しても、余程の自然環境の変化が起きない限り、野山の動植物はその数を減らさない。毎年毎年収集した分は、自然に補充される。人はリスや鹿のように自然の一部として生きる。
縄文人は狩猟と採集を行う。農耕も遊牧も行わない。大陸との交流は行われていたので、朝鮮半島から稲作の技術を導入する機会はあったのだが、彼らはそれを選択しなかった。稲作に頼らなくとも野山や海川湖から豊かな恵みを享受出来たのだ。例えば野山ではワラビ・ゼンマイ・ヤマイモ・ノビル、海辺では貝や海藻を採る。カニや昆虫、昆虫の幼虫、鳥の卵やハチの巣なども良い。
東北で数百年続いたと思われる集落の発掘調査を行うと、巨大な物見櫓、大きな集会場のような建物、集落を貫く立派な道路が見つかった。そしてその集落を取り囲むように、広大な栗の木の林が作られていた。栗、ドングリ(ブナ、コナラ、ミズナラ、クヌギ、アカガシの実)、胡桃等は貯蔵に適している。狩りはいつでも獲物が取れる訳ではないが、保存食があれば落ち着いた生活が営める。但し人間の数があまり増えてはいけない。鹿・猪・狼・熊・兎・ネズミ・蛇・鳥といった動物達と同じように、人も適切な数を保つ必要がある。これは重要なポイントだ。旧約聖書に云う「生めよ、ふえよ、地に満てよ。」ではいけない。☆☆☆ 最後に註あり。
我々は田園風景を見て自然はいいな、田んぼがあって柿の木が植わり、鎮守の森があるねと思う。田畑の脇に村落が広がり、川では水車が回る。これが本当の人間の営みだ、自然と共存した生き方だ、などと思うが水田や畑は本来の自然ではない。照葉樹林の森や平原、湿原を変形させて作ったものだ。厳しい言い方かもしれないが、田畑は極めて人工的なものである。米・麦といった作物の集積は生活の余裕を生み、富の蓄積が生まれた。それに伴って強いリーダーシップを持ったボスが必要になり、徐々に階級社会へと移行する。
機能的な弥生式土器には独創性も大らかさも感じ取れない。貯蔵可能な収穫物の収蔵に伴って、その掠奪が始まり、やがては集落同士の争いに発展する。稲作は共同作業で、水利は収獲を左右する。水利権や争いごとの調整、隣村との闘争に打ち勝つために権力の集中が行われ、階級社会が定着した。余剰生産の結果、職人や大工、天文・気象を見る人、薬草のプロ、ついでに娼婦といった専門職が生まれ、戦いの武器が進化し、やがては銅、錫、そして鉄といった金属加工の技術を獲得するに至る。そして社会は加速度をつけて前進する。立ち止まれば他の集団に負け、奴隷となるしかない。青銅の剣は鉄の剣には歯がたたない。
大和大乱の時代が始まり、小集団が征服されたり融合したりして、やがては豪族が誕生する。動き出した社会は止まらない。宗教も発展し人々の救いになったり、逆に人々を抑圧したりする。宗教が発展すると、直接生産活動をしないシャーマンや僧侶といった人達が現れる。占い師や医師が生まれる。分業が定着してそれぞれの技術が飛躍的に進む。
ところで、近代になってから奇妙な大軍縮を自ら行い、テクノロジーの進化を中断するという、世界史上でも珍しい選択をした社会がある。その国では、大砲・鉄砲から弓矢・槍の時代へ逆行したのだ。日本の江戸時代260年間がそれだ。国の門戸を極めて限定し、原則国交を閉じる〝鎖国政策〟を取りえたのは島国であること、極東に在ること、ポルトガル・オランダ・イギリスが他の植民地や中国で手一杯で未だ手が回らなかったという、多分に外因的な地政学上の理由による。
そして江戸時代の末期になると、外部的には帝国主義の先進国であるアメリカ、ロシア、イギリス、フランス等の進出。内部的には閉鎖的な経済と硬直化した身分制度の行き詰まりにより、江戸時代は劇的な崩壊を遂げる。しかしながら200年以上戦争のない社会を保ったのはなかなか凄い。環境・自然破壊の極めて少ない社会で、文化的でありながらエネルギー消費のとても小さい世の中であった。地方の族長(藩主)の財力が蓄積するのを防ぐ為の〝参勤交代〟の制度は実にユニークだ。でも仏塔建築競争とかなら形に残ったのにね。
江戸の町を例にとると、包装紙は笹の葉、履物はワラで編んだ草履、着るものは主に木綿・麻、暖房・調理は炭か焚き木、灯りは植物油・魚油又はろうそく。肉食はほとんどしないで、食事は主に穀物と魚貝類、野菜。全て自然に還る有機物である。まあ屋久杉(樹齢千年を超える巨木)の伐採などはあったが、大きな森林破壊は無くて里山はよく手入れがされていた。枝は切るが木はあまり倒さない。余談だが、韓国の山には樹齢500年を超えるような大木が生えていない。元寇の際に日本攻略の兵船を作るため、根こそぎ伐採してしまったのだ。これは朝鮮も被害者だろうが、日本はより一方的な被害者だから、さすがに韓国も日本に抗議するわけにはいかないな。
江戸の町は縦横に水路が発達していたので、牛馬に頼らなくてもその十倍も輸送力のある舟によって荷物はスムーズに運搬された。排泄物は貴重な肥料として農村部に送られ、食料増産の基となって循環した。汚物を買い取ってくれるのだから、衛生面でも都合が良い。かまどの灰まで定期的に買い取る業者がいたという。木と紙で出来た家屋は燃えやすくてしばしば大火災を出したが、レンガを作るために山を丸裸にして火を焚いたり、羊を飼って草の根まで食べつくすような事は無かった。
上水道が整備され公衆浴場が発達していたので、都市の清潔は保たれ、幕末から明治の初めにかけて大流行した、コレラやインフルエンザのような病気
の蔓延は起きなかった。治安はすこぶる良く、殺人などはあれば語り草になるほど起きなかった。その結果、開国した頃の日本は鬱蒼たる森林に囲まれ、野山には野鳥や獣があふれ、川は現在の数倍の水量が流れ、上流にはカワウソが巣を作っていた。海で獲れる魚は信じられない程大きくて、カレイやヒラメなどは肩で担ぐ程の大きさ(魚河岸の絵が残っている。)で、鯨の群れは沿海を群れをなして泳いでいた。
しかしインフラの整備は悪くて、道は狭くて川は政策的に橋をかけず、山奥の集落へは獣道のような道路しかなく、隣の村より先に行かないで生涯を送るような人々が大勢いた。階級はカーストの如く固定化し、士農工商その下に被差別階級、、を設けた。親の仕事を子が継ぎ、孫が継ぐ。戦争が200年無いのに、鎧のスス払いが一生の仕事だったりする。それを代々世襲する。俺だったら人生に絶望してヤケクソになりそうだ。
世の中が閉塞し、長いものには巻かれろ、事なかれ主義、くさい物には蓋、横並び精神、出る杭は打たれると、全体を通し陰気で沈滞した社会であった。しかし各種の手工業や絵画、読み物、演芸等は独自の深化と発展を遂げる。この鎖国時代を壮大な実験として捉えると、良い面もあり悪い面もある。しかしとてもユニークな文明だった。幕末~明治の初めに日本に来た欧州の人が目を見張るワンダーランドだ。当時の日本人は平均身長が小さかった。体が小さいということは消費エネルギーも小さいということだ。省エネには適している。住まいも小さくて済む。
また子供の教育には大変熱心で、江戸の文盲率の低さは群を抜き、教育水準は当時のロンドン、ニューヨーク、パリを上回っていた。教育の蓄積が開国後の急速な発展の原資となった。短期間では作れない、とても貴重な人的資源だ。男女の色ごとにはかなり開放的で、今のようにあくせくしていない。ちょっと信じられないが、明治の初めに日本で仕事をした欧州人が、日本人が時間にルーズなことを嘆いている。
あ々、こんなに長く江戸の事を書く積りじゃあなかったのに。万年集落、資源を減らさない文明はアイヌの人達も、イヌイット(エスキモー)もアメリカインディアンも、それからオーストラリア、NZ、アフリカ等世界各地で数千年間続けられてきた。しかし農耕を始めると自然との共存は困難になる。年を越えて備蓄出来る食料(つまり富)を持つ事は滅びへの始まりなのか?言い換えればそれは、輝かしい進歩・発展なのだが。食料が増産され人口が飛躍的に増えるのは良いことなんだろうか。或いは滅亡への第一歩となるのだろうか。急激に大増殖したレミングは、集団で爆走し新天地を求めて移動する。その一部は川や海に落ちる。もっとも泳ぎはうまいらしい。
ここまで人口が増え(キリストが生まれた頃の世界人口は2~3億人、15世紀で約5億人)、電気に頼り一人でパーソナルコンピューターと携帯端末を持つような社会で、狩猟採集の万年集落をそのまま手本にすることは出来ない。しかしながら地球と人間、自然と人間、人のあるべき姿、何か学ぶべき点があるような気がしてならない。
このままでは世界は行き詰まる可能性が大きい。一人一人で考え、世の中の流れに竿を差して生き方を模索し、選択し変えて行く。一歩の前進は千里への道のスタートだ。まあ俺には面倒ちいが、有志の皆さん頑張ってね。応援するぜよ。
今回は説教ジイくさかった?ゴメンね。でもたまには真面目に。
☆☆☆
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ。」= 旧約聖書、創世記。6日目の神の言葉。旧約聖書をバイブルとするユダヤ教、キリスト教、イスラム教、つまり啓典の民はこのように自然と対峙し征服しようとする。人間界に於いても選民思想を貫く。八百万の神を自然の中に見出そうとした日本とは真逆の精神だ。
仏教は世捨て人の思想だ。つらい現世、輪廻の世界からの解脱を目指す。自然はあるがままに受け入れる。道教も自然体だ。ヒンズー教、儒教、ジャイナ教、ゾロアスター教、よく分からん。ただ旧約聖書に依る人達で、世界の55%は占められる。
人間を生き物の上位に置き、その上に神を置く。大地を支配下に敷く、この考え方は行き詰っている。しかし過酷な砂漠、土漠地帯で生きていくのが大変な環境の中で、自然に親しめというのもふざけた話しだ。色々な考えがあって当然、みんな勝手な事を言っても良いが、それしかないと思い込み、人に強制したらいかんよ。それはうまくない。
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