「魏志倭人伝」に音写された三世紀の日本語をご紹介しています。
今回は、前回解読できなかった邪馬台国周辺の国名を、『「倭人語」の解読』(安本美典:著、勉誠出版:2003年刊)という本を参考にしてご紹介していきます。
この本の著者の安本美典氏は、「邪馬台国九州説」を主張していますが、該当しそうな地名を九州に限定せず全国的に調査しているので、ある意味、発想の転換ができて参考になります。
番号
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原文
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読み
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解釈(場所)
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2
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已百支國 | いはき国 | 石城(福島県) |
13
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鬼國 | き国 | 紀伊(和歌山県) |
15
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鬼奴國 | けぬ国 | 毛野(群馬県・栃木県) |
安本氏は、已百支を「いはき」と読んで、福島県南東部を候補の一つに挙げていますが、『大日本国語辞典』によると、已はや行の「い」を表記する漢字であり、百の漢音は「はく」なので、已百支を「いはき」と読むことは可能だと思われます。
また、『大日本読史地図』の「国郡制定」という地図を見ると、ここには石城(いはき)という国造が置かれていたことから、ここが古くから人口の多い地域だったことは間違いないでしょう。
【関東地方の国造配置図】(吉田東伍:著『大日本読史地図』より)
なお、三世紀に大和朝廷の支配が東北まで及んでいたという証拠はありませんが、『古語拾遺新攷』(植木直一郎:著、皇国青年教育協会:1944年刊)という本によると、神武天皇の時代に天富命(あめのとみのみこと)が房総半島を開拓したことが「古語拾遺」という古文書に書かれているそうです。
これを信じるなら、進んだ農業技術を伝えることによって、大和朝廷の支配が二世紀末までに関東一円に及んだと考えることは可能でしょうから、隣接する福島県南東部に朝廷に服従する国があったとしても不思議ではないでしょう。
また、石城の位置は、周辺20か国の直前に「其餘旁國遠絶不可得詳」(その余りの周辺国は遠く離れているのでつまびらかにすることは当然できない)と書かれていることと符合するので、「已百支=石城」説は意外と有力ではないかと思いました。
次に、鬼を「き」と読んで、和歌山を候補の一つに挙げていますが、ここは木の国として古くから有名であり、ここに紀伊という国造が置かれていたことからも、妥当な解釈だと思われます。
次に、鬼奴を「けぬ」と読んで、北関東を候補の一つに挙げていますが、ここには上毛野(かみつけぬ)、下毛野(しもつけぬ)という国造が置かれていたことから、ここも古くから人口の多い地域だったことは間違いないでしょう。
問題は、鬼を「け」と読むことができるかどうかですが、下毛野国造の少し東、同じ栃木県内には鬼怒川が流れていますから、鬼奴国が鬼怒川流域を支配した「きぬ」国だったとすれば、この問題は解決します。
次回も「魏志倭人伝」の続きです。
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