前回は、応神天皇の時代には、「い」を表記する万葉仮名はすべてや行の「い」だったということを論じました。
そこで今回は、「う」を表記する万葉仮名がわ行の「う」だったのか検証してみました。
まず、『大日本国語辞典』によると、「う」を表記する万葉仮名は次の13文字でした。
◆「う」の万葉仮名:宇、于、汙、紆、有、烏、禹、羽、雲、得、菟、兔、卯
ただし、得、菟、兔、卯の4文字は訓読みであり、残る9文字のうち、わ行の「う」は于の1文字だけとされています。
◆わ行の「う」:于
ところで、古事記には、前回ご紹介した「みづたまる・・・」という応神天皇の十三年の歌とよく似た歌が収録されています。
全文を掲載するのはわずらわしいので、注目すべき部分を日本紀と比較すると次のようになります。(参考文献:『古事記』(藤村作:編、至文堂:1929年刊))
古事記:伊夜袁許迩斯弖(いやをこにして)
日本紀:伊夜于古珥辭氐(いやうこにして)
これを見ると、日本紀で于古(うこ)と書かれている部分が、古事記では袁許(をこ)となっていることが分かります。
つまり、「うこ」は「をこ」とも発音されていたわけですから、于はわ行の「う」を表記する漢字に間違いないと思われるのです。
一方、時代は少し遡りますが、応神天皇がまだ幼児だった時代に、異母兄の忍熊王(おしくまのみこ)が反乱を起こし、反乱軍の先鋒の熊之凝(くまのこり)という人物が次の歌を詠んだとされています。(参考文献:『紀記論究 外篇 古代歌謡(上)』)
原文
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読み
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意味
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烏智箇多能 | をちかたの | 彼方(かなた)の |
阿邏々麻菟麼邏 | あららまつばら | まばらな松原 |
摩菟麼邏珥 | まつばらに | 松原に |
和多利喩祇氐 | わたりゆきて | (川を)渡って進み |
菟區喩彌珥 | つくゆみに | 築弓(地面に設置する大形の弓)に |
末利椰塢多具陪 | まりやをたぐへ | 投槍のような矢を番(つが)え |
宇摩譬等破 | うまひとは | 長老は |
于摩譬苔奴知野 | うまひとどちや | 長老たちと |
(以下省略)
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これを見ると、「うまひと」(長老)の「う」に、宇と于の2種類の漢字を使っていますから、宇と于が同じ発音であることは間違いなく、前半の検討結果から、これらがわ行の「う」を表記していることは明白です。
また、崇神天皇以降の日本紀の歌謡において、「う」を表記するのに使われた漢字は、宇、于、紆、禹の4文字であり、これらの現代中国音をインターネットで調べると、四声とよばれる抑揚は異なるものの、すべて同じ「yu」という発音でした。
つまり、古代において「wu」だった発音が、長い時間を経て「yu」に変化したと推測できますから、宇、于、紆、禹の4文字は、いずれもわ行の「う」を表記する漢字だったと思われるのです。
次回も古代歌謡の分析です。
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