「魏志倭人伝」に音写された三世紀の日本語をご紹介しています。
今回は、卑弥呼が魏に送った使者に関する記述について、私の解釈をご紹介します。
原文
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訳
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帶方太守劉夏遣使 | 帯方(郡)の太守劉夏、使いを遣わし |
送汝大夫難升米次使都市牛利・・・ | 汝の大夫「なつめ」、次使「としごり」を送り・・・ |
(中略)
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其四年 | 正始四年(西暦243年) |
倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人 | 倭王また大夫「いせきややこ」ら八人を遣使す |
ここでは、使者の名前として、難升米、都市牛利、伊聲耆掖邪狗の三名が登場します。
このうち、難升米については、本ブログの「彌馬升は孝昭天皇か?」という記事でご紹介したように、升が斗の誤字である可能性があり、その場合は斗が「つ」と読めるので、『大日本国語辞典』に難が「な」の万葉仮名、米が「め」の万葉仮名であると書かれていることとあわせて、「なつめ」という日本語を音写したと考えることができそうです。
都市牛利については、都は伊都国の「と」、市は漢音「し」、牛は『漢音呉音の研究』によると古音は「ご」で、今も牛頭(ごづ)や牛蒡(ごぼう)の「ご」として用いられていることが書かれていて、利は「り」の万葉仮名なので、「としごり」と読むことができそうです。
これは、人名としては奇妙な感じもしますが、古事記に、開化天皇の妃となった竹野比賣(たかぬひめ)の父親が由碁理(ゆごり)であると書かれているので、末尾が「ごり」で終わる名前が存在したことは間違いありません。
なお、都市牛利は、その後、都市を省略して牛利だけが3回登場するので、都市は役職名の可能性もありそうですが、その場合は意味が不明なので、「とし」は三世紀に特有の日本語だと考えるのが妥当なようです。
そう考えると、伊聲耆掖邪狗についても、その後、伊聲耆を省略して掖邪狗だけが2回登場するので、伊聲耆は掖邪狗の役職名である可能性が高そうです。
次に伊聲耆の読みですが、伊は伊都国の「い」、聲は声の旧字体で、『明解漢和大字典』によると漢音は「せい」、呉音は「しやう」、耆は漢音「き」、呉音「ぎ」ですから、「いせき」または「いせぎ」と読めそうですが、意味は不明なので、これも三世紀に特有の日本語だと考えるのが妥当なようです。
最後に、掖邪狗ですが、掖は「や」の万葉仮名、邪は邪馬台国の「や」、狗は卑狗(彦)の「こ」なので、「ややこ」と読むことができそうです。
また、掖の漢音が「えき」なので、「えやこ」という名前を音写した可能性もあるかもしれません。
なお、掖の呉音が「やく」であることから、掖を「えき」と読む場合の「え」はや行の「え」に間違いないでしょう。
次回は「魏志倭人伝」の最終回です。
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