前回までは、仁徳天皇の時代にも、于がわ行の「う」、伊がや行の「い」を表記する漢字だったということを論じました。
そこで今回は、あ行の「う」が初めて使われたと思われる歌謡をご紹介しましょう。
次の歌は、雄略天皇の十三年に、歯田根命(はたねのみこと)という人物が、山邊の小島子という采女(うねめ=天皇の御膳を給仕する官女)と密通したことが露見して、馬8頭、大刀8本で罪の祓いをした際に、歯田根命が詠んだとされるものです。(参考文献:『紀記論究外篇 古代歌謡 下巻』)
原文
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読み
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意味
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耶麼能謎能 | やまのめの | 山邊の |
故思麼古喩衞爾 | こしまこゆゑに | 小島子ゆえに |
比登涅羅賦 | ひとてらふ | 人の誇りとする |
宇麼能耶都擬播 | うまのやつげは | 馬の八毛(8頭)は |
鳴思稽矩謀那欺 | をしけくもなし | 惜しいこともない |
ここで注目すべきは宇麼(うま=馬)で、この言葉が日本紀の歌謡に登場するのはこれが最初です。
また、『日本語原』によると、馬(うま)、牛(うし)、梅(うめ)、魚(うを)は漢字の朝鮮音に由来する外来語で、いずれもあ行に分類されています。(なお、魚は「うお」と書かれていますが、正しくは「うを」だと思われます。)
つまり、雄略天皇の時代以前に朝鮮半島経由で漢字が輸入され、こういった外来語が一般に広まった結果、雄略天皇の時代には「うま」(馬)という言葉も普通に使われるようになっていたと考えられるのです。
そして、外来語の発音の影響を受けて、この時代にはわ行の「う」があ行に移動していたのではないかと思われるのです。
なお、外来語の「う」があ行であることは、次の図に示すように「うを」を「いを」とも言うので、間違いないと思われます。(「う」がわ行なら「ゐを」となるはずです。)
【いを(魚)】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
また、「うを」を「いを」と言うのであれば、や行の「い」もあ行に移動していたと考えてよさそうです。
そこで次回からは、少し厳密な年代推定を行ない、漢字が輸入された時代背景を考察していきます。
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