前回に記事で「メトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art)」の歌を載せました。
今回は都立美術館(Tokyo Metropolitan Art Museum)での展覧会の感想を載せます

近年、ボッティチェリの作品を鑑賞する機会がありました。
2014年の「ウフィツィ美術館展」そして2015年の「ボッティチェリとルネッサンス展」でそれぞれボッティチェリの絶頂期の作品を中心としたたくさんの作品が展示されました。
もう充分眼福にあずかった気持ちでした。が、今年もさらに約20点のボッティチェリ作品が来て、画業を代表する作品を鑑賞することができるというのです。そしてボッティチェリだけでなくフィリッポ・リッピ、フィリッピーノ・リッピ親子の作品もまとまって鑑賞できると知って驚きました。日本とイタリアの国交樹立150年記念、日本初のボッティチェリ大回顧展。これはもう必ず馳せ参じなければと思いました。2月3日に一人で、9日に母と鑑賞しました。
実際展覧会に行ってみると上記三名の画家だけでなく他の15世紀ルネッサンスの画家の名作も展示されていてとても見応えのある展覧会でした。
まず会場に入って目にするのはこの作品

サンドロ・ボッティチェリ《ラーマ家の東方三博士の礼拝》1475-76年頃 テンペラ画 フィレンツェ ウフィツィ美術館
まるでルネッサンスの世界へようこそと迎え入れてくれてるように展示されてました。フィレンツェの両替商組合の仲買人デル・ラーマがラーマ家の礼拝用に注文した祭壇画。絵の中には聖母子に負けない位メディチ家の三代の主要人物が目立って描かれてます。聖母子の足元にいるのはコジモ・デ・メディチ真中にいる赤いマントを羽織ってるのは息子のピエロ・デ・メディチ、右上の方でこちらを見て自分を指刺している白髪青い服の男性がデル・ラーマ、そしてボッティチェリ本人も描かれています。

絵の中からコジモの孫ロレンツォ・イル・マニーフィコと弟のジュリアーノ兄弟
どちらが兄で弟かは判別できてないそうです。兄弟だけによく似ている。
何となく右側の方がロレンツォかなと感じました。ロレンツォはメディチ家の黄金期に君臨した領袖で今回の展覧会で木彫・・をもとにしたテラコッタ製の肖像作品も展示されてましたが、うつむき加減で気難しそうな表情がそっくりなので
そしてボッティチェリ自身は右端に堂々と描かれてます

才能に恵まれ、メディチ家にも重用され勢いと自尊心の高さを感じます。
ボッティチェリというとこの作品に描かれた自画像がまず写真に載ります。
絵を近くで見ると、その筆致の的確さと細やかさに驚きます。東方三博士の礼拝に参列する当時の有力者の一人一人が的確に描かれています。いきなりボッティチェリとしてもルネッサンスの歴史資料としても貴重な作品が現れて驚きました。
でも、またさらに驚かされてしまいます。
第1章ではボッティチェリの同時代の画家の作品が少しずつ展示されてました。

アントニオ・デル・ポッライオーロ《竜と戦う大天使ミカエル》1465年頃 油彩 フィレンツェ ステーファノ・バルディーニ美術館
当時とても活躍した画家兄弟アントニオとピエロの兄の方の作品。弟の作品も展示されてましたが、アントニオは彫刻、銅版画、そしてこの油彩画が展示されてました。同じ画家のよく似た作品に「ヘラクレスとヒュドラ」がありポーズがそっくりです。こんな重要な作品がさり気なく展示されてあったので驚きました。銅版画も素晴らしかったです。
兄弟はそれぞれすばらしく美しい横向きの婦人像を描いてます。その婦人像は2年前の記事「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション」に載せましたのでご参考にリンクします。
そしてボッティチェリが師事した二人の画家の一人、22歳からヴェロッキオの工房に入りレオナルド・ダ・ヴィンチと共に学んだそうです

アンドレア・デル・ヴェロッキオ《聖ヒエロニムスの頭部のための習作》1465年 フィレンツェ パラティーナ美術館
さすがボッティチェリとダ・ヴィンチのお師匠さん!と唸ってしまう迫真さです。この作品は紙に油絵で描いてあり、持ち運びしやすく、工房や弟子が人物を描く参考に使われたそうです。
そして、第2章ではボッティチェリの最初の師匠のフィリッポ・リッピ(1406頃~1469年)の作品が展示されてました
(自画像を参考に載せます)
フィリッポ・リッピは早くに両親を亡くし修道院に入ったそうです。絵の才能で頭角を現し、マサッチオの肉体の存在感のある画風に影響を受けたそうですが、やがて優美な画風に代わって行ったそうです。50歳で女子修道院の司祭となったそうですが、そこで修道女と駆け落ちしてしまい還俗して子をもうけたそうです。普通なら厳罰があるのですが、絵の才能を高く評価したコジモ・デ・メディチがとりなしたそうです。その美しい妻をモデルにした晩年の作品の聖母子像は今回展示されてなかったですが、聖母のお顔はもう、ボッティチェリの作品と区別がつかないほど可憐で優美です。・・・というよりボッティチェリが師匠の女性像から影響を受けたのですが。
ボッティチェリは15歳からフィレンツェ近郊の街プラートでこの画家の工房に入ったそうです。
今回はマサッチオの影響を伺える頃の作品が展示されてました。

フィリッポ・リッピ《聖母子》1436年 テンペラ画 ヴィチェンツァ市民銀行
30歳前後の作品。聖母の柔らかい表情が素敵。
背景に壁龕(へきがん・・・壁のくぼみ)があり聖母の頭部のまわりに貝殻型の彫り模様を描かれています。フィリッポ・リッピはこの背景を好んで描いたそうです。確かにマリア様のお顔に目線が入る効果がありますね。
そしてエスカレーターに乗って上の階に進むとそこは第3章ボッティチェリ(アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ 1444頃~1510年)の作品世界でした。
(もう一度自画像を載せます)

サンドロ・ボッティチェリ《ばら園の聖母》1468-~69年 テンペラ画 フィレンツェ ウフィツィ美術館
前年からヴェロッキオの工房に入り、フィリッポ・リッピとヴェロッキオの両方の影響を伺える作品だそうです。

サンドロ・ボッティチェリ《シモン家の宴》1470年代初頭 テンペラ画 フィラデルフィア美術館
祭壇画の裾絵の一部。キリストの後ろに窓がある事、弟子たちの動きのある配置など、後のレオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」の要素があって、もしかしたらこの作品が制作のヒントの一つになったかもと言われてるそうです。画面左の光が差す入口と部屋の奥の向こうに見える風景がいいアクセントになって絵に広がりと奥行と風が通るような感じがしてるのはさすがのセンス☆

サンドロ・ボッティチェリ《書斎の聖アウグスティヌス(あるいは聖アウグスティヌスに訪れた幻視)》1480年フレスコ画 フィレンツェ オニサンティ聖堂
聖アウグスティヌスの顔は左右反転しているけど先ほどのヴェロッキオの聖ヒエロニムスの絵と似ています。この作品も実際に鑑賞できたことに驚きました。建物の壁に直接描くフレスコ画は普通ならまずもって場所を移動できないのに、この作品はすでに壁を取り外してほかの支持体に貼りつけたから可能だったそうですが、それにしても絵の部分は漆喰と壁だから崩れる可能性もあるし、貴重な代表作の一つだけに良く来てくださったと思わずつぶやきました。

サンドロ・ボッティチェリと工房《聖母子、洗礼者ヨハネ、大天使ミカエルと大天使ガブリエル》1495年 テンペラ画 フィレンツェ パラティーナ美術館
この作品は一昨年開催された「ウフィツィ美術館展」にも展示されていてその時はボッティチェリの周辺の作品となっていましたが、その後の研究で人物の顔にボッティチェリの描いた痕跡が確認されたのでボッティチェリと工房作となったそうです。確かに衣服は繊細には描かれてませんでしたが、聖母子やヨハネや天使たちの繊細で輝くような顔立ちの美しさに圧倒されました。
一緒に見に行った母は思わず「なんて綺麗な絵」と感嘆してました。
そしてこの作品の前で周りを見渡したら、視界に入る全ての絵がボッティチェリの作品である事に改めて驚きました。壮観です。

サンドロ・ボッティチェリ《聖母子(書物の聖母)》1482-83年頃 テンペラ画 ミラノ ボルディ・ベッツォーリ美術館
ボッティチェリが最も美しい作品を描いていた時期の作品。マリア様の憂いを含んだ表情は上品で清楚です。キリストは金の茨をブレスレットのように手首に巻いて、金の釘を3本持ってます。
聖母のたっぷりとした青い上着はラピスラズリを粉にした青で塗られています。その肩にある金の星のマークは「海の星”Stella Maris"」と言われるマリア様の御印。これはフィリッピーノ・リッピ(フィリッポ・リッピの息子)が描いたのではと言われているそうです。

サンドロ・ボッティチェリ《美しきシモネッタの肖像》1480-85年頃 テンペラ画 丸紅株式会社
モデルとされているシモネッタ・ヴェスプッチはフィレンツェで美しさを讃えられた女性でジュリアーノ・デ・メディチの恋人とも言われたそうです。1476年に僅か22歳で亡くなったそうで、この作品はその後に描かれてます。だからか、とても凝った服や髪型で描いてるのにどこか実在感が薄い気がします。唯一日本で所蔵されている作品。

サンドロ・ボッティチェリ《胸に手をあてた若い男の肖像》1482-85年頃 テンペラ画 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
こちらは本人を前にして描いたのでしょう。実在感があります。上目使いでこちらを見て高慢な感じもするけど、美しい形の手は何かを語っているようです。きっとメッセージを込めた肖像画だったのでしょうね。指の交差が気になります・
2/25までの限定展示です。

サンドロ・ボッティチェリ《女性の肖像(美しきシモネッタ)》1485-90年頃 テンペラ画 フィレンツェ パラティーナ美術館
この女性がシモネッタなのか実はわからないそうです。一説にはロレンツォ・イル・マニーフィコの奥様かもしれないとか。簡素な身なりですが清楚で目が美しい。体のラインと言い、こちらも目の前のモデルを見て描いた作品だとわかります。
しかし背景の黒い窓枠と顔が重なるように描いたのがちょっと不思議です。その効果でお顔の色白さと輪郭がくっきり浮き上がってますが。
そして1492年にロレンツォ・イル・マニーフィコが亡くなりメディチ家が追放されて、代わりに宗教的厳格な生活を提唱した修道僧サボナローラが1494年にフィレンツェ市民を支配。ボッティチェリも傾倒し、もう美しい聖母子像やヴィーナスなどの異教の作品は描かなくなりロマンチックな風情ははなくなりましたが、宗教的メッセージの濃い作風に変わります。

サンドロ・ボッティチェリ《アベレスの誹謗(ラ・カルンニア)》1494-96年 テンペラ画 フィレンツェ ウフィツィ美術館
後期の画業を代表する作品。こんなターニングポイントにかかわる作品も間近で見れるなんて、またも驚きました。
真実をあらわす女性は絶望のあまり天を仰ぎ見ます。その姿はヴィーナスの誕生のヴィーナスと似てるけど優雅な美しさと明るい希望を失ってます。
そのほかには聖母子と聖人の連なる祭壇画、十字架型の画面に描かれたキリストなどまるで中世に戻ったような固い雰囲気になりました。サボナローラは1498年に処刑されますが、ボッティチェリのあのメランコリックな表情の美しい女性像は描かれなくなり絵に精彩が失われました。
さらにエスカレーターで上の階に行くと、今度はフィリッポ・リッピの息子でボッティチェリの弟子となり、やがてフィレンツェで人気を競い合う画家となった第4章フィリッピーノ・リッピ(1457~1504年)の作品が並んでました。
(自画像を参考に載せます)
おお、なかなかのハンサムさんです。お母さんが美人だからね☆
フィリッポ・リッピが50歳で生まれた息子。ボッティチェリが15歳でフィリッポ・リッピの工房に入った時はフィリピーノまだ2~3歳でした。父の死後ボッティチェリの工房に入り修行したので最初はボッティチェリとそっくりな絵を描いてたけど、独立して独自の画風になり、ボッティチェリのライバルとなったそうです。

フィリッピーノ・リッピ《聖母子、洗礼者ヨハネと天使たち(コルシーニ家の円形画)》1881-82年 テンペラ画 フィレンツェ貯蓄銀行コレクション
顔立ちがはっきりして現代的でなおかつ優雅です。人物や衣服に量感があって建築の造りも安定感があり、緻密です。そして聖母の背景には壁龕と貝殻型アーチがついていて、それはまさに父親のフィリッポ・リッピの絵の様です。そしてマリア様の左肩にはマリア様の御印「海の星」がついている。天使が持っている楽譜には三声の歌唱曲が正確に書かれているそうです。
壁の説明に「波打つような衣服の表現」と書かれてましたが、マリア様や天使の足元から床にかかって折れ曲がる裾部分は岸壁に波打つようでもあります。
少し遠くに洗礼者ヨハネが描かれてます。明らかに後から付け足して描いていて、だから年数が経った今は少し絵の具がとれたようで床や風景が透けて見えてきてました。これは、フィリッピーノの試行錯誤が見えて個人的に面白かったです。天使の後ろの床の模様が遠近感が危うくなって横の模様になってきそうなのを、ぐっと後ろに後退して見える視覚効果になったので。

フィリッピーノ・リッピ《受胎告知の聖ガブリエル 受胎告知の聖母マリア》1483-84年 テンペラ画 サン・ジミニャーノ 市立美術館絵画館
浮き上がるような天使の衣服の描写が見事でした。天使もマリア様も優美さよりも現実の人間らしくなってます。でもこの絵がとても好き☆特に大天使ガブリエルの画面配置、ポーズが絶妙で美しい。心惹かれました。
この作品に関してはレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を感じるのですが・・・
人物の立体感と実在感。堅牢な建物描写、奥の景色の見事さも素晴らしい。マリア様の左肩にはやはり「海の星」マークがあります。
すっかりフィリッピーノ・リッピが好きな画家になりました。
フィリッピーノ・リッピもサボナローラの時代には暗い画風になってましたが、絵の技術は高く保ってました。
ボッティチェリより早く40代で亡くなります。
駆け足で(・・・というには長く書きましたが)この展覧会の作品を紹介しました。他にも三人の素描作品も展示され技術の高さを改めて実感しました。リッピ親子とボッティチェリがそれぞれに影響しあって素晴らしい作品を作り上げていった軌跡を確認できる展覧会でした。
こんなにルネッサンスの重要な作品が世界中から来て一気に鑑賞できる展覧会は奇跡の様だと思いました。
4月3日まで開催されてます
今回は都立美術館(Tokyo Metropolitan Art Museum)での展覧会の感想を載せます

近年、ボッティチェリの作品を鑑賞する機会がありました。
2014年の「ウフィツィ美術館展」そして2015年の「ボッティチェリとルネッサンス展」でそれぞれボッティチェリの絶頂期の作品を中心としたたくさんの作品が展示されました。
もう充分眼福にあずかった気持ちでした。が、今年もさらに約20点のボッティチェリ作品が来て、画業を代表する作品を鑑賞することができるというのです。そしてボッティチェリだけでなくフィリッポ・リッピ、フィリッピーノ・リッピ親子の作品もまとまって鑑賞できると知って驚きました。日本とイタリアの国交樹立150年記念、日本初のボッティチェリ大回顧展。これはもう必ず馳せ参じなければと思いました。2月3日に一人で、9日に母と鑑賞しました。
実際展覧会に行ってみると上記三名の画家だけでなく他の15世紀ルネッサンスの画家の名作も展示されていてとても見応えのある展覧会でした。
まず会場に入って目にするのはこの作品

サンドロ・ボッティチェリ《ラーマ家の東方三博士の礼拝》1475-76年頃 テンペラ画 フィレンツェ ウフィツィ美術館
まるでルネッサンスの世界へようこそと迎え入れてくれてるように展示されてました。フィレンツェの両替商組合の仲買人デル・ラーマがラーマ家の礼拝用に注文した祭壇画。絵の中には聖母子に負けない位メディチ家の三代の主要人物が目立って描かれてます。聖母子の足元にいるのはコジモ・デ・メディチ真中にいる赤いマントを羽織ってるのは息子のピエロ・デ・メディチ、右上の方でこちらを見て自分を指刺している白髪青い服の男性がデル・ラーマ、そしてボッティチェリ本人も描かれています。


絵の中からコジモの孫ロレンツォ・イル・マニーフィコと弟のジュリアーノ兄弟
どちらが兄で弟かは判別できてないそうです。兄弟だけによく似ている。
何となく右側の方がロレンツォかなと感じました。ロレンツォはメディチ家の黄金期に君臨した領袖で今回の展覧会で木彫・・をもとにしたテラコッタ製の肖像作品も展示されてましたが、うつむき加減で気難しそうな表情がそっくりなので
そしてボッティチェリ自身は右端に堂々と描かれてます

才能に恵まれ、メディチ家にも重用され勢いと自尊心の高さを感じます。
ボッティチェリというとこの作品に描かれた自画像がまず写真に載ります。
絵を近くで見ると、その筆致の的確さと細やかさに驚きます。東方三博士の礼拝に参列する当時の有力者の一人一人が的確に描かれています。いきなりボッティチェリとしてもルネッサンスの歴史資料としても貴重な作品が現れて驚きました。
でも、またさらに驚かされてしまいます。
第1章ではボッティチェリの同時代の画家の作品が少しずつ展示されてました。

アントニオ・デル・ポッライオーロ《竜と戦う大天使ミカエル》1465年頃 油彩 フィレンツェ ステーファノ・バルディーニ美術館
当時とても活躍した画家兄弟アントニオとピエロの兄の方の作品。弟の作品も展示されてましたが、アントニオは彫刻、銅版画、そしてこの油彩画が展示されてました。同じ画家のよく似た作品に「ヘラクレスとヒュドラ」がありポーズがそっくりです。こんな重要な作品がさり気なく展示されてあったので驚きました。銅版画も素晴らしかったです。
兄弟はそれぞれすばらしく美しい横向きの婦人像を描いてます。その婦人像は2年前の記事「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション」に載せましたのでご参考にリンクします。
そしてボッティチェリが師事した二人の画家の一人、22歳からヴェロッキオの工房に入りレオナルド・ダ・ヴィンチと共に学んだそうです

アンドレア・デル・ヴェロッキオ《聖ヒエロニムスの頭部のための習作》1465年 フィレンツェ パラティーナ美術館
さすがボッティチェリとダ・ヴィンチのお師匠さん!と唸ってしまう迫真さです。この作品は紙に油絵で描いてあり、持ち運びしやすく、工房や弟子が人物を描く参考に使われたそうです。
そして、第2章ではボッティチェリの最初の師匠のフィリッポ・リッピ(1406頃~1469年)の作品が展示されてました

フィリッポ・リッピは早くに両親を亡くし修道院に入ったそうです。絵の才能で頭角を現し、マサッチオの肉体の存在感のある画風に影響を受けたそうですが、やがて優美な画風に代わって行ったそうです。50歳で女子修道院の司祭となったそうですが、そこで修道女と駆け落ちしてしまい還俗して子をもうけたそうです。普通なら厳罰があるのですが、絵の才能を高く評価したコジモ・デ・メディチがとりなしたそうです。その美しい妻をモデルにした晩年の作品の聖母子像は今回展示されてなかったですが、聖母のお顔はもう、ボッティチェリの作品と区別がつかないほど可憐で優美です。・・・というよりボッティチェリが師匠の女性像から影響を受けたのですが。
ボッティチェリは15歳からフィレンツェ近郊の街プラートでこの画家の工房に入ったそうです。
今回はマサッチオの影響を伺える頃の作品が展示されてました。

フィリッポ・リッピ《聖母子》1436年 テンペラ画 ヴィチェンツァ市民銀行
30歳前後の作品。聖母の柔らかい表情が素敵。
背景に壁龕(へきがん・・・壁のくぼみ)があり聖母の頭部のまわりに貝殻型の彫り模様を描かれています。フィリッポ・リッピはこの背景を好んで描いたそうです。確かにマリア様のお顔に目線が入る効果がありますね。
そしてエスカレーターに乗って上の階に進むとそこは第3章ボッティチェリ(アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ 1444頃~1510年)の作品世界でした。


サンドロ・ボッティチェリ《ばら園の聖母》1468-~69年 テンペラ画 フィレンツェ ウフィツィ美術館
前年からヴェロッキオの工房に入り、フィリッポ・リッピとヴェロッキオの両方の影響を伺える作品だそうです。

サンドロ・ボッティチェリ《シモン家の宴》1470年代初頭 テンペラ画 フィラデルフィア美術館
祭壇画の裾絵の一部。キリストの後ろに窓がある事、弟子たちの動きのある配置など、後のレオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」の要素があって、もしかしたらこの作品が制作のヒントの一つになったかもと言われてるそうです。画面左の光が差す入口と部屋の奥の向こうに見える風景がいいアクセントになって絵に広がりと奥行と風が通るような感じがしてるのはさすがのセンス☆

サンドロ・ボッティチェリ《書斎の聖アウグスティヌス(あるいは聖アウグスティヌスに訪れた幻視)》1480年フレスコ画 フィレンツェ オニサンティ聖堂
聖アウグスティヌスの顔は左右反転しているけど先ほどのヴェロッキオの聖ヒエロニムスの絵と似ています。この作品も実際に鑑賞できたことに驚きました。建物の壁に直接描くフレスコ画は普通ならまずもって場所を移動できないのに、この作品はすでに壁を取り外してほかの支持体に貼りつけたから可能だったそうですが、それにしても絵の部分は漆喰と壁だから崩れる可能性もあるし、貴重な代表作の一つだけに良く来てくださったと思わずつぶやきました。

サンドロ・ボッティチェリと工房《聖母子、洗礼者ヨハネ、大天使ミカエルと大天使ガブリエル》1495年 テンペラ画 フィレンツェ パラティーナ美術館
この作品は一昨年開催された「ウフィツィ美術館展」にも展示されていてその時はボッティチェリの周辺の作品となっていましたが、その後の研究で人物の顔にボッティチェリの描いた痕跡が確認されたのでボッティチェリと工房作となったそうです。確かに衣服は繊細には描かれてませんでしたが、聖母子やヨハネや天使たちの繊細で輝くような顔立ちの美しさに圧倒されました。
一緒に見に行った母は思わず「なんて綺麗な絵」と感嘆してました。
そしてこの作品の前で周りを見渡したら、視界に入る全ての絵がボッティチェリの作品である事に改めて驚きました。壮観です。

サンドロ・ボッティチェリ《聖母子(書物の聖母)》1482-83年頃 テンペラ画 ミラノ ボルディ・ベッツォーリ美術館
ボッティチェリが最も美しい作品を描いていた時期の作品。マリア様の憂いを含んだ表情は上品で清楚です。キリストは金の茨をブレスレットのように手首に巻いて、金の釘を3本持ってます。
聖母のたっぷりとした青い上着はラピスラズリを粉にした青で塗られています。その肩にある金の星のマークは「海の星”Stella Maris"」と言われるマリア様の御印。これはフィリッピーノ・リッピ(フィリッポ・リッピの息子)が描いたのではと言われているそうです。

サンドロ・ボッティチェリ《美しきシモネッタの肖像》1480-85年頃 テンペラ画 丸紅株式会社
モデルとされているシモネッタ・ヴェスプッチはフィレンツェで美しさを讃えられた女性でジュリアーノ・デ・メディチの恋人とも言われたそうです。1476年に僅か22歳で亡くなったそうで、この作品はその後に描かれてます。だからか、とても凝った服や髪型で描いてるのにどこか実在感が薄い気がします。唯一日本で所蔵されている作品。

サンドロ・ボッティチェリ《胸に手をあてた若い男の肖像》1482-85年頃 テンペラ画 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
こちらは本人を前にして描いたのでしょう。実在感があります。上目使いでこちらを見て高慢な感じもするけど、美しい形の手は何かを語っているようです。きっとメッセージを込めた肖像画だったのでしょうね。指の交差が気になります・
2/25までの限定展示です。

サンドロ・ボッティチェリ《女性の肖像(美しきシモネッタ)》1485-90年頃 テンペラ画 フィレンツェ パラティーナ美術館
この女性がシモネッタなのか実はわからないそうです。一説にはロレンツォ・イル・マニーフィコの奥様かもしれないとか。簡素な身なりですが清楚で目が美しい。体のラインと言い、こちらも目の前のモデルを見て描いた作品だとわかります。
しかし背景の黒い窓枠と顔が重なるように描いたのがちょっと不思議です。その効果でお顔の色白さと輪郭がくっきり浮き上がってますが。
そして1492年にロレンツォ・イル・マニーフィコが亡くなりメディチ家が追放されて、代わりに宗教的厳格な生活を提唱した修道僧サボナローラが1494年にフィレンツェ市民を支配。ボッティチェリも傾倒し、もう美しい聖母子像やヴィーナスなどの異教の作品は描かなくなりロマンチックな風情ははなくなりましたが、宗教的メッセージの濃い作風に変わります。

サンドロ・ボッティチェリ《アベレスの誹謗(ラ・カルンニア)》1494-96年 テンペラ画 フィレンツェ ウフィツィ美術館
後期の画業を代表する作品。こんなターニングポイントにかかわる作品も間近で見れるなんて、またも驚きました。
真実をあらわす女性は絶望のあまり天を仰ぎ見ます。その姿はヴィーナスの誕生のヴィーナスと似てるけど優雅な美しさと明るい希望を失ってます。
そのほかには聖母子と聖人の連なる祭壇画、十字架型の画面に描かれたキリストなどまるで中世に戻ったような固い雰囲気になりました。サボナローラは1498年に処刑されますが、ボッティチェリのあのメランコリックな表情の美しい女性像は描かれなくなり絵に精彩が失われました。
さらにエスカレーターで上の階に行くと、今度はフィリッポ・リッピの息子でボッティチェリの弟子となり、やがてフィレンツェで人気を競い合う画家となった第4章フィリッピーノ・リッピ(1457~1504年)の作品が並んでました。

おお、なかなかのハンサムさんです。お母さんが美人だからね☆
フィリッポ・リッピが50歳で生まれた息子。ボッティチェリが15歳でフィリッポ・リッピの工房に入った時はフィリピーノまだ2~3歳でした。父の死後ボッティチェリの工房に入り修行したので最初はボッティチェリとそっくりな絵を描いてたけど、独立して独自の画風になり、ボッティチェリのライバルとなったそうです。

フィリッピーノ・リッピ《聖母子、洗礼者ヨハネと天使たち(コルシーニ家の円形画)》1881-82年 テンペラ画 フィレンツェ貯蓄銀行コレクション
顔立ちがはっきりして現代的でなおかつ優雅です。人物や衣服に量感があって建築の造りも安定感があり、緻密です。そして聖母の背景には壁龕と貝殻型アーチがついていて、それはまさに父親のフィリッポ・リッピの絵の様です。そしてマリア様の左肩にはマリア様の御印「海の星」がついている。天使が持っている楽譜には三声の歌唱曲が正確に書かれているそうです。
壁の説明に「波打つような衣服の表現」と書かれてましたが、マリア様や天使の足元から床にかかって折れ曲がる裾部分は岸壁に波打つようでもあります。
少し遠くに洗礼者ヨハネが描かれてます。明らかに後から付け足して描いていて、だから年数が経った今は少し絵の具がとれたようで床や風景が透けて見えてきてました。これは、フィリッピーノの試行錯誤が見えて個人的に面白かったです。天使の後ろの床の模様が遠近感が危うくなって横の模様になってきそうなのを、ぐっと後ろに後退して見える視覚効果になったので。


フィリッピーノ・リッピ《受胎告知の聖ガブリエル 受胎告知の聖母マリア》1483-84年 テンペラ画 サン・ジミニャーノ 市立美術館絵画館
浮き上がるような天使の衣服の描写が見事でした。天使もマリア様も優美さよりも現実の人間らしくなってます。でもこの絵がとても好き☆特に大天使ガブリエルの画面配置、ポーズが絶妙で美しい。心惹かれました。
この作品に関してはレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を感じるのですが・・・
人物の立体感と実在感。堅牢な建物描写、奥の景色の見事さも素晴らしい。マリア様の左肩にはやはり「海の星」マークがあります。
すっかりフィリッピーノ・リッピが好きな画家になりました。
フィリッピーノ・リッピもサボナローラの時代には暗い画風になってましたが、絵の技術は高く保ってました。
ボッティチェリより早く40代で亡くなります。
駆け足で(・・・というには長く書きましたが)この展覧会の作品を紹介しました。他にも三人の素描作品も展示され技術の高さを改めて実感しました。リッピ親子とボッティチェリがそれぞれに影響しあって素晴らしい作品を作り上げていった軌跡を確認できる展覧会でした。
こんなにルネッサンスの重要な作品が世界中から来て一気に鑑賞できる展覧会は奇跡の様だと思いました。
4月3日まで開催されてます