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国宝 興福寺仏頭展

2013-11-11 20:34:57 | 一期一絵

秋も深まり、木の葉が色づく季節になった11月8日に上野へ行きました。



大学のキャンパスの緑を後ろにして看板が建ててありました。
この看板にアップに映っているのは山田寺の仏頭像、興福寺の至宝の一つです。
興福寺といえば阿修羅像を含む乾漆八部衆立像が有名ですが、興福寺は他にも多くの素晴らしい仏像がいらっしゃり、今回は「白鳳の貴公子」と呼ばれる山田寺の仏頭像を中心に興福寺の仏像の魅力を堪能するという趣旨でした。

会場ではまず、興福寺の宗派について説明が書かれてました。
興福寺は法相宗の大本山なのだそうです。
前半は法相宗に関する書や高僧の肖像画、本尊の彫像や絵画、守護する神様の絵画などが展示されてました。

壁に法相宗についての説明が書かれていたのでメモしました。

法相宗(ほっそうしゅう)とは
法相宗は、唯識思想を根本とする中国成立の宗派で、唐の慈恩大師基を開祖とする。
4~5世紀の北インドの僧、無著、世親によって「すべての事物は自心が転変して仮に現れたものにすぎない」と提唱され大成した唯識思想は 、やがて基の師である玄奘三蔵がインドのナーランダー大寺で戒賢に学び、その教義を唐へもたらした。
 請来した経論の訳経事業が進められるなか、玄奘と基は世親が著した『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)』に対するインドの十人の注釈書の説から護法説を正義として『成唯識論』を編纂した。基はそれらの思想を展開させ多くの諭疏(注釈書)を著したことで開祖とされ、玄奘は鼻祖として仰がれる。
 法相とは、心から生じたすべての事物(法)のありかた(相)を細かく分析しながら内省し、すべてを自分の心の問題として捉えて悟りを目指す思想である。


哲学的な宗派なんですね。何かあると大概は神様か仏様の導き(もしくは悪魔や祟り)と思ってしまうけど、自分自身の問題と捉えるなんて。

ご本尊の弥勒菩薩像です
        
        木造弥勒菩薩半跏像(13世紀)
後に弥勒菩薩となったマイトレーヤは貴族の出身で眉目秀麗で優秀な人物だったと聞きますが、この像も気品があり美しいです。
弥勒菩薩像は装飾を身に着けないと聞いていたけど、こちらは美しい装飾をまとってます。
この菩薩像を安置している厨子も後ろに展示されてましたが、天井から飛天が何体か吊るされてまるで空を舞っているようです。
扉の内側には、玄奘や基をはじめ法相宗の高僧の方々が囲むように描かれてました。

高僧の肖像画の掛け軸がずらりとならんでましたがこちらは弥勒菩薩を囲んで開祖、鼻祖から日本の高僧がそろって描かれています。
        
        法相曼荼羅図(15世紀)

弥勒菩薩を守護する四天王のうち、一図が展示されてました
        
        増長天像(12~13世紀)
この四天王図は今はそろってなくて一図はボストン美術館にあるそうです。去年東京博物館で開催された「ボストン美術館展」に「毘沙門天像」の絵が展示されていましたが、とてもよく似た絵でしたのでそれかな?

それから書やお経を印刷する版木が展示されていました。
奈良時代、平安時代、鎌倉や室町時代の書はみな字が美しいですが、少しずつ字に個性があり、楽しめました。
使用済みの紙の裏側を使った書もあれば、紺地に金泥で書かれた華麗なる平安時代の書もありました。


そして次は薬師如来の世界へ
薬師如来には脇侍に日光、月光菩薩、そして守護する十二神将がいます。
展覧会には、平安時代と鎌倉時代に作られた十二神将が展示されました。

平安時代の十二神将
       
       迷企羅大将像(板彫十二神将)11世紀
わずか3cmの厚みの檜の板で浮彫にして作り上げたそうです。檜は虫を寄せ付けない、木目の細かい木なので像にほとんど劣化なく維持されています。
仏様を悪からお守りするために怖い顔をして威嚇しているのだけど、なんだか可愛らしい。やんちゃな子に見えて微笑ましくなります。
そして凄い技巧です。3cmしかない厚みの板なのに、奥行があるのです。宮毘羅大将像なんて手にしている刀が体の前に浮いてる!そのうえ宮毘羅大将様はなかなかのハンサムなんです♪
十二神将そろい踏みの画像が公式ページにありましたので貼り付けますね→
この板彫十二神将はたぶん薬師如来像の台座の周りに飾られて如来様をお守りしてたのではないかと推測されて、そのように展示されてました。
きっとそうだったのでしょうね。とても自然に感じたので

鎌倉時代の十二神将
       
       伐折羅大将立像(木造十二神将)13世紀
焼き討ちにあい、壊滅的な打撃を受けた興福寺の復興事業で、新たに制作された十二神将像。奈良在住の慶派が制作。
こちらも十二神将そろい踏みの画像が公式ページにあります→
慶派は運慶、快慶もいる鎌倉時代の一大流派。
十二神将は慶派の仏師総出で作り上げているので、像により多少の出来具合は違いますが、ぐるりと360度どこから見ても緊張感があり、端正で力強い。筋肉や筋のこわばり、服や鎧の質感など,慶派は仏像彫刻の技法の頂点をなすのではないかと思ってます。気力体力ともに充実した中年期の男性像です。

そしてこの十二神将たちに守られた会場に佇んでいるのは山田寺から興福寺に移され薬師如来として奉られた像で、やがて火事により頭部だけが残ったそうです。
       
       銅造仏頭(興福寺東金堂旧本尊)白鳳時代685年
破損しただけでなく長い間行方不明だったそうですが、昭和になって現薬師如来像の台座の中から発見されたそうです。
どうして隠した人は所在をはっきりと伝えなかったのだろう。勝手な予想ですが、破損仏として処分されないようにしたのかな・・・。 
頭頂部が破損され、左耳の辺りはぐにゃりとへこんでいて、火災の凄まじさを語ってます。でも端正なお顔立ちはさすが「白鳳の貴公子」。 
特に切れ長の眼が美しい。右目の下瞼が少しひくっとつれているのは火災のせいなのかもしれませんが、これまで幾多の困難をわずかに表情にしてしまっているように思えます。
若々しい仏頭像は、筋肉隆々で複雑な動きを見せる十二神将に囲まれていると、清新な美しさが際立って見えました。
この像は制作年がはっきりわかる稀有な像でもあり、持統天皇がたてさせたそうです。万葉集の時代の仏像なんですね。
600年ぶりに、仏頭像は十二神将とお会いして従えたのだそうです。展覧会だからこその奇跡ですね。

お顔だけでもいてくださって嬉しい。仏頭像だけでなく、戦乱や火災や廃仏毀釈の大変な時代の中を生き抜いた仏像やお経や絵など、本当によくぞ残ってくださった。大変な時代を守り抜いたお寺の僧や関係者の篤い思いも感じられ、感動します。


そして仏頭像が展示されている後ろは廊下のようになっていて、その先には東京都調布市の深大寺に奉られている白鳳時代の釈迦如来椅像が展示されていました。
       
       銅像釈迦如来椅像 白鳳時代7世紀
廊下状の通路の演出のせいか、吸い込まれるように釈迦如来様に気持ちが行きました。仏頭像とほぼ同時代に制作された仏像です。
一緒に鑑賞することによって白鳳時代の仏像の特徴、そして、首から下を失いなおかつどんなポーズや形態か伝わってない仏頭像の全体像を思い測れるように特別出演されたようです。
写真だと黒く見えますが、ライトが当たった釈迦如来像はメタリックな銀ねず色です。その体の丸みや衣の柔らかいカーブのラインは優しげです。お顔立ちは少年のようで、初々しい魅力がありました。やはり切れ長の目が美しい。仏頭像と同じく螺髪がありません。
金属でできた像だけど優しく暖かい感じがしました。
椅子に座っている珍しい像で、体の姿勢が知られてない仏頭像ももしかしたら椅子に座ってたかもしれないそうです。
あまり大きくはないので、東京まで誰かが運んだのでしょうか。こちらの仏像もよくぞ残ってくださった。




  


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