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ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏展

2016-03-11 13:49:47 | 一期一絵

3月8日暖かい春の日に東京ステーションギャラリーにて鑑賞しました

モランディ展は5年前に展覧会が開催されることになっていて、パンフレットも制作されてましたが、大震災で中止となったことを記憶してます。
これは、仕方ない事だと私も思いました。大切な作品を地震と放射能でとても心配な日本に貸すわけにはいかない。わたしが貸し出す側でもきっとそう思ったでしょう。
納得できたから、これから日本は展覧会で世界の作品を見る機会が激減するのでは、いや無くなってしまうのかもしれないという不安を感じて、今のうちにみれる作品は見ておきたいと思い展覧会に足を運ぶ回数が増えました。それまではそんなには展覧会には足を運んでなかったのです。忙しかったこともあったし、いつかまた再び展覧会で見れるだろうと甘く考えでいたので。でも、今見れる機会を逃したらもう一生お会いできない作品の方が圧倒的に多い、日本になにが起きるかわからないし、私自身もわからない。そのことを痛感したのがモランディ展の中止でした。
だけど、幸いなことに再び百花繚乱のごとく素晴らしい展覧会が今も開催され続けています。鑑賞できる幸運に感謝です。

展覧会めぐりに一期一絵の想いを持つきっかけとなり、さらには展覧会や映画を鑑賞した作品の記録、それに感じたことを記したくなってblogを立ち上げる遠因にもなったのです。

そして5年後に、3月を挟んだこの時期に開催されるのも、意図を持ってる気がします。考えてみれば現在ボッティチェリ展、レオナルド・ダ・ヴィンチ展、カラバッジォ展、そしてモランディ展とそれぞれイタリア美術を代表する画家の展覧会が期を同じくして開催されているのは、それも奇跡のように大切な作品が多く展示されているのは日伊国交樹立150年記念という意味だけでなく、イタリアからの震災犠牲者、被災者の方々への想いがこもってると感じるのです。

ひとたびモランディの世界に入ると、そこには寄り添うようにおかれた身近な静物が穏やかな諧調の色彩をもって描かれた小作品がありました。静物の組み合わせを少しずつ変化させていく都度に生じる新しい視覚変化に飽くことなく新鮮な興味を持ち続けた感性に触れる心地よさに包まれていきます。
生涯をほぼ故郷ボローニャで過ごし、独身を通し、名声を受け世界に注目されながらも脚光を浴びる場所には行こうとせず、美大の版画の教授をしながら静物、もしくは身近な風景を描き続けたモランディの姿勢も作品と相まって、人の心の奥の琴線に触れるものがある気がします。

平日に鑑賞しましたが、会場は思ってた以上に鑑賞者が来ていました。モランディの人気の高さを感じました。

ジョルジョ・モランディ(1890~1964年)は最初はデ・キリコの形而上絵画に影響を受けた作品を描いてますが、その時期の作品はありませんでした。その後、セザンヌの描かれたモノの存在感、そしてカラヴァッジォの硬質な描写の影響を受けた作品が展示されてました。

《静物》1919年 油彩
図録の説明によると、手前向かって右にある布の塊はカラヴァッジォの1601年制作の「エマオの晩餐」のパンととても似ているそうです。
現在西洋美術館で開催されているカラヴァッジョ展には1606年制作の「エマオの晩餐」が展示されていますが、パンは違う形です。

絵は変化し、輪郭線は柔らかくなり、初期ルネッサンスの画家ジョット、マサッチオ、ピエロ・デラ・フランチェスカの影響をうけます。まるで数百年たったフレスコ画の絵のように色調は柔らかいベージュを基調にしていて、落ち着いた赤や青や黄がアクセントとなっています。
そういえばフランスのシャバンヌやバルテュスも初期ルネッサンス絵画に強い影響を受けた作品を描いて、それがヨーロッパの人々に親しみと懐かしさをもたらしていましたっけ。
絵のモデルは日常の瓶や測りやカップなど、時に自分好みの色合いに着色したり、ちょっとした加工をしたそうです。
そして瓶の上に積もった埃も払わず、そのために生じた柔らかい色の変化を好んで描写したそうです。
時に中世の林立する古い塔が並ぶようにも見えるし、フレスコ画で描かれた宗教画の中の集う人々の姿にも見える静物たち。その形式をそのまま終生保ち描き続けました。


《静物》1949年 油彩
描かれたものは時に画面からはみ出ている。形だってきっちり左右対称に描かれているわけではない。でも、その不完全さが絵に生気を与えている

 
《静物》1951年 油彩
瓶一つの違い。だけど筆触を変化させたり光の当て方を変化させたり。


《静物》1956年 油彩
こんな風にキチッと寄せ合って置かれ、そして視点が描かれたモノ達とほぼ同じ高さなのがいかにもモランディらしい作品。円筒形のモノには埃が積もっているのがわかります。
そして抑えた色調ながら色合いがカラフルで美しい。


《5つの器のある静物》1956年 エッチング
版画の教授でもあったモランディのエッチングは線描できっちりと形を追いかけどっしりとした存在感を感じます。


《テーブルの上の壺》1931年 エッチング
これは前方のモノたちを抜かして描いた遊び心を感じる作品。形の面白さがむしろくっきり浮かび上がる



《静物》1956年 鉛筆、水彩
水彩独特の色のにじみが美しい。つくづく色のセンスの良さを感じます。

会場は3階と2階に別れて展示されてます。2階は東京駅独特の凸凹した古い赤レンガがむき出しの壁になっていて、それがまたモランディの落ち着いた色調ととてもふさわしかったです。
壁に、モチーフとなったモノの写真が掲げてましたが、それは色落ちやサビなどで表面は複雑な色合いとなってました。けれど、絵の中の色調は単純、省略されてモランディの感じる色となっている。表現する、絵を描くという事に肩ひじ張らない。なんでもない日常品を描きながらそれが唯一無二のモノ(モチーフ)となっていく。独特なモノの配置は寄り添うような優しさを感じ、シンプルな気持ちでいいなあと思うのです。心地よさと人肌の温かみを感じます。

風景画は窓から見えたり、ごく近所の風景を描いてるそうです。静物と同様余計な模様や飾りを省いて描かれていています

《フォンダッツァ通りの中庭》1954年 油彩


《フォンダッツァ通りの中庭》1958年 油彩
絵の題名もそっけなく同じ名前が連なってます。でもこれは空に二筋の飛行機雲が描かれてるめずらしい作品だそうです。
雲に絵心を感じたんだねえ

花を描いた絵もやはり静物画と同じように描かれてます。花の生き生きとした様子を描こうとはしてない、というよりもともと造花なんだそうです。
でも、花の絵はそれでもなにか親密なやさしさを感じます。ごくプライベートに描いて親しい人にプレゼントしてたそうです。

《花》1950 年 油彩

最後にモランディの人となりを紹介した映像がありました。
印象に残ったのは、ある婦人がリゾート地の景色の素晴らしさを話し「あなたもそこを絵にしてみたらいいのに」と話しかけたところ、モランディ氏は訝しげな表情で「そこに何があるというのですか」と言ったそうです。
いろんな世界を旅し広い視野を獲得してゆく人物もいれば、狭い世界に居続けつつその中で普遍的なものを見つける人もいます。どちらもとても大切で必要な存在だと思います。そして狭い世界に居続けても世界の人が共感する普遍を見つけた人の世界はけっして狭いものではないと感じました。
親しい人とも適度な距離を保ち、敬語をつかって語り合ったモランディの佇まいに、とても共感でき日本でも多くのファンがいるのもうなずけました。

4月10日まで開催されてます


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