2024年9月21日大野芳資料から安重根関連の写真を紹介したが、その詳細が判明した。大野資料の写真では4名(安重根他3名)の被告を取をり調べているような内容の写真(最初の写真)であった。
最初の写真にはキャプションがない。下の写真には旅順法廷で安重根他3名の計4名の取り調べをしている、といった内容と思われるキャプションがついている。これは韓国のアーカイブから見出されたものである。この中で注目される(?)のは、傍聴席一番全面、向かって右側に蝶ネクタイにひげというきちんとした紳士がいるが、これは明石元二郎(当時45歳)と思われることである。いかがであろうか。その部分を参考までにアップしてみた。明石元二郎の写真をお持ちの方がいらっしゃったら是非チェックしていただきたいと思う。明石と言えば外国留学実績もあり英国諜報筋との関係も濃厚な我が国の誇る一流の“スパイ”である。のちの台湾総督だ。
安重根の取り調べについては「明治42年10月30日哈爾濱日本帝国総領事館において検察官溝渕孝雄書記岸田愛文列席通訳嘱託園木末喜通訳」(安重根と日韓関係史、市川正明著、原書房から211~212頁)列席の下に行われている。この時は、30日に安重根、31日に禹連俊、曹道先、柳江露の4名を取り調べている(安重根と日韓関係史から)。一方、この写真には場所も旅順法廷とあり並んでいる4名とは安重根、禹徳淳、曹道先、劉東夏とあるので30日のものではなさそうだ。
ところで、上記の人物が明石であるとすると、なぜ旅順法廷にまで出張っているのか、ということである。そのことについて筆者はほぼ本筋と思われる筋道を了解はしているが、今のところ公開する段階ではない。ただ、伊藤公の命を狙っていたのはいくつかの筋があったと云う事である。一つは安重根と言ってよい。そのほかの二つは、~~~まあ、今はよしておこう。
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また、次の写真についても判明したことがある。これは大野資料から掲載したものであり、旅順駅から獄舎への移送の写真と推察されていたけれど、これは間違いであった。キャプション付きの写真が出てきたのである。
つまり、2枚のうち前のものは護衛者も少ないがこれは処刑後安重根の遺体を運んでいるものであり、下の写真は随伴者が多くみられるが、これは獄舎を出て埋葬に向かうものとみられるのである。筆者はハングルには全く疎いが、お分かりの方には是非チェックしていただきたい。
(文責:吉田)
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