小日向白朗学会 HP準備室BLOG

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英国大使館別荘記念公園~イギリスをひしひしと感じる中禅寺湖畔~イザベラバードもお気に入りの地

2022-11-10 | 小日向白朗学会 情報
 栃木県の公式サイトに次のように記されている。・・・・「明治中頃から昭和初期にかけて、中禅寺湖畔には外国人別荘が建ち並び、外交官をはじめ多くの人々が避暑に訪れていました。中でも、イギリスの外交官だったアーネスト・サトウによって建てられ、その後、英国大使館の別荘として使用された山荘は、国際避暑地・奥日光の礎を築きました。館内からは、サトウが愛し「絵に描いたような風景」と評した、美しい湖畔の風景を堪能できます。また、国際避暑地・奥日光の歴史やサトウに関する展示のほか、2階の喫茶スペースでは紅茶や菓子を楽しめます。」
 確かに気分はイギリスの避暑地。窓から見えるのは中禅寺湖の水面のさざやかな動きと山並みも・・・男体山は近過ぎてちょっと死角になっている。飲むのは当然コーヒーではなく紅茶…ダージェリンとアールグレイだ。マフィンがとてもおいしく、空腹も満たしてくれる。サービスは今を遠く遡る明治11年の初来日の時にイザベラおばさんを歓待した金谷ホテルなので、イギリスとの合性はばっちり、まったく間違いはない。建物の説明スペースには明治29年に別荘を築いたアーネストサトウのほかにイギリス公使として幕末から明治初期に大活躍したハリーパークス、それに日本奥地紀行や朝鮮紀行で知られるイザベラバードの姿が飾られている。明治29年、サトウの招待なのかイザベラバードは当地を訪れているという。けっこうな高齢者になっていたはずだけれど。元気なおばさんだ。
 説明案内のところを眺めていたらちょっと気になったことがある。日清戦争の終結が明治28年11月というからいわば直後であるが、これで極東統治はメドが付いたとでもやや安堵したのか明治29年にサトウが当地に別荘を建てのは、まあ東禅寺事件、生麦事件等々のいきさつはあるといえイギリス極東戦略の一環といったところかとも思われる。そこに、遠く長崎の地で名声を馳せていたグラバーさんがそのちょっと前の明治26年に当地近くに別荘を建てていたということだ。そのころには長崎ではなく東京に拠点を移していたらしいが、日清戦争の始まるちょい前のころだ。そして・・日清戦争終わって、しばらくして日英同盟、待ってたように日露戦争と突っ込んでいくわが国の姿はその後ろからイギリスという名の調教師がいたような、そんな景色が霞み見えてきてしまった。クワバラ・クワバラ!!!
  (文責:吉田)

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