21年前に次男が石巻に住んでいました。
4歳、1歳孫がいました。1歳の孫が度々風邪を引いて
入院しました。その度に私が応援に行きます。
夫はまたか~と言いますが、私しかいないんだからね。
と言って出掛けます。新幹線で仙台、仙台から仙石線で
石巻まで。何回行ったかしら。
仙石線は長閑な風景を見ながら、コトコト揺られてうとうっと
高校生が楽しそうにお喋りをしています。みんな元気で
可愛いな~孫たちも早く大きくなって貰いたいと思いました。
4歳の孫をママに会わせるために病院に行きます。
タクシーの運転手さんにいま大変だけど、学校に入る頃は丈夫になりますよ、
と慰めて貰いました。
あるとき少し市内をドライブしたいと言いました。
その時日和山に案内してくれました。
桜の頃は綺麗ですよ。その頃は赤ちゃんもよくなるから、
みんなで来たら良いですと、話してくれました。
その日和山がTVに度々出てきます。つらくなります。
間もなく次男は内陸に住むことになりました。
三人目の孫も生まれました。
その後大震災が起きました。
内陸部も被害はありました、マンションに立ち入り制限されて
公民館で3日間過したそうですが、家の中は滅茶滅茶だったそうです。
いまも石巻のことが報じられると、励ましたくれた運転手さん、
元気なお魚屋さんの店員さん、楽しそうにお喋りしていた
電車の高校生を思い出します。
夫は高校生の頃父の仕事で、松島海岸に住んでいました。
あの大震災の前年に他界しました。
知らなくてよかったと思います。
本当に驚き、びっくりしましたが、
ただニュースを観て情報を得るだけの私たちと
違い実際に被災された方々の思いは格別でしょうね。
ご次男様家族もたいへんだったのですね。
ご無事で良かったわ。
皆が心を寄せ、語り継ぐことが大切だと思います。
忘れたいけど忘れてはいけない事ですね。
孫たちを学校に迎えに行ったママは大変だったそうです。やっと家に帰ったら、マンションは点検しな
いと部屋に戻ることができなくて車で夜を過したそうです。次の日ガソリンも少なかったので、公民館に避難しましが。地元の人が、リーダーになって、転勤族の次男達は肩身が狭かったそうです。
3日目で家に戻れても、苦労したそうです。
会社の人たちが助けてくださって、元の生活に戻りました。このときは手伝いに行くことが出来ませんでした。かえって迷惑でしたでしょうけど。
停電していませんか?
先週11年目の法要が終わったばかりだというのに、
また大きな地震が起きるなんて。。
大変なことが次々続いて起こり、気が休まる暇がありませんね。
吃驚しました。怖かった。
寝る前に何だかゴーと音ががしたように思いました。
起き上がって玄関のドアーを明けました。
ドアーがキイキイしてました。
避難バックをドアーに挟みました。
落ち着いたところで、閉めました。
宮城仙台市の隣の市の次男の家にメールしました。無事でした。
停電したところもありましたが、我が家は大丈夫でした。フード付きのダウンを側に置いて寝ました
なんとぐっすり寝てしまいました 。