平成21年10月9日、希望に胸膨らませてルンルンとまではいかなかったが、病室から
徒歩で、いつもは使えないエレベータに乗り手術室のある2階に向かった。なんて出
だしで綴っても手術を受ける本人はこれから繰り広げられる主人公でありながら肝心
のシーンには台詞も何の所作もないのだ。
今まで辛い検査を受けてやっとの思いで、ここまでこぎ着けてきたのに、麻酔をかけら
るまでの20分くらいしか出番がない。こんな馬鹿げた不平不満を並べている場合では
なかろうに、全く。
何度も記述の如く『病気と闘う赤ちゃんの姿』これが私の味方だから、手術のことは何
も怖くないし不安もないから、記憶が無くなるまでの手術室の様子は冷静に見ることが
できた。自分で想像していたことと大体同じようなものだったから、麻酔が上手く効くの
かと要らない心配をしていた。家族は手術室近くに控室が用意されており、術中は必
ず一人は在室するように決められていた。多分、術中に容態の急変や何かトラブルの
場合、直ぐに連絡が取れるようにしておくためだと思う。
手術のために入院してから、暇な時には各階をウロウロし何がどこにあるのか、なんて
ことをチェックしていた。その時に家族控室なるものを発見した次第。
出番のない主役は、その後も暫く出番はなく3日目に麻酔が覚めて、お目覚めはICU。
手術の傷は後日のろっ骨の傷以外は一回も痛みを感じることなく、多くの方が難儀され
た話を聞くと、改めて個人差の大きさを痛感している。
この爺のための手術には麻酔科、外科の先生や看護師さん、はたまたそれを支える多
くのスタッフの皆さんの力が結集されたものだ。その後の入院生活についても同様、沢
山の人のお蔭に感謝の心を忘れたことはない。勿論の事、私の経過を心配して下さっ
た方々にもだ。その後、原因不明のことが色々と起こり、最終的に残っているのが、右手
くすり指の第2関節に痛みがあること。日常生活で多少の不便はあるが何とかできるから
了とする。
目出度さも
中ぐらいかな
おらが春
小林一茶が正月を詠んだ俳句だ。私も術後3年を経過して中ぐらいの秋を迎え、
希望を持って力まず軽やかに前進だー!。
薪割りは順調