今日も畑に出て草取りや夏野菜、オクラ、茄子の片つけを始めた。草についてくる土
や片つける苗の根に付いている土を振り落としながら、ふと思い出したことがある。
昔,糸さんと畑をしていた時、野菜を収穫したら根に泥が沢山付いていた。私は何の
意識もなくそのまま川で洗ってしまおうとすると糸さんが
『おい、泥を落としとけよ。泥がもったいない』
『何で泥なんかがもったいのだ。ケチなことを言うな』と心の中で思った。もともと、畑仕
事なんか大嫌いだったから畑の泥に興味がある訳はないし、作業が早く終わればそ
れが一番いいと思っていた頃だから。しかし、この言葉は強烈な印象があり、長らく畑
仕事を中断していた時期もあったが忘れてはいなかった。畑をする人にとって土は命
ということに気付かなかったし考えたこともなかった。
それが、今や土造りに熱心、畳をばらして藁を取り出し畑に使う、落葉樹の葉を回収
して畑に、もみ殻をたっぷりと畑に、堆肥を十分にすり込む。畑で一番コストがかかっ
ているのは土だ。だから糸さんの言葉は、その通りだった。
また、私の山小屋でストーブの薪が積んであったのを見て『薪が一杯あると親方になっ
たような気分だな』と言った。話に寄れば昔は薪も貴重なものだったから、貧乏人の所に
は山にするほどの薪はなかったそうだ。しかし庄屋さんなどの所は山が沢山あるから薪
もてんこ盛りであったと言う。だから薪がふんだんにあるとリッチな気分になる。
私はそんな環境の中で育っていないから知らなかったが、確かに冬支度のために薪を
積み上げ今年の冬分は確保、こうなれば心にゆとりが出てくる。
『さあ冬よ、いつでもいらっしゃい』こんなゆったりと心地になれるから、糸さんの当時の
立場に置換すれば、これもビンゴかな。
昔、聞いた言葉を思い出し畑の中で感慨にふけっていた。