取り急ぎ思い付いたことをワープロに向い文章にしてみた。考えながらワープロに
直接打ち込んだ為、構成、誤字、表現に適切さを欠いているケ所が多々あると思う。
また、文才に欠ける為、み冗長なことも否めない。どんなことをどんな風に感じなが
ら、やっていたのかが分かればいいと思って纏めたものだ。
思いついてから僅か10日間でゲラが完成した雑なものだが私の記録として残してお
きたい。ぺージ付けはワープロが簡単やってくれるが、あえてべージは打たないこと
にした。不親切からではなく、開いたページを勝手気烬に読むためだ。
アマチュア無線はまだ進行形で、沢山のことがあり今、纏めてしまうと中途半端にな
ってしまうのでもっと先に纏めることにした。
趣味として、してきた事は書き切れないほどあるが、一端ここで区切りにし第2弹は別
の機会に完成させたい。趣味は何かの形で家族に参加させる形をとらないと単なる道
楽に過ぎなくなる。幸い我家では今回紹介したものはちょっとでも家族に関わり合い
が持てるようにしてきたので『親父が一人で呆けている』姿には映らなかったと自負し
ている。
次の趣味として用意した『押し花』は妻とボチボチやっていけたら、と思っている。
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第3章は進行中の趣味を取り上げたものだから、中途半端な形で終わりを迎えている。
これ以後も、夜中・明け方を問わず珍局情報を得る度に運用を続けた。度重なるパイレ
ーツに何度もくじけかけては立ち直り、頑張ったが最後は1A0(イタリアの特別局)のガセ
で運用を辞めてしまった。
最終的に257カ国と(正式には国または地域)交信を果たした。無線を通じて知り合った
アメリカ人Rayさんとは何度も交信、文通を続け2001年6月にはサンフランシスコの自宅
にも出かけた。Rayとの出会は可笑しいものだった。7M帯で私は国内向けのつもりのCQ
を出していたら私にはノイズ混じりで『JA6IVM』に聞こえJA6だから九州の局だと、ばかり
思っていた。ところが名前はRay、住所はSFと返信があった。混乱する頭を整理してみる
と(J=・---)ではなく(W=・--)が正しいようで、これならばWA6アメリカだから名前のRayも合
う、住所はSanFrancisco。いつもはアメリカの局が出ないような時間帯に弱い信号のアメ
リカの局が出ていたから聞き間違えたのだ。
JA6IVMさんは実在しておられWA6IVMとよく間違わられると嘆いておられた。
無線のことをきちんと纏めておけば沢山の面白いネタがあったから、面白い展開になった
ものと思う。アマチュア無線を中途退学して暫くしてから、後輩が誘ったラジコン・ヘリコプ
ターにのめり込み、面白さと共にマネーも随分と墜落した。歳を重ねても、夢ならぬ夢らし
きを追い続けることは、飽くなき探求心にも通じるところがあり、今だ成長過程にある証で
ある。それは『 青春とは人生のある期間ではなく心も持ち方を言う』と詩を詠んだサムエ
ル・ウルマンの言わんとすることにも通じている。
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