食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『雑想考、止まらない疑問、PCとの闘い』

2013年08月14日 17時40分56秒 | その他

PCというものは進化させながら使っていくものだと思うから、OSの変更やAPPの追

加、新機能の追加それに伴うドライバー追加など沢山の更新・変更作業が伴う。

今更ながらという範疇の疑問や戸惑いをクリアしながら完成させていく。もし、PCの

進化などに興味なければ同じ環境の下で動くのだから、こうした煩わしいことに振

り回されることはないし、イライラも募らない。Win8に変更しSDD換装前までの、つ

い最近まで問題なかったMIDI-USB変換ケーブルが動かなくなってしまい、こんな

もの簡単に復旧できるはずと高をくくって修復を試みるが『おかしい、こんなはずは

ない』の連発で、遂に打つ手はなしと手詰まりに陥った。

またWin8への変更時にやらなければならなかった、TVを観るための変更作業を思

い付き、それを開始してみた。メーカー支持する変更作業は、とても分かり難いか

ら簡単な方法としてWindows Media Centerを800円で購入すればいいらしいとの情

報をゲット。こいつをWindows Storeにてご購入、ダウンロードだから即納。

簡単にいきそうと思ったらBS放送しか認知せず、BCASのカードは壊れているか、

使用不可なんてメッセージが出てくる。Win7では問題なく動いていて実績はあるし、

カード自体が壊れることなど殆どないだろうに、Microsoftはそうおっしゃるのだ。

カードを変えてみるなど調査を要するが、PCでTVを観る必要なんてないので調

査・対策をするにも今ひとつ力が入らない。

本当は必要なくても、こうした事実を知ってしまうと忘れていても、ひっこりと思い出し

たりすると気分が悪いから、本当は始末しておきたい。

自動車に新しい装備を自分で取り付けるなんてことをよくやるが、こうした場合にそ

の製品が不良以外は大して悩むことや問題なく取り付けて動かすことは可能だ。PC

の場合、何故こんなに、無い頭を使わせるのか・・・勘弁してほしい。


『真夏に蕎麦の種まき』

2013年08月14日 17時07分16秒 | 日記

空いている畑を放置しておくと草に主役の場を奪われるだけではなく、花が咲き種

が実り次の雑草を作り込む悪のサイクルが始まる。最初の草に咲いた花は1つかも

しれないが、そこからできる種の数は何10倍、何100倍にもなり、土の中に潜り込む

と直ぐに芽を出さなくても10年近くは芽を出す可能性のあるものとして残り続ける。

だから、意を決して草取り、耕し、草以外のものを植えて雑草を抑えることをしてお

きたい。手のかからないものを植えて楽に管理したいと思い、蕎麦の種まきをした。

蕎麦は八角形で突起を持った形をしているので、土に引っ掛かり易いから、土中に

蒔かなくても芽が出るようになっている。つまり雑に種蒔きをしても、山肌のような過

酷な場所でも適応できる優れもの。

しかも、肥えた土地でなくてもそこそこの収穫が見込まれるから、年貢で責め立てら

れ苦労していた百姓の頼みの綱の役割も担ってきた。今は、健康食品の一つとし

ても重宝されていたり、減反の後作に栽培されたりしているから、同じ蕎麦でも時代と

共に変わってきている。

蕎麦は過酷な環境下でも栽培できると良い話ばかりきいても、この猛暑のさ中、土の

上に放り投げられただけの種蒔きで芽が出るのか心配になってくる。広い畑に少し

ばかりの散水をしても効果は望めそうにないが、それでも多少なりとも発芽促進にと

水を撒く。でも、この猛暑の中、蕎麦に発芽の意志は有りや無しや。


『盆入り』

2013年08月13日 20時56分55秒 | 日記

大きな渋滞もなく実家のある米子に墓参り。昔話の続編を語る気はないが、その昔

米子の寺町はお彼岸、盆となれば車2台が時折、交互通行になるメインストリートは

人で溢れていた。今は一方通行に規制されている。

13日は盆の入り、私たちは午前中の涼しい内に墓参りに出かけた。いつもは午前中

に実家到着、一休み、昼食後の暑い時をめがけた様な墓参りをしていた。

今年の猛暑、一歳とったからか実家到着後、涼しい内になんて弱気になり理路整然

とした理屈で出かける。ところが、寺町のメインストリートに着いても人影は平日の疎ら

な状況と何ら変わりない。暑い々と言いながらお寺に入っても人影は見えない。妻の

両親の菩提寺に足を延ばすが全く同じ光景でしかない。

昼間は暑い、人々は猛暑を避けそうした時間帯に行動しない知恵がついているから、

こうした状況でも、昔と大きく変わったのかもしれない。墓の在る無しは別として、自分

には必ず祖先はいるのだから、先に逝った人々を直接的に知らなくても、敬う心は忘

れてはならない、私はそう考えている。古くから伝統として伝えられたことは全て正しい

ものではない、女性の人権を当たり前として扱うべきと変えられたことは、その一例で

あろう。変わってはならないのに、変わっていくもの、変えなければならないのに変わ

らないもの複雑の心境だ。墓参りに出かけ、人の動きをみての爺のツイート。

 


『夢追人の掲載を終えて』

2013年08月12日 18時03分07秒 | 趣味

思い付きで残した趣味の記録を細切れにしながらブログに乗せてきた。私の性分

に起因するのだろう、思いついたら一気に仕上げる。この仕上げる時に濯ぐエネル

ギー、集中力は文字通り一心不乱、そして出来上がる過程を楽しむ。

一応、出来上がってしまうと普通の人だと、仕上がり具合を綿密にチェックし手直し

を繰り返しながら完成させていき、幾つもの不具合を修正し完成したものを手に取

り、出来上がり具合を楽しむ。

ここの違いが仕上がり具合の差として私のものには『ガサツ』な評価が下る。ただ書

くことが苦手、好きでない人は割と多く、ガサツながら私のように形に残している人は

少ないと思われるので、出来の悪いものでも後に読んでみると、それなりに面白い

ものだ。こうした傾向は、この作品に限らず他の木工作品や小屋の建築などでも全

く同じで、思いついたら一気、作る過程、出来上がる過程を急ぎながら楽しむから、

水平具合が狂っていても『多少のことは我関せず』とばかり大して気にならない。

そればかりか『多少の水平や矩(かね、直角)が狂っていても暮らすのに困ることは

ない』とか『畑の畝が多少曲がっていても野菜が曲がることはない』と幅のある考え

方で、詰まるところ横着をしている。

今のところ『続夢追人』の構想はないが、暇があればまた何かを書き留めておきたい。


『盆前なのに稲刈り』

2013年08月12日 17時57分19秒 | 日記

連日の酷暑に耐えながら真夏の大行事といえば、言わずと知れた盂蘭盆会である。

入りに当たる明日13日の迎え盆から15日送り盆までが、一般的に言われる旧盆で

世界に名だたる大企業でも夏休みと称してこの期間を休日にするところが多い。

昔は13日の夕方、日が落ちると家の門々で麻の茎を乾燥させたオガラを焚いて、ご

先祖様が道に迷わないようにお知らせする儀式が執り行われた。我が家には仏さん

はなかったから、この様子はお婆ちゃんの家でしか見られない光景だった。

当時の気候と今とどんな違いがあったのか、思い出そうにもはっきりとした記憶はな

いが、今日のような猛暑ではなかったように思う。盆に虫を捕ってはいけないし、殺す

ことなど以ての外、泳ぎに行こうとすると霊が水の中に引き込むから行ってはいけな

いと、きつく言われていた。そして盆を過ぎると海ではクラゲが出始めて刺されるから

海水浴は盆前までが相場だった。記憶では盆を過ぎてから猛暑で海に出かけなけれ

ばならなかったことは、なかったのでは・・・

子供頃は市内に住んでいたから田んぼの様子を詳しく知ることはなかったが、稲刈り

はもっと秋が深まってからという記憶しかない。稲の品種、栽培方法の改良により田植

えや収穫時期は変わってきたが昼過ぎ、目に入ってきたのは紛れもない稲刈りのシ

ン。暑くてうんざりするような炎天下にこのシーンは全く似合わない。こんな暑い時に

刈り取った新米、新米に変わりないから美味しいと思われるが、心の中では本当に美

味しいの?と問いたくなる。

我が家のプランター米は1日に2回の水追加が日課になっている。猛暑のせいか稲穂

の付きが悪く米粒もまばらな感じで、実るほど垂れる頭にならないものも出てきそうだ。

恐らく今年の出来は不作に近いものと思う。

 

                  少し寂しげなプランター米の稲穂


『夢追人、あとがき』

2013年08月11日 17時33分37秒 | 趣味

取り急ぎ思い付いたことをワープロに向い文章にしてみた。考えながらワープロに

直接打ち込んだ為、構成、誤字、表現に適切さを欠いているケ所が多々あると思う。

また、文才に欠ける為、み冗長なことも否めない。どんなことをどんな風に感じなが

ら、やっていたのかが分かればいいと思って纏めたものだ。

思いついてから僅か10日間でゲラが完成した雑なものだが私の記録として残してお

きたい。ぺージ付けはワープロが簡単やってくれるが、あえてべージは打たないこと

にした。不親切からではなく、開いたページを勝手気烬に読むためだ。

アマチュア無線はまだ進行形で、沢山のことがあり今、纏めてしまうと中途半端にな

ってしまうのでもっと先に纏めることにした。

趣味として、してきた事は書き切れないほどあるが、一端ここで区切りにし第2弹は別

の機会に完成させたい。趣味は何かの形で家族に参加させる形をとらないと単なる道

楽に過ぎなくなる。幸い我家では今回紹介したものはちょっとでも家族に関わり合い

が持てるようにしてきたので『親父が一人で呆けている』姿には映らなかったと自負し

ている。

次の趣味として用意した『押し花』は妻とボチボチやっていけたら、と思っている。

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第3章は進行中の趣味を取り上げたものだから、中途半端な形で終わりを迎えている。

これ以後も、夜中・明け方を問わず珍局情報を得る度に運用を続けた。度重なるパイレ

ーツに何度もくじけかけては立ち直り、頑張ったが最後は1A0(イタリアの特別局)のガセ

で運用を辞めてしまった。

最終的に257カ国と(正式には国または地域)交信を果たした。無線を通じて知り合った

アメリカ人Rayさんとは何度も交信、文通を続け2001年6月にはサンフランシスコの自宅

にも出かけた。Rayとの出会は可笑しいものだった。7M帯で私は国内向けのつもりのCQ

を出していたら私にはノイズ混じりで『JA6IVM』に聞こえJA6だから九州の局だと、ばかり

思っていた。ところが名前はRay、住所はSFと返信があった。混乱する頭を整理してみる

と(J=・---)ではなく(W=・--)が正しいようで、これならばWA6アメリカだから名前のRayも合

う、住所はSanFrancisco。いつもはアメリカの局が出ないような時間帯に弱い信号のアメ

リカの局が出ていたから聞き間違えたのだ。

JA6IVMさんは実在しておられWA6IVMとよく間違わられると嘆いておられた。

無線のことをきちんと纏めておけば沢山の面白いネタがあったから、面白い展開になった

ものと思う。アマチュア無線を中途退学して暫くしてから、後輩が誘ったラジコン・ヘリコプ

ターにのめり込み、面白さと共にマネーも随分と墜落した。歳を重ねても、夢ならぬ夢らし

きを追い続けることは、飽くなき探求心にも通じるところがあり、今だ成長過程にある証で

ある。それは『 青春とは人生のある期間ではなく心も持ち方を言う』と詩を詠んだサムエ

ル・ウルマンの言わんとすることにも通じている。


『マダニ騒動』

2013年08月11日 17時31分03秒 | 日記

ここ数年マダニに噛まれてSFTSウイルスにより重篤な症状となり死亡に至った例が

報告されている。まさか、この辺りにウジャウジャいるローカルネーム『フジ』ではなか

ろうな、と思いつつ気にかけていた。数例の死亡報道があり、意を決して調べてみる

とやはりフジがマダニのことに間違いなかった。フジに気を付けろと言われても、先述

のようにてんこ盛りでいる奴の事など気をつけようもないではないか、それほど居ると

思う。狩猟を止めたから野生児のように道なき道や獣道をうろつくことはなくなったが、

雑木林や笹薮の中は入るからマダニとの出会いは多々あると思う。

私の知るマダニの生命力はとてつもなく強い。生まれてから餌になる動物にくっつくま

で餌は露を飲むだけで笹の裏についてジッと待っているのだ。運よく動物に辿り着け

たら、体長の数十杯にもなるほど血を吸い小豆大になってこれ以上、血を吸えなくな

るとぽとりと落ち、吸った血で日々を暮していく。狩猟で獲った狸には首筋、脇(手足)

の下には数えることなど出来ないほどのマダニが生息している。狸が死に体温が低下

するとマダニが毛の下から毛先に移動する。

その数、思い出しただけでもぞっとする。物好きな私、狸の皮をなめしにして何かに使

おうと、板に皮を張り天日に干してみたがマダニのオンパレードに閉口、川に皮を沈め

ておけば死んでダニが居なくなると思ってトライしたが、それでも全滅させることはでき

ず諦めた。それほどの生命力を持っているのだ。

猪は狸のように毛が密集していないし皮が堅いからマダニは付き難いがゼロではない。

藪の中や雑木の中に犬を入れるから、当然の事マダニが付き、耳付近で小豆大になっ

ていることがままある。だから、山に入れた後は猿の蚤取り、宜しく犬のフジ取りをしてや

る。食いついている小さなダニの首筋を引っ張っても犬の皮と共に引っ張られ離れない。

口は釣り針の返しのようになっており外れにくい構造になっており、ダニの首からちぎれ

ることが多い。私は破れにくい生地のズボンや長袖のシャツで防備しているから噛まれ

たことはないが、服の上でゴソゴソしているのを見つけることはあった。そうしたことを経験

してから数十年後、こんな騒ぎになると思いもしなかった。

だから都会で狸の親子や夫婦が庭先に出てくると餌をやっている映像を見ることがある。

この騒ぎが始まる前から、狸などに関わるとフジが家の周りに生息することになるのにと、

要らぬ心配をしてあげていた。こうした生態を知らないで、単に可愛いだけで接している

、とんでもない代償を払わなければならない事態もありうる。


『夢追人、DXCCは誰?』

2013年08月10日 18時16分19秒 | 趣味

数ある『賞』は人の努力とは無関係のものと、苦労の末やっと戴けるものに分類する

ことができます。前者の例としまして、長屋の八っあんや熊さんのような、この私も含

めた庶民を苦しめる税法をこさえたり、宍道湖のゴズみたいに人が呉れるものは節

操なく頂いてしまう偉い先生方がごく当然のような顔をして授与されるものもあります。

しかし、どう考えたって庶民と『賞』の接点は見出せないのであります。強いて言えば

町内の運動会の参加賞位。

でもアマチュァ無線というタコ部屋に足を突っ込んだおかげで庶民の私も分け隔て

なく賞の道が開けたのであります。

今まで、賞に飢えて悶々としていたのではありません。また小銭が貯まったから何か

少しでも栄誉なるものに触れたくなったのでもありません。

昭和64年1月5日、アメリカアマチュァ無線連盟から小包が送られてきました。それは

昨年の10月末に送ったDXCC (DX Century Club)アワードの申請結果が詰め込まれ

た、私にとっては貴重品でした。小包にはこちらから送ったカードと審査の結果、当ク

ラブ員への入会資格を与える旨が記載された通知書がありました。(DXCCとは外国

との交信数が100以上になったと認定されれば加入が許され、以後は25か国単位で

追加ができる)申請の結果は119カ国との交信を認めるとのこと。

2月にはそれを示す賞状が送られてきて、額に入れ飾っています。

昭和61年の夏から秋にかけてのあの時期が私にDXへの興味を深くさせたのです。

今更、繰り返して言うまでのことではありませんがOMから『DXをやっている人に悪い

人はいない、悪い人も私たちのようにいい人になれるから』と諭され、のめり込んでし

まい今ではドップリ首まで。『やれ!と言われて、その気になーあって』

早速、HFの局免許を申請し昭和62年3月にDXとの卜ンツーが始まりました。最初の

頃は7メガ帯でソ連のお相手ばかりしていましたがそれでも結構、楽しんでやってい

たと思います。春の本格的なDXシ—ズンになるとバンド中が活気を呈しこれが正に

DXと気をよくしFB、FBの連発。相手が住所はパリなんて打ってくると気分が大きくな

り煙草屋が1キロも先にあることをツイツイ忘れてXYLを捕まえては『マダム、ちょっと

コーシープリーズ』とすっかり国際感覚、豊かな気分を満喫していました。ですから

交信した国の数がいくつなんてことは別の次元だったことは確かです。始めたてで

すから当然のこと交信する国は次々と新しい国で、数は増え続けました。その年の

暮れには70ケ国との交信を成果にDXCCは翌年に夢を託すことになりました。

HFを始めた時、10ワットの無線機と4メーターのルーフタワーを屋根に設置

しそこに7/21メガの八木アンテナで運用していました。10月には100ワットにアップ

しましたが大半のQSOは50ワットで運用して、感じでは八木アンテナに10ワット、そ

れに根性があれば100ケ国は以外と早く交信出来ると思います。

ニューを追いかけ続けるDXレースは相手に勝つために設備の拡充を余儀なくさせ

ているのが現状です。

昭和62年7月、14.5mのクランクアップタワーを建て、今その上に14/21/28メガ5エ

レの八木アンテナを乗せています。

(中略)

DXCC申請後にもニューへの執念は衰えるどころか一段と激しさを増し168カ国と

の交信になり、これからはもっと力が入るのではと思っています。

無線に限らず多くの情報を集め活用する、また情報源を絶やさない者が先を歩け

るようになっています。無線クラブの中でも強力なネットが出来れば素晴らしいこと

だと思います。

DXCC取得までに多々、ご教授いただいたOMさんに感謝しつつ 73(Good bye)

 (平成1年3月)


『墓掃除』

2013年08月10日 18時04分24秒 | 日記

退職して割と気ままな暮らしをしているから、3連休、大型連休などと世間が賑やか

になっても、ピンとこない。もう直ぐ盆、大体の会社は直近の土曜日から盆休みにな

るところが多く帰省ラッシュもそれと共にやって来る。昔々は私もこの頃になると横

浜や広島から実家の米子まで帰省したものだ。当時の移動は今のように高速バス

などなく、新幹線は高額に加えて帰省時期の予約などとれる状況になく、よくて寝

台列車出雲号の座席、それも立ち席などというものもあり、最初から最後まで座るこ

とは出来ないのを承知で乗るから、根性なくしては帰省できない環境だった。

帰省を今の時代と比べることは、江戸時代と明治時代を比べるようなものかもしれ

ない。盆の帰省は先祖様の墓参りが大義名分なのに、時代が何を変えたのか知ら

ないが、帰省した人の数だけ墓参りが賑やかになっているようには見えない。

今日は墓掃除に出かけた。いつものことながら出かける時期、時間帯によるのかも

しれないが感ずるところ年々、出かける人の数が減っているようにみえる。駐車場

に車は止まっているから墓参り、掃除に来たと思われるのに墓の方には人影はな

く、私と妻ふたり、尤もこの寺は広いから奥の方にいたのかもしれない。掃除をし

ている間に若い家族が子供連れで墓参りに来られたものの、子供たちは墓参り

より水道の水で遊ぶのに忙しそうだった。

墓掃除で一番張り合いのないのは、墓石をいくら綺麗に掃除してもBefore、After

に何の変哲もないことだ。最新の墓石専用洗剤なんて殺し文句につられて、使っ

てみても効果を味わうことはないから、ささっと水をかけて終わっても分からない。

それでは先祖様に申し訳ないからと一生懸命に、汗だくで墓石や灯篭を磨き13日

スタートの盆に備えは万全だ。


『夢追人、哀愁のQSLⅡ』

2013年08月09日 15時02分40秒 | 趣味

糞ったれ、その2

今年は28メガ帯がすこぶるご健勝でこれまで21メガ带であまり聞いたことのない国

が聞えたり、21メガ帯より活気を呈した日もある。

ガサガサと騒がしい21メガ帯から逃げ出してXX局の真似をてコマメに聞いてみると

小さなパイルがあり暫くしてからA51PN(ブータン)だと判りルンルンとパイルに参加、

初めてのブータンだ。さて、ブータンなる国の無線での価値は?と、何年も運用され

たことがなく世界中の要望度は第10位前後の国ではありませんか。これは誰が何と

言おうと大金星。カードの発行はアメリ力人がやってくれるし入手には殆ど時間が解

決してくれると安心していた。予想しない展開は突然に訪れる。アメリカに送った手

紙は受取人が転居して行き先不明という理由で返送されてきた。

Return to senderの赤いスタンプ。

仕方がないのでコールブックに記載されている本人に手紙を出す。

数ケ月経ったある日、会社の連中と飲み歩き家に帰るとエアメールが来ていた。

かなり迷丁していたが憧れのブータンからの返事であることは直ぐ判り、急いで封

切り覗いてみるとカードが見える。カラー写真風のカードで私のものによく似て

いる、ながれいし、流石、ブ-タンいいぞと取り出すと言葉が出ない。

『ゴメンナサイ、私は1982年から運用していません』

同封のカードは私のものが返送されてきただけのこと。

お見事、扇子パタパタ。

パイレーツ(海賊の意味だが無線の世界では偽物の無線局をいう)だと理解する時

間は要らなかった。男が女を騙すのはよくある。私の家内もそうだったのだから許さ

れる。だけどな、俺はオカマじゃないんだから、男が男を騙すな。

 糞ったれ、その3

著名なDXer のことである。過去に何度も咽喉から手の出るような国に行ったことも

ある御人、カードの発行も確実で早いと評判は上々である。この方、高嶺の花とな

っている、ある所に出かけて世界中の、ハムに大サービス。私も、その恩恵に預かり

交信でき貴重なニューを得て、早速にカードを送ると早い返事が来た。『カシオコン

ピュータの英文カタログを送って欲しい、ついては貴方にプレゼントがあります』手

紙と交信した覚えのないQSLカードが入っており、おまけに架空の交信データが記

入されていた。それは、どこに出しても通用する、ただ私がその気になりさえすれば

だが。カードは堅くて鼻紙には使えないしメモ用紙にもならない。今度、チリ紙交換

に出うっと。えーと、年の瀬を迎えて女々しく戯けたことばかりほざいておりますが

大半の人は清く正しくQSL-ingしておられる訳でして、こういう人に出会うとついつ

い興奮してしまい申し訳ありません。

先人は罪を憎んで人を憎まずと申しておられます。心を広FB(Fine Business)なQSL

といきたいものです。今宵はこれまでに致したいと存じます。


『緊急地震速報の誤報』

2013年08月09日 15時01分16秒 | 日記

昨日、PCをつけていたら画面に緊急地震速報が現れた。同時に防災無線、電源

を入れたTVから一斉に震度7クラスの予報が出され、民法はニュースの延長のよう

な形で地震のニュース、国営放送はティロップだけで高校野球の中継をしていた。

信震度7という大災害になるかもしれない時に、のんびりとこんな体制でいいのだろ

うかと思いつつ民法に切り替えて、成行きに備えた。準備と言っても特に思い当た

ることはなかったから、揺れた直ぐに屋外に逃げられる位置で待機した。

世間ではスマホや携帯電話に緊急メールが一斉に送られ、迅速に地震に備える

ことができるようになっているが、ただ早く分かるだけのためになっているのではな

いかと、私は懐疑的だ。私の携帯はいつもどこに置いてあるのか不明、しかも電源

は入っていないしメールはやっていないから、この方法での情報はゲットできない。

夜中などTVに電源を入れていない時でも緊急速報を受信できる装置が安価で販

売されているので、私のようなディジタル・デバイドにはこうした別途対応も必要だ

ろう。速報があってから暫くしても何事もなく誤報らしいと勝手に判断していたら、案

の定M2.3というから正直なところ、拍子抜けした。震源地と言われていた奈良市内

の定点カメラの画像は微動だにしないし、道路を走る車も普段通りのように映って

いた。和歌山沖の地震計ノイズを当該地震のものとして扱ってしまった。予測震源

地の奈良付近からの距離が遠いため計算結果は規模の大きい地震となったもの

らしい。

緊急地震速報の仕組みは地震の際、早く発生するP波を捉えて速報するもので、

送付されるデータの真偽、妥当性などを検証する間もなく警報するのが速報だか

ら、誤報との付き合い方も必要だ。誤報はないに越したことはない。誤報のために

公共交通のダイヤの乱れ、これらによって損失を被る商売もあろうが、完璧でない

速報などない方がいいとの論議に向かうべきではない。気象庁は情報精度の向

上を目指して欲しいが誤報を恐れる余り、逃げの姿勢をとってはならない。

私たちは誤報の時、訓練だと思い地震に備える行動を修練していく場として、防

災能力向上を図っていくべきだろう。


『夢追人、哀愁のQSL Ⅰ』

2013年08月08日 17時03分58秒 | 趣味

世の中には心臓に針金の生えた人やら、私のように石橋を叩きすぎて橋がこわれ

て渡れなくなる位、慎重な人や、蛙の面に小便と何ごとも意に介さない人、色々な

人種がいる。無線を始めた頃、ハムの世界ではこんなに人間模様がはっきりと出る

とは思いもしなかった。

しかし時を重ねるに従って面白い面、嫌な面が見え出し嫌な面には段々と目をつ

ぶる癖がついてきた。いや、洗脳されたのかもしれない。無線は戦争だ。パイルの

雑踏の中での戦い、運よく交信できたら今度はQSLカードを手にするまでの持久戦

が始まる。のんびり交信するのは古きよき時代のことか。猫も杓子も、この私までもが

一人前に無線をする時代、過当競争は避けられないかも。

QSOの戦いに勝つとコンファーム、つまりカードの回収になるが、たかがカード、され

どカード、こいつの回収が誠に厄介な代物でDX相手になると諸国の事情が大きく

違い日本みたいにアマチュア無線連盟がしっかりしていてすぐに送られて来ること

どない。交信の数年後に連盟経由で送られてくることも普通のこと。

ましてや珍しい所のカードを回収したければ相手に郵便で直接送るしかない(返送

用の封筒に自分の住所を記入し返送料として国際切手交換券かドルを入れる)。不

貞な輩やふらち者がおりまして郵便を出したのに返事は来ない、かといって連盟経

由で来るはずがない。DXを始めて1年9か月経ちこの間に惨い仕打ちを受けてきた。

腹いせに、この誌面を借用したいと存じます。 

糞ったれ、その1

昭和62年11月のこと。高校生の娘が学校から宿題にB5サイズの用紙を持ち帰ってい

た。私はそんなことは何も知らず別にこれと言ってすることはないし、朝からCQ三昧。

夕方になるとヨーロッパが開け、またまたそこに入りびたり。

宿題は休日に父親が何をしていたか書くものだった。観察者としては、あれこれ動き

廻り時には優雅なバロック音楽を鑑賞、ティータイムには日東紅茶のような安物では

ない、ダージリンのリッチな紅茶を戴く父親の姿を見ていればハッピーだったのだろ

うが・・・。

『朝から晚まで趣味の無線に没頭』と半行にも充たないことになり、随分と顰蹙を買っ

たので鮮明に覚えている。ウン千万円も借金してリクルート株を買ったのに、記憶にな

い人たちとは出来がちがいますなー。午前中は南米のコンディションがよく初心者用

の周波数帯域でCQを出していると数回発した所でCE0ZIGがコールしてきた。チリか

らだと直ぐに判ったが相手の住所を聞いて驚いた。イースター島で結構珍しい所から

だ。カード交換は?と聞くと直接郵送し送料はグリーンスタンプつまりUS$だと指定して

きた。こちらから出し返事を待つが2.3.4ケ月経っても音沙汰なし。こりや、ネコババされ

たかなと思っていたら何と言うことない、会員なら無料で送られて来る連盟経由で届い

た。この野郎、グリーンスタンプ返せ!。

この声、届けイースター島まで


『遅すぎる国、汚染水対策』

2013年08月08日 17時00分29秒 | 日記

阿部総理が時のヒーローのような顔をして『福島原発の汚染水対策を指示』、東電

任せにしないで国も積極的に関与するようにというもの。今頃、取って付けたような

指示に、福島県民のみならず福島の惨状に心を痛めている人は『ふざけるな』と声

高に罵りたかったに違いない。

そもそも東電任せにしてきたのは誰だ、政府ではないか。汚染水は状況が分かるに

従って深刻さを増し、東電が中心となり未知の事故対策を進めてきたが、事態は悪

循環を繰り返し決定的な対策を打てないで苦悩してきた。私たちの目に直接的には

見えないところで国が支援をしていたのかもしれないが、もしそうならば情報を開示す

べきだ。だから、国は何も支援しないで東電に『迅速な対策を』と口で言うだけだった

のだ。原発シビア事故があれば国が責任を持って対策に当たるので『安心、安全な

原発』と言っているではないか。ここでも二枚舌、三枚舌である。

また、そんな偉そうなことを言って国は汚染水対策のノウハウを持っているのか、何も

持っていないはずだから『予算』を振りまいているだけではないのか。

私は東電に対しては言葉で言えないほどの憤りを感じ、企業としての資格はないと

っているから当然、破たんさせて完全な別会社にするか国有化すべきとの論を持

っている。(別会社に作り変えるのは簡単ではないことくらい分かっているが)今もこれ

からも『東電はつぶれない』と、ほくそ笑んでいるから不具合があっても真摯な説明す

ら、まともにやってこなかった会社に、未知の対策を任せたままにする国の無責任さに

も腹が立つ。

震災では任務とはいえ消防署員、団員、警察官、自衛隊そして民間人などなど、数

えきれない団体や個人が当座の復旧に尽力し、助け合い支えあい、そうした人たち

の間では感謝の言葉や絆が生まれてきた。

起きてはならないはずの原発メルトダウンが起きた。東電の信頼は地に落ちたものの、

以後の対応次第では失地回復の余地はあったのに、度重なる自らの失態続きで東電

だけは感謝や絆などから蚊帳の外に置かれてしまった。

そして、最も怖いのは私たちに分からない所で汚染水が漏れ出したり、全く予期してい

な別の汚染形態が進んでいたりしていないかということだ。東大の研究者が調査した河

口付近や海底のくぼ地にはセシウムなどの核汚染物質が溜まり易いとした内容の示唆

するものをどのように捉えるか、どのように活用できるか。

先は全く見えない状況にあり、疑心暗鬼になり振り回されてはいけないが、一刻も早い

廃炉を望みながら、当事者の信頼回復なくしては『東電頑張れ』とエールを送る気はし

ない。


『夢追人、あふりか、アフリカ、Africa残酷物語Ⅱ』

2013年08月07日 17時27分20秒 | 趣味

これは明らかに屈辱である。本物のアフリカと交信してこの屈辱をはらさいで・・・

2日後のこと、Aさんから『FT5ZAが出ていますよ』と連絡を貰い周波数を合わせて、

探す。この時はアフリカなのに難なく交信できた。これで2局目のアフリカだ。しか

し、これはアムステルダム島でインドと南極の丁度、中間辺りの島で、アフリカだと

は認知してもらえそうにない。

仮りに私がハムをしていなかった場合、他人がこれらをアフリカだと言ったら、アフ

リカとは言わず『島』だと言うかも知れない。私がモーリシャス島をアフリカだと言い

張るとXYLは私のことを『アフリカの島おじん』と言い、私はXYLのことを訳の判らな

『島おばさん』と、ののしり合い平行線をたどる。やがてそれが夫婦の溝になり家

庭紛争、『私、暇を頂きます』てなことになると、子供を連れてTVで『お母ちゃん、早

く帰って来て』こりやあ大変だ。

それから一週間ほど経った。タンザ二アの5H3TMが日本からすんごいこと呼ばれて

いた。飽きを知らないお猿さんとラッキョの組合せのように呼び続ける。そのパイルに

嫌気がさしたのか突然にそこから姿を消した。『こりゃ、おかしいぞ、パイルを嫌って

何処かに逃げたのかな』とプラスの方に考えた。ダイアルを回してみるとCQを出して

いるのではないか。これは僕のCQだ、誰も拾うな。俺のものだ。必死になって相手を

呼ぶ、相手が私のコールサインを返してきて交信が始まった。

名前はトムさんで住所はムベア、送信機は80ワットを使用している。カード交換の約

束をして交信を終わる。後から続々と人が呼ぶのかと思ったが誰一人として呼ぶ人

はなく先程のパイルが嘘のようだった。

今度は堂々としたアフリカ本土である。顔のゆるみを整えてクールに

『あーあ、君君、タンザニアと交信しちゃったよ。ハッハッハ・・カードは郵便で送るこ

とにしたよ』モ-リシヤスをアフリカと認めてくれなかった『島おばさん』も『本当だ。ア

フリカ、おめでとうございます。よかったねー、だーもん手紙が着くかや』だとさ。

アフリカの歴史を紐といてみると辛く、悲しいしかも長い歴史があり、今もなお刻み続

けている。私のアフリカとの交信にもこのような辛い過去があったのだ。以来、南アフリ

カ、ザイール、スペイン領セウタ、ザンビア、セネガル、ガボンのアフリカ本土と、認知

されそうもないチャゴス島、カナリー諸島、それにレウニオン島と交信し次のアフリカを

追い続けている。

でも、やっぱりモーリシャス島はアフリカ       【昭和63年9月】


『今年のカブトムシ、クワガタ』

2013年08月07日 17時25分56秒 | 日記

虫たちの餌場にうってつけのナラの木、何かの病気になっているから数か所から

樹液が出ており、沢山のカブトムシたちの訪問があると期待していた。7月中頃に

数匹のカブトムシが訪問してきた。これが唯一の賑わいで以後、時たま1匹がいる

だけでクワガタにいたっては、サッパリ姿を見せない。

8月に入ればと期待するものの、お客さんはコガネムシの団体とスズメバチだけに

なり、今年の虫ワールドは夏を終えたかのようになってしまった。

例年ならば、クワガタも次々と餌を食べに来て、いつも数匹は下回らなかった。全

体の数が減ったとは思えないが寂しい虫事情。一方、ハウス内で養殖していたカ

ブトムシはテンの侵入を防ぐため、電気柵の設置をしたり幼虫の住む堆肥の上に

金網を置いたりしていたが、今年も相手の方が上手で、以後も数度の侵入があり

大半を食べられてしまった。侵入した場所が確認できない、忍者のような動きに私

たちもお手上げ状態になった。

奥出雲のカブトムシ養殖は周囲を金網で防護し、害獣からの被害防止に成功して

いるらしいから、私たちもその方法の検討を始めなければと考えている。

私たちが進めている果樹園づくりは沢山の堆肥や木材チップを使っているので、

ハウス以外でも沢山のカブトムシが成虫になっており、また卵を産んでくれると思わ

れる。幼稚園や保育所に配布したカブトムシの幼虫は、次々と成虫になり一部は

夏休みと同時に園児たちが家に持ち帰っている。来年も子供たちがカブトムシの幼

虫を育てられるよう何とか確保したいものだ。


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