食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『夢追人、あふりか、アフリカ、Africa残酷物語Ⅰ』

2013年08月06日 17時42分43秒 | 趣味

DXを目指す人の登竜門、WACアワードは(世界六大陸との交信)、だれもが第一に

目標とするものだと雑誌で読んだ。当クラブのOMさんも多くの方が取得しておられ

ると聞き、最初は要領を得ず『フーン』という感じだった。

私の場合、交信し易い国と、し難い国の区別は距離の違いでみていたからDXの話

を聞くと成るほど、言われてみればそうだ、いくら近くでもそこの国にハムがいなけれ

ば交信はできない。しかし距離のことばかり考えていた昨年の4月頃は、思えばいつ

でも簡単に交信できる国でも距離が延びると、それに喜びを感じ、次はより遠くの国

と交信することに専念していた。今でも根底にあるのはより遠くで本質的には変わっ

ていない。かと言ってWACのことを忘れていた訳ではなく心密かに狙っていたが少し

ずつ事情が判ってくるとアフリカとの交信は至難の技だと思えて来た。そうこうする内

に胸の内は乙女の初恋のように痛みアフリカ、アフリカ・・・遂にはラッサ熱に冒されて

しまう始末。ではWACなのかアフリカなのか? 今、思い返しても定かではないがアフ

リカとの交信は一挙両得であることは間違いなさそうだ。この成功はWACの完成を意

味するといつても過言ではない。そう固く信じていたのに天がノービス(初心者)の私に

与えた試練はちょっと変わっており、南米との交信でWACが完成した。

アフリカへの関心が高まりピークを迎えた頃、時おりアフリカからの信号が入感するよ

うになった。しかしそこは修羅場である。スプリッ卜運用でもないのに数キロヘルツの

パイル(大混雑)で、とても相手にしてもらえそうにもない。大パイルの中を10ワットの送

信パワーでエッサッサ、いつも苦渋を味わい『こりや駄目だ』・・その悔しさをA局に聞

いてもらい、励まされ、慰めに気を取り戻して『がんばるぞ』と言いつつドンキホーテの

ようにパイルに突撃!、これは竹槍を担いだ百姓一揆の様子だ。

ケセラ.セラ、パイルの谷間に私のコールサインが落ちた。偶然のことであろうが兎に

角、アフリカに届いてしまった。相手のコールサインは3B1DB、これはハム仲間では立

派なアフリカ。その日の私は大変ご機嫌でしてXYL(妻)に『遂にアフリカと交信したで』

と珍しくご説明申し上げ、わざわざ地図まで持ち出して。

『ほらほら、ここだがん、モーリシャス島』じっと地図を覗きこむXYL

『うそー、島だがん』祝杯のほろ酔いが冷めるようなお言葉

『やっぱりな、言わん方がえかったかな』

(注:私たち夫婦は米子出身でして夫婦間の会話は米子弁で外では松江弁と音声多重

でやっています。お聞き苦しい点はご容赦下さい〕


『三枚舌、日本の核政策』

2013年08月06日 17時40分59秒 | 日記

今日は広島に原爆が落とされてから68年目の夏を迎える。若い時、広島で勤務した

ことがあり、夜勤明けの8月6日、眠い目をこすりながら平和公園の式典に出席したこ

とがある。朝8時過ぎで未だ涼しいはずの時間帯なのに、照り付ける強烈な日差しを

今でも忘れることができない。朝の厳かな式典、夜には本安川で亡くなられた方を偲

びつつ灯篭流しが執り行われ、広島は原爆慰霊の一色に染まる一日となる。いつも

のことながら、広島市長は世界に核廃絶を訴え『絶対悪』とまで言い切っている。式典

に出席した阿部総理は原爆反対の意見を述べているが、日本はNPT核拡散防止協

定に賛成しなかった、つまり反対した。世界唯一の原爆被害で核拡散防止のリーダー

だった日本が、アメリカの顔色を窺っているのか、核が拡散しないと困ることがあるか

らなのか知らないが、今のところ核拡散に賛成している。

原爆のような兵器には反対するが核の平和利用ならいい。平和的であっても、何か起

これば、とてつもない事になることもあるが概ね安全であるから日本の原発を買って欲

しいのが本音なのか。こうした状況下で広島市長、長崎市長が世界に真摯に核廃絶を

訴えるが、世界は日本政府の考えに賛同するのか、両市長の声に耳を傾けるのか、日

本の本当の声を、どのように受け取るのだろうか。

戦争、大量破壊兵器の使用、原爆投下、犠牲者の多くは戦争と関係のない非戦闘員

だ。原爆はそれの最たるもので赤子から年寄りまで見境なくに悲惨な結果をもたらす。

あれから68年経つというのに『被爆者援護法』による被爆者の救済は今でも、法の壁を

越えられず苦しみ続けている人がいる。法不整備による齟齬は政治家や官僚たちの

責任だ。全ての人にパーフェクトな法律はないにしても、せめて生きることに希望の持

てる助けになるよう少しずつでも改正して欲しい。これは東日本大震災の復旧につい

ても同じことが言える。

震災から68年後、誰かが私の意見と同じようなことを呟いていないことを祈る。


『夢追人、アマチュァ無線』

2013年08月05日 17時26分04秒 | 趣味

第三章 世界を駆けめぐる

アマチュア無線は今も進行形の趣味であり、これは魚釣りや狩猟と異なり家にいて

気経に楽しむことができる。近隣の人と話ができる144メガサイクルが最も簡単だが、

それでなくても狭い世間に暮らす私たちのこと、話が筒抜けになるので144メガでは

殆ど交信しない。私は、外国とのモールス信号を使った交信を楽しんでいる。交信

範囲は時期や条件によって変わるがほぼ全世界と交信できる。距離で日本から一

番遠くにあるのは南米、ウルグゥアイでおよそ200000km。

交信は全て英語を使われる。勿論のことソビエトや東欧諸国と交信する時も英語。

英語と言っても交信する内容が固定している場合が大半で、親しい知人ができると

簡単なやり取りをする程度のものだから、英語が話せないからと構える必要は全くな

い。無線の楽しみ方は色々あるが私は外国との交信(DXと言う)を専門にしている。

以下の原稿は私が所属する無線クラブの会報に投稿したものである。

 

CW狂いのニューカマー (CW=モールス信号による交信)

この度、OM(Old Man、ベテラン)揃いの無線クラブに入会させて頂くことになり大変

喜んでいます。何分にも不束ながさつ者でして、姑から『出来の悪い嫁』と小言を言

われる嫁さんの心境です。幸いにもクラブの方々とはQSO (交信)、アイボール(出会

うこと)の機会に恵まれ以前から会費免除の会員のような気がしておりました。開局は

昭和61年6月で本格的にQRV(運用)し始めたのは62年3月にHFの設備を整えてから

のことです。私とCWの結びつきは古く今から27年も遡ります。とても純真な高校生の

時に習い資格を取得していましたが卒業以来、衰退の一途をたどり、やがては習った

ことがVSOPのように蒸発してしまいました。在学中ですら電波を出したことは一度た

りともなく、無線は通信手段の一つだったと実感したのは、つい最近の事です。

人には色々な『虫』が潜んでいます。身に覚えのある方はホレ、小指の方とか、また

『きょうは真っ直ぐ家に帰るぞ』と決心していながらついつい暧簾をくぐらせてしまう、

そんな虫です。

資格取得後、26年も放置していながら40の手習いの域に達した時、無線の虫が、

ひょっこりひょうたん島となったのです。さて、世の中には今でも不幸の手紙を出す

けしからん奴と、それを受け取る人がいます。これはアマチュァ無線の世界にもある

んですね。不幸のCQ(更新相手を探す)を拾う人が。人呼んで21メガ带の牢名主、

A OMが何やらいわくのありげなCQを拾つたばかり、この私と関わりができてしまっ

た。しかしそれは私のDXの始まりでもありました。心より合掌。

DXの楽しさを語るなど釈迦に説法ですがバンド(周波数带)や目的の持ち方によっ

て楽しみ方は様々なようです。しかし究極の目標は可能な限り多くの国と交信しQ

SLカード(交信を証明する相手局カード)を手に入れることではないでしょうか。結

局、欲タレが多い?

ある程度、数を得てからは大きな壁があるようで、これをどう破るかという難儀な問題

に直面します。心の狭い私など何回数えても同じなのに、ひょっとして数え間違いし

ているのではないかとまた数えたりして断末魔の状態です。

短い私の経験から得た交信国の増加に必要な条件を纏めてみますと

◎ 情報交換の場を持つのは                       good

◎ こまめに聴く人とネットをもつのは                     better

◎ パイルの中でちょこざいにQSOするせこい性格は    best

幼少のみぎり、婆やが話してくれた外国航路のこと、異国のマドロスさんのこと、そし

ていつの日か、かの地で異邦人と夢を描いたものです。それは知らぬ間に現実に流

されたのですが今、DXという形で夢を追い始めました。

アフリカの砂漠を越え、戦火うごめく油田地帯を越え受信する、かすかな信号の裏に

いるオペレ—タに想いをはせFB DXと悦にいる今日この頃です。

偉そうなことばかり書きましたがOMさんに一歩でも近づこうと精一杯の背伸びをして

おります。どうかよろしくご指導をお願いします。

(昭和63年6月号)


『冷、現代版優れものと古ながらのもの』

2013年08月05日 17時13分12秒 | 日記

 毎日、うだるような暑さが続いており、TVは予防策についての注意を繰り返し放送

している。私は歳をとってはいるが外に出れば暑いから汗はボロボロかくし、喉が渇

くからお茶やコーラなど清涼飲料水もたっぷりと補充している。多分熱中症にはなら

ないだろうが、対策はできる限りしておこうと注意している。

ここのところただの暑さに加えて蒸し暑い、いやらしい日が続いている。

普通の暑さだと太陽の下に出ても,ジリジリする暑さでジワリと汗が出るのに対し,身

の置き所がないというのか、何もしなくても汗が出てくるから始末が悪い。こうなると

冷たい飲み物を用意しておかなければ、暑さを克服できないとクーラーにポカリ、コ

ーラ、お茶などのセットを詰めて、山小屋や畑にお出かけになる。

クーラーに使う蓄冷剤は普通のものより強烈なもので、コーラやサイダーでも1時間ほ

どで凍らすことができる。見た目は普通の蓄冷剤のようだが、-16℃と強烈な文句に

『嘘だろう』と騙されたつもりで買ってみたら良さそうだったので、追加して2つ同時に

使っている。蓄冷剤の間にジュース類を挟んでおくと見事に凍らせるから驚きだ。

持続性は普通の蓄冷剤と変わりなく、ほぼ日中は冷たい。値段は少し高めだったが

どうせ買うならこの蓄冷剤をお勧めする。

一方、昔は冷たい水といえば井戸水か清水と相場は決まっていた。ただ、井戸水は

今の時代と冷たさの基準が余りにも違い過ぎて同列の比較はできないが、清水となれ

ば、見た目にも涼も伴うから冷たそうに思う。

山小屋の横に小さな水路があり、雨樋を使って水を流せるようしている。大雨で何度

も流されたり、水路が土砂で埋まりかけたり、その修理との戦いでやっと今でも使える

状態を保っている。外でウロウロしていると、いつでも手軽に使えるから、本格的に組

み上げる地下水より便利な代物だ。天日直下で少ない水量だから生ぬるい水が流れ

ていると思われがちだが、これが結構冷たいのだ。タオルを濡らして身体を拭くと、冷

え冷えになり鳥肌が立つほどだから、水道水よりはずっと冷たい。

上流に人家や道路はないから全くの自然水ではあるが、落ち葉の屑やゴミなども混

じっているので時下で飲むには勇気が要りそう。

野菜を洗ったり、魚を捌いたりする時にも、外にある炊事場感覚で出る作業できるか

ら山の清水、これも優れものの一つ。

       


『夢追人、心変わり』

2013年08月04日 18時14分59秒 | 趣味

昭和63年は仕事上でも私生活面でも起伏の激しい年だった。5月に同期で入社した

友人が亡くなり、その6月には妻が頸椎ヘルニアで5時間にも及ぶ大手術の後、3ヶ月

の入院をした。丁度その年は私の厄でもあり、これも何かの因縁かも知れないと思っ

たりした。妻が入院し子供と3人で暮らしている間に銃の更新手続きがあった。

狩猟をすれば動物の命を奪うことになる。親を獲れば残された子はどうなるのか等と、

普段の思いとは全く違う考えが出たり入ったりして、どうするのか纏まりのつかない状

態だ。

銃を扱うのに自分自身の気持ちが、きっちりとしていないこと時点で銃を手放すべき

なのは明確で、悩むべき問題ではないのだ。強引にそれが正しい答えだとして、狩

猟を辞める決心をした。短期間に出した結論ではない。あれほど好きで楽しんできた

狩猟を辞めさせるのだから随分と悩んだ。趣味としては高度な技術を要するし健康

維持の為には身体を使うのでとてもいい。狩猟していた5年間はどんなに寒い時でも

風邪を一度もひかなかったが辞めた途端に風邪をひくようになった。

自然保護と狩猟の関係に対する持論は今でも変わっていないし、狩猟が嫌になって

やめたのでもない。ちょっとした心の隙間に友の死、妻の病気が重なっただけだ。

でも2度と銃を手にすることはないだろう

 第二章、おわり


『軽トラック市、雨たたる』

2013年08月04日 18時13分15秒 | 日記

山陰地方で軽トラック市の草分けとなったのは鳥取県の何処かだったと思うが、ここ

八雲町でも農産品を中心としたものを始めた。町内の産直市のような企画は定期的

なものもあり、何かを差別化して特徴づけることになれば継続は可能になる。どこの

地域でも、どんな計画者でも悩むところはこの一点に尽きるのではないかと思う。だ

が頭の中や机の上だけで考えていても物事は進まないことが多く、実際にやってみ

ようと企画、推進にこぎつけ道をつける人がいないと何も生まれてこない。

この市も関係者の皆さんがご苦労の結果、開催され今日が2回目の市になるはずだ

った。私たちのNPOは梅たれと食べるラー油風の梅具おかずを販売すべく、女性陣

を中心に先週、加工場で製造した。家内工業だから全て手作り、最後のラベル貼り

を金曜日に済ませ、今朝への備えは万全だった。

私は別件の用があり市には出かける予定にしていなかったが、集合時間になると雨

落ち出し激しさを増していくではないか。市を開くなら雨除けのシートを張ったりしな

ければならないから、人手が要るのではないか心配になり、市の会場に出かけてみ

た。既設のテントがあり皆さんは避難、役員さんは開催のgo/stopを協議。

いつも、そうだがgoを決めると雨が降る、stopと言い出す雨が止むパターン。

今回もbingoだった。中止を決めかかったら雨が止みgoの強い声に中止の中止、再

び、どしゃ降りに戻り『この雨ではお客さんが来ない』とどめの声に中止が決定され

た。正式に中止を決定後、雨は小康状態になり『折角準備したのだから少しだけや

ってみるか・・・』

こんな雨の中で中止を知らないお客さんもあり、細々と店を開けたような、開けないよ

うな状態になった所で私はタイムアップとなり引き上げた。

軽トラ市と雨対策はどのようにすべきかを検証するには絶好の機会になったが、残念

至極の結果になった。


『夢追人、狩猟の舞台裏』

2013年08月03日 18時12分04秒 | 趣味

ナイフ

狩猟にはナイフがつきものだ。どんなナイフを使っているのか自慢し合う。使って

みた感じでは日本の鋼に勝る切れ味はない。外国産のものは、切れはいいが刃

先がすぐに無くなってしまうのに対し、日本のものは持ちがいい。歯こぼれは日本

の鋼の方がし易く外国産はし難い。

ブランド品はゾーリンゲン、バックといったところで値段も1万円前後からキリまで揃

っている。私はゾーリンゲンを使用していたが、山の中で葛葉かずらを切る、枝打

ちしながら歩くのに使った。探検隊がジャングルの中を進む、あれと同じ姿だ。

Tさんは土佐のナタのような形の刃物を使い、いつも綺麗に手入れをし、刃こぼれ

一つないように研いでいた。その切れ味は抜群で『髭が剃れる』と自慢していた。

猟師たちはこうした刃物に自分で工夫した鞘を作ったりして、自慢材料の一つに

していた。また、解体には必需品で大小を使い分ける。

ナイフは今でも肉を切る時に使っている。回転式の刃物研ぎ機を買って刃物の

手入れに精を出す。でも何故か家の包丁は切れが悪いではないかと妻からクレ

ームがきそうだ。

 

固形燃料と下着

山の中で待ちにつくと凍えるような寒さとの戦いが始まる。それまでに山の中を歩

き回るので汗ダクになり下着はベッタリと濡れ体温が下がると、その寒いこと。こん

な時に固形燃料を炊いて暧をとる。いつもは鍋料理などに使われるものだが煙が

出ないこと、臭いが少ないこと、また直ぐに火がつくので重宝した。暖をとるのに

間はかかるが使い捨てカイロも便利だった。

シャツとパッチは吸湿性の良い特殊繊維で作られたものを着用していた。値段

は高く上下で1万円以上もしたが値段だけのことはあり汗が出てもサラッとした感

じで以前のように汗による冷え込みはなくなった。


『雑想考、社会保障』

2013年08月03日 17時22分04秒 | 日記

いい法律も悪法になることがあり、万民に平等で益になる法律はあり得ないとよく

言われる。社会保障制度も赤ちゃんから高齢のお年寄りまで幅広く、それを利用

している事情は数えきれないほどあり、ここからここまでと簡単に括れない。

私は年金暮らしの気軽な身分だが、今の暮らしに至るまでは私なりに大変な事情

と闘ったり、困難をほぼ自力(勿論、身内で)で乗り切ってきた。

私の父は還暦過ぎ頃から歩くことが困難になり、やがては半身不随になってしま

った為、同居する母が今で言う老老介護をしていた。その頃、母の父つまり私の

お爺さんは高齢ながら母の近くで一人暮らし。お爺さんは家事なんか疎いからお

婆ちゃんが亡くなってから大変だと思っていたら、大きな間違いで毎日の食事は

勿論の事、全てのことを一人でやりながら暮らしていた。

当時の事だから、何かあっても今のようにショートステーなどないし、お年寄りを

預ける施設は特老のみ、それも何年待ちの状態だから、緊急時に個人を助けて

くれる仕組みなど全くなかった。

しかも、特老のお世話になるためには議員の力を借りて横滑りでもしなければ、

まともには利用できる状況でもなかったのは事実だ。

だから、暫くと言え我が家でも孫の私がお爺さんを引き取り、面倒をみなければ

ならない状況になったこともある。もし、私が松江に居なかったら兄のいる遠くに

行って面倒を見て貰うなんてことになったかもしれない。社会保障制度の老人

介護にまつわることだけでも、お年寄りを抱えて問題があると日本は自己完結

が原則のような世の中だった。こうした時代を乗り越え、より充実した制度を目

指し介護保険が作られた。私は当初からこの制度の主旨に賛成しかねていた。

余りにも制度に頼りすぎる介護を目指しているから、子の親丸投げにつながり

かねないこと、適用範囲が広すぎて保険制度は破綻することに対する危惧から

だった。介護は大変だが誰も通る道だし、行く道だ。今の制度のように電動ベッ

ドでも何でも介護と名がつけば補助が出るようなことをしていては、本当に必要

な人のところへの配分は減ってしまう、当たり前のことだ。ここが最初に述べたい

い法律云々の話だ。生活保障制度は保険ではないから別の切口からの論にな

ろうが、人が法律の範囲で事情を勘案する限り、結果の良し悪しに目くじらを

立てられないのかもしれない。


『夢追人、自然保護』

2013年08月02日 17時49分34秒 | 趣味

自然保護団体は野山に生息するあらゆる動物はどんなことがあっても守るベきで動

物を殺すのは残虐行為だとヒステリックに叫ぶ。異論は多くあろう。狩猟で生計を立

てている時代でないことは確かだ。一種のゲームとして動物の命を対象にしている

だけだと言う人もいる。

では、植物には命はないのか。魚には命がないのか。毎日、食べている肉はどうし

たのか。人間の食料にはすべて生命が宿っているのだ。狩猟をすることは自分でそ

の動物の命を絶つことになる。しかし、食卓の肉は例え人間が飼育したからとは言

え、人の手で殺されて来ているのだ。

人間が飼育したものは人間が殺してよく、野生のものを殺すことは許されないのか。

と熟中していた時はよく思った。

誰も、現実を知らないで一方的に自然保護を語るべきでない。野生動物の生態を

壊したのは人間だ。人間が利便を求めてそうすることもあれば、結果としてそうなる

こともある。猪の被害は農家にとって甚人な損失だ。春に田を起こし、水を張り、田

植え、水加減を見る、除草、肥料と多くの手を掛け、梅雨明けすると稲が形を整えて

くる。この頃の稲の中の米になるものを食べると白い汁が出てくる。猪はこれが好物

で下から上に実だけを刈り取り、クチャクチャと食べ汁を吸いモミ殻は捨てる。それ

だけでは済まず田のなかでヌタを打つ。一晩で田の1枚や2枚は平気で全滅させる。

山際のすぐ傍にある田で道から見えにくいような場所は格好の餌場になってしまう。

実りかけた稲を食べられるだけではなく、ヌタをうつような行動をとるから、時には猪

の相撲大会が開催されたようになることもある。

猪が暴れた田の稲は泥に埋まったりするから、脱穀しても微細な土が残ったり、体

臭が残ったりして食料としての価値はなくなる。それは酷いもので田の持ち主が怒

るのはよく判る。だからと言って猪を全滅させてもいいとは思わない。

八十八の仕事を積み重ねてやっと収穫される米が、こうなってしまうことを防ぐため、

一晚中、電気を照らしたり、ラジオをかけたり、古タイヤを燃やし続けたりして防ごう

とするが効果はない。ガス鉄砲で脅しをかけるがドーンと鳴るすぐ横で猪が稲を食

べる姿を何度も見た。最近は田の周りに電線を張り微弱な電流を流して駆逐する

方法が取られているがそれすら被害を食い止める得策にはなっていない。猪の被

害はこの他に芋、筍等がある。兎、鹿の被害は造林業に出る。山を刈り植え檜が

30センチほどに育ったものに雪が降ると食べ物がなくなった兎、鹿は、雪の上に伸

びるその芽の部分や細い枝を食べてしまう。先を失くした檜は大きくなるが頭のな

い木になり商品価値として落ちる。植林するまでの労力だけでも莫大なのに植えた

ものがこうではやるせないだろう。

皇居の掘りで名を馳せたカル鴨も、宮城県では稲を大量に食い尽くしその被害に

音をあげた農家が駆除のお願いしたこともある。

これらの保証は誰もしてくれない。

人間と動物が共にバランスを保ち生活出来る場所の模索が進められている。彦名

の水鳥公園もその一つ。しかし、ごく一部のケースを除き共存には、人と動物あ互

いの利害関係(?)があり妙案はない。


『草刈り、草取りの日々』

2013年08月02日 17時48分40秒 | 日記

暑い、湿気が多い過酷なもとでも草だけは元気よく、いくらでも成長を続ける。草取

りをして、やれやれと一息をついている内に一雨でも降れば、元の木阿弥に目を疑

いたくなるほどグリーンが鮮やかになっている。

畑でも、山小屋周辺でもこれの繰り返しで草取りや草刈りから解放されることはない。

だから福島原発で家を追われた人たちの家がどのようになっていくのか、私たち田

舎暮らしの人間にはよく分かる。人が手入れをしなくなった所は、例え立派な日本庭

園がある家でも、雑草が蔓延りその内、低木が生え出し、宿根草が根付くとそれらに

占領され、復旧には建設機械でも使って根返ししなければならないこともある。

その代り、何度も草取り、草刈りを続けていると徐々にではあるが草の量は減ってい

く。この辛抱強い努力がないと雑草から逃れることはできない。コンクリートの割れ目

から芽を出し育った根性大根や根性すいかなどは、人の目を楽しませてくれるから

歓迎されるが、草はコンクリートの割れ目を広げるほどの力を持っているから厄介者

以外の何者でもない。

汗をボタボタと落としながらでも草との戦いに負ける訳にいかず、愚痴をこぼしながら・・・・・・


『夢追人、銀山遠征こぼれ話』

2013年08月01日 17時13分57秒 | 趣味

銀山に向かう時、私とリーダーは八雲から1台の車に乗り、案内をしてくれる人と待

合場所で合流した。案内人は車を置いていくから同乗させて欲しいと言い、ある場

所に入り慣れた風に車を駐車させ私たちの車に乗り込んだ。

未だ夜を抜け切れていない暗闇だから、私たちにはどんな場所だったか全く知る由

はないし、余りにも自然に車をおく姿に何の疑問も持たなかった。

松江から石見銀山に向かい、1日中楽しい猪猟をして宿屋に着いたら、宿の人が案

内人に電話があったと伝言。

訝しがる案内人は自宅に電話をしてびっくり仰天の内容。消防署から家に電話があ

り消防自動車の車庫前に止めてある自動車を早くどけろ、と云う催促が何度もあった

と言う。このお方、私は初めて会った人だから全く知らないが『今、銀山にいて猟をし

ているから帰れない。明日の夕方には行くと言っといてくれ』と家人に言ったそうな。

相当な強者だ。

まさか、まさかの展開だ。私たちは、車を置く場所のことをよく知っていると思ってい

たが、本人もまさか消防署のしかも消防自動車の車庫の前とは知らなかったらしい。

自動車は署員が人力で横にずらし、消防自動車が出られるようにしてあったそうだ。

万が一、緊急出動と重なり車庫前に不法駐車(道交法上、どのような扱い?)の車が

あり邪魔をしていたため、出動が遅れたなんてことになったら、大事件に発展してい

た。その後、案内人は消防署に出向きこっぴどく絞られてことは言うまでもない。

ただ、悪意があった訳ではないから罪に問われるようなことは避けられたのは幸いだ

った。


『電子ブックについて』

2013年08月01日 17時11分15秒 | 日記

電子ブックと名付けられ、これからの書籍は電子ブックが書店にとって代わるかもし

れないと大きな期待がかけられ、新しい端末の開発で顧客の囲い込みが始まった。

販売元は電子化された書籍数の多さをアピールし、端末も低価格競争に突入。電

子ブックが出た当初、電子化された書籍数は限られており、専用の端末を買ってま

でこうした本や雑誌を買ってみようという気にはならなかった。

物好きな爺さんの購入失敗履歴に記されているDigital Photo Frameなる商品、タブ

レット端末のようなものに写真を映し出すだけのものだ。  SDカードを媒体としてスラ

イドショー形式で写真を映し出すだけのものだが、PCを立ち上げたりする手間が省

けるから何となく便利そうに思えた。

購入して暫くは物珍しさから食卓テーブルに置き、旅行や孫たちの写真を楽しんで

いた。しかしこうした写真をのべつ幕なしに見ることはないから、段々と遠ざかり、次

は壁掛けに変身、更に遠のき電源を入れることさえ稀になってしまった。

電子ブックの出現はフォトフレームの悪夢を思い起こさせた。

私にとって定着するものか否か見定める判断材料は非常に乏しく、最近になるまで

興味を示さなかった。折角タブレットがあるのに、こいつの活路を見つけ出さねばと、

電子ブックへの道を探ってみた。

電子化された本の数、種類は確かに増えており無料配信のサービスも充実してきた。

それではと一眼レフカメラの使い方、40歳からのピアノ入門と題した書籍を購入して

みた。本の紹介は、はっきり言って雑の一言に尽きる。だから購入前から博打をする

ようなものと覚悟をして買ったから腹は立たないが『40歳からのピアノ入門』

は教習本ではなく、経験談を綴ったもので、こうした内容だと分かっていたら絶対に

買うことはない代物だった。

ストアによっては『立ち読み』なるサービスを用意しているが、これにしても立ち読み

して購入の可否を判断できるものではない。音楽配信で視聴がある、これは分かり

易い。だが、書籍になると立読みすら博打に近い判断しかできない気がする。

それでも、と思い別の1冊を買ったがやはり思惑は外れ、期待した内容ではなかっ

た。電子ブックを購入するコツは、内容が明確に分かっているものだけに限定する

ことに他ならない。しかし、坊ちゃんや蟹工船などの名作が無料配信されて気軽

に読めるようなサービスも提供されており、客層が増えれば電子ブックの紹介の

仕方にも工夫されていくものと思う。

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*  2012年11月26日のブログに記載 2012.05.01~2012.08.31  *

*  2012年11月27日のブログに記載 2012.09.01~2012.11.18  *

*  2013年02月26日のブログに記載 2012.11.19~2013.01.30  *

*  2013年07月14日のブログに記載 2013.02.01~2013.06.30  * 

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